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2023年5月10日 (水)
人生を変えた神護寺高雄曼荼羅と師匠
2022年4月25日 (月)
弘法も筆の誤り の元々の出来事の意味を探る
「弘法も筆の誤り の元々の出来事の意味を探る」
先日、弘法は筆を選ばずのお話をしましたので今回は「弘法にも筆の誤り」のお話をしようと思います。
この元になるお話は『今昔物語』巻第十一 本朝付仏法 の九に記されている弘法大師のお話の中に説かれています。
ちなみに今昔物語の第十一 七は玄昉と藤原冬嗣のお話、ちょっとマニアックですね。八は、唐招提寺の鑑真和上お話。九は弘法大師空海師。十は伝教大師最澄師、十一慈覚大師円仁師、十二には智証大師円珍師、十三には聖武天皇と奈良の東大寺大仏さま、十四には藤原鎌足・不比等と興福寺などのお話です。
さて、弘法大師のお話に戻ります。
『今昔物語』の原文は
「早く皇城の南面の諸門の額を書くべし」と。然れば、外門の額を書畢ぬ。亦、応天門の額、打付て後、是を見るに、初の字の点既に落失たり。驚て筆を抛て点を付つ。諸の人、是を見て、手を打て是を感ず。
とされています。大意は平安京の御所の中の門の扁額を早く書いてほしいという依頼を受けそれを書いた。ところがその扁額を打ち付けてよく見てみると應天門の應の字に点が足りない。まだれ广ではなく、がんだれ厂になっていた。それを観て弘法大師は足りていなかったところを下から筆を投げて打つと見事な書体であった。それを人々は手を叩いて褒めはやした
という内容です。そこから弘法の投げ筆という言葉が生まれました。意味的には名人の凄さを称えるものです。
ところが江戸時代に入り、この内容は打って変わってしまい、あの名人の弘法大師も点を忘れてしまう、弘法にも筆の誤りという言葉が生まれました。
江戸時代は本も立ったものが噺家などにより大きく意味が変わっていってしまう時代です。
たとえば地震雷火事おやじも、元々は地震雷加持大山路、大山路とは台風のことですが、このように変化させたのも噺家や狂歌・川柳好きな江戸時代の洒落人によるものでしょう。弘法大師の話もそう変化してしまいました。
ところがこの『今昔物語』のこの部分の少し前を見てみると、全くっっっb別の文章が出てきます。
亦、日本の和尚、城の内を廻り見給ふに、一の河の辺に臨むに、一人、弊衣を着せる童子来れり。頭は蓬の如き也。和尚に問て云く、「是日本の五筆和尚か」と。答て云く、「然也」と。童子云く、「然らば、此の河の水の上に文字を書くべし」と。和尚、童の云ふに随て、水の上に、清水を讃る詩を書く。其の文点破れずして流れ下る。童、是を見て、咲を含て感歎の気色有り。亦、童の云く、「我れ、亦書くべし。和尚、是を見るべし」と。即ち、水の上に龍の字を書く。但し、右に一の小点付けず。文字、浮び漂て流れず。即ち、小点を付るに、響を発し光を放て、其の字、龍王と成て空に昇ぬ。此の童は文殊に在ましけり。弊衣は瓔珞也けり。即ち失ぬ。
大意は、弘法大師が長安の郊外で有る河の前にくると、ボロボロの衣を着た子供がやってきました。頭はよもぎのようにボサボサ。この同時が弘法大師に問いました。「あなたは日本の五筆和尚ですか?」と。「そうです」五筆和尚とは唐で皇帝より筆の名人の弘法大師に授けられた敬称です。するとそのこどもは「ならばこの川の水の上に文字を書いてみてくいれるだろうか?」と問うと弘法大師は水の上にキヨミズを称える詩を書いたら、その文字が壊れることなく流れていったそうです。それを観て子供は喜び、自らも「では私も書きましょう。」と水の上に龍の文字を書きました。ただし右上の点を付けていなかったそうです。するとその文字は流れていかずそこに漂っていました。そこにその子供が抜けていたその一点を付けると、その文字は響きだし音を出して竜王となって空に登ったそうです。この子供は文殊菩薩であり、ボロボロの服はお堂や菩薩を飾る瓔珞でありました。そして子供は消えたといいます。
文殊菩薩は童子形をしているといいますので、その伝承どおりです。あたまも5つの結び目があるといいますので、それがよもぎのごとく通じるのでしょう。そして筆は般若波羅蜜多剣、鋭い諸刃の剣です。今昔物語は不可思議なお話ですが、そのなかにもなにか真実が隠されているようにも思います。
