2017年4月25日 (火)

今日は何の日? 旧暦三月二十八日 東京が首都となった日

今日は何の日?

テーマ:東京が首都となった日

Meijijoukyou

今日は旧暦3月28日。旧暦明治ニ年(1869年)3月28日のこの日、明治天皇が東京城こと江戸城に入られた。この日に東京城(江戸城)は「皇城」と呼ばれるようになり、実質的に東京に奠都(てんと)となった。

The_americana__a_universal_referenc

京の都が廃され、東京に都が遷ったという公式発表はなかった。あくまでも東京を都と定めただけであり、京都を廃したものではないという曖昧な表現であった。それゆえに、遷都(せんと)ではなく奠都(てんと)、つまり都を定めるという意味の言葉を使う。

江戸末期に天皇親政を新たに執行するにあたり、古来のように遷都を行おうという意見が出た。国を大きく変えるという決意のもの、大久保利通は大阪遷都を狙った。しかし公家の反対が多く成らなかった。ところが、大阪は放っておいても寂れることはないが、江戸は德川が滅ぶと寂れる可能性があるという意見が大久保利通に報告される。大久保はじめ主要な人物たちは江戸を都にする方向で動き始めた。

明治天皇は明治元年10月13日に江戸城に入城。東京の皇居と定められ東京城と改名。一度、京都にお戻りに成られ、改めて明治二年の旧暦3月28日のこの日に東京城にお入りに成られ東京奠都となったという。

1

今も東京が首都であるのはこの時の決断である。

明治は、政治の中心を徳川幕府時代の江戸という地を引き継いだ。江戸を造った徳川家康公の思いは生き続けた。京の都のように固定されているわけではなく、大名たちや旗本たちを放逐して、新たな都に作り変えやすかったからかもしれない。

ただ個人的には明治維新は良き点もたくさんあったが、暗黒面もたくさんあったと思っている。明治維新を礼賛するのはどうも憚れる。明治維新、改めて善悪を見極めて、明治で失ってしまった日本の伝統の善きものを取り返すようにしたいと願っている。

800px_bushu_rokugo_funawatashi_no_z

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月24日 (月)

今日は何の日? 「異なる意見を大切に」 1891年4月24日 近代ドイツ陸軍の父大モルトケが逝去する

今日は何の日?

テーマ「異なる意見を大切に」

1891年4月24日のこの日、ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラーフ・フォン・モルトケが逝去した。「大モルトケ」と呼ばれた人物である。

プロイセンの軍人で、統一ドイツをもたらしたドイツの英雄。軍制改革をおこない、「近代ド

イツ陸軍」の父と呼ばれた。

18056963_10210886278264686_75904732

モルトケは順調に昇進したわけではない。しかし、地図作りを偶然にも極めた為に、参謀本部で大活躍する。

政治はビスマルク、軍事はモルトケと、互いに相手を信頼した。ただし、規律正しいモルトケに反し、規律破りの多いビスマルク。二人はあまり仲の良い関係ではなかったらしい。それでも、互いの領分には口を出さず、全面的に信頼して居たという。そしてモルトケは軍部においても他者の意見を大切にした。

今の政治的指導者の中で、こうした関係である人は稀。個性の違うもの同士が、個人的には仲が良くなくとも、国を互いに守ろうとして協力すると、幅広い体制が生まれる。

だからこそプロイセンは統一ドイツを成し遂げたのではないだろうか?
第一次世界大戦や第二次世界大戦の時に、この二人のような器量の大きな人物が上に立てなかったドイツは敗戦の道を歩み苦しんでしまった。

モルトケにも色々問題はあったと思う。しかし、彼の持つ寛容性や知性を大切にしたい。

「自分と意見の異なるものの意見を大切に」これが今日のメッセージ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月20日 (木)

今日は何の日? 4月20日 昭和天皇が最も信頼した、平和を望む海軍軍人であり政治家であった人物。「米内光政」 彼が逝去した日。

今日は何の日?

