2008年6月20日 (金)

陀羅尼について

真言宗関連の方は陀羅尼と聞くと
阿弥陀如来根本陀羅尼とか佛頂尊最勝陀羅尼などを連想し
長い文字の真言を陀羅尼と思い浮かべる人が多い。
しかし、弘法大師空海は陀羅尼をそのようには捉えていなかった。
空海は
陀羅尼をむしろ
一字真言であり、種子であり
その一字の中に多義にわたる意味が込められていると考えていたようである。
阿弥陀如来根本陀羅尼は
その無量意味を有した一字真言が連なったものであり
長い真言を陀羅尼と読んだものではない。
あえて言えば、長い真言にはたくさんの表面的な意味が含まれているので
それを陀羅尼と読んだのかもしれない。
しかし空海の陀羅尼とは、文字面のことではなく
一字の中に込められた深い深い意味である。
しかもそれを理解することができる密教の器の人とは
決して頭の良い人ではない。
むしろ頭の良い人たちは文字面にとらわれてしまい
文字を解釈することにこだわってしまう。
空海はそれを多明句を好む者とし、顕教の器であると言う。
一方密教のそれは、文字面ではなく
その文字の背後に隠れた意味を感じ取る者。
頭の良し悪しに関係なく、
文字にとらわれることなく深い意味を感じ取れる者こそ
密教の器であるとした。

空海のいう陀羅尼はまさに一文字に記され
多くの文字を費やさないからこそ
直感的であり
秘密の教えのために在るものなのであろう。

空海が陀羅尼と言う言葉を使って表そうとした世界を
垣間見ると
そこには無限に広がる可能性がある。

世の中を推し測る物差しは、頭の良し悪しもあるだろうが
そればかりではないことを
改めて教えられるのが
陀羅尼を通して知った密教の機根論である。

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2007年10月 3日 (水)

最高の高野山団体参拝二日目2

10月2日火曜日、9時半頃、いよいよ一行は金堂の中での結縁灌頂(けちえんかんじょう)へと進んだ。P1060451 私は、所用があり本山の宗務所へ。

10時45分過ぎに、金堂の前に戻っていくと、そこには涙を流した跡のある妻と妻の叔母の姿があった。結縁灌頂については、何度言葉で言っても「何の意味があるの」と、あまりピンと来ていなかった妻も、感動に感動を重ねたようだった。灌頂を終えた人たち全員が「すばらしい」「感動」「最高です」の言葉の連続だった。私が言葉で100を尽くすより、一回の灌頂のほうが人々を密教へと誘ってくれることの意味を全員が理解してくれた。バスの中で説明をしたのは、「これで終わりではありません。灌頂を受けることで、自分が曼荼羅の中心の大日如来と一体であることを悟り、多くの仏様に囲まれて生きていることを気づいていただけたと思います。これは終わりではなく、これからの新たな人生の始まりです。」と伝えると、皆がいっせいに頷いてくれた。この灌頂は言葉に尽くせぬものであったことを皆は感じ取ってくれたようだ。

ここで本山の皆さんにお礼が言いたい。妻の叔母は足が不自由だが、その叔母を車椅子で運びながら、心尽くしてくださった。これはどんなにお礼を言っても言い足りないくらいである。足の悪い方でも参加できるシステムは本当に嬉しい。

灌頂の後、中の橋でお食事。私は奥の院へ行き、Yさんという知人に会いに行く。ここでも本当にお世話になった。そして、帰路へ。

P1060456 最後は大神神社。大和一宮。初日に行けなかったので、帰りに寄った。ここで皆が大きなエネルギーをためてくれたことを実感。寄ってよかった。

今回の団体参拝はまさに神仏の力みなぎるものであったことを皆が実感。帰路もみなの感想があり、ビデオもカラオケもなく、楽しく帰れたと思う。そして明日から、皆が力強く生きていってくださることを確信。本当に素晴らしい団体参拝であった。

お一人お一人の名前を出して感謝したいが、個人情報もあり、ここでは名前を出さないが、今回一緒に行ってくださったかたがた、運転手、出会えた方々、皆に深く深く感謝したい。

