2017年4月30日 (日)

今日は何の日? 4月40日 ヒトラーが自殺した日 「暴走を止める善師と善友が大切」

今日は何の日?

テーマ「暴走を止める善師と善友が大切」

1945年4月30日のこの日、ドイツ(第三帝国)首都・ベルリンでアドルフ・ヒトラーが逝去した。

遺書をタイピングし、唯一無二の恋人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙る。愛犬ブロンディを毒殺。妻エヴァ・ブラウンと共に総統地下壕の自室に入る。エヴァ・ブラウンは服毒自殺、アドルフ・ヒトラー自身は拳銃自殺であった。

ヒトラーは対局を見失い確かに間違った。マルかバツでいえば、明らかにバツである。しかし、全てを否定するのは尚早に思える。

・第一次世界大戦で疲弊した国を再建し、米国に次ぐ世界第二の経済国にした。
・アウトバーンや鉄道などの整備
・公共事業による失業者の減少
・国民の健康のために有機野菜を推奨し国民の健康を大切にした。
・大気汚染しないように環境問題を注意した。

彼が行なった政策がドイツ国民を熱狂させるほど善きものがあったのも否めない。

ただ、暴君によくあるパターンに彼も陥ってしまった。暴走してしまった。良き政策を初期に行っていたにもかかわらず、暴君に変貌するものは少なからずいる。

・秦の始皇帝。中華を統一した英雄であった人物。
・暴君の代名詞であるローマ第五代皇帝ネロ。彼は皇帝就任してしばらくは名君の譽れが高かった。
・室町幕府第六代将軍足利義教。僧侶であったが還俗し父の三代将軍義満に習う善政を将軍就任当初は敷いていた。
・オルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクに協力して英雄とまで呼ばれたジル・ド・レ
・貧民救済をし多くの書籍を編纂した李氏朝鮮の第10代国王燕山君
・信仰心が篤かったイヴァン雷帝

繰り返すと、私はヒトラーは好きではない。ヒトラーは暴走してしまった。やはり駄目な典型だと思う。どんなに良きことから始めても暴走してしまっては意味はない。彼には善師と善友がいなかった。

ヒトラーの死について見つめ、改めて善師と善友に感謝したいと強く思う。

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2017年4月28日 (金)

今日の何の日? 4月28日 日本の主権回復 サンフランシスコ平和条約発効 「主権」

今日は何の日?

テーマ「主権」
出来事「日本の主権回復 サンフランシスコ平和条約発効」

正式名は「日本国との平和条約(Treaty of Peace with Japan、昭和27年条約第5号)

第二次世界大戦の連合国諸国と日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約。
この条約を批准した連合国は日本国の主権を承認。国際法上は多くの連合国との間の戦争終結。

しかしソ連は会議に出席したが条約に署名せず。中華民国、インドは会議に出席せず。インドネシアは議会が批准せず。その後、インドネシア、中華民国、インドと個別に講和条約を締結・批准している。

昭和26年(1951年)9月8日に全権委員によって署名され、同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名。翌年昭和27年(1952年)4月28日に発効。「昭和27年条約第5号」として公布された。

この日の前日に安倍首相とプーチン大統領が、平和条約に向けての声明を出したのはとてもとても健気大きな意義がある。あまりにも上手な日を選んだのではないだろうか。安倍政権の外交の巧みさを感じる。1日も早くロシアと平和条約を結び、日本は休戦(戦争状態を休止している)から脱し本当の意味での終戦をしたいものだ。

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2017年4月27日 (木)

今日は何の日? 4月27日 松下幸之助翁の忌日 古人の跡を求めず 古人の求むるところを求む「」

今日は何の日?