昭和天皇が最も信頼した、平和を望む海軍軍人であり政治家であった人物。「米内光政」 彼が逝去したのが、昭和23年(1948年)4月20日のこの日である。

米内は公然と、日独伊三国軍事同盟に反対した。山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長も同様であった。それを受けて、平和を望む昭和天皇は米内に組閣を命じる。昭和天皇御自らの意志であったという。しかし、陸軍が畑陸軍大臣を辞任させ、内閣はわずか半年で瓦解。米内が首相を続けていたら、昭和天皇の御意志を反映し、もっと違う結末だった可能性は高い。昭和天皇は「米内内閣だけは続けさせたかった。あの内閣がもう少し続けば戦争になることはなかったかもしれない」と側近に語られたという。

今日は、米内光政の思いを噛み締めようと思う。今にも十分通じる発言が多く、思いも深い。「日本が本当に復興するまで二百年かかる」と述べた米内の思いを受け止たい。

彼自身の、または彼について語られた言葉の中でも彼の人柄を示したものがいくつかある。

米内は海軍兵学校時代は「グズ政」と呼ばれていた。成績も中位。中位のものが大将にまでなったのは、米内が例外的な人物。学生時代から愚鈍に見えながらも大器の片鱗はあったという。

「本は三度読むべし。1回目は始めから終わりまで大急ぎで、2度目は少しゆっくり、3度目は咀嚼して味わうように読む」

「鎮海に二年、佐世保に一年、横須賀に一年というように、官舎でやもめ暮らしをしている間に読書の癖がついた。特に鎮海の閑職時代には書物を読むのが何より楽しみであった。そして、いま海軍大臣という大事な仕事をするのに、それが非常に役に立っているように思われる。人間と言うものは、いついかなる場合でも、自分の巡り合った境遇を、もっとも意義あらしめることが大切だ」と米内は部下に話したことがあるという。

長男の剛政に部下について、「器の中で自由に泳がせておけばいい。器からはみ出しそうな者がいれば頭をポカリとやる。それ以外は手も口も出さない。しかし部下を泳がせる器は自分が作るものだよ。自分の心がけ次第で広くも狭くもなる」と伝えている。

GHQの軍人が「米内提督が戦犯に指名されることは絶対にない。我々は米内提督をリスペクトしている」と語ったこともあるという。

「海軍を預かる人としては米内さんが抜群に一番でした」「包容力の極めて大きい人だ。米内さんに仕えた者は、誰でも自分が一番信頼されているように思いこむ。これが、まさに将たるものの人徳というべきであろう。山本さん(山本五十六)はよほど米内さんを信頼していたようで、『誰でも長所、短所はあるよ。しかし、あれだけ欠点がない人はいない』と言っていた」と述懐している。米内と親交のあった小泉信三は「国に大事が無ければ、人目に立たないで終わった人」と米内を評している。大西新蔵は「米内さんは、海軍という入れ物をはみ出していた大物だった」と米内が信頼していた井上成美大将は語った。

「連合国も永久に日本に軍備を撤廃させることはない。日露戦争の前のトン数を基準に海軍再建を模索すべし」「海軍には優秀な人材が数多く集まり、その伝統を引き継いできた。先輩たちがどうやってその伝統を築き上げてきたか、後世に伝えるべし」「海軍が持っていた技術を日本復興に役立てること」と海軍が解体されたときに保科善四郎軍令局長に伝えた。後に保科は間接的に海上自衛隊創設に関わったという。

「軍人というものは、一旦命令が下れば戦うのです」「陸軍の支配下に伸びて行った日本の、偏狭な国粋主義思想は世界に通用するものではなかったけれども、日本には古来から日本独自の伝統思想風習がある。その上にアメリカ流の民主主義を無理にのっけようとすると、結局反動が来るのではないか。それを心配している。民族のものの考え方は、戦争に負けたからといって、そう一朝一夕に代わるものではない」「国民思想は科学技術より大事だよ」と武見太郎(後の日本医師会会長)に返答した。

596pxmitsumasa_yonai

米内光政

昭和天皇

Hirohito_in_dress_uniform

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月17日 (金)

今日は何の日?3月17日「ダライ・ラマがチベットから脱出した日です」この出来事を内面化させたいと思います。

今日は何の日?3月17日。

1959年、チベットからダライ・ラマ14世が脱出したのが、この日です。どんなに正当性を訴えたところで、当時の中国共産党がしたことは侵略に他なりません。チベットという隔離された場所で、独自の仏教文化を営んできたチベットを占領し、それまで住んでいたところへ大量の別人種を送り込み、結果的には現在のチベットでは独立けできないような状況にしてしまっています。本当に悲しむべき出来事です。