最後に、皆が口を揃えて、「また高野山に一緒に行きたい」と行ってくださったことは、大きな感動であった。P1060457

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最高の高野山団体参拝二日目1

10月2日火曜日 高野山別格本山南院本堂で六時半より朝の勤行。上綱(じょうごう)様にお護摩を焚いていただいた。その炎の姿は見事というしかない。二十年前、当時まだ院家(いんげ)様と呼ばれた頃は勢いのある火勢であった。僭越ではあるが、今の私の護摩の火に似ていた。しかし、今の上綱様の護摩の炎は、故前官様の火とそっくりになってきたような気がする。さすがに、浪切不動尊の別当寺院のご住職だけはある。目に見えない道統をここに感じる。上綱さんの法話もいつになく長いものであり、そこでも四社明神の話しが出た。実は昨晩、高野山大学の学生が訪ねてきて卒論の相談をしてきた。テーマは四社明神。今回は、明神様を代表にまさに神様づくめのたびのようだ。

途中、結縁灌頂の順番を得てもらうように、弟子二人を伽藍へ。研修生伽藍のFさんには大変お世話になった。おかげでまさに絶妙のタイミングで受けられることとなった。

朝食後、信者のTさんが、別の寺院へ赴く。Tさんは最近お母様をなくされたばかり。Tさんは次女であったが養子を得てT家の跡をとる。そこでTさんは先祖のことを調べ始めると、戒名の分からない先祖が何人もいることが分かった。そこから調べるとどうも高野山のR院に過去帳の一部があるらしいことが判明。朝食後、R院へTさんは向かう。

P1060378 出発まで時間がしばらくあったので、私は銀行へ。ところが高野山上はキャッシュディスペンサーも9時からしかあかない。喘息の身体を引き釣りながら無理して行ったのだが、無駄足だった。まぁ歩かせていただいたことに感謝。南院に戻り、Tさんを除き皆で記念撮影。バスが出発しかけたそこへTさんが戻ってきた。その顔は満面の微笑み。「住職、みんな戒名が分かりました!」その出来事にTさんは、驚きと共に感謝していた。「ご先祖様が私を動かしてくれた」と彼女はつぶやいた。

P1060390P1060426P1060430  そして壇上伽藍へ。御影堂から順番に案内をしながら感謝を捧げていく。四社明神の前では専修学院の学生たちと共に拝むことができた。その稀有さに一向は笑顔満面。ここでも四社明神との縁を皆が感じてくれたようだ。

P1060432 大塔の中でもゆっくりと感謝の祈りを捧げた。結縁灌頂へ一行は向かった。

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2007年10月 2日 (火)

最高の高野山団体参拝初日2

10月1日月曜日夕方。天野から高野山へ向かう。到着予定時刻が大幅に遅れた。天野での滞在時間が一時間以上オーバーしたからだ。しかし、宮司さんの丁寧さには深く感謝。

高野山別格本山南院に到着したのは4時45分。すぐに妻と共に師匠のお宅補陀洛院を訪ねる。挨拶だけと思い訪ねさせていただいたら、応接に通していただきしばら師と奥様と四人で歓談。南部せんべいの話題で花が咲く。http://iwateya.co.jp この地に師匠は自らの墨蹟を残し、その石碑が建立され、その式典に行かれたとのこと。話が弾みすぎて時間を忘れてしまった。南院より奥様自ら呼びに来ていただいた。あっ、五時半からの食事だった・・。妻リツがその南院の奥様の行為に感動。五分前に呼びに来てくださるとは、その心遣いがとても嬉しかったようだ。

P1060343P1060349 南院でお食事。二の膳まで出た。なぜか私は一人だけ上座へ。法事みたいで、すこしかけ離れて寂しい感覚もあったが、信者さんを連れてきたゆえに、これは仕方がなかった。驚いたことに、皆が皆、完食。信者のOさんは最近までほとんど食を食べられなかったのに完食して感動していた。歓談をしながらの食事は実に楽しい。ここで妻リツはツアーコンダクターのように動いていた。