テーマ「古人の跡を求めず 古人の求むるところを求む」

平成元年(1989年)4月27日、松下幸之助王が冥土へと旅立った。昭和天皇が崩御された年のこと。一つの時代が大きく変化したと感じさせられる逝去であった。

松下翁は「経営の神様」と言われ、日本を代表する経営者。現在のパナソニック(旧松下電器グループ・ナショナルグループ)の創始者。

『人生心得帖』『商売心得帖』などの心得帖シリーズをはじめ大きの著述もある。単純な経営者ではない。深い思想に裏付けされた感覚は今も見習うところが少なくない。

ただ、それがパナソニックを苦しめてしまったのも事実。だからパナソニックは世界のパナソニックから後退してしまった。

日本の経営者を硬直させてしまったのも事実。だから日本の経営陣が皆おかしくなってしまった。

彼があまりにも偉大であったがゆえに、「水道の水のように」という戦前までの日本人が求めていたものを基盤とした考え方から、後継者たちが脱しきれなくなってしまった。

おそらく松下翁自身はそれが見えていたのであろう。だからこそPHP研究所や松下政経塾を立ち上げたのではないかと思う。

それとても今はしっかり機能しているかどうかは分からないが、すくなくとも、両者とも現代社会に大きな影響を与えているのは事実である。

個人的には若き日に『人生心得帖』を読んで、その深い思想に強く影響された。

松下王は偉大であった。それゆえに、彼の言動を真似たり、彼の言葉尻にとらわれたくはない。

彼を突き動かしていた深い思想に共鳴し、現代または未来のあり方に沿って、その思想を活かしたいものだ。

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2017年4月25日 (火)

今日は何の日? 旧暦三月二十八日 東京が首都となった日

今日は何の日?

テーマ:東京が首都となった日

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今日は旧暦3月28日。旧暦明治ニ年(1869年)3月28日のこの日、明治天皇が東京城こと江戸城に入られた。この日に東京城(江戸城)は「皇城」と呼ばれるようになり、実質的に東京に奠都(てんと)となった。

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京の都が廃され、東京に都が遷ったという公式発表はなかった。あくまでも東京を都と定めただけであり、京都を廃したものではないという曖昧な表現であった。それゆえに、遷都(せんと)ではなく奠都(てんと)、つまり都を定めるという意味の言葉を使う。

江戸末期に天皇親政を新たに執行するにあたり、古来のように遷都を行おうという意見が出た。国を大きく変えるという決意のもの、大久保利通は大阪遷都を狙った。しかし公家の反対が多く成らなかった。ところが、大阪は放っておいても寂れることはないが、江戸は德川が滅ぶと寂れる可能性があるという意見が大久保利通に報告される。大久保はじめ主要な人物たちは江戸を都にする方向で動き始めた。

明治天皇は明治元年10月13日に江戸城に入城。東京の皇居と定められ東京城と改名。一度、京都にお戻りに成られ、改めて明治二年の旧暦3月28日のこの日に東京城にお入りに成られ東京奠都となったという。

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今も東京が首都であるのはこの時の決断である。

明治は、政治の中心を徳川幕府時代の江戸という地を引き継いだ。江戸を造った徳川家康公の思いは生き続けた。京の都のように固定されているわけではなく、大名たちや旗本たちを放逐して、新たな都に作り変えやすかったからかもしれない。

ただ個人的には明治維新は良き点もたくさんあったが、暗黒面もたくさんあったと思っている。明治維新を礼賛するのはどうも憚れる。明治維新、改めて善悪を見極めて、明治で失ってしまった日本の伝統の善きものを取り返すようにしたいと願っている。

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2017年4月24日 (月)

今日は何の日? 「異なる意見を大切に」 1891年4月24日 近代ドイツ陸軍の父大モルトケが逝去する

今日は何の日?

テーマ「異なる意見を大切に」

1891年4月24日のこの日、ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラーフ・フォン・モルトケが逝去した。「大モルトケ」と呼ばれた人物である。

プロイセンの軍人で、統一ドイツをもたらしたドイツの英雄。軍制改革をおこない、「近代ド

イツ陸軍」の父と呼ばれた。

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モルトケは順調に昇進したわけではない。しかし、地図作りを偶然にも極めた為に、参謀本部で大活躍する。

政治はビスマルク、軍事はモルトケと、互いに相手を信頼した。ただし、規律正しいモルトケに反し、規律破りの多いビスマルク。二人はあまり仲の良い関係ではなかったらしい。それでも、互いの領分には口を出さず、全面的に信頼して居たという。そしてモルトケは軍部においても他者の意見を大切にした。

今の政治的指導者の中で、こうした関係である人は稀。個性の違うもの同士が、個人的には仲が良くなくとも、国を互いに守ろうとして協力すると、幅広い体制が生まれる。

だからこそプロイセンは統一ドイツを成し遂げたのではないだろうか?
第一次世界大戦や第二次世界大戦の時に、この二人のような器量の大きな人物が上に立てなかったドイツは敗戦の道を歩み苦しんでしまった。

モルトケにも色々問題はあったと思う。しかし、彼の持つ寛容性や知性を大切にしたい。

「自分と意見の異なるものの意見を大切に」これが今日のメッセージ

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2017年4月20日 (木)

今日は何の日? 4月20日 昭和天皇が最も信頼した、平和を望む海軍軍人であり政治家であった人物。「米内光政」 彼が逝去した日。

今日は何の日?