このお話と、應天門のお話はどこか通じるものがあります。最後の一点をつけて完成させる。龍が空を飛びだったように、應天門も、最後に一点を加えることで物事を完成させて應天門としての役割を担うようになったのかもしれません。
本来は弘法の飛び筆といって、誰もが真似のできない天才性を褒め称えた出来事が、この地上に引き戻されたというのか、全く逆の意味の弘法にも筆の誤りとされてしまったところに人々の俗っぽさを感じざるを得ません。だからこそ、弘法は筆を選ばずという、本来とは全く別の意味も生まれたのかもしれませんね。
ちなみに英語では
Even Homer sometimes nods.
ほめろすさえも時には居眠りをする
イーリアス・オデッセイアを書いた歴史家の大家であるホメロスでさえ居眠りするような失敗をすることも有る
という意味です
現在の意味での、弘法にも筆の誤り
天才でも謝るのだから、はきをつけておくようにという意味で用いればとても良い意味です。しっかりと心においておきたいですが、本来の物語も知っておいても良いかもしれませんね。最後の一点、ここに完成の意義がある、そう捉えても良いように思います。最後の一点を大切に・・・ここに弘法にも筆の誤りの本来の物語の意味があるのではないでしょうか?
今日は 弘法にも筆の誤り の元々の出来事の意味を探るでした
2022年4月 8日 (金)
108とは何か?
今日は 遊歩の言いたい放題 「108とはなにか?」です
一般的には仏教では、除夜の鐘に代表されるように百八煩悩はじめ108という数字
百八煩悩といえば
その根拠の数字は
六根にそれぞれ好・悪・平があり6×3=18
それぞれに浄と染があるので18×2=36
そしてそれぞれに過去・現在・未来があるので36×3=108
または
六根に好悪平の6×3=18
六根に苦楽捨の6×3=18
合わせて18×2=36
それぞれに過去現在未来で36×3=108
または十纏と九十八随眠で108
という理屈で言われてきました
それに合わせて
大般若経や大智度論には百八三昧
方等大荘厳経には百八法門
法華経化城品には百八十劫
無量寿経には百八十億菩薩
金光明最勝王経には一百八十不共之法
入楞伽経には百八見
真言関係では百八名讃・百八護摩・百八念誦・百八尊
実に多くの百八がでてきます
それにともない真言を数える場合に100ではなく108回が基本です。
数珠もまたしかりで真言で用いるお数珠は百八が基本です
108すれば100は超えるから
という言い伝えも有るほどです。
しかし、しかし
それにあまり納得はしていませんでした
納得していなかったのですが
修練には必要なので用いてきた
100より108のほうが修行的には確かにしっくりくるので
深く考えず108回を大切に念誦をしてきました。
ところが毎月第一月曜日におこなっている宿曜:密教占星術の勉強会でふと気づいてしまいました
仏教の宿曜は27宿です
古代のチャイナ起源のものは28宿なのですが
仏教はあくまでも27宿です。
たまたまチャイナの二十八宿の名前を借りたものでややこしくなってしまいましたが
基本的に仏教の宿曜の各名前の漢字には全く意味がありません。
さてこの27を四季を意味する四倍にすると
27×4=108。
おおおおお
これを少し考察してみると、
一年は12ヶ月。
一ヶ月はおよそ30日なので、
10日ずつ上旬中旬下旬の三つに分けると、
一年で12×3=36旬
この一旬を3つに割ると
36×3=108。
なるほどぉ・・・
ひょっとすると108とは仏教起源ではなくインド占星術なのではと考え調べてみましたら
やはりありました
https://shrifreedom.org/yoga/importance-of-108/
108はインド占星術に関係しているようです。
インドにおいて占星術はとても重要です
仏教経典でも時折引用していますから、
その流れで108があるのではないかと
つまりインドの元々あった習俗の中に108を神聖視するものがあると納得。
これで百八煩悩ではなく
天の分け方であると見れば気持ち良く108を真言念誦で数えられる・・・
とおもいきやびっくり仰天考察を発見
この先程のサイトにビックリ考察が出ていました
そのままの数字を書くと著作権にも触れてしまいますので
私なりに数字は検証を施しました
太陽と地球の距離は およそ149,600,000km
太陽の直径は およそ1,392,700km
これを割り算すると107.4172471..... あらぁ...