P1060360 食事終了後、6時20分に南院発。中の橋駐車場へ。奥の院で行われる師の管長様お導師の萬燈萬華会。御供所を出てくる行列を待つ。ここで整列して、行列の進んでいく姿を見送り、お練りの後ろを就いていく。奥の院の燈籠堂は満員。そこで、まず御廟の前に高家寺関係者を導く。すると、高家寺関係者のみがそこで御廟の前でお祈りができた。これほど奥の院に人が居るのに、御廟の前は全く人の気配がなく、これは奇跡に近かった。そして地下法場へ。ここにも誰も居ない。上は満員の人だったが、地下は誰も居ない状況だった。ここの説明をすると、信者一行は皆背筋を伸ばし、そして涙する人まで居た。そして上に上り、燈籠堂で法要を見ながら祈りを捧げる。人が徐々に減っていったおかげで、ここでも信者さんたちは師のお導師姿に合掌した。

そして一の橋に向け歩いていく。いろいろ説明をしながら夜の奥の院の産道を皆で歩んだ。

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最高の高野山団体参拝初日1

10月1日月曜日 朝六時半に集合。私を含め25人。岐阜バス。運転手のKさんは抜群の腕に、とても心暖かい人であった。バスの中ではまず自己紹介。お一人お一人にお話していただき、私が紹介の一言コメント。おかげでビデオを観ることもなく、カラオケなど皆無であった。

P1060319_2 最初に、大神神社へ向かう。一日ということがあり、バスが全く近づけない。そこで急遽方向を変え橿原神宮へ。初代天皇の神武天皇をお祀りするお宮。初めての人が多く、とても心地よい感覚。感謝の祈りを捧げる。帰りの産道で、禰宜さんらしきひとに合掌して礼をすると、話しかけてくださった。権宮司の松中さん。奈良県の宗教者の集まりの話をしてくださり、武士道を絡め異宗教の対話と現代における宗教性のお話をしてくださった。

途中、五条で食事。レストランよしの川(tel 0120-367-105)へ行く。ここが素晴らしい景色。量的には多くはなかったが、柿の葉寿司の定食はお勧め。今後も使いたいと思ったお食事どころ。思わず旅行業者に電話して感謝感謝。

P1060324 信者のSさんのお勧めで、九度山の慈尊院へ。弘法大師のお母さんのお寺。高野山町石道の出発点。私も昭和59年の五月三日に、ここから歩いて高野山に上った経験がある。この慈尊院で弥勒如来に祈りを捧げる。国宝の弥勒如来。普通は弥勒菩薩なのだが、ここは成道した後の弥勒如来の仏像がある。慈しみ深かった弘法大師のお母さんの写し姿とも言われている。高野山を案内する犬のゴンにも再会。ただし、ビデオで。御本体はすでに逝去。現在は二代目とのこと。

P1060326_2 続いて天野へ、丹生都比売神社へ。最初はただの参拝のつもりが、宮司さんが出てこられて、お祓いをしていただき、解説までいただいた。これに信者の皆が感激し、志納金が集まった。お札までいただいた。本来は5分程度にするつもりが、一時間あまり滞在。さすがに高野山の氏神さま。ここで強調されていたのが、熊野古道のこと。ここは古い参詣道が評価されたのではなく、神仏混交の形態がとてもユニークで、それが現在も生きていることが評価されているということ。今回の私たちの旅もまさに神仏混交の旅であった。ここで、大きな大きな力をいただいた。

そして高野山へ。

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2007年4月25日 (水)

師匠の晋山式

師の松長有慶大僧正の高野山金剛峯寺座主晋山式が挙行された。朝六時から執行されえ、夕方には大阪でお祝いの会。540人の方々が参加。そこで師匠が言われた言葉は印象的だった。「こうして座主をさせていただくことは、まだまだ学ばねばならないことがあるというお大師様からのお言葉だと思っている」この謙虚なそして学者らしい言葉は深く私の中に刻み付けられた。この方の弟子で本当に良かったと思う。

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2006年11月15日 (水)

師匠が金剛峯寺第412世座主・高野山真言宗管長に就任される

Dvc00001_mDvc00003_m 師匠の松長有慶先生が今日、高野山真言宗の管長となり、同時にこ弘法大師より連綿と続く高野山金剛峯寺第412世座主に就任された。朝の9時前に、御寺坊の補陀洛院(ふだらくいん)を出て、現在の昨日までの正住職になっていた大本山寶壽院へ行かれる。その後、十時前に寶壽院で御法楽(心経・立義分・御宝号)を唱え、出発。管長車が門前まで来ていたが、ご希望により本山まで歩いて行く。その後ろを私たちもゾロゾロと着いて行く。