昭和天皇が最も信頼した、平和を望む海軍軍人であり政治家であった人物。「米内光政」 彼が逝去したのが、昭和23年(1948年)4月20日のこの日である。

米内は公然と、日独伊三国軍事同盟に反対した。山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長も同様であった。それを受けて、平和を望む昭和天皇は米内に組閣を命じる。昭和天皇御自らの意志であったという。しかし、陸軍が畑陸軍大臣を辞任させ、内閣はわずか半年で瓦解。米内が首相を続けていたら、昭和天皇の御意志を反映し、もっと違う結末だった可能性は高い。昭和天皇は「米内内閣だけは続けさせたかった。あの内閣がもう少し続けば戦争になることはなかったかもしれない」と側近に語られたという。

今日は、米内光政の思いを噛み締めようと思う。今にも十分通じる発言が多く、思いも深い。「日本が本当に復興するまで二百年かかる」と述べた米内の思いを受け止たい。

彼自身の、または彼について語られた言葉の中でも彼の人柄を示したものがいくつかある。

米内は海軍兵学校時代は「グズ政」と呼ばれていた。成績も中位。中位のものが大将にまでなったのは、米内が例外的な人物。学生時代から愚鈍に見えながらも大器の片鱗はあったという。

「本は三度読むべし。1回目は始めから終わりまで大急ぎで、2度目は少しゆっくり、3度目は咀嚼して味わうように読む」

「鎮海に二年、佐世保に一年、横須賀に一年というように、官舎でやもめ暮らしをしている間に読書の癖がついた。特に鎮海の閑職時代には書物を読むのが何より楽しみであった。そして、いま海軍大臣という大事な仕事をするのに、それが非常に役に立っているように思われる。人間と言うものは、いついかなる場合でも、自分の巡り合った境遇を、もっとも意義あらしめることが大切だ」と米内は部下に話したことがあるという。

長男の剛政に部下について、「器の中で自由に泳がせておけばいい。器からはみ出しそうな者がいれば頭をポカリとやる。それ以外は手も口も出さない。しかし部下を泳がせる器は自分が作るものだよ。自分の心がけ次第で広くも狭くもなる」と伝えている。

GHQの軍人が「米内提督が戦犯に指名されることは絶対にない。我々は米内提督をリスペクトしている」と語ったこともあるという。

「海軍を預かる人としては米内さんが抜群に一番でした」「包容力の極めて大きい人だ。米内さんに仕えた者は、誰でも自分が一番信頼されているように思いこむ。これが、まさに将たるものの人徳というべきであろう。山本さん(山本五十六)はよほど米内さんを信頼していたようで、『誰でも長所、短所はあるよ。しかし、あれだけ欠点がない人はいない』と言っていた」と述懐している。米内と親交のあった小泉信三は「国に大事が無ければ、人目に立たないで終わった人」と米内を評している。大西新蔵は「米内さんは、海軍という入れ物をはみ出していた大物だった」と米内が信頼していた井上成美大将は語った。

「連合国も永久に日本に軍備を撤廃させることはない。日露戦争の前のトン数を基準に海軍再建を模索すべし」「海軍には優秀な人材が数多く集まり、その伝統を引き継いできた。先輩たちがどうやってその伝統を築き上げてきたか、後世に伝えるべし」「海軍が持っていた技術を日本復興に役立てること」と海軍が解体されたときに保科善四郎軍令局長に伝えた。後に保科は間接的に海上自衛隊創設に関わったという。

「軍人というものは、一旦命令が下れば戦うのです」「陸軍の支配下に伸びて行った日本の、偏狭な国粋主義思想は世界に通用するものではなかったけれども、日本には古来から日本独自の伝統思想風習がある。その上にアメリカ流の民主主義を無理にのっけようとすると、結局反動が来るのではないか。それを心配している。民族のものの考え方は、戦争に負けたからといって、そう一朝一夕に代わるものではない」「国民思想は科学技術より大事だよ」と武見太郎(後の日本医師会会長)に返答した。

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米内光政

昭和天皇

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2017年3月17日 (金)

今日は何の日?3月17日「ダライ・ラマがチベットから脱出した日です」この出来事を内面化させたいと思います。

今日は何の日?3月17日。

1959年、チベットからダライ・ラマ14世が脱出したのが、この日です。どんなに正当性を訴えたところで、当時の中国共産党がしたことは侵略に他なりません。チベットという隔離された場所で、独自の仏教文化を営んできたチベットを占領し、それまで住んでいたところへ大量の別人種を送り込み、結果的には現在のチベットでは独立けできないような状況にしてしまっています。本当に悲しむべき出来事です。

