2017年7月12日 (水)

今日(7月12日)は何の日? 鈴木大拙(すずきだいせつ)の忌日 「日本的霊性ZENを世界に広めた居士」

今日(7月12日)は何の日?
鈴木大拙(すずきだいせつ)の忌日
「日本的霊性ZENを世界に広めた居士」

昭和41年(1966年)7月12日、満95歳、鈴木大拙居士が逝去した。日本の禅を世界に知らしめた大功労者である。

Daisetsu_teitar_suzuki_photographed

彼は出家者ではない。しかし、学生時代から鎌倉円覚寺の今北洪川や、その跡を継いだ釈宗演に参禅していた。今北洪川は在家仏教を称揚した禅僧であり、釈宗演は「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた初めての僧侶であった
鈴木は本名を貞太郎という。釈宗演は今北洪川の師である京都の相国寺の大拙承演と同じ名を貞太郎に授けた。鈴木は、本名よりも居士号である鈴木大拙として有名になっていく。。今北洪川は元々は江戸時代末期に私塾を開いていた在家者であったが『禅門宝訓』を読んで出家への思いを立ち難くなり、妻子を捨てて出家した人物である。その彼は在家仏教を大切にし、強く影響を受け今北洪川の師匠の名を得た鈴木大拙が出家することなく在家居士として活躍することになったのは面白い。

8f801c9218cf275999f08d929061e414

鈴木は釈宗演に選ばれ渡米し、日本仏教の思想の中核をなす如来蔵の重要な典籍『大乗起信論』を英語訳して出版。『大乗仏教概論』など数多くの著述を英語でなし禅をアメリカに伝えた。帰国後は円覚寺に住み、学習院で英語を教えるようになる。釈宗演の下に出入りしていた神秘主義思想の神智学徒のベアトリス・レインと知己を得て結婚。彼女の力を得て日本仏教を英語に直し、大谷大学教授となり京都へ移住。英語で大谷大学より博士号を取得した。ベアトリスの影響で神秘学にも興味を示していた。だからこそ「霊性」という言葉を彼は多用したのかもしれない。「霊性」で臨済禅や浄土を理解しようとした稀有な存在でもあった。妻が先立ってからも積極的に海外に出かけZENを布教して回る。

Resize_image

彼が居なければ欧米にこれほどZENが有名になることはなかったであろう。また禅にともなう日本文化も彼を通して世界に広まったと言っても過言ではない。
日本仏教の居士として世界を駆け巡り日本仏教、特にZENを広めた功績は多大である。世界規模で見たら、二十世紀最大の仏教徒の一人に挙げられるのではないだろうか?

Photo

今日は鈴木大拙の本を読んで、日本的霊性を見つめてみようと思う。そして彼の師匠である今北洪川と釈宗演を見つめてみたい。ここに今の僧侶の進むべき道のヒントがあるように思えてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 9日 (日)

今日(7月9日)は何の日? 森鷗外(本名:森林太郎)の忌日 「マルチな活躍をした文豪でもあった軍医」

今日(7月9日)は何の日?
森鷗外(本名:森林太郎)の忌日
「マルチな活躍をした文豪でもあった軍医」

大正11年(1922年)7月9日、文豪で軍医でもあった森鷗外は、親族・賀古鶴所(親友の軍医・歌人)らが付きそう中、腎萎縮・肺結核のために満60歳で逝去した。

Mig_1

森鷗外は、夏目漱石と並ぶ、明治から大正にかけて活躍した文豪として有名。
作品として主なものは
小説としては『舞姫』『うたかたの記』『ヰタ・セクスアリス』『雁』『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』『佐橋甚五郎』『大塩平八郎』『堺事件』『山椒大夫』『最後の一句』『高瀬舟』『寒山拾得』
翻訳としては、『於母影』、アンデルセンの『即興詩人』、ゲーテの『ファウスト』、オスカー・ワイルドの『サロメ』
史書としては『渋江抽斎』『伊澤蘭軒』『帝諡考』
戯曲としては『生田川』
詩歌・作詞としては『うた日記』『横浜市歌』『浜松市歌(現在は廃止)』
その他、表現・随筆・日記がある。