そして本山の広間で御法楽。しばらく休憩。途中、兄弟子と共に応接室へ師匠に会いに行く。しばらく歓談。上段の間で、入山式。感無量だった。そして新別伝でお食事をいただく。そして再び御入山のお祝いを述べに応接に行く。

師匠は高野山大学の学長を経て、大本山寶壽院門主となり、ついには座主に昇りつめられた。本人は新たな挑戦をし、様々なことを新たに身につけられようとしている。70を過ぎて声明を学び直し、74にてパソコンを始め、77にて書道を習う。普通の人間にこれほどのエネルギーはない。そういう意味でも誇れる師匠だ。そして、この77にて、若い人たちと共に勉強をし、座主になってもこれを続けられるという。ただただ頭が下がる思いだ。

対外的な意味でもアピール度の高い座主の誕生でもある。高野山真言宗ばかりでなく、真言宗全体がもっともっと社会に向けて発信していけるようになることを希望する。

私は高野山真言宗の住職として、数少ないで師の一人として、師匠を支えていければと思う。

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2006年9月28日 (木)

学道(勧学会)三年目成満

今日、勧学会が終了した」。9月5日から始まり、今日で結願。一ヶ月近くもお寺を空け、しかもお彼岸に居ないという暴挙にも近いものだったが、今回はそれなりに成果が出せたと思う。形式的には「阿闍梨供昇(あじゃりくしょう)」と「三年目講讃了」をいただいた。内容的には多くの知人を得、不思議な縁をいただき、また過去帳の記入、そのほか自分自身の修法の深め方などを体得できたと思う。

金剛峯寺の上段の間で行われた儀式は圧巻だった。壇上伽藍の御影堂(みえどう)の内内陣に厳重に保管されている過去帳。そこに名を記すことができたからだ。三年目修了者のみに与えられる特権。お寺の名前と、戒名と出身地を記入する。「平成十八年 高家寺 大法師 宥智 (花押) 尾張産」緊張しながら記入させていただいた。これで私を通じて、高家寺に縁のある方々も供養できると思う。高家寺の歴史の中で、この過去帳に名を記すことができたのは初めてのようだ。記帳の後に過去の方々の名前を見た。師匠の名前を見つけた。そして修行の師であり師匠の師である南院の前官さんの迫力ある字。そのほか縁のある方々の名前を次々に見るたびに思わず涙がこぼれ出ていた。なぜ涙が出てきたのか分からないが全身から感極まる思いがあったのは事実だ。おそらく高野山でこうして縁をいただかせていただく方向へ導いてくださった多くの先師たち、高家寺に連なる歴代の住職たち、そして高家寺に連なる有縁の方々の、さらには私を高野山に導いてくださり今もなお導いてくださっている多くの方々、そのほか有縁の方々の思いが一心に込められたのだと思う。これで毎日高野山壇上伽藍で御影堂で、高家寺の名が入った過去帳が供養されることになった。ただただ嬉しいばかりだ。この縁をもっともっと大切にして進んで行きたい。

この学道で知り合った多くの方々にも感謝する不思議な縁が一杯あった。

そして何よりも、師匠と宿を貸してくださった南院さんに心より深く感謝する。

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2006年9月 5日 (火)

儀礼を生かすには

今日から高野山の勧学会の二年目・三年目が出席する二日廻しが始まった。初日なので、法会課の方々が丁寧に説明。私も二年目を受けて二十年近く経つ。あまりにも多くのことを忘れていた。この勧学会に参加して改めて思う。真言宗は儀礼を重んじる。時には過度なくらい形式的だ。しかし、よくよく見つめてみるとその儀礼にはかなり深い意味がある。例を出せば、挨拶で膝を落とす場合、袈裟を踏んではならないという。袈裟は法を象徴するもの。釈尊を象徴するもの。それらを重んじるという意味で袈裟を踏むことは許されない。しかし、その意味合いを無視している限り、そこにあるのはただ単なる儀礼。やはりその儀礼に参加するものの心構えが大切。真言密教は他の仏教と異なり対機説法ではない。こちらの機に合わせて大宇宙が法を説いているのではない。自分自身が法身に合わせていくことが大切。つまり、どんな儀礼でも、その意味合いを自分から掴んでいくことが大切だというのだ。この視点に立てば無駄なものなど何もない。

