2017年5月20日 (土)

今日(5月20日)は何の日? 「ジーンズ発祥の日」 創意工夫の大切さを知る

今日(5月20日)は何の日?
ジーンズ発祥の日
テーマ「創意工夫」

ジーンズメーカーのリーヴァイスLevi'sの正式名はリーバイ・ストラウス(Levi Strauss & Co.)。創業者はドイツのバイエルン州 ブッテンハイムで生まれたアシュケナージ系ユダヤ人で、18歳のときにニューヨークに移ったリーバイ・ストラウス。24歳で彼はアメリカ市民となる。その年に織物類の卸売事業「リーバイ・ストラウス&カンパニー」をカリフォルニア・ストリートで開始。ゴールドラッシュの際にキャンパス帆布地を利用した。
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43歳のとき、上顧客の一人ジェイコブ・デイヴィスから手紙を受取り、共同で金属鋲でズボンを造るようになる。リーバイ・ストラウスが44歳の時、1873年5月20日のこの日、リーバイとジェイコブはデニムの作業ズボンのポケットを銅製の鋲で強化する特許を特許番号139121号として取得。 ニューハンプシャー州マンチェスターのアモスキーグ社製の帆布を用いて、新しいスタイルの最初のブルージーンズを製造し始めた。

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今日はジーンズ発祥の日。相違と工夫により、ゴールドラッシュの炭鉱夫にも絶えられる製品として生まれたジーンズ。
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個人的なことだがこの一ヶ月で8kg痩せることができたので、やっと手持ちのジーンズを履くことができるようになった。今日は昼間はジーンズを履いて、リーバイ・ストラウスやジェイコブ・デイヴィスなどの創意工夫を感じてみようと思う。

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2017年5月17日 (水)

今日(5月17日)は何の日? 「貞明皇太后の忌日」  尾張德川の血

今日(5月17日)は何の日?
貞明皇太后の忌日
テーマ「尾張德川の血」

昭和26年(1951年)5月17日、大正天皇の皇后である貞明皇太后が崩御された。

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貞明皇太后の父君は九条道孝公。道孝公の父君は九條尚忠公。尚忠公の実父は二條治孝公。治孝公の父君は二條宗基公。宗基公の実父は九條幸教公であり実母は尾張徳川三千姫。三千姫の実父は尾張徳川四代目吉通卿。吉通卿の正妻は九條輔子。輔子の弟が幸教公であり、兄は九條師孝公。吉通卿の父が尾張徳川三代目綱誠卿。綱誠卿の父が尾張徳川二代目光友卿であり、実母が德川千代姫。千代姫の実父が德川宗家三代目家光。

つまり貞明皇后は尾張徳川の血を受け継ぐ方であり、昭和天皇も今上陛下も、皇太子殿下もまた尾張徳川の血を直系で受け継ぐ方々。

先日、名古屋城天守閣木造再建がスタートしたばかりだからこそ、その血の流れの一つを思い出させていただいた。

血だけが受け継ぐべきものではないことは重々承知している。しかし理屈を超えて時代を超えて人々が護り続けてきたものには何らかの目に見えない力が働いている。

昨日、寺子屋の生徒が質問してきた。「天皇制は続けなくてはいけないものなの?」と。「理屈じゃなく、今上陛下が眼の前に居たら君はどうする?」と逆に質問。すると「やはり自然に頭が下がると思う」と返答。「それは理屈じゃないよね。血肉がそれを自然にさせているんじゃないかなぁ?」と改めて応じると、「なるほど!」と明るい声が返ってきた。

だからこそ、今日は尾張徳川に連なる皇室の血として、もっというと歴代天皇の中で最も倫理観の高い昭和天皇と今上陛下をお育てになられた貞明皇太后に敬意を表してご紹介させていただいた。

今日の祈りでは貞明皇太后陛下の追福菩提を祈ろうと思う。

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2017年4月30日 (日)

今日は何の日? 4月40日 ヒトラーが自殺した日 「暴走を止める善師と善友が大切」

今日は何の日?

