2012年9月 2日 (日)

筆頭檀家総代の奥様の死に臨み

筆頭檀家総代の奥様が亡くなられました。江戸時代からの我が寺の総代の家に生まれられ、四女であったにもかかわらず婿を迎えて家を継がれた方でした。誇り高き努力家。この寺の復興の良き相談相手のお一人であったので、とても寂しく感じています。
今朝未明に連絡を頂いて、戒名をゆっくりと考えました。そして朝になり枕経に赴き、祈りを捧げていると全く別の戒名が浮かんできました。寺に戻り、SATで典拠があるかどうかを調べ、
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/
院号は真言宗の両部大経の一である『大日経』に、道号は釈尊のお母様の摩耶夫人(まやぶにん)について記された『仏昇忉利天為母説法経』に、戒名は両部大経の一である『金剛頂経』に属する『守護国界主陀羅尼経』に典拠となる言葉を見つけました。
本来の戒名の命名は、経典の意味から文字を選ぶべきなのでしょうが、浅学ですのであまりにも幅が狭く深みも浅いので、逆転させて意味ある漢字を選び、それが経典にあるかどうか、意味がかなっているかどうかを調べています。このおかげで、逆に沢山の文章を読むことができ、思わぬ発見もしばしばあり、今ではこの方法を用い続けています。そして度牒をお渡しし、裏には院号道号戒名の意味と出典の典拠を記して、お通夜に用いて得度式を行い、その度牒は遺族にお渡ししています。

江戸時代までの日本は、生まれた時、少し大きくなった時、大人になった時、隠居後、そして死後で名前が変わって行きました。その時その時で名前を変え、立場に合わせて生まれ変わって、新たな生命を得ていたようです。明治になり、なんでも一つにしようとする西洋の動きに合わせて、日本のこの伝統文化は廃れ、今では戒名さえも滅びようとしています。
田舎の片隅ですが、私は日本のこの伝統文化を細々とながら守って行きたいと思っています。
明日はお通夜、明後日は告別式。真言宗ですので、お通夜は得度式、告別式は灌頂の儀式を行う予定です。
筆頭総代の奥様を心よりお送りするつもりです。

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2012年3月11日 (日)

質素倹約ばかりでは民は生きられぬ。この世は祭り!(by紀文) 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

質素倹約ばかりでは民は生きられぬ。この世は祭り!(by紀文) 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

今回は、紀伊国屋文左衛門が深川富岡八幡宮に金の神輿を三基奉納したという事実に基づき、
そのお祭りに通春(宗春)が訪れ、対話するという設定です。
晩年の紀伊国屋が自分の思いを通春に託し
通春は、その思いを自分の中で生かしていく前触れの内容です。

その年、享保三年八月十五日、深川富岡八幡宮境内に紀伊国屋文左衛門殿が金張りの神輿を三基奉納する。神輿祭と呼ばれるほど数多くの神輿があつまる富岡八幡宮例祭。

文左衛門:  「紀文最後の奉公じゃ。皆も祝ってくだされ」

と、小判をばらまく。そこへ着流しの派手な姿で、通春が現れる。

文左衛門:  「おお、尾張の麒麟児様のお越しじゃ。より賑やかになって良いのぉ。」

松平通春:  「紀文殿、久しゅうござる。」

文左衛門:  「疱瘡にお罹りになったと聞いておりましたが、お顔には出なんだ様子ですなぁ。」

松平通春:  「運が良かったのですよ。」

文左衛門:  「麒麟児様は病まで上様とは正反対じゃ。ハハハハハ。」

と笑い飛ばすと、通春から離れ、大きな声で叫ぶ。

文左衛門:  「質素倹約ばかりでは民は生きられぬ。それを幕府のお偉方に見せつけるために、こうして最後のご奉公。わしもまもなくあの世へ旅立つによって、金子など持っていても仕方がないからのお。この世のお金はこの世で使えというものじゃ。」

すると周りから「そうだ、そうだ。」と歓声が上がる。文左衛門が再び通春に近づき

文左衛門:  「わしの考えは全て求馬殿、いや主計頭様、三浦屋(吉原の楼閣)で、あなた様にお伝えしてあるゆえ、もうわしは思い残すことはない。わしは主計頭様の中で生きますからな。これだけは奈良屋茂左衛門もできなかったことじゃて。はははは。わしは良い跡継ぎを見いだせた。尾張の麒麟児、主計頭様。」

と囁くと、皆の方を向いて

文左衛門:  「もっと賑やかに神様を盛り上げよ」

と叫ぶ。「ワッショイワッショイ」。通春も着流しの上からはっぴを羽織り、民の中に入って共に御輿を担いだ。「ワッショイ ワッショイ」。通春は紀文の言葉の重みを実感しながら祭りに参加し続けた。

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2007年4月15日 (日)

観音菩薩:七七日

今日の午前中に七七日(四十九日)の法事。毎週一回通って法話をお話してきたが、今日までで、次回は百ケ日。百か日の仏は観音菩薩。

今日の法話は、観音菩薩。観音菩薩は自由自在に物事を観る仏であり、他の苦しみを自分のことのように思い、慈悲を与える菩薩。私は若くして海に溺れてなくなった友人のことを思うようにしている。その苦しみはいかなるものなのか。私も喘息で声も出ない時があるが、窒息の苦しさは大変なものだったと思う。その苦しみを自分のことのように感じる、ここに大悲の第一歩がある。できる限り、具体的な苦しさを観じ、それを自分自身に置き換えていただくように伝えた。他者の苦しみが分かったとき、傍に居る事の大切さを理解できるものだからだ。