月と地球の距離は およそ380,000km
月の直径はおよそ 3474.8km
これを割り算すると109.358812
ちなみに地球の直径は12,742km
太陽直径÷地球直径=109.299953....
あららどれも108に近い数字
恒星惑星衛星間の距離は
伸び縮みするのでかなりの誤差は出やすいですので
自然科学的には一概に108という数字を当てはめられませんが
宗教的に見れば誤差の範囲とも言えるほどどれもが近い数字です
地球が365日で太陽の周りを回るのも360度に対する5日ほどの誤差
この誤差があるから生物が生きられるといいますので
誤差もまた慈悲。
これは24時間の自転の誤差にも当てはめられるようです。
誤差はぴったりよりも、緩やかな慈悲ととらえるとなんとも言えないしっくり感です。
やはり108は神秘な数字。
ただし誤差も許容すべし・・・・
この天の差配を偶然と観るのか 意味有るものとして内面化するのかは
個人差がありましょう。
ただトレッキーでも有る宇宙大好きな私には
この108前後の数字は
宇宙を構成するなにかヒントが有るのかもしれないと考えると
ワクワクして、よりいっそう修行に励めめます(^^
ということで今夜は大好きな大好きなスタートレック・ピカードを観て
宇宙の法則性を感じてみようと思います
2020年3月31日 (火)
私にとって歴史の勉強も又、真言密教を深めるため
2019年9月 7日 (土)
他者と何が違うのか? ある田舎真言坊主の独白
他者と何が違うのか?
少し、自問した。
すると、高校時代に大きな転機があったことが分かった。
父が単身赴任海外出張していたバンコクを訪ね、貧民街を伯父と二人で歩いてから人生観が変わった。
それまでは全くの理系で、人を相手にすることが苦手だった。ところが、その貧民街を歩いて、自分の持つ視野の狭さに躓いた。心の奥底に眠っていた自分が目覚めてしまった。
そんな時、本を読む機会が増えた。和訳だがギリシア古典を読むようになり、ついには哲学書に手を出してしまう。ハイデガーだった。さっぱり分からなかったが、読破して喜びを感じる。
そこから、キェルケゴールや、ショーペンハウエルなどの実存系の哲学書にはまっていく。しかし、読めば読むほど、奥底の声が違うと叫んだ。
聖書を読み始めた。旧約から新約を読み始めふた回り読破した時、ヨブ記の特異性に惹かれていった。
そんなある日、本屋でカール・ヒルティを知る。嵌ってしまった。法律学者であり政治家であった彼の根幹は聖書であった。『キリストにならいて』を彼を通して知り、愛読書とした。今思うと恥ずかしながら、パン屋で種無しのパンを焼いてもらい、ワインを買ってきて、一人でイエスを想い、食をしたことも数度ある。
それから、本だけではなく、宗教関連施設を訪ね、僧侶や神父、牧師を訪ねていくようになった。
その途中で、京都国立博物館で初めて曼荼羅(伝真言院曼荼羅と高雄曼荼羅)を見て、時間を失った。一時間、経っていたが私には1分も感じていない状況だった。
弘法大師への思いが募り、高野山に登ってしまう。
私の基本は、この頃にあった。乱読とは言え、多くの西洋古典や西洋哲学書を読んだ。ヒルティの影響が強く、カントやギリシア古典を多読した。聖書を何度も読んだ(通読はニ回)。その時の読書が、その後の密教理解にとても役立った。むしろ、密教を理解するための訓練を、カントやギリシア古典・聖書を通しておこなっていた。これも今思えば、私という自我を形成するために必要な過程であったと思う。
咀嚼する牙は西洋哲学やギリシア古典・聖書によって磨かれていた。
ヒルティを久しぶりに手に取った。岩波の『幸福論』は五冊は買っている。それくらいボロボロになるまで読んだ。書き込みもした。彼の全集も手に入れ、『幸福論』はドイツまで行ってドイツ語まで手に入れ、気になる単語の元の単語を調べるようにもなっていた。そして、いつのまにか、密教という牙でヒルティを読むようになっていた。
このところ、お寺の住職として、流れに流されている感が少なからずあった。
久しぶりのヒルティはそれを元に戻してくれた。