テーマ「暴走を止める善師と善友が大切」

1945年4月30日のこの日、ドイツ(第三帝国)首都・ベルリンでアドルフ・ヒトラーが逝去した。

遺書をタイピングし、唯一無二の恋人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙る。愛犬ブロンディを毒殺。妻エヴァ・ブラウンと共に総統地下壕の自室に入る。エヴァ・ブラウンは服毒自殺、アドルフ・ヒトラー自身は拳銃自殺であった。

ヒトラーは対局を見失い確かに間違った。マルかバツでいえば、明らかにバツである。しかし、全てを否定するのは尚早に思える。

・第一次世界大戦で疲弊した国を再建し、米国に次ぐ世界第二の経済国にした。
・アウトバーンや鉄道などの整備
・公共事業による失業者の減少
・国民の健康のために有機野菜を推奨し国民の健康を大切にした。
・大気汚染しないように環境問題を注意した。

彼が行なった政策がドイツ国民を熱狂させるほど善きものがあったのも否めない。

ただ、暴君によくあるパターンに彼も陥ってしまった。暴走してしまった。良き政策を初期に行っていたにもかかわらず、暴君に変貌するものは少なからずいる。

・秦の始皇帝。中華を統一した英雄であった人物。
・暴君の代名詞であるローマ第五代皇帝ネロ。彼は皇帝就任してしばらくは名君の譽れが高かった。
・室町幕府第六代将軍足利義教。僧侶であったが還俗し父の三代将軍義満に習う善政を将軍就任当初は敷いていた。
・オルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクに協力して英雄とまで呼ばれたジル・ド・レ
・貧民救済をし多くの書籍を編纂した李氏朝鮮の第10代国王燕山君
・信仰心が篤かったイヴァン雷帝

繰り返すと、私はヒトラーは好きではない。ヒトラーは暴走してしまった。やはり駄目な典型だと思う。どんなに良きことから始めても暴走してしまっては意味はない。彼には善師と善友がいなかった。

ヒトラーの死について見つめ、改めて善師と善友に感謝したいと強く思う。

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2017年4月29日 (土)

今日は何の日? 4月29日 昭和の日 嵐寛寿郎の鞍馬天狗シリーズが始まった日 「デフォルメは事実よりも人の心を撃つ」

今日は何の日?

テーマ「デフォルメは事実よりも人の心を撃つ」

もちろん4月29日は昭和天皇の生誕日であり、「昭和の日」。そこで昭和の出来事に目を向けてみる。

今からちょうど90年前の、昭和2年(1927年)の4月29日のこと。

嵐寛寿郎が、まだ嵐長十郎と名乗っていたときに、映画『鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子』が封切られた。シリーズ第一作。

嵐寛寿郎が鞍馬天狗課、鞍馬天狗が嵐寛寿郎かといわれるほどの当たり役。大仏次郎の同名小説が原作。勤王獅子の一人である倉田天膳が、新撰組を翻弄する痛快時代小説。嵐寛寿郎の主演映画で一世を風靡した。

権力に阿(おもね)ることをせず、庶民を護る時代劇スーパーヒーローが銀幕を闊歩する。その姿に人々は酔いしれた。オーバーアクションも印象を強く与えた。「杉作」という角兵衛獅子の子ども役が、映画をより楽しませた。

昭和恐慌へと突入していく時代背景もあったかもしれないが、正義が大切にされ、勧善懲悪が人々の心を撃った。さらにピンチに陥り、そこから脱出して悪を撃つというパターンが、ハラハラ・ドキドキさせたのかもしれない。
まさに原作を超えててさまざまにデフォルメをさせたことが観衆を魅了したとも言える。

個人的に考えさせられたこととは、事実を伝えることよりもデフォルメをしたほうが人の心に届くということ。デフォルメは、事実ではなく真実を伝えようとする方法論。嵐寛寿郎の映画を見ていると、かなりデフォルメされた作品ばかり。しかし、そこからは事実よりも大切なものがあるということを感じさせられる。

ちなみに嵐寛寿郎(アラカン)は、六歳下の長谷川一人、五歳下の市川右太衛門、一歳下の片岡千恵蔵、同い年の月形龍之介・一歳年上の阪東妻三郎、四歳年上の大河内伝次郎とともに「七剣聖」と呼ばれ、時代劇を引っ張っていた。個性的な大スターが共に他者を引き上げていたようにも思う。

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2017年4月28日 (金)

今日の何の日? 4月28日 日本の主権回復 サンフランシスコ平和条約発効 「主権」

今日は何の日?

