タイトルをマイナーチェンジ:玄米和尚(遊歩)の「つるぎ日記」
玄米和尚に呼び名を改名した。
玄米とは「籾殻もみがらを除いただけで、精白してない米。くろごめ。」【岩波書店 広辞苑第五版】。この米を水につけておくと、発芽することが多い。すなわち生きたお米。一方、精白米は発芽することはない。つまり死んだお米。そういえば、漢字では、米が白いと書いて粕(かす)。米に健康の康と書いて糠。昔の人は賢い。玄米とは、次なる命に栄養を与え大いに養い、また自らも大いに成長していくもの。栄養価満点な食べ物。正しよく噛んだり調理法に工夫が必要。さらに、うちのお寺は修学院であり、臥龍山。つまり、学び舎であり、力を蓄える場。こうしたところからも、玄米和尚とはとても好い名前だと気に入った。
遊歩は『即身成仏義』の「大空位を遊歩す」と「プロムナード遊歩道」をかけて付けた意味深い名前だが、どうも遊び人として軽く受け止められ深義を理解していただけず勘違いされやすい名前だった。そこで、この名前を捨てるのではなく玄米遊歩和尚として名乗ろうと思っている。 ※もちろん本名は戒名であるのでとても大切にはしているし、縁があっていただいた由緒ある名前なので全く改名する気はない。
「つるぎ」とは剣。私が生まれた尾張の地は剣と縁が深い。熱田神宮は剣の宮。浪切不動尊もその剣を奉納したという。またわが寺に祀られている尊に、導師文殊師利菩薩、守護尊浪切不動明王、般若心経秘鍵大師、鎮守摩利子天と剣を持った尊が多く縁がある。また90歳を超える老夫婦が祀っていた弘法大師尊像を譲り受けた。そしてそこから鶴亀弘法と呼ぶようになった。つる・かめ・・・鶴亀・・・つるぎ・・・である。様々なものを切り開く剣であり、鶴亀のように縁起がよく、永遠性を保つという意味で「つるぎ日記」とした。そこで、タイトルにも剣と鶴亀を入れ、写真には般若心経秘鍵弘法大師を入れてみた。
上記の理由で、このブログのタイトルも若干変更した。
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