2020年4月16日 (木)

まさか!北極圏のオゾンホールが過去最大級に。ヨーロッパ主要国全体ほどの大きさに

ショック!#北極圏 の #オゾンホール が最大級?五月くらいが一番破壊されやすいので、もうしばらく経過を見ないといけないが・・・。

コロナ禍の影響で南極域の #オゾン層 が回復しているというニュースが有ったばかりなのに、今度は全く逆の北極圏のホールが過去最大とか。

160万平方キロというので1000km✕1600kmの大きさ。


国の面積で言うと
デンマーク本土・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・フランス・スイス・ドイツ・オーストリア・ハンガリー・チェコ・スロバキア・ポーランド
の各国を合わせるとおよそ160万強平方kmとなるので、ヨーロッパ主要国の大きさの穴があるということ。


南極のものに比べれば圧倒的に小さいが、それでも無視できない大きさ。

今後の推移を注視していたい。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35152487.html

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2020年3月31日 (火)

私にとって歴史の勉強も又、真言密教を深めるため

最近、江戸時代中期の歴史関係(尾張徳川家七代目 #徳川宗春 )の物書きをしている。新型コロナウイルスのために会合がなくなり、その時間を利用している。
 
書くために調べごとをし、論文や書籍を読んでいるうちに感じたこと。
 
やはり私にとって歴史学は補助的な作業に過ぎない。今まで発見されていなかったことを見つけることは楽しいし、椅子に何時間でも坐って調べているとタイムトリップしたように感じる。また色々と関連した出来事も身の回りに起きてくる。
しかし、何かが足りない。
 
調べごとをしていると、必ず #真言密教 との関連のものが出てくる。不思議なほどに。それを見つけるたびに、自分の本道は歴史学ではなく、真言密教だなぁと改めて感じる。そして真言密教関連の調べごとになっていくと、どんどんと深まっていく。祈りにも繋がる。いつも行き着く先は、信心、慈悲と智慧、そして大菩提心。そしてまた歴史に戻るの繰り返し。
 
私にとっては、歴史学も環境倫理もロータリー活動も、文化センターの講師も、そして住職としての活動も、生きていること全てが真言密教。ここに足りないものはなにもない。
 
これを確認しつつ、歴史学の書き物をすると楽しくて仕方がない。私にとって歴史学もまた真言密教を広め深めるためなんだなぁと、自分を笑いつつ楽しんでいる今日このごろ。

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2020年2月25日 (火)

対処だけでなく根本原因を見つめる視点が大切:ある北欧の医師の本を読んで感じたこと

ある北欧のお医者様の本を読んで感じたこと。
彼が夫婦でアフリカの貧村に赴き強く感じたのは、目の前の患者への対処ではなく、もっと広い範囲の #公衆衛生 こそが重要であること。
「目の前の患者を治すことこそが医者の使命だ」と強く同僚に叱られたそうだが、公衆衛生に対する考えは変わらなかった。
目の前の患者の治療だけでは、患者の数が減っていかない。その無力感から、より広範囲に目を向けた結果、そもそも病にならない環境を指導していくことこそが、患者の数を減らすことではないかと気づいた。
そこから彼は公衆衛生に尽力し、見事に結果を出し、世界的にも有数な公衆衛生の権威となっていった。
この考え方は、実は公衆衛生にとどまらない。
病も、目の前の病に薬だけで対応するのではなく、普段の食事や呼吸も大切であるのは当然のこと。しかし、人はなかなかそれを事実として受けいれ実行しきれていない。もちろん今苦しんでいることに対応することはないがしろにされてはいけないのも事実だが、より大きな視点も重要。
犯罪も同じで、目の前の犯罪の取り締まりだけではなく、犯罪が起きにくい仕組みを作ること、そこがポイント。小さな例を出すと、スピード違反を取り締まるのではなく、スピード違反をしにくい仕組みこそが重要。そもそも制限速度があるのに、それを遥かに超えるスピードの出る車があり、それを売りにしていることが問題。
政治にも、経済にも、宗教にもいえる。目の前のことは大切で、それに対処することも重要。しかし、個別にではなく、目に見えないもっと広い範囲のことも意識においておかねばならないことが多いのも事実。
こうした視点を忘れないでいたい。

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2019年5月31日 (金)

若き日の思い:世俗的な欲望に背を向け、天上の深奥の流れに乗って出家し、いまもまた歩み続けています

若き日の写真を見つけました。若き日のメモを見つけました。若き日の写念仏を見つけました。

高野山に登ると決意したとき、出家を決意したとき、高野山を降りて塾に就職したとき、その塾をやめるとき、止むに止まれぬ思いが身体を駆け巡りました(その思いは一種の狂気なのかもしれません)。