テーマ「主権」
出来事「日本の主権回復 サンフランシスコ平和条約発効」

正式名は「日本国との平和条約(Treaty of Peace with Japan、昭和27年条約第5号)

第二次世界大戦の連合国諸国と日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約。
この条約を批准した連合国は日本国の主権を承認。国際法上は多くの連合国との間の戦争終結。

しかしソ連は会議に出席したが条約に署名せず。中華民国、インドは会議に出席せず。インドネシアは議会が批准せず。その後、インドネシア、中華民国、インドと個別に講和条約を締結・批准している。

昭和26年(1951年)9月8日に全権委員によって署名され、同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名。翌年昭和27年(1952年)4月28日に発効。「昭和27年条約第5号」として公布された。

この日の前日に安倍首相とプーチン大統領が、平和条約に向けての声明を出したのはとてもとても健気大きな意義がある。あまりにも上手な日を選んだのではないだろうか。安倍政権の外交の巧みさを感じる。1日も早くロシアと平和条約を結び、日本は休戦(戦争状態を休止している)から脱し本当の意味での終戦をしたいものだ。

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2017年4月27日 (木)

今日は何の日? 4月27日 松下幸之助翁の忌日 古人の跡を求めず 古人の求むるところを求む「」

今日は何の日?

テーマ「古人の跡を求めず 古人の求むるところを求む」

平成元年(1989年)4月27日、松下幸之助王が冥土へと旅立った。昭和天皇が崩御された年のこと。一つの時代が大きく変化したと感じさせられる逝去であった。

松下翁は「経営の神様」と言われ、日本を代表する経営者。現在のパナソニック(旧松下電器グループ・ナショナルグループ)の創始者。

『人生心得帖』『商売心得帖』などの心得帖シリーズをはじめ大きの著述もある。単純な経営者ではない。深い思想に裏付けされた感覚は今も見習うところが少なくない。

ただ、それがパナソニックを苦しめてしまったのも事実。だからパナソニックは世界のパナソニックから後退してしまった。

日本の経営者を硬直させてしまったのも事実。だから日本の経営陣が皆おかしくなってしまった。

彼があまりにも偉大であったがゆえに、「水道の水のように」という戦前までの日本人が求めていたものを基盤とした考え方から、後継者たちが脱しきれなくなってしまった。

おそらく松下翁自身はそれが見えていたのであろう。だからこそPHP研究所や松下政経塾を立ち上げたのではないかと思う。

それとても今はしっかり機能しているかどうかは分からないが、すくなくとも、両者とも現代社会に大きな影響を与えているのは事実である。

個人的には若き日に『人生心得帖』を読んで、その深い思想に強く影響された。

松下王は偉大であった。それゆえに、彼の言動を真似たり、彼の言葉尻にとらわれたくはない。

彼を突き動かしていた深い思想に共鳴し、現代または未来のあり方に沿って、その思想を活かしたいものだ。

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2017年4月25日 (火)

今日は何の日? 旧暦三月二十八日 東京が首都となった日

今日は何の日?

テーマ:東京が首都となった日

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今日は旧暦3月28日。旧暦明治ニ年(1869年)3月28日のこの日、明治天皇が東京城こと江戸城に入られた。この日に東京城(江戸城)は「皇城」と呼ばれるようになり、実質的に東京に奠都(てんと)となった。

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京の都が廃され、東京に都が遷ったという公式発表はなかった。あくまでも東京を都と定めただけであり、京都を廃したものではないという曖昧な表現であった。それゆえに、遷都(せんと)ではなく奠都(てんと)、つまり都を定めるという意味の言葉を使う。

江戸末期に天皇親政を新たに執行するにあたり、古来のように遷都を行おうという意見が出た。国を大きく変えるという決意のもの、大久保利通は大阪遷都を狙った。しかし公家の反対が多く成らなかった。ところが、大阪は放っておいても寂れることはないが、江戸は德川が滅ぶと寂れる可能性があるという意見が大久保利通に報告される。大久保はじめ主要な人物たちは江戸を都にする方向で動き始めた。

明治天皇は明治元年10月13日に江戸城に入城。東京の皇居と定められ東京城と改名。一度、京都にお戻りに成られ、改めて明治二年の旧暦3月28日のこの日に東京城にお入りに成られ東京奠都となったという。

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今も東京が首都であるのはこの時の決断である。

明治は、政治の中心を徳川幕府時代の江戸という地を引き継いだ。江戸を造った徳川家康公の思いは生き続けた。京の都のように固定されているわけではなく、大名たちや旗本たちを放逐して、新たな都に作り変えやすかったからかもしれない。

ただ個人的には明治維新は良き点もたくさんあったが、暗黒面もたくさんあったと思っている。明治維新を礼賛するのはどうも憚れる。明治維新、改めて善悪を見極めて、明治で失ってしまった日本の伝統の善きものを取り返すようにしたいと願っている。

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今日は何の日 4月26日 合気道創始者の植芝盛平翁の忌日 「精神的な境地が技に現れる」

今日は何の日?

