2017年7月20日 (木)

今日(7月20日)は何の日? 役行者(役小角:神変大菩薩)の忌日 「役行者は個人的な超能力だけであったのではなく、葛城地域の親分であったのではないか?」

今日(7月20日)は何の日?
役行者(役小角:神変大菩薩)の忌日
「役行者は個人的な超能力だけであったのではなく、葛城地域の親分であったのではないか?」

現行の暦であるグレゴリオ暦701年7月20日(旧暦 大宝元年6月7日:ユリウス暦701年7月16日)、稀代の修験行者役行者こと役小角(えんのおづぬ)が遷化した。

役行者に関しては伝説的な話が多く、どれが本当の話なのかはわからない。すべてを削ぎ取り、確実な事績だけを追っていても役行者の実像はわかりにくい。そうした、いわゆる学術的な判断で役行者を見つめると、そこにあるのは骨だけで、血肉が全く感じられない。むしろ後世の人が彼をどうして驚くほどの超能力者のように考えたのか、その心理の集合体こそが役行者の実像なのではないかと思う。

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真言を見つめると
「おん ぎゃくぎゃく えんのうばそく あらんきゃ そわか」
この真言から見えてくるものがある。「ギャク ギャク」とは聖天(歓喜天)の真言にも用いられ、聖天と役行者を結びつけている点が興味深い。聖天はビナヤカと呼ばれる魔物たちの首領にして彼らをよく使う。役行者も前鬼・後鬼という鬼神をよく使うと言われている。そうしたことから結び付けられたのではないだろうか。ここから読み取れるのは役行者は、人々から忌み嫌われる存在さえも使役できるほど懐の深い人であったことである。

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ただ役行者は自らの出身地の奈良県葛城の神でもある一言主神が働かないことを責め立て、一言主の讒言によって伊豆へ流されてしまったという。これは一言主は、葛城賀茂のすぐ隣であり同族ではあるが、そうした身内の働かない者の讒言により失脚してしまったことを意味しているのではないだろうか?しかし、役行者のような呪術者が、単純に部下もしくはそれに相当する者の讒言によって流されてしまっては話は面白くない。ここを一言主という神の名を使うことにより、葛城でも東部に属する一言主の地域の人が、葛城の同族であり中部に属する高鴨神社の一族である役行者に反旗を翻したことを意味しているのではないかと思う。

それでも役行者は伊豆でも霊力を発揮し続け、霊峰富士山に毎晩登ったという伝説が生まれ、一層役行者の名声は高まっていった。孔雀明王法をよくしたという伝説につながるのも、孔雀は毒変じて薬となす明王であり、衆生とともによく生きた彼の性格を表しているのではないかと思う。

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超能力者としての彼についても面白いが、その超能力を覗いてみてみても彼の事績はとても面白い。むしろ単独の修行者というよりは、葛城地域の親分というイメージが浮かび上がってくる。

役行者に関してはミステリーが多い。今回は役行者が地域の親分であった可能性を見つめてみたが、超能力者である彼の側面についてはまた後日臨んでみようと思う。

今日は役行者を思い、彼が信仰した金剛蔵王権現に祈りを捧げてみようと思う。

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2017年1月 9日 (月)

神鏡を磨く 古い時計磨きから鎮守の神鏡に移り 自分自身のマーラと対峙する 観が重要

神鏡を磨く

例の緑の時計の
表面を磨いていて
突然と閃く

鎮守の鏡が全く磨いていない

確認しに行くと
案の定、緑青などで
全く何も映らない状態

そこで
水ヤスリや
コンパウンドなどを用いて
磨くことにした

なかなか綺麗にならない

一度は映りが良くなりかけた
ところがすぐに曇ってしまう

妙に綺麗にしようという
欲望が勝ってしまい
神仏への奉仕と
自らの心の磨きが
消えると
すぐに曇ってしまうことが分かる

なん度も繰り返しながら
いつの間にか
般若心経の真言を唱え
自分の心の中のマーラと対峙すると
次第に心が浄化されたのか
神鏡も物を映せるレベルに
なっていった

明後日には仕上げ用の道具が揃うので
この数日中に磨き上げようと思う。

今夜は途中ではあるが
これくらいにして
鎮守の神前に戻そう!