改めて感じた。大宇宙の真理が形あるものとしてこの現象に現れている。その意味で儀礼に参加し、その儀礼の奥を感じ取り、そ儀礼の形と意味を身につけることの大切さを。形式主義に陥りやすい儀礼。特に密教の儀礼は形式主義に陥りやすい。だからこそ、その儀礼を型だけに守るのではなく、型に血を入れ形にしていくことが大切なのだろう。

私は今まで儀礼を割合と軽視してきた。しかし、この勧学会に改めて参加させていただき、その深みを得ることは自分自身の問題であることを改めて感じる。勧学会だけではない。ありとあらゆることに、この考え方は大切なのではないかと感じている。今回、こうして参加させていただけたことに深く深く感謝する。

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2006年7月24日 (月)

師が次期管長に決定

今日のお昼に高野山真言宗の管長の推戴受付が終了。推戴されたのは我が師匠である寶壽院門主松長有慶先生だけだったそうだ。これでこの十月十五日からの高野山真言宗管長金剛峯寺座主に師匠が就任される。心よりお祝い申し上げたい。

ただちょっと複雑な気持ちもある。弟子としては身体のことが気になるので、激務は控えていただきたかった。後進の指導に専念していただきたかったのだ。しかし真言宗全体のことを考えると我が師が管長にならねばならなかったのも事実だ。大いなる流れがまさに師を選んだように思える。

師匠には弟子が十数人居る。しかし、兄弟子は単立寺院の住職であって高野山真言宗のお寺ではない。兄弟弟子の村上高野山大学教授は今は高野山真言宗の内局の教学部長。そのほかの弟子は住職になっていない。結果的に高野山真言宗のお寺で住職をしているのは、村上先生と私だけになってしまっている。自分に何ができるのかはわからないができる限りのお手伝いはしたいと思う。

この縁を我がお寺の信者様方にも触れていただきたい。そのように強く願う。

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2006年3月 9日 (木)

事務作業のお手伝いをして

高野山真言宗岐阜支所の事務局長さんのお寺で議事録や書類の作成を手伝った。事務作業をしてくださっていることに先ず感謝。忙しいさなか、よくやってくださっている。私は迷惑ばかり掛けているので、こうしたした作業のお手伝いをすることしかできないが、その苦労のいったんは理解させていただいた。

表の舞台に立つことを好む人が居る。一方では裏方で支えることを大切にする人が居る。特に前者は後者の苦労をねぎらわねばならない気がする。人にはそれぞれ与えられた場所があり、その場所で活躍することは重要だが、他者も精一杯尊重してこそ成り立つように思う。

自分を大切にするとは、他者を尊重すること。そんなことを教えていただいた事務作業であった。

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2006年2月17日 (金)

支所 物故者追悼法要

物故者の追悼法要があった。どうしてもこうしたものに抵抗を感じてしまう。なぜ、戦後の先師なのか?なぜ寺族なのか?「南無先師尊霊」とか「南無寺族精霊」とは私はどうしても声に出せない。その抵抗感が、声明(しょうみょう)で目茶目茶なことをしてしまった。大変皆に迷惑を掛けたと思う。しかし、この抵抗感はぬぐえない。果たして、弘法大師はこんなことを望んだのだろうか?これが坊さんたちのすべき法要なのだろうか?途中で、他者に対する思いやりを感じない意地悪な言葉も何度も聞かされた。悲しかった。またそれに対する機微に富んだ言葉が出せなかった自分にも大いに反省した。

ただ今回は食事は良かった。岐阜グランドホテルでの薬膳料理。フレンチやイタリアンでお肉やお魚料理が出ることを思えば、こうした薬膳を選んでくれた支所の正法寺住職田中事務局長にお礼を言いたいし感謝を述べたい。坊さんの会合ではせめてこうした食にも意識を傾けてもらいたいものだが、普段はなぜかお魚やお肉料理が並ぶ。とても悲しい気持ちになる。しかし今回は田中事務局長のホームランであったと思う。

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