2017年4月17日 (月)

今日は何の日? 平成29年(2017年)4月17日=旧暦3月21日は真言高祖弘法大師(空海)の入定日。 承和2年(835年4月22日)のこと。 

今日は何の日?

旧暦3月21日
真言高祖弘法大師(空海)の入定日。
承和2年3月21日(835年4月22日)のこと。
高野山では壇場伽藍御影堂に入ることができる。

今日は未明(四時頃)に、
自坊の大師堂で金剛界立ての大師法を修す予定

17951932_10210820514980645_55792075

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月17日 (金)

今日は何の日?3月17日「ダライ・ラマがチベットから脱出した日です」この出来事を内面化させたいと思います。

今日は何の日?3月17日。

1959年、チベットからダライ・ラマ14世が脱出したのが、この日です。どんなに正当性を訴えたところで、当時の中国共産党がしたことは侵略に他なりません。チベットという隔離された場所で、独自の仏教文化を営んできたチベットを占領し、それまで住んでいたところへ大量の別人種を送り込み、結果的には現在のチベットでは独立けできないような状況にしてしまっています。本当に悲しむべき出来事です。

この出来事から学ぶべきことはたくさんありますが、その中でも、自分の素朴な心が周りに溢れた物で侵略されていないかどうかを見つめるのも大切なことのように思います。チベットの人々の尊き犠牲を自分の内面にも生かしていたいと感じています。

今日は知多の岩屋寺さんのお手伝いに来ています。チベットのことも見つめながら、チベットの人々にとって、そして日本にとって良き道がこれから示されることを深く祈ろうと思います。
Img_1161


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月 3日 (火)

「今年は何をするのかを 見極めるには?」元日に遺書を書く

「今年は何をするのかを
見極めるには?」

かつて高野山では
お正月に住職たちは遺書を書いたという

私も高野山真言宗所属の密教僧として
今、遺書を書いている

今年のこれからの自分を
見つめることに
とても役立つ

生も死も
思うようにならないからこそ
見つめる機会もまた必要

何をせねばならないのかを
何を言い残すのかを
見極めることもできる

昨年と、実父が逝去したために
新年のお祝いは遠慮せねばならない故に
そうした身だからこそ
遺書のことを記させていただいた

何かを感じていただけたら
幸いである

自動代替テキストはありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年1月17日 (土)

仏像を観て初めて泣く

仏像を観て初めて泣きました
C64924acbf7145beb125e2bb6bc556a3_3 高野山に行く途中、入院中の大叔母を見舞い、名阪国道を走っていました。お腹が痛い…これは…天理東少し手前。もちろん石上神宮にお詣りに行きました。






Cd7204182bee4076ae9cbe87c5e070f1_2 こうなれば三輪の大神神社も行かざるをえません。三輪は参拝者がいつもより多く感じました。駐車場の誘導員にお話しすると一月はいつもこれくらいとのこと。初詣なのでしょう。お祈り終わり、参道を歩くうちに、突如として安倍文殊院に行こうという気に。近辺は何十度と訪れているのに、文殊院はまだ訪れたことがなかったからかもしれません。




01fc65d06b4c60376cfc07a149001c0b4db
842523461e5747e594e31c7ba6a0bf9f 文殊院では受付を済ますと、まずお薄の接待。これがまた美味しいお菓子。気持ちを落ち着かせて本堂に入ると、何か優しく力強い霊気?らしきものが。ふと左手を見ると正面に等身を遥かに超える文殊菩薩像。すぐに正面で三礼し、正座。真言を唱え、お近くに行き、また正座しお姿を拝見。すると目から涙が溢れ始めました。この仏!あまりの感動で、どう表現したらよいか分かりません。ただ今まで写真では何度か拝見してきたのですが、遥かに超える素晴らしさに打ち震えました。このお像を創ろうとされた方、実際に造られた方、護ってこられた方、信仰されて来られた方に、深く感謝。時間があればイメージで修法したいと感じていました。このお像のようでありたい、そう思わせる仏像に初めて出会いました。
祈り終わったのちに、お薄で出た落雁と、文殊さまのお写真のある写真集を手に入れました。
明後日まで、後夜(後夜)早朝の祈りは他の仏の修法をすることになっていますので、明々後日からこの写真を用いて早速五字文殊法を修そうと思います。
この後におまけがつきました。
今回に限って予習せずに参加した輪読会。何をするのか全く気にしていなかったのですが、なんとなんと文殊菩薩についてでした。
今日の安倍文殊院の文殊菩薩像との出会いを思うと、この共時性に感動しています。畏れおおく、しかもありがたい御縁です。
こうした出来事が最近頻発しています。本当に日常にこそ神秘がひそむ、それを強く感じます。
It's a small world !