この出来事から学ぶべきことはたくさんありますが、その中でも、自分の素朴な心が周りに溢れた物で侵略されていないかどうかを見つめるのも大切なことのように思います。チベットの人々の尊き犠牲を自分の内面にも生かしていたいと感じています。

今日は知多の岩屋寺さんのお手伝いに来ています。チベットのことも見つめながら、チベットの人々にとって、そして日本にとって良き道がこれから示されることを深く祈ろうと思います。
Img_1161


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月16日 (木)

今日は何の日? 3月16日「アドルフ・ヒトラーが再軍備宣言」あらゆる過去の事象は内なる自分を磨く道具となる

今日は何の日?

1935年、前年に総統(首相と大統領を兼務)となり、ドイツの独裁者となったアドルフ・ヒトラーが、ヴェルサイユ条約を破棄して再軍備を宣言した日。

個人的に私はヒトラーが好きではありません。独裁に対しては深く疑念を持っています。その上で、以下の文章を書きます。誤解がないことを祈ります。

ヒトラーは、平和憲法であるワイマール憲法下で誕生した独裁者です。なぜあれほど優秀なドイツ国民が、ヒトラーのような独裁者を産んでしまったのでしょうか?

やはりそれは第一次世界大戦終了とともに敗戦国であるドイツを追い込んでしまったヴェルサイユ条約に大きな問題があったように思います。莫大な賠償金を強要され、フランスやポーランドなどに領土を割譲し、ライン河以西は非武装化とし、国際軍備監視団の受け入れ、更に骨抜きにしてしまうほどの軍事制限。左に振れれば右に振れるのは当然の出来事で、ドイツ国民はハイパーインフレで疲弊しきっていました。そこへ国を強くするぞと宣言したカリスマ的な演説者が現れたのですから、これはなにもドイツ国民でなくとも同じ方向に向かったのではないかと思います。

たとえればいじめっ子や喧嘩に強い暴れん坊をみんなで叩きのめして、その強いやつからあらゆるものをむしり取っていったようなもの。

なぜドイツがナチスによる独裁の道を選んでしまったのか?

ナチスの暴挙は論外として、ドイツを追い込んでしまった側に問題はなかったのか?ここも深く反省しなければならない気がします。

ヒトラーが再軍備化をしたこの日だからこそ、国レヴェルの出来事を象徴化し、個人レヴェルのものへと考える必要があるように思います。

私達自身が、周りをかつてのドイツのように追い込んでいないのか?
私達自身が追い込まれて反撃しようとしていないのか?

もっと極端に言うと表に顕れている自分が、内に潜在化している自分を追い込んでいないか?

今朝は祈りの中で、こうしたことを観つめようと思っています。

「あらゆる過去の事象は内なる自分を磨く道具となる」

最近特に感じていることです。

写真は、銃弾が打ち込まれたベルリンのアパートメント。
そして第二次世界大戦で亡くなった人たちへの慰霊碑。
ドイツはこうしたものも象徴として大切にしています。

自動代替テキストはありません。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月15日 (水)

今日は何の日? 3月15日「ゴルビーのソ連大統領就任」「ドイツが統一」

今日は何の日?

1990年のこの日に
ミハイル・ゴルバチョフが
ソビエト連邦初代大統領に就任した。

1991年のこの日に
ドイツ最終規定条約が発効し
ドイツが統一された。

ヨーロッパは大きなうねりの中にあった。

今、ヨーロッパは大きな変化の中にいる。
この時の変化と
今の変化とは質が異なるかもしれない。
ただ、未来を見つめて
変化していくことは悪いことではない。

国家が変化していくように
私たち人間もまた
一人ひとりが
変化せねばならないように思う。

過去や現在よりも未来が
より明るい人たちであるように。

過去や現在よりも未来が
より倫理的な人たちであるように。

過去や現在よりも未来が
より清らかであるように。

過去や現在よりも
寛容で温かな心根の人々であるように。

ひょっとすると人々の変化が
国を変えていっているのかもしれない。

この変化の時代に生きていることを
大きな気づきを得る
チャンスに恵まれていることを
大切にしたい。

画像に含まれている可能性があるもの:空、雲、屋外
自動代替テキストはありません。
自動代替テキストはありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月19日 (月)

北方領土「進展なし」でもプーチン来日が成功だった理由<=私も大いに賛成!