この出来事から学ぶべきことはたくさんありますが、その中でも、自分の素朴な心が周りに溢れた物で侵略されていないかどうかを見つめるのも大切なことのように思います。チベットの人々の尊き犠牲を自分の内面にも生かしていたいと感じています。

今日は知多の岩屋寺さんのお手伝いに来ています。チベットのことも見つめながら、チベットの人々にとって、そして日本にとって良き道がこれから示されることを深く祈ろうと思います。
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2017年3月16日 (木)

今日は何の日? 3月16日「アドルフ・ヒトラーが再軍備宣言」あらゆる過去の事象は内なる自分を磨く道具となる

今日は何の日?

1935年、前年に総統(首相と大統領を兼務)となり、ドイツの独裁者となったアドルフ・ヒトラーが、ヴェルサイユ条約を破棄して再軍備を宣言した日。

個人的に私はヒトラーが好きではありません。独裁に対しては深く疑念を持っています。その上で、以下の文章を書きます。誤解がないことを祈ります。

ヒトラーは、平和憲法であるワイマール憲法下で誕生した独裁者です。なぜあれほど優秀なドイツ国民が、ヒトラーのような独裁者を産んでしまったのでしょうか?

やはりそれは第一次世界大戦終了とともに敗戦国であるドイツを追い込んでしまったヴェルサイユ条約に大きな問題があったように思います。莫大な賠償金を強要され、フランスやポーランドなどに領土を割譲し、ライン河以西は非武装化とし、国際軍備監視団の受け入れ、更に骨抜きにしてしまうほどの軍事制限。左に振れれば右に振れるのは当然の出来事で、ドイツ国民はハイパーインフレで疲弊しきっていました。そこへ国を強くするぞと宣言したカリスマ的な演説者が現れたのですから、これはなにもドイツ国民でなくとも同じ方向に向かったのではないかと思います。

たとえればいじめっ子や喧嘩に強い暴れん坊をみんなで叩きのめして、その強いやつからあらゆるものをむしり取っていったようなもの。

なぜドイツがナチスによる独裁の道を選んでしまったのか?

ナチスの暴挙は論外として、ドイツを追い込んでしまった側に問題はなかったのか?ここも深く反省しなければならない気がします。

ヒトラーが再軍備化をしたこの日だからこそ、国レヴェルの出来事を象徴化し、個人レヴェルのものへと考える必要があるように思います。

私達自身が、周りをかつてのドイツのように追い込んでいないのか?
私達自身が追い込まれて反撃しようとしていないのか?

もっと極端に言うと表に顕れている自分が、内に潜在化している自分を追い込んでいないか?

今朝は祈りの中で、こうしたことを観つめようと思っています。

「あらゆる過去の事象は内なる自分を磨く道具となる」

最近特に感じていることです。

写真は、銃弾が打ち込まれたベルリンのアパートメント。
そして第二次世界大戦で亡くなった人たちへの慰霊碑。
ドイツはこうしたものも象徴として大切にしています。

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2017年3月15日 (水)

今日は何の日? 3月15日「ゴルビーのソ連大統領就任」「ドイツが統一」

今日は何の日?

1990年のこの日に
ミハイル・ゴルバチョフが
ソビエト連邦初代大統領に就任した。

1991年のこの日に
ドイツ最終規定条約が発効し
ドイツが統一された。

ヨーロッパは大きなうねりの中にあった。

今、ヨーロッパは大きな変化の中にいる。
この時の変化と
今の変化とは質が異なるかもしれない。
ただ、未来を見つめて
変化していくことは悪いことではない。

国家が変化していくように
私たち人間もまた
一人ひとりが
変化せねばならないように思う。

過去や現在よりも未来が
より明るい人たちであるように。

過去や現在よりも未来が
より倫理的な人たちであるように。

過去や現在よりも未来が
より清らかであるように。

過去や現在よりも
寛容で温かな心根の人々であるように。

ひょっとすると人々の変化が
国を変えていっているのかもしれない。

この変化の時代に生きていることを
大きな気づきを得る
チャンスに恵まれていることを
大切にしたい。

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2016年12月19日 (月)

北方領土「進展なし」でもプーチン来日が成功だった理由<=私も大いに賛成!

必見の日ロ関係の分析です。
私も大いに賛同します。

ロシアのプーチン大統領が12月15日に来日した。安倍総理との会談で、北方領土問題について具体的な進展がなかったことから、失望の声も聞かれる。しかし、もっと…
DIAMOND.JP

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