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月29日 (月)

神仏と遊ぶ時間 朝の修法

少しだけ専門用語を使いますが分からない方は読み飛ばしてください(^^;;
いつもは50分で終わる修法を今朝は一時間半掛けた。所作の部分ではなく、入我我入、正念誦、字輪観だけで50分は掛けたと思う。とてもゆったりとした気持ちの良いものであった。久しぶりに時間に追われずできたように思う。これが春とか秋だともっと時間を掛けたかもしれない。手が冷たくなってしまったために散念誦はいつも通りの観念を整えるものとした。
ときおり、そんなことしてどんな効果があるの?と訊かれる。応えは何も変わらない。空を飛んだり未来予知ができたり、そんな能力が獲得できるわけではない。

しかし、長い目で見ていると、深化という言葉が合うだろうし、人によって顕れかたは異なる。
私の場合は現実世界の中で確率的には頻発することがあり得ない偶然の一致が目に見えて頻発するようになる。それが楽しいし、ありがたい。
そして何よりも修法をして神仏と遊ぶ感覚が強く、楽しい(^^
毎日はこんな時間をたっぷりととることはできないだろうが、来年はこうした時間の使い方を増やしてみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月27日 (土)

ブラジル・土佐そして美濃 Small Worldをここに見たり(^^)

日系ブラジル人のNさんが檀家になった。

色々と話しをすると面白いことが見えてきた。 (Nさんからは名を伏せるということで  これを記す許可をとってあります)

祖父母は元々高知県生まれ。 その祖父が先祖に関わる資料を持って居られた。 それを孫のNさんは跡取りということで受け継がれていた。 本人たちは平仮名や片仮名しか読めず そこに何が書いてあるかは知らなかった。

先祖の戒名がいろいろ書いてあるものの中に 面白い資料が混じっていた。 ご先祖が土佐(高知)国に赴いたのは江戸が始まる直前。 それまでは美濃(岐阜)国に住んでいたと記されていた。

400年以上も経て、土佐・ブラジルと渡り そして美濃国であるこの地域に戻って来られたのだ。 Nさんは驚き、先祖の縁を深く感じられた。 まさにIt's a small world.

この後、ブラジルでは自動車はほとんどミッションであり
エアコンも殆ど使わないということ
自動車の色も日本ほどカラフルではないこと
しかし女性のファッションはドギツイくらいカラフルで しかも身体にピタッとする服が流行っているなどの
世間話もしたことを付け加えたい。

あ、大切なことを言い忘れた。

いただいたコーヒーと 自家製のお漬物が抜群にうまかった。
20141227b

いただいたものにも こうした御縁に連なったことにも 深く感謝したい

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月25日 (木)

僧侶はもっと胸を張って葬儀を語るべき 神社との違いを見つめて

日本の神々は現世の存在であるので死を厭います。ですから喪中は神社への参拝を控えるようにいわれます。ただし、抜け道というものはあるもので、鳥居をくぐらなければ神社へのお参りはOK。むしろ身近な者の死の場合は、三十三年経つと先祖霊として神々と合一していくものなので、氏神様への祈りはとても大切。

時折、神仏は仲が悪いとかいう不埒な人たちが居ますが、神仏分離は明治維新に政治的に引き起こされたもの。そうして勝手な考えの暴走は止めたいものです。

一方、仏は生死を超えた三世(過去・現在・未来)に渡り、浄土を有しますので、死を厭うことはありません。もちろん仏教はあの世だけが大切なのではなく、現世も大切にします。あの世重視はむしろ仏教では珍しいといったほうが良いでしょう。むしろ、あの世(彼岸・真理)の中に此の世(俗世)が包み込まれており、あの世から見れば俗世との境界はなく、此の世から見れば人の言葉によって生まれた境界があると見る方が良いかもしれません。だからこそ現世でしっかりと生きることを重視するのでしょう。

そう考えると、仏教が葬儀を司るのも、此の世の言葉で縛られた俗世からの解放という意味が大切に思えます。先師方が仏教とは直接関係ない葬儀を取り込んだのは、とても意義深く思えます。現世のみではないので仏教には死の穢れはありえませんし、現世での言葉という枠組みの解放を伝えるのも仏教ですから、故人や参列者にそれを伝えるのも僧侶の大きな役目。

この文章を書いていて、仏教者は葬儀を司ることをもっともっと胸を張って良いと感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月25日 (火)