必見の日ロ関係の分析です。
私も大いに賛同します。

ロシアのプーチン大統領が12月15日に来日した。安倍総理との会談で、北方領土問題について具体的な進展がなかったことから、失望の声も聞かれる。しかし、もっと…
DIAMOND.JP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月20日 (日)

「隠れたものにも目を向けたいもの」アメリカ大統領選挙で日本のマスコミが発表していないものからの雑感

「隠れたものにも目を向けたいもの」

アメリカ大統領選挙
日本のマスコミが
ほとんど取り上げなかった結果があります。
それがミシガン州の結果です。

なぜかミシガン州の結果開票だけが
大幅に遅れていました。
その結果を待たずして
当選が決まっていたので
ほとんどの人が
気にしていなかったのでしょうが
自動車の街でもあるデトロイトを有する
この州の結果に私は注目していました。

選挙結果を
ネットのニュースで探してもほとんどなく
いろいろ探して
足元ともいうべきウィキに結果が載っていました。

ミシガン州もまたトランプであり
トランプ対クリントンの票数は
306対232

得票数では
60,375,691対61,047,207
で逆転していますので
稀に見る激戦のように見えますが
ミシガン州の結果を含めてみると
トランプの圧勝。

ミシガン州の結果を報告しなかったマスコミは
なんらかの意図があるのか
自分たちの予想を隠すためなのかは知りませんが
公正な報道がなされていません。

どんなことでもそうですが
目先のことで隠れてしまっているものにも
常に目を配っておきたいものです。

弘法大師は
「一隅を示す」
と論語の文章を引用して
弟子たちに
隠れたものを
自ら見つけ出すように促しています

目先のことばかりにとらわれることなく
そのために隠れてしまっていることにも
目を向けていたいものです

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2016年アメリカ合衆国大統領選挙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月24日 (火)

平和のシンボル名古屋城木造建築の意義

名古屋城ができたおかげで、名古屋城建設に携わった外様大名は徳川への戦闘を諦めました。大坂冬の陣や冬の陣は、外様ではなく名古屋城のことを知らない浪人たちばかり。江戸という長きにわたる平和の象徴が名古屋城でした。

建築物の国宝第一号であった名古屋城は戦争で灰燼に帰しました。平和のシンボルのお城が戦争によって燃えたのです。多くの市民は、それをお経を唱えながら見つめるしかなかったといいます。

そして戦後の人々はいち早く元に戻したいという思いで、燃えない鉄筋コンクリートで作り直しました。しかしその頃はコンクリート神話が跋扈する時代。コンクリートの脆さを理解しないままのものでした。

今、名古屋城の天守閣は危なくなっています。耐震をほどこしても、再び耐震工事が必要となり、結果的には木造で再建するよりも名古屋市民や愛知県民に負担をかけることになりかねません。

平和のシンボルとしての名古屋城を元の姿で再現することは、平和への深い深い祈りに他なりません。

私は強く強く名古屋城天守閣の木造再建を推します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年10月 3日 (土)

毅然とした態度が大切!

世界記憶遺産に南京虐殺と慰安婦問題を登録する動きとか。
もし通ってしまったのならば、次の一手は、それらをしっかりと偽物であると証明すればいい。第三国に調べて検証してもらえればすぐに分かること。その上で、南京虐殺や慰安婦問題を大きくでっち上げて(数字の改変など)、日本を貶めようとしたことを記憶遺産として登録することも考えても良いのではないだろうか?ここは国家を上げて予算編成して、調査隊をアメリカや欧州にお願いすることも良いのではないだろうか?
http://www.yomiuri.co.jp/world/20151001-OYT1T50106.html

正しくないものを正しいとするありかたが罷り通れば、ごネタもん勝ちのつまらない世界になってしまう。学校現場で起きているモンスターペアレンツにも繋がるもの。毅然とした態度が大切!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