少なくとも今年からは
月に一回、月例不動護摩の
前日である27日には
鎮守様の鏡を磨くことを
決意させていただいた

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2015年5月29日 (金)

久能山東照宮にて  間もなく東照神君家康公の四百年忌正当日

久能山東照宮に出かけてきました。
東照神君徳川家康公が葬られた場所です。

東照宮は南向きなのですが墓所は西向きにありました。
一般的には西を見つめるためと言われていますが、
それならば何故久能山なのか。
そのヒントはやはり東照宮の御本地が
薬師如来であることではないかと思います。
薬師如来は日本中の国分寺の多くが本尊としていますが、
それは治病は肉体のみならず国家にも当てはまり、
鎮護国家もまた薬師如来の役回り。
だからこそ、薬師如来が神として権現されたのが
東照神君。
それならば東方瑠璃光浄土ですので、
西向きにあることが分かります。
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廟は仏教式の仏塔ですし、
阿弥陀信仰の家康であるにも関わらず
西向きになるのは、
とても面白い想像を掻き立ててくれました。
ガイドさんとお話したところ、
お互いに一致したのは
南光坊天海上人が
関わって理論付けたのではないかということです。
仏教、特に密教の視点から東照宮を見直すことも
大切だなぁと改めて感じました。
天海僧正をもう少し追ってみようと思います。
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2015年5月24日 (日)

お千代保稲荷の「偶然の一致の連続」

檀家さんより、
稲荷神を預かって欲しいと、
家庭用の稲荷のお社がやってきました。
それを預かりお不動さまの横で祀ることにしました。
数日後、大叔母の住む桑名からの帰り道、
たまたま高速を使わずに帰ってきました。
すると何か飛び跳ねる動物が畑の中にいました。
犬ほどの大きさで、耳が大きく、尻尾が長太い。
車を止めてよく見ると、
ライトに照らされ金色に輝く毛を持つ
おキツネさまでした。
そこはお千代保稲荷の近所。
一昨日、外出先からたまたま用事もないのに
一度自宅に戻ると、
ちょうどそこに妹の旦那、つまり義理の弟の
ご両親とお兄さんがうちのお寺に訪れられました。
見事なまでのタイミングでした。
お母さまはお千代保稲荷の娘さんで、
お父さまはお千代保稲荷の分社を守られている方。
このタイミングの良さに
おキツネさまが何か働いているのかと思い
笑ってしまいました。
すると翌日である昨日は、
檀家さんからお千代保稲荷のみたらし団子がやってきました。
さらに、今夜は突然と妹夫婦が東京からやってきました。

この千代保稲荷の関係の連続に、思わず合掌。
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2015年4月 5日 (日)

お社がやってくる

伝説を見ると高野山南院の浪切不動尊は神々と縁があります。熱田神宮、高野四社明神、徳川家霊台すなわち東照大権現。ある意味、浪切不動尊は日本の神々の威力を増すための存在とも言えます。

うちのお寺には浪切不動尊の御分身が祀られています。その横には日本各地の神々のお札を祀っていたのですがお社がありませんでした。友人の家が旧家で大きなお社がありそれを預かることにしたのですが、これがちょうど護摩堂に入るサイズでした。ご縁だなぁと思います。台座は臨時のものなので近い将来に変えるつもりです。多くの神々のお札がおさまり、ホッとしています。

今日は半日これをおさめさせていただきました。それにしてもこれだけのお札を祀らさせていただけたのはありがたいばかりです。日本の神々の威力が増すよう、これからも浪切不動尊に祈りを捧げていきたいと改めて感じました。

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2014年12月25日 (木)

僧侶はもっと胸を張って葬儀を語るべき 神社との違いを見つめて

日本の神々は現世の存在であるので死を厭います。ですから喪中は神社への参拝を控えるようにいわれます。ただし、抜け道というものはあるもので、鳥居をくぐらなければ神社へのお参りはOK。むしろ身近な者の死の場合は、三十三年経つと先祖霊として神々と合一していくものなので、氏神様への祈りはとても大切。

時折、神仏は仲が悪いとかいう不埒な人たちが居ますが、神仏分離は明治維新に政治的に引き起こされたもの。そうして勝手な考えの暴走は止めたいものです。

一方、仏は生死を超えた三世(過去・現在・未来)に渡り、浄土を有しますので、死を厭うことはありません。もちろん仏教はあの世だけが大切なのではなく、現世も大切にします。あの世重視はむしろ仏教では珍しいといったほうが良いでしょう。むしろ、あの世(彼岸・真理)の中に此の世(俗世)が包み込まれており、あの世から見れば俗世との境界はなく、此の世から見れば人の言葉によって生まれた境界があると見る方が良いかもしれません。だからこそ現世でしっかりと生きることを重視するのでしょう。