そこには世間的な出世心や金銭的な欲望や単純な知的欲求はなく、遙かなる天上から、深奥なる内なる世界から、その両者から溢れ出てくるエネルギーが私を突き動かしました。そして今もそのエネルギーに乗って生きています。

そのために、ときには世間的な常識から外れることもあります。また世俗的な楽しみが、あまり好きではありません。飲む打つ買い、他者を支配するという世俗的な欲望を理解できません(理解したくもありませんが)。

真言密教の法で祈り、その教えを受け納得し、気付き、目覚め、感じ、体得することほど面白いことは私にはありません。そしてその一端を周りに伝え、共に歩む人と手を携えて歩み、一人でもほんの少しでも共鳴していただくことが至高の喜び。今はただそのために動いています。

寺子屋も、
環境省登録環境カウンセラーも、
中日文化センターの講師も、
ロータリー活動も、
徳川宗春卿のことも、
異宗教間対話も、
すべてが私にとって真言密教という大きな道の中のこと。

こうした道は誰にでも開かれたものではありません。ですから理解してもらえないことが多くあります(残念ながら表面的なお坊さんほどわかってもらえません)。

それでも私は今の道を歩んでいきます。
共に歩もうとする人がいる限り。
私から何かを感じ取っていく人がいる限り。

来月の半ばには、得度して丸34年を迎え、35年目を歩むことになります。あのときの深き強き思いを見つめ直し、その大きな流れに改めて感謝したくなり、こうした投稿をしました。

 

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2019年1月23日 (水)

グリーンランドの氷の問題が発表されました。温暖化という言葉では解決できないほど、地球の気候変動は大きくなっています。季節感をなくしつつある人間は、この気候変動の責任の一翼を担っているのは明白。

グリーンランドの氷の問題が発表されました。温暖化という言葉では解決できないほど、地球の気候変動は大きくなっています。季節感をなくしつつある人間は、この気候変動の責任の一翼を担っているのは明白。
タイタニック号が氷山への衝突コースにあっても、船内は遊興に耽っていたのと同じような気がします。

一人一人がいち早く目覚めること、それを深く望んでいます。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35131622.html?fbclid=IwAR3FuM3lbsRnh-ZZZ-FiiJqm3ORRiH5oSbTUPrE0cE1WmCj7eV6-mS1AB4M

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2017年4月30日 (日)

今日は何の日? 4月40日 ヒトラーが自殺した日 「暴走を止める善師と善友が大切」

今日は何の日?

テーマ「暴走を止める善師と善友が大切」

1945年4月30日のこの日、ドイツ(第三帝国)首都・ベルリンでアドルフ・ヒトラーが逝去した。

遺書をタイピングし、唯一無二の恋人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙る。愛犬ブロンディを毒殺。妻エヴァ・ブラウンと共に総統地下壕の自室に入る。エヴァ・ブラウンは服毒自殺、アドルフ・ヒトラー自身は拳銃自殺であった。

ヒトラーは対局を見失い確かに間違った。マルかバツでいえば、明らかにバツである。しかし、全てを否定するのは尚早に思える。

・第一次世界大戦で疲弊した国を再建し、米国に次ぐ世界第二の経済国にした。
・アウトバーンや鉄道などの整備
・公共事業による失業者の減少
・国民の健康のために有機野菜を推奨し国民の健康を大切にした。
・大気汚染しないように環境問題を注意した。

彼が行なった政策がドイツ国民を熱狂させるほど善きものがあったのも否めない。

ただ、暴君によくあるパターンに彼も陥ってしまった。暴走してしまった。良き政策を初期に行っていたにもかかわらず、暴君に変貌するものは少なからずいる。

・秦の始皇帝。中華を統一した英雄であった人物。
・暴君の代名詞であるローマ第五代皇帝ネロ。彼は皇帝就任してしばらくは名君の譽れが高かった。
・室町幕府第六代将軍足利義教。僧侶であったが還俗し父の三代将軍義満に習う善政を将軍就任当初は敷いていた。
・オルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクに協力して英雄とまで呼ばれたジル・ド・レ
・貧民救済をし多くの書籍を編纂した李氏朝鮮の第10代国王燕山君
・信仰心が篤かったイヴァン雷帝

繰り返すと、私はヒトラーは好きではない。ヒトラーは暴走してしまった。やはり駄目な典型だと思う。どんなに良きことから始めても暴走してしまっては意味はない。彼には善師と善友がいなかった。