テーマ「精神的な境地が技に現れる」
人物「合気道創始者の植芝盛平」

昭和44年(1969年)4月26日のこの日、合気道の開祖 植芝盛平 が逝去した。

自然宇宙との「和合」「万有愛護」を実現するような境地に至ることを理想とした。合気道の技を通して対立を解くことを目指し、「精神的な境地が技に現れる」と説いたという。

植芝は、小柄であったにも関わらず、大柄な人でさえ投げ飛ばし、彼の技は「神技」とさえ言われた。様々な武術を学び、そこから相手の技を応用する合気道を編み出し極めていく。柔道の嘉納治五郎とも親しく交わり、大本教の出口王仁三郎、南方熊楠、山本権兵衛、五井昌久などとも交わった。老齢になっても無類の強さを発揮し、半ば「不世出」と伝説となっている。

植芝盛平の技はyoutubeでも見られるし、彼の言葉は幾つもの著書でも拝見できる。その内容は、まさに精神性の深みを実感させられる。私は僧侶であるがゆえに武道は行わないが、もしも僧侶になる前の若いときに武道を選ぶことが必要であったのならば、合気道を選んだと思う。精神性を人体に発現した人物であることは間違いない。

「精神的な境地が技に現れる」このことばは、様々な分野に通じる言葉。

「精神的な境地」が「言動」「所作」「声」「技術」「見た目」に現れる。

今日は植芝盛平の言葉を噛み締めてみたい。

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2017年4月24日 (月)

今日は何の日? 「異なる意見を大切に」 1891年4月24日 近代ドイツ陸軍の父大モルトケが逝去する

今日は何の日?

テーマ「異なる意見を大切に」

1891年4月24日のこの日、ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラーフ・フォン・モルトケが逝去した。「大モルトケ」と呼ばれた人物である。

プロイセンの軍人で、統一ドイツをもたらしたドイツの英雄。軍制改革をおこない、「近代ド

イツ陸軍」の父と呼ばれた。

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モルトケは順調に昇進したわけではない。しかし、地図作りを偶然にも極めた為に、参謀本部で大活躍する。

政治はビスマルク、軍事はモルトケと、互いに相手を信頼した。ただし、規律正しいモルトケに反し、規律破りの多いビスマルク。二人はあまり仲の良い関係ではなかったらしい。それでも、互いの領分には口を出さず、全面的に信頼して居たという。そしてモルトケは軍部においても他者の意見を大切にした。

今の政治的指導者の中で、こうした関係である人は稀。個性の違うもの同士が、個人的には仲が良くなくとも、国を互いに守ろうとして協力すると、幅広い体制が生まれる。

だからこそプロイセンは統一ドイツを成し遂げたのではないだろうか?
第一次世界大戦や第二次世界大戦の時に、この二人のような器量の大きな人物が上に立てなかったドイツは敗戦の道を歩み苦しんでしまった。

モルトケにも色々問題はあったと思う。しかし、彼の持つ寛容性や知性を大切にしたい。

「自分と意見の異なるものの意見を大切に」これが今日のメッセージ

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2017年4月23日 (日)

今日は何の日? 2017年4月23日は、 旧暦三月二十七日。 松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出た日

今日は何の日?

平成29年(2017年)4月23日は、
旧暦三月二十七日。

松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出た日である。
序文「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」は受験にも出るほど有名。

芭蕉が尊崇する西行法師(1118~1190)が逝去して五百回忌に当たる旧暦元禄二年(1689年)に旅に出る。

武蔵(江戸)、下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前、近江、美濃

芭蕉は『曾良旅日記』の著者である河合曾良を伴った。芭蕉十哲の一人である。

「草の戸も 住み替はる代よぞ 雛の家」
と江戸深川の採荼庵(さいとあん)を出立。

「行く春や鳥啼魚の目は泪」
『おくのほそ道』には この句を矢立初めの句として
「これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず 人々は途中に立ち並びて 後影のみゆるまではと 見送るなるべし」
と記される。

芭蕉はこの旅を出立してから5年後の元禄七年(1694年)に逝去。「おくのほそ道」は芭蕉逝去後八年を経た元禄十五年(1702年)に京都の井筒屋から出版刊行されており、芭蕉自身はその出版を知ることはなかった。

芭蕉は数え四十六(満44or45)歳で旅に出て、二年後に江戸に戻り、数え五十一(満49or50)歳で逝去している。今の自分の年齢よりもずいぶん若い時代に、後世の人々の心に深く響き渡った物を残していた。しかも、いのちを削る旅であったことは、想像に難くない。その俳句に掛ける熱き想いには頭が下がる。
準備をして私も心の旅に出ようと思う。

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