Ojii_1thumb250x3531846

しかし、森鷗外は公式には医師であった。15歳で第一大学区医学校予科(東京大学医学部)に入学し19歳で卒業している。しかも、軍医として勤め、ドイツへの留学も軍医としてのものであった。陸軍大学の教官や東京美術学校の専修科の美術解剖学講師も勤め29歳で医学博士。日露戦争にも参戦し、戦後はロシア赤十字社員の護送に尽力。47歳で文学博士号が授与された。最終的には最高位であった陸軍省医務局長・軍医総監(陸軍中将相当)として八年あまり勤めている。勲章も何度が受けており、勲一等瑞宝章・勲一等旭日大綬章・大礼記念章も受けている。
54歳で予備役に編入後は帝室博物館総長に就任し高等官一等になり、帝国美術院の初代院長に就任。- 臨時国語調査会長にもなった。

多義に渡る文学作品だけではなく、社会的な分野でも活躍しており、まさにマルチな人であった。また女性蔑視観があまりなく、与謝野晶子や平塚たいてうなどをも高く評価したという。酒嫌いの甘党であったことも有名である。お酒を飲まなかったからこそ、あれだけの作品を生み出せたのかもしれない。

Ougai_mori_october_22_1911

面白いところでは、明治と大正の元号には違和感を感じており、その意向を受けた漢学者吉田増蔵に元号研究の『帝諡考』の後事をたくし、吉田が「昭和」を元老院にの元号を考案勘申した。また吉田は、今上天皇の諱「明仁親王」など皇族の多くの御名を考案したという。これも鷗外の影響が強かったのかもしれない。

鷗外のマルチぶりには舌を巻く。逆にいうと人はこれだけの仕事ができるのだと勇気づけられる。怠惰な気持ちになったときこそ鷗外を思い出したい。

今日は鷗外を読もう。

270pxmori_ogai_tomb

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 8日 (土)

今日(7月8日)は何の日? ヴィヴィアン・リーの50周年忌 「風と共に去りぬのスカーレット・オハラ 絶世の美女は実は演技派だった」

今日(7月8日)は何の日?
ヴィヴィアン・リーの50周年忌
「風と共に去りぬのスカーレット・オハラ 絶世の美女は実は演技派だった」

1967年7月8日、女優ヴィヴィアン・リーが肺結核のために自宅で逝去した。享年満53歳。死の直前まで舞台に立ち続けた女優である。私生活は浮き沈みの激しいものではあったが、彼女は最後まで女優であった。

97344

彼女はアカデミー主演女優賞を二度受賞している。1939年『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラと、1951年『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ。どちらもその美しさに息を呑むほど。ただ彼女の美しさは形式美ではなく、その表情にあったように思う。50歳の時には舞台でトニー賞をも受賞しているほどの演技派でもあった。いやむしろ演技こそ彼女だったように思う。

彼女の美貌は多くの人を惹きつけた。多くの人はそれに惑わされた。しかし、彼女をよく知るひとたちは口をそろえていった。「彼女(リー)を女優として正当に評価すべきだ。彼女が持つあまりの美しさのせいで批評家たちの判断はすっかり歪められてしまっている」彼女の最大の相手であったローレンス・オリビエの言葉である。

T02200272_0596073712020221028

特にスカーレット・オハラは彼女なしでは語れない。

『風と共に去りぬ』は原作のマーガレット・ミッチェル自身が、レッドバトラーをクラーク・ゲーブルをイメージして書いたと言われているが、スカーレット・オハラに関してはまったく違う構想であった。原作の原文を記すと「“Scarlet O'Hara was not beautiful, (中略)In her face were too sharply blended the delicate features of her mother,(中略).But it was an arresting face, pointed of chin, square of jaw. Her eyes were pale green without a touch of hazel, starred with bristly black lashes and slightly tilted at the ends.」しかし、ヴィヴィアン・リーは美しすぎた。そのためにマーガレットはヴィヴィアンが主演することに反対したという。しかし、監督たちの目は正しかった。美しさが引き立ってはいるが、それ以上に演技が素晴らしかった。