あの時の、心の奥底からの情熱を改めて見つめると、恥ずかしいが、やはり相当な熱量であったと思う。方向も間違ってはいなかった。もう一度、その流れの基本を見直す機会を得たように思う。
明日から変わるわけではない。
しかし、大きな大きな流れの中で生きている自分の個性を見つめ直せたことは大きい。
2019年6月25日 (火)
形式的な宗旨よりも信仰心
広く深い信仰心を持つ人は匂いでわかる。
宗旨宗派を超え手と手を取り合える。
それは人知を超えた感覚。
互いに補完しあえる、
いわゆるオーラや使命があるのかもしれない。
宗派が同じであることよりも、
信仰心の広さと深さを
分かり合える人の方が
心地良い。
2019年5月31日 (金)
若き日の思い:世俗的な欲望に背を向け、天上の深奥の流れに乗って出家し、いまもまた歩み続けています
若き日の写真を見つけました。若き日のメモを見つけました。若き日の写念仏を見つけました。
高野山に登ると決意したとき、出家を決意したとき、高野山を降りて塾に就職したとき、その塾をやめるとき、止むに止まれぬ思いが身体を駆け巡りました(その思いは一種の狂気なのかもしれません)。
そこには世間的な出世心や金銭的な欲望や単純な知的欲求はなく、遙かなる天上から、深奥なる内なる世界から、その両者から溢れ出てくるエネルギーが私を突き動かしました。そして今もそのエネルギーに乗って生きています。
そのために、ときには世間的な常識から外れることもあります。また世俗的な楽しみが、あまり好きではありません。飲む打つ買い、他者を支配するという世俗的な欲望を理解できません(理解したくもありませんが)。
真言密教の法で祈り、その教えを受け納得し、気付き、目覚め、感じ、体得することほど面白いことは私にはありません。そしてその一端を周りに伝え、共に歩む人と手を携えて歩み、一人でもほんの少しでも共鳴していただくことが至高の喜び。今はただそのために動いています。
寺子屋も、
環境省登録環境カウンセラーも、
中日文化センターの講師も、
ロータリー活動も、
徳川宗春卿のことも、
異宗教間対話も、
すべてが私にとって真言密教という大きな道の中のこと。
こうした道は誰にでも開かれたものではありません。ですから理解してもらえないことが多くあります(残念ながら表面的なお坊さんほどわかってもらえません)。
それでも私は今の道を歩んでいきます。
共に歩もうとする人がいる限り。
私から何かを感じ取っていく人がいる限り。
来月の半ばには、得度して丸34年を迎え、35年目を歩むことになります。あのときの深き強き思いを見つめ直し、その大きな流れに改めて感謝したくなり、こうした投稿をしました。
2019年1月26日 (土)
「他山の石」 あれ?なにか変。よくよく見ると・・・
「他山の石」
ある真言のお坊さんが、画師に仏画を描いてもらったそうです。その仏画をネットで拝見。説明では胎蔵大日如来と公言されれていました。
しかし・・・あれ?なにか変。よくよく見ると・・・
・身体の色が白色
・月輪の中に蓮華が描かれる
これは金剛界大日如来のもの
胎蔵大日は
・身体は肌色・・・または黄金色
・蓮華の上に月の輪が載っている
もししこの絵のとおりならば、それは胎蔵大日ではなく、仏眼(胎蔵大日が金剛界の三昧に入る)とするのが正確です。
また細部ですが
・八葉白蓮華ではなく五色の多弁の蓮華
・宝冠が単純すぎる
これは如法に描かれていない
素人がこうした物を作るのは仕方がないと思うのですが、プロが喜んでいるのを見ると悲しくなります。
だからといって。知己ではない方の物ですから直接にお伝えすることはできません。
またそれを描いた方も、描いていただいた方も喜んでおられるので、一概に間違いだと糾弾することもできません。
なんとなく過去の一字金輪や仏眼など、いずれかの作品を真似ているのでしょう。
こうした作品を作る場合、自分勝手に作るのではなく、仏画や仏像に秀でた方にアドヴァイスを頂くことはとても重要に思えます。
仏像や仏画に限らず、あらゆる分野で自分勝手に物事をする方が増えています。
知っていて省略するのと知らずに省略するのとは大きく異なります。
私自身、その作品を見て、顧みて、知らずに省略したり真似たりしてはいないかチェックしたいと感じました。