そう考えると、仏教が葬儀を司るのも、此の世の言葉で縛られた俗世からの解放という意味が大切に思えます。先師方が仏教とは直接関係ない葬儀を取り込んだのは、とても意義深く思えます。現世のみではないので仏教には死の穢れはありえませんし、現世での言葉という枠組みの解放を伝えるのも仏教ですから、故人や参列者にそれを伝えるのも僧侶の大きな役目。

この文章を書いていて、仏教者は葬儀を司ることをもっともっと胸を張って良いと感じました。

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2014年7月13日 (日)

遊歩和尚のつぶやき「ゆるーい一日 人らしい生き方って・・・嘉祥頂戴青葉厄神祭・夏越祭:スーパームーン」

昨日のスーパームーン、ご覧になられたでしょうか?私は午前中の法要から、いわゆる「ゆる~い時間」を過ごせたおかげで、スーパームーンが実に美しく感じました。

Image201400712a昨日は、旧暦の六月十六日。牛頭天王のお祭り日であり、嘉祥頂戴の日であり、弘法大師のお誕生日の青葉祭の翌日、そして満月。高家寺では夏越祭りとして、昨年から法要を始めました。

私個人は、朝に和菓子屋三件を周り16種類の和菓子を受け取りに行き、戻ってからすぐに一つ一つに金剛界十六大菩薩の名前をつけ、配置をしました。和菓子屋さんに持ってきてもらえば手間が省けるのですが、複数の和菓子屋さんですし、時間に間に合わないと、気の短い私はイライラしてしまいますし、またお店に伺えば対話ができるので、今年も自分で出向きました。
20140712f 十六大菩薩とは金剛薩埵・金剛王・金剛愛・金剛喜・金剛宝・金剛光・金剛幢・金剛笑・金剛法・金剛利・金剛因・金剛語・金剛業・金剛護・金剛牙・金剛拳。この菩薩が生じてくる、それが十六生と弘法大師は述べています。
法要の後にお一人お一人に説明書をお渡しし、その和菓子を食べることで自分自身がその受け取った菩薩自身であってほしいという願いを込めました。毎月、21日の弘法大師報恩日にも諸尊の籤引きをしているのですが、不思議なくらいこの籤引きは必要な人に渡っていきます。まさに引き寄せ、アトラクション(魅了)のように。今日は思わず、「大師堂に祀られる仏様や大師のエネルギー全体が託宣してくれるのかもしれないなぁ」と呟いてしまいました(^^;

20140712e 菓子の準備をし、参加者の方々が集まると、本堂の外陣真ん中に机を置いて、皆で茅を編んで輪を作りました。その際中の会話が実に緩いもので、時の流れがゆったりとゆったりと流れて行きました。必死になって作るものよりも、良いエネルギーは込められたように思います。お一人数本作られたかたもいらっしゃいます。一時間後、その茅の輪を牛頭天王が祀られている向かって右側の護摩堂にお祀り。

そして本堂真ん中で、観音様に厄除けの祈り。読経次第は簡単なものでしたが、金剛界五仏や十六大菩薩の真言も唱え、いつもよりも真言の多い、咒立ての儀式でした。私は聖観音法を。

法要の後は、茅の輪を持っていただき、籤引きをし、それに合わせて和菓子を授与し、法話。内容は、季節に合わせた生き方を実感していただくことをお伝えしました。和菓子ひとつにしても、季節感があります。月の姿、山野や空の色、風の香りや肌触り、身の回りにあるものから季節感を実覚していただくことも、今回の法要の大きな目的です。ありがたいことに法話の後の和菓子をいただく段階で、参加者の方々がゆったりとゆる~く流れる時を楽しんでいただけたようです。

「人らしい生き方とは、こうしたものですよね。」
ある信者さんのお言葉です。このお言葉をいただけ、新たに生まれた法要をしてよかったなぁと実感です。
ゆる~い生き方、時には季節感を取り戻すのに大切なこととも実感です。
それにしても、スーパームーンの美しさには魅了されました。
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2014年1月14日 (火)

尾張と紀州(1)菩提寺

先日、尾張徳川家の総菩提寺である建中寺を訪れた。
二月十五日の拙著の出版記念祝賀会と
三月二十二日に講演をさせて頂くこともあり、
打ち合わせがあったからである。
昨年末、建中寺さんは
紀州徳川の菩提寺である「長保寺」を訪ねられたそうである。
尾張と紀州の菩提寺。
それぞれが宗派が異なっていた。
尾張は浄土宗、紀州は天台宗であった。
徳川宗家も、歴代将軍のお墓は
天台宗の寛永寺と、浄土宗の増上寺に分かれている。
その二つの宗派を、徳川宗家だけでなく、
御三家の尾張と紀州が支えていたのである。
ちなみに水戸家の歴代当主は
瑞龍山に儒教式に祀られ、菩提寺は存在しない。
江戸時代、尾張藩と紀州藩の役割の面白さを最近知りつつある。
次回は 尾張と紀州(2)家康の伊賀越え