ヴィヴィアンもクラークもそれだけ凄みがあり存在感が際立っていた。

「After all, tomorrow is another day」「明日は明日の風が吹くわ」
ヴィヴィアンから出たあのセリフは世界中の人を惹きつけた。

個人的には小学校5年生のときに、又従姉と共に大阪の映画館でこの映画を初めて観た。リバイバル上映だったが、かなりの人数が入っていたことを覚えている。そして私は彼女にすっかり魅了されてしまった。それから本も手に入れた。高校生の時は英語版の本も入手した。原作のスカーレットよりも映画のヴィヴィアンのスカーレットのほうが輝いている珍しい例だった。もちろんビデオもDVDも持っている。繰り返し繰り返し観ている映画の一つだ。

Vivien_leigh_1958

彼女の誕生日は1913年11月5日である。私はこの日を諳んじている。なぜか?ヴィヴィアン・リーが生まれてから50年後、8日遅きが私の誕生日だからである。勝手な思い込みで彼女に入れ込んだ。彼女を通じてローレンス・オリビエを知り、彼の作品も数多く観た。

私にとって今も、もっとも好きな女優はまちがいなくこのヴィヴィアアン・リーである。

Cfkghm_ueaanfxd

2017年7月8日の今日は、ヴィヴィアンが逝去して50周年。彼女の逝去した年齢は53歳。今の自分と同じ。残り八日で彼女が逝去した瞬間と同じポイントに立つことになる。

これから一週間の間に『風と共に去りぬ』『欲望という名の電車』の二本のDVD映画を観て、本堂で祈ろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月30日 (金)

今日(6月30日)は何の日? 時代小説家柴田錬三郎の忌日 「読んでもらうこと 売れることを第一とした時代劇作家」

今日(6月30日)は何の日?
時代小説家柴田錬三郎の忌日
「読んでもらうこと 売れることを第一とした時代劇作家」

C70eg92vuaiyj5a

昭和53年(1978年)6月30日、柴田錬三郎が逝去した。享年61歳。彼は文化人タレントでもあり、マスメディアにもよく顔を出した。「3時のあなた」(フジテレビ)や「ほんものは誰だ?!」(日本テレビ)などの出演がそれである。エッセイも多数発表した。彼は作家として、まずは作品を読んでもらうことが第一であることをよく知っていた。その姿勢がよく現れているのが、芥川賞と直木賞のことである。『イエスの裔』が芥川賞と直木賞の両方の候補となったとき天秤にかけて直木賞選んだことである。純小説の芥川賞か、大衆小説の直木賞かと問われれば、多くの作家は芥川賞を選ぶであろう。それは作家としての腕の誉れであるからだ。しかし、柴田はより多くの人に広がるように大衆小説である直木賞を選んだ。そして時代小説を続々と発表し、剣豪ブームを巻き起こした。彼は剣豪作家といわれるようになる。

著名な作品を上げると『眠狂四郎シリーズ』『真説河内山宗俊』『猿飛佐助』『柳生但馬守』『清河八郎』『われら九人の戦鬼』『岡っ引どぶ 柴錬捕物帖』『真田十勇士』『御家人斬九郎』『堀部安兵衛』『おらんだ左近事件帖』『三国志英雄ここにあり』その他多数である。TVシリーズでおなじみの作品も少なくない。

Renzaburo_shibata

作家として多彩な活動をした人でもある。「文壇野良犬会」がその一つである。会長は今東光氏、副会長は柴田錬三郎氏、他は黒岩重吾、田中小実昌、野坂昭如、戸川昌子、藤本義一、井上ひさし、梶山季之。この自由気ままな集まりの発会式には、実は柴田は欠席しているが、今東光と柴田はかなり精力的に世の矛盾に正面からぶつかっていった。