ヒトラーの死について見つめ、改めて善師と善友に感謝したいと強く思う。

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2016年4月11日 (月)

徳川美術館 ひな人形展 お内裏様とお雛様の位置、気づかれましたか?これほ江戸時代の雛人形の飾り方ですので、本来の位置です。

お内裏様とお雛様の位置、気づかれましたか?これほ江戸時代の雛人形の飾り方ですので、本来の位置です。

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10日の日曜日に徳川美術館に行ってきました。9日が旧暦の雛祭りでしたので、この日まで開催されたようです。本来の祭わら考えたのはさすがです!

中は写せなかったのですが、すっごーいとしかいいようごない雛人形の数々。段飾りも、京雛では本来は三段だとか。7段飾りは江戸で流行ったものだそうです。しかし、江戸中期までは、一対で一段です。

高家寺は頑なに季節の行事を旧暦で行っています。まだまだ未完成なところもありますが、この雛人形展を観て、改めて本来の季節の行事を続けていこうと感じました。

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2015年9月27日 (日)

茄子料理から教えられる

昼と夜、共に外食。法事のお斎と、旧町名の会。共にお茄子が出ました。秋茄子。嫁に食わすなというほど絶品だけれども身体を冷やすとも言われます。季節感あふれる食材ですが、料理の仕方で味は異なるもの。当たり前のことですが、食の生かし方も色々あるもの。守ること一つに決めるばかりが大切なのではありませんね。

一つのものでも色々な展開があり得る

いろいろなものでも実は一つのものの展開でもある

旧町名の会で講師の木村さんが示してくださった 「一体全体 」と茄子料理が妙に一致し 、この言葉が、一即多 多即一 または一門普門 普門一門 などなど密教のキーワードと同じなんだと知れて、とても嬉しく感じました\(^o^)/

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2015年5月25日 (月)

旧暦花祭 個性を見極められた釈尊

今日は旧暦の4月8日。
本来の花祭り。
戦後、あらゆる行事が新暦で行われるようになり、
本来の季節感が全く薄れてしまっています。
そのために高家寺では、
行事の多くは旧暦でおこなっています。

花祭り、つまりお釈迦様の生誕日祝いもそのうちの一つです。
対機説法をされた釈尊。
それは一人一人の個性を見極められたため。
天上天下唯我独尊もその視点で見つめると、
仏教の優れた面を強調する表上の解釈と、
誰もがこの世で他に代わるものがない貴重な個性を持っていて、
自分自身が個性輝く存在という別の解釈もあることを説明しました。

文献学には問題があるかもしれませんが、
身に修める学問としては大切な考え方。
釈尊の生涯にこそ、
気づくべきいろいろな秘密があるように私は感じます。
釈尊がおられたから仏教がこの世にあるのは事実。
それを愛で、感謝したいと思います。
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2015年5月 9日 (土)

高野山徳川家霊台

五月八日九日に、高野山団体参拝。
その際に、私たち夫婦が泊まった部屋は
徳川家霊台の真ん前でした。
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思えば、この南院で修行中は
この徳川家霊台の向かって右下の部屋に居て、
毎日拝んでいました。

そのときは、
まさか徳川家を研究するとは
思ってもいませんでしたが(^^)
徳川家霊台に行くと、
ちょうど御霊屋が開扉されていました。

秀忠公のお位牌はじめ幾つかのお位牌が
秀忠公廟に置かれており、
阿字が各お位牌に記されていました。
鳥居はありません。
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鳥居のある御霊屋は
家康公こと東照大権現の御霊屋。
中のお位牌には
バイという薬師如来の種子が記されていました。
東照大権現は薬師如来が神として顕現されたもの。
国家鎮護の薬師と東方が意味に重ねられています。
家光公のお位牌もこちらに祀られていました。
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権現とは、
如来や菩薩が衆生済度のために
仮に神の姿で現れたもの。
大明神という単なる神ではなく、
慈悲に満ちた権現とした
天海僧正の卓見には驚かされます。
そういえば徳川家にはもう一人権現さまがいます。
山王権現とされていますが、
別名は孚式権現。
孚式とは尾張7代藩主徳川宗春卿のこと。
徹底的に庶民に対する慈悲に満ちていた人物。
死後、五十年を越えて、
普通の精霊から、権現となりました。
そして私は彼の研究者です。
いろいろなことに想いをめぐらして、
私は徳川家霊台で祈りを捧げたのはいうまでもありません。

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