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2013年3月12日 (火)

神仏共に・・・二つの異なるものの和合・・・偶然の一致の折り重なり

題:神仏共に・・・二つの異なるものの和合・・・

昨日の311はちょうど14時46分18秒に
天河弁財天に居ましたので、

カミさんと二人で拝殿で祈ろうと思っていました。
すると宮司さんの若さんが出てこられ、
「今から祈る所です」とおっしゃられ、
偶然にも一緒に祈ることになりました。
最初は神式の祈り、
最後は般若心経と弁財天真言、大師宝号、そして玉串。

少し話が変わりますが
最近、ある大学の名誉教授とお話していたのが
東北の地の鎮魂慰霊に何がもっともよいかということを
色々と検討していました。
その中で、宝筐院陀羅尼が最も大切であると意見が一致。
最近は、宝筐院陀羅尼を毎日お唱え続けていました。

もう一つ話が飛びますが
尾張七代藩主徳川宗春を研究していて
彼の隠居謹慎の引き金は
南北朝問題であったことが見えて来ました。
宗春の時代に、南北朝問題をめぐって
京都所司代が入れ替わるなど
朝廷と幕府が対立していたのです。
南北朝問題は、江戸時代を通し
明治維新、明治時代にいたるまで
日本の中でも大きな深い傷でした。

ここで話を徐々に戻していきます。
宗春のこともあったので特に南朝には気をつけていました。

南北朝時代、南朝方は東北と縁の深い方々が居られました。
南朝方の後村上天皇も皇子時代に東北に居られたほどです。
そうしたこともあり、また時間的な制約もあったので
昨日の311は東北ではなく
南朝に深い縁のある吉野から西吉野に出かけ
各地で祈りを捧げて来ました。
そこで時間的にちょうど天河弁財天に居たのです。
宮司さんの若さんと一緒に祈りを捧げ、
その後に南北朝に関する会話をしました。
すると、天河弁財天の裏に南北朝の和合の慰霊塔として
宝筐印塔を建ててあるとおっしゃられたのです。
愕然としました。
この時私は宝筐院陀羅尼について何も述べていませんでした。
偶然の一致でした。

その場所に向かい、
宝筐印塔の確認を取り祈りを捧げて来ました。
写真はその宝筐印塔と説明板です。
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二つの異なるものの和合
ここに大きな意義を見出しました。
先の名誉教授と電話でやり取りし
ロゴスとハーモニー、これが大切なテーマであることも確認。
深く物を思わせられた天河弁財天でした。

(大きく飛ぶ別の話があり、別稿で記します。)

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2013年2月18日 (月)

餅投げ 奪い合うことに大いに疑問!&紅白とは?

厄除けの餅投げ、昨日で殆どが終わったようですが、この餅投げで疑問が二つありました。一つは餅を奪い合う行為を増長させるやり方。もう一つが何ゆえ紅白なのか。

うちのお寺(高家寺)では、餅投げの時に必ず伝えることがあります。大いに大いに拾って欲しいと。ただし拾ったら、拾えなかった方々に分け与えて欲しい。誰もが紅白ひとつずつも取れなかったということがないように伝えています。これを伝え始めたときは、なかなか理解していただけず少なからず大量に持っていく人が居ました。しかし、今年は本当に皆で分け与えていました。中には「ご家族の分もありますか?」と尋ねる人もいらっしゃいました。

奪いあう喜びは刹那のもので、残るは拾えなかった恨みの念。

一方、分け与える思いはお互いに喜びに包み込みます。ここでも布施の大切さを身をもって理解できるほどです。餅投げの中にも教えが活かされる、そんなあり方でありたいと今後も工夫を凝らしたいと思っています。

紅白の餅。いろいろ調べると、約封じで赤が肉を表し、白が骨を表すことまで分かりました。ただ先日に見つけた古代米の餅を見つめてみると、元々赤餅とは食紅などで着色したものではなく、古代米の赤米だったのではないかと感じました。ある恩師とこのことを話していると、古代の日本の田は黄金色だけでなく、緋の色でもあったのではないかと話が展開しました。日の丸が赤いのは、案外こうした赤米の色も関係あるのかもしれないなぁと妄想したほどです。

餅投げ一つからいろいろ感じさせていただけたことありがたいものです。

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