故人の苦しみを、自分に振り返っていただいている遺族たちを前に、それゆえにこそ行動に出られることの大切さを感じた。

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2007年4月 9日 (月)

弥勒から薬師へ:六七日

昨日の午後から六七日のお参りに行く。そのときの法話を以下に。

六七日は弥勒菩薩が本尊。弥勒菩薩は慈しみの仏であり、可愛い赤ん坊を見つめるその眼差しが慈しむの眼差し。それをまずは身の回りの人に振り向けられるように、というのが残された遺族へのメッセージ。そして亡くなった方には弥勒の兜率天(とそつてん)で、弘法大師と共に弥勒菩薩の元に。

弥勒菩薩の次は薬師如来。薬師は東方瑠璃光浄土の教主。十二神将や日光月光の寮菩薩が有名。天の世界から仏の世界に向かう。それが七七日。すなわち四十九日。薬師如来には上中下の三つの薬があるという。下薬はいわゆるお薬。病気になったときに対応する対処薬。中薬は毎日摂るもの。すなわち食事。この食事のコントロールは普通の薬に勝るとも劣らないもの。、まさに医食同源。そして上薬は、常時行っているもの。すなわち呼吸。この呼吸のコントロールが最も重要。この三つの薬を上手に扱えば、身体だけでなく、心もコントロールしやすくなる。この一週間は、お食事と呼吸に意識を傾ける一週間。

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2007年4月 2日 (月)

地蔵から弥勒へ:五七日

五七日で語った内容。

五七日は地蔵菩薩が本尊。これまでの一週間は、二つの側面があります。亡くなった方にとっては、この世からあの世へ移る中間(ちゅうげん)にあたり、そこをお地蔵様に導いていただくこと。地蔵菩薩は中間の菩薩(仏)と呼ばれています。一方、残されたものにとっては、地蔵様の本願である笑いが大切な一週間でした。お地蔵様は、大地が実りで満たされ、それに満足して大笑いをする仏。自分自身を満たし、大いに笑うことが地蔵様の願い事。笑う門には福来る。

そしてこれからの一週間は、弥勒菩薩を本尊とします。亡くなった方にとっては兜率天(とそつてん)という、神さまの世界に行きます。この世界に弘法大師も居ると言われています。五十六億七千万年後に、弥勒菩薩は下生され、この世で成道されるといわれています。ですから、亡くなった方にとっては、弥勒の浄土に行くのがこの一週間です。一方、残されたものにとっては、弥勒菩薩の意味である慈しむ心が重要になってきます。弥勒とは慈しむという意味。目の前に可愛い赤ん坊がいるとイメージし、その赤ん坊を見つめるそのまなざしが慈しむ心です。この慈しみの心を、すべての方々に振り向けていくことが大切なこと。少なくとも縁のある周りの方々に、この慈しみの心を振り向けることをこれからの一週間は意識していただければと思います。

上記が、五七日の昨日の法話。

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2007年3月25日 (日)

笑門来福:四七日

午前中に水子供養。午後から四七日に出かけ、帰ってきてから相談。睡眠がおかしくなっているせいもあり、その仕事が終わった瞬間に、食事もせずに寝てしまった。そして目が覚めると11時。夜の11時。嗚呼、また睡眠のタイミングを逃してしまった。ま、好きなことをし始めての睡眠障害だから、これも笑い話なのかもしれない。

さて、今日の四七日で語ったこと。これまでは何か良いことを積極的に行う一週間であるようにお願いしてみた。なかなかできるものではない。意識していてもできないのだから意識していないと余計にできないようだ。これからの一週間はお地蔵様。お地蔵様は笑いの仏様。この一週間は笑いを大切にしようと語りかけた。笑う門には福来る。

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2007年3月18日 (日)

三七日で語る・・・文殊の「辞めること」 普賢の「行うこと」 どちらも大切

午前中に供養一件。午後から三七日にでかけ、その後に御祈祷一件。睡眠のコントロールが効かないため、顔が少し腫れていた。

今日の三七日で語ったことは以下のとおり。 

「今日までの一週間は、なにか今までしていたことで辞める習慣を身に着ける週間。それが文殊菩薩の剣がシンボル。 これからの一週間は、何かよいことを積極的に行う一週間。よい習慣を身に着けていただければと思う。それが普賢菩薩の一週間。」

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2007年3月12日 (月)

何かをやめること の一週間:二七日

昨日は、二七日を迎えた檀家さんのお宅へ行く。そこでの法話。最初の一週間は不動明王。最もよく動かれる仏様。その名前と異なり、本当に自由自在に動かれる。菩提心が不動だからこそ、自由自在に動かれることを説明。そして次の二週間は釈迦如来。釈尊ともいう。真言宗の釈迦如来は生身の御釈迦さんではなく、その御釈迦さんがこの世に生まれてこられたその本体である受用法身の釈迦如来をいう。この釈迦如来は生活を整えるための戒律と深く結びついている。そこで、その檀家さんに、一週間前に「これからの一週間、何か自分で決め事をして行動をとってほしい」と伝えた。そして、今回は文殊菩薩。釈迦如来の脇侍のお一人。剣を持ち、煩悩を切り裂く菩薩。それゆえに「これからの一週間は、何か一つやめることを決めて実行してほしい」と伝えた。お茶断ちという言葉があるが、自分の好きなことを控えて、そのエネルギーを最もやりたいことに向けることは大切なことだ。それを実現する一週間と伝えた。今回のこの七日ごとのお参りは、ある意味おおきなモデルとなりうな予感がしている。

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