柴田は面白い人物である。作家の中でも、純粋に文学を追うのではなく、その作品を数多くの人に読んでもらうことを大切にした。案外無視されがちだが、この柴田の視点は、またとても大切なものである。

974a51ac83085772cbdc3903b47fefcc

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月23日 (金)

今日(6月23日)は何の日? 作家壺井栄の忌日 「『二十四の瞳』が一世を風靡した児童作家」

今日(6月23日)は何の日?
作家壺井栄の忌日
「『二十四の瞳』が一世を風靡した児童作家」

昭和42年(1967年)6月23日、小説家の壺井栄が逝去した。享年満67歳。

Sakae_tsuboi_02

彼女は香川県小豆島に生まれる。文学的な素養が特別にあったわけではない。内海高等小学校が最終学歴である。苦労に苦労を重ね、出稼ぎに出ている兄から『少年』『少女』のような雑誌を読むだけであった。隣村出身の詩人の壺井繁治と結婚。夫の影響で林芙美子、平林たい子、佐多稲子、宮本百合子ら女流作家と交友をもつようになり、見よう見まねで作品を書き始めた。アナキストでありプロレタリア作家の詩人であった夫が何度も逮捕され苦労を重ねるが、その一方で彼女の作品が認められるようになる。そこにはプロレタリア作家であった佐多稲子が、栄にプロレタリア文学ではなく、児童文学を勧めたことが大きく影響している。戦前には新潮賞を、戦争が終わり次々と作品を発表し児童文学賞・芸術選奨文部大臣賞・・女流文学者賞なども受賞する。

A98b1120712ae2558c294773114e59b339

特に昭和27年(1952年)に発表された木下惠介監督『二十四の瞳』は、高峰秀子により主演される映画となり全国的に一般にも知られていく。地元の小豆島が舞台であったが、実は小説の中では「瀬戸内海べりの一寒村」とされるのみで小豆島とはどこにも書かれていない。

Img_16

喘息を患い、夫に先立ち中野熊谷病院で逝去した。

個人的には彼女の夫や彼女の周りのプロレタリア文学にはあまり共鳴できないが、高等小学校のみの教育で日本文学史上でもかなり有名な部類に入る児童文学を作ったことには敬意を評したい。今日は彼女の作品を読んでみようと思う。

Tsuboi_sakae_and_shigeji

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月27日 (木)

今日は何の日? 4月27日 松下幸之助翁の忌日 古人の跡を求めず 古人の求むるところを求む「」

今日は何の日?

テーマ「古人の跡を求めず 古人の求むるところを求む」

平成元年(1989年)4月27日、松下幸之助王が冥土へと旅立った。昭和天皇が崩御された年のこと。一つの時代が大きく変化したと感じさせられる逝去であった。

松下翁は「経営の神様」と言われ、日本を代表する経営者。現在のパナソニック(旧松下電器グループ・ナショナルグループ)の創始者。

『人生心得帖』『商売心得帖』などの心得帖シリーズをはじめ大きの著述もある。単純な経営者ではない。深い思想に裏付けされた感覚は今も見習うところが少なくない。

ただ、それがパナソニックを苦しめてしまったのも事実。だからパナソニックは世界のパナソニックから後退してしまった。

日本の経営者を硬直させてしまったのも事実。だから日本の経営陣が皆おかしくなってしまった。

彼があまりにも偉大であったがゆえに、「水道の水のように」という戦前までの日本人が求めていたものを基盤とした考え方から、後継者たちが脱しきれなくなってしまった。

おそらく松下翁自身はそれが見えていたのであろう。だからこそPHP研究所や松下政経塾を立ち上げたのではないかと思う。

それとても今はしっかり機能しているかどうかは分からないが、すくなくとも、両者とも現代社会に大きな影響を与えているのは事実である。

個人的には若き日に『人生心得帖』を読んで、その深い思想に強く影響された。

松下王は偉大であった。それゆえに、彼の言動を真似たり、彼の言葉尻にとらわれたくはない。

彼を突き動かしていた深い思想に共鳴し、現代または