メドベージェワとザギトワというフィギュアスケートの二大女王。彼女たちが、まるでアニメのフィギュア(人形)のように。
メドベージェワとザギトワというフィギュアスケートの二大女王。彼女たちが、まるでアニメのフィギュア(人形)のように。(笑)
安倍首相がロシアに訪問したこのタイミング。このCMは時流を見るに敏感で面白い。政府の対話以上に、両国の交流につながるのではないかと感じる。
このCMの企画者は、なかなかの策士^_^
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メドベージェワとザギトワというフィギュアスケートの二大女王。彼女たちが、まるでアニメのフィギュア(人形)のように。(笑)
安倍首相がロシアに訪問したこのタイミング。このCMは時流を見るに敏感で面白い。政府の対話以上に、両国の交流につながるのではないかと感じる。
このCMの企画者は、なかなかの策士^_^
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「ちょっとした工夫
”みんなわらしべ長者”ゲーム
"負けるが勝ちじゃんけん"」
ある会の年末忘年会で幹事をする。
いつものように若き合唱を楽しみ
今年は特別に、
少し年輪の多い有志によるハワイアン。
当初はこれだけの内容であった。
しかしこれでは寂しい。
せっかくの会合だから
異なるテーブルに着いた人達が
互いに交流する方法はないのか?
いろいろ考えてみた。
昨日の昼に母の用事でスーパーに出かけた。
そこで、ふと思いついた。
実験をしてみよう・・・
実験用に150円から300円程度のお菓子を
参加者分購入。
(実験なので自腹を切る(^^;と言っても
大した金額にならないので
このゲームはお金が
あまりかからないことが判明 )
お菓子は全部バラバラの種類。
ハワイアンも終わり、会が五分の三、
終了した段階で各テーブルに人数分のお菓子を
適当においていただいた。
「これはいらないと思った
お菓子を手に取ってください。
これを交換していきながら
自分が気に入っているお菓子を
手にしてみてください。
条件が二つあります。
1)自分のテーブルの人とは交換しないこと。
2)拒否は一回だけできるものとします。
五分の時間制限ありです。」
ほぼ最初の三分ほどで全員が交換し終わり
およそ自分が欲しいものが手元に届いた。
おもったより受けの良いゲームであった。
効能は
・参加者のテーブル以外の方と交流できる
・欲しいものを手に入れる過程が見える
・自分だけという発想が消える
・全員がwin winになりやすい
・会話が増え結構楽しめる
反省は
・五分は長すぎた 三分でOK
・時間制限より
例えば三回以上交換というほうが良い
・景品はもっと工夫する必要がある
思いつきで挿入したゲームであったが
それなりの効果があった。
そして最後は
負け続けじゃんけん。
勝つだけでなく最後まで負け続けた人に
景品である餅米五キロを渡すというもの。
効能は
・弱者救済の精神(^^)
・勝つことだけが良いことではないというもの
これも思いつきのじゃんけん大会であったが
それなりに楽しんでいただけた。
これからの宴会で十分に活用できるゲームを
今回は二つ獲得できた。
もう少し練って、深い意味も付加してみたい。
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昔々、といっても10年ちょっと前のこと、知人である一人の若い女子大生が大道芸を始めました。毎年毎年、節分で芸を披露してもらうことにしました。毎年新たな技で、進歩の姿を魅せてくれました。
その技術よりも大切なことを、彼女ことさくらこちゃんから教えられたことがあります。芸のテクニックを磨くことも大切ではあるのですが、それ以上にお客様に喜んで頂く構成をすること、彼女はそこを徹底していました。彼女より技術のうまい大道芸人は何人も居ますが、彼女の構成力は毎年毎年抜きん出ていました。大切なのは自己満足の技術に陥ることなく、見て下さる方々を喜ばせること。今も彼女から教えられたことは、私の指針です。
残念ながら寿のために彼女はお寺の行事からは引きましたが、彼女の紹介により後を受けてくれた大道芸人Kくんは彼女とはまた違った味を出してくれました。彼女の後でやりにくかったはずですが、訪れた信者さんたちを満足させることに関して、彼もプロでした。和物も取り入れてもらい、それがお寺にピッタリ。 Kくんにもさくらこちゃんにも感謝しています。
そういえば、ローリング・ストーンズのコンサートでも同じことを感じました。前座でやった人たちは驚くほどのすばらしいテクニック。しかし、楽器の技量では数段劣るストーンズのほうが人々を魅了しました。ミック・ジャガーは、人を喜ばせることに関して徹底していたからです。これはマドンナのコンサートでも同じことを感じました。
イヴェントをする時、その真の目的は何なのか、ついつい主催者は忘れてしまいがち。その真の目的を常に心においてイヴェントの構成をしたいですね。
Kくんやさくらこちゃんは、そうしたことも教えてくれる伝道師です。 実は今日はKくんの誕生日。そこでちょっと感じたことを記させてもらいました。
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鉄道マニアが身近なところにいるので、少し気になったアニメ。
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ボランティアで怖いのが、自分は良いことをしているという思い込み。本当にそれが良いかどうかは、時が経ち、その後に分かってくること。常に「自分は大丈夫なのか?」その思いを胸に秘めていないと、いつの間にか単なる馴れ合いになってしまいがち。もう一つ、相対的な話ですが、特定のボランティアグループでは、そのグループの構成員の家族がうまくいっていないことが少なくありません。それは、日常の苦しさから逃げ、ボランティアという一種の麻薬のような常用性の高いことをしないと、家族の問題で押しつぶされてしまうからかもしれません。ボランティアを率いる人が、家族の関係がどうなっているのか、ここを見るといろいろなことが見えてくるようにも感じます。
ボランティアの原義は自主的に行うこと。そのボランティアは自分がいないと進まないことなのか、家族やその他から逃げるために他律的にボランティア活動をしているのか、やむにやまれない思いで、または縁が満ちて自主的に活動をするのか、よくよく見つめていたいものです。
自分の日常を苦しめるようなボランティアは論外ですが・・・
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Twiierで境内の野花のことをつぶやいたら
「日々どこかで花が咲いていると思えば少し励みになりますよ。」
とコメントいただいた。
世界のあちこちで、今も花が咲いていると思うと、
かなり前向きになれる。
そういえばあるアニメで、完璧に計算をし尽くして論理建ててプレゼンをした者より、「世界中に花が咲き誇る世界にしたい」と言った者のほうが女神になったというストーリーがあった。
不完全で未熟だからこそ明日に希望が持てるし、あらゆる可能性を秘め、変化を楽しめる。これも別のアニメのテーマ。
アニメは横に置いといて、我がお寺の境内も、草花まで抜いてしまうのではなく、多少は野花を楽しみたいと改めて思った。
やはりなんでも呟いたりシェアしてみるもの。小さな一言が無限に広がっていくのだから(^^)
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