松長有慶『高野山』岩波新書を読んで 感想ザックリと

師匠である松長有慶先生の『高野山』(岩波新書)を
読んでのざっとした感想です。

高野山の通史は知っているようで知らないことが多く
良い学びになりました。

改めて感じたのは、真言僧侶とって
高野山の寺院は樹木の幹のような存在。
私たち地方寺院は枝葉。
幹には実は付きませんが
幹が太くなければ枝葉も広がりません。
枝葉は光合成のエネルギーを幹に送り
幹は大地からのエネルギーを枝葉に送る。
お互いがお互いの役目を果たして
一本の木が生き生きとするもの。
高野山のご住職や跡継ぎの方々の
大変さを思い知るとともに
祖山という大地から
私たち枝葉に送って頂いていること
改めて感じました。
実を付けないからと
非難する地方寺院もあるようですが
祖山には祖山の役目
地方寺院には地方寺院の役目があり
その両者が揃ってこそ曼荼羅が成立するもの。
どちらがどうのではなく
共にお互いを思いやって進んで行かなくてはと
改めて感じさせられました。
曼荼羅宗としての心構えを
再認識させていただきました。

また、これ一冊で、案内人ができます。
逆に言うと一般の方々で
この本を読まれている方々がおられることを
私達真言僧は知っておかねばならないとも言えるでしょう。
今以上にしっかりと学ばねばなりません。

真言宗の歴史とも重なりますので
高野山真言宗以外の真言宗の方々にも
ぜひ読んでいただきたい一冊です。

余談ですが来年の1200年の団体参拝時に
参加者全員に配ろうと思います。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4004315085…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月 5日 (日)

小学生以下のお子様を持つお母様に。失敗した時こそこどもをも自分をも笑顔で抱きしめてあげてください

小学生以下のお子様を持つお母様に。
最近、おかあさまがたお子様に関する相談が多いので
ありきたりですが、大切なメッセージを記します。

こどもが失敗した時こそ
そのこどもを抱きしめてあげては、いかがですか。

また反省は大切ですが、
怒ったり失敗した自分をも責めていませんか。
そんな自分をも優しく抱きしめてはどうですか?

失敗は、実は大切な学びであり
過程に過ぎないように思えます。
諦めなければ、その失敗は、失敗でなく
自分の人生を彩る大切な色彩のように思います。

日本語の母(はは)やおかあさんという言葉は
一説では「ははははは」「かかかかか」という
笑いから来ているといいます。

普通、外国語ですと、ま・まみ・まむ・めー・も
などマ行でお母さんを表すことが多いようです。
それは、生まれてから最初に欲するものが
お母さんの母乳であり
おかあさん=食べ物
だからだそうです。

日本語の母は笑い。

つまり食べるもの以上に、
子供には笑いが大切ということ。

子どもたちにお母さんをイメージしてもらった時に
ニコニコと笑っている
これが嬉しいですよね。

厳しいしつけは必用です。
時には愛情たっぷりに叱ることは大切です。

かならず叱った後は笑って抱きしめてあげると
しつけの威力は倍増するようです。

笑う門には福来る
笑顔でありたいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年9月10日 (水)

偶然の一致が連続しています。最近の目立つ例を二つ挙げれば・・・改めて感謝

このところ直感力が増しているのか、偶然の一致が連続し

ています。最近の目立つ例を二つ挙げれば・・・

1)内閣改造がおこなわれつつあるとき、とある会合でとある国会議員に、ふと浮かんだ言葉で「政務官とはどのような役目ですか?」と尋ねました。その代議士は自分には関係のない話だけどもと前置きされて、説明をしてくださいました。すると、翌々日にその代議士は政務官を打診され急遽上京し、とある省の政務官になられました。昨日、その会合があったのですが、一緒に居た人たちもビックリしていたらしく「住職なにか見えていたの?」と尋ねられました。にっこり笑って「何も見えませんよ」とお応えしました。

2)その同じ会合で昨日、法事の引き物の話が出て、カタ
ログの話題で盛り上がりました。高級なものから安価なものまで。翌日である今朝、義弟(実妹の夫)実家の実家(妹の嫁ぎ先の実家)であるとある神社から五十日祭の引き物のカタログが送られてきました。思わず笑ってしまいました。

私は周りに「善き偶然の一致が連続しているというのは、それくらい縁というものに目が開かれている証拠。運が良いってことですよ。」とよく語っています。高家寺に関わっていると偶然の一致が連続していき、善き流れになるのは事実です。

その一番の恩恵を受けているのは住職である
私なのだと改めて感謝の思いをいだき合掌してしまいました。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