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2018年11月 8日 (木)
奥義を得るには
誰もが奥義に達するわけではない。
またあるレベルの犠牲や努力もなしに、
奥義は得られない。
しかも奥義は言葉では伝わらない。
シンボルを体得すると、
時や場所を超えて
奥義は目の前に現れる。
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より以前の記事一覧
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- 定期的な祈りは何故必要? 2018.09.20
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- 空を見て独白 煩悩もまた慈悲 2018.03.02
- 不動護摩 諸尊諸神の威徳を思う 2018.02.28
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- 今日の感謝 広説 2013-04-21 月例弘法大師・地鎮祭にて・牡丹・カミさんが接待・うちの信者が若き市長に! 2013.04.21
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- 情に流される愛論と理屈に走る見論を離れる 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.29
- 四苦八苦を抱え、根を張る時期。人の三不幸とは?「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.28
- 田舎から僧侶を迎える葬儀が徐々に増え始めているとのこと。 2012.02.28
- 殿の中で咲く蓮の華のように 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.27
- 生きていて死する者と、死して生きる者 赤穂事件と公辯法親王 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.25
- 欲と暴れ馬 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.25
- 「海」の意味 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.23
- 性欲や物欲をどうするのか? 「千年先を見つめて(尾張藩七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.23
- 「千年先を見つめて」の言葉 慈と忍 そして美 2012.02.22
- 学習をするお寺であり続けたい 2011.12.01
- 石上=>石神=>磯の神>>スサノオ=>浪切 雑考 2011.02.19
- イオンの葬儀の仲介に関して雑感 2010.07.02
- 御七日御修法成満のお祝い 2010.01.16
- 亡命チベット人会議閉幕 2008.11.22
- チベット問題から思い出す 本の紹介「ダライラマ 日々の瞑想」 2008.11.19
- オフィシャルブログで守護尊メッセージを更新 7・8・9月分 2008.09.22
- 6月の守護尊メッセージを掲載 2008.06.25
- 五月の守護尊メッセージを掲載 2008.06.20
- 陀羅尼について 2008.06.20
- 2008節分の写真の一部を公開 2008.02.08
- W師の三帰依意訳をオフィシャルブログに掲載 2008.02.05
- もう一つの西洋風 般若心経サンスクリット真言 2007.12.26
- 中近東?インド?般若心経のサンスクリット 2007.12.26
- 西洋風般若心経サンスクリット真言 2007.12.26
- もう一つ中国っぽい般若心経サンスクリットを見付ける 2007.12.26
- 中国っぽい般若心経サンスクリット 2007.12.26
- 摩訶般若波羅蜜多心経をゴスペル調に? 2007.12.25
- 高家寺ブログを更新。守護尊メッセージ12月分を掲載。 2007.12.20
- 般若心経のサンスクリット 節回し付き を高野山の帰り道に聴く 2007.12.18
- 「秘密を解く鍵」「解く秘密の鍵」を学ぶ 2007.12.18
- 手段と目的が逆転:「虹を翔るお坊さん 2007東京ボーズコレクション」 2007.12.16
- 吉良町で意味のある偶然の一致 2007.12.11
- 『空海のことばの世界』村上保壽 久しぶりに接する 2007.11.29
- 高家寺ブログの再開 まずは守護尊カード11月分から 2007.11.20
- 月例護摩供養 2007.10.28
- 大般若会と土砂加持 2007.10.20
- 法話の会 2007.10.19
- 最高の高野山団体参拝二日目2 2007.10.03
- 最高の高野山団体参拝二日目1 2007.10.03
- 最高の高野山団体参拝初日2 2007.10.02
- 最高の高野山団体参拝初日1 2007.10.02
- 水天さん 2007.09.22
- 苦とは思うようにならないこと 2007.09.05
- 祈祷・ご供養・相談は住職のみ 2007.08.21
- 相矛盾を内に抱える 2007.04.20
- 大きな誓願と小さな戒律 2007.04.19
- 礼拝行は懺悔の行 2007.04.11
- 弥勒から薬師へ:六七日 2007.04.09
- 懺悔の行 礼拝行 2007.04.08
- 地蔵から弥勒へ:五七日 2007.04.02
- 笑門来福:四七日 2007.03.25
- 明日はお彼岸の中日 2007.03.20
- 三七日で語る・・・文殊の「辞めること」 普賢の「行うこと」 どちらも大切 2007.03.18
- 何かをやめること の一週間:二七日 2007.03.12
- 葬儀・・・遺族の言葉に参列者の涙 2007.02.28
- 三人の弟子の得度式 仏教で生きるのではなく 仏法に生き仏法を生きる 2006.12.14
- 浪切不動尊との法縁を思う 2006.11.24
- 『金光明経』にみる食事 2006.11.17
- 『大日経』講伝終了 そして夜に・・・ 2006.11.14
- 講伝の戒と広観斂観の話で感激する 2006.11.13
- カバラと真言密教 雑感 2006.11.06
- お宮参りの代わりのお寺参り 2006.11.05
- 10月の守護尊カード 2006.10.21
- 高野山で第4回素典輪読会 2006.10.19
- 理趣経加行の解説書 2006.10.07
- 懺悔・・・護摩供養にて 2006.09.30
- 学道(勧学会)三年目成満 2006.09.28
- 十六大菩薩を学ぶ 2006.09.23
- 月輪観の工夫 2006.09.15
- 自行用の月輪観をパワーポイントで・・・よく師について欲しい 2006.09.11
- 『空海 般若心経の秘密を読み解く』 2006.09.09
- 高野山国際密教学術会議にて発表 2006.09.06
- 儀礼を生かすには 2006.09.05
- 願成観音太鼓・・・渥美半島潮音寺の一行 2006.08.20
- 四季の祭りを考える(2) 2006.08.16
- 四季の祭りを考える 2006.08.06
- 尾張一宮から名古屋市守山へ 2006.07.31
- 一つの細胞 多くの細胞 2006.07.23
- 懺悔とは単なる告白ではない 2006.07.22
- 七月二十一日月例弘法大師法話 2006.07.21
- 守護尊カードでありえないことが起きた 2006.06.21
- 密教のブログを立ち上げる 2006.05.03
- 薬物依存・右翼思想・・・そのほか 2006.04.22
- すべての教えに「密教」があるのでは 2006.04.18
- 守護尊カード 2006.04.09
- 「即事而真」を感じる 2006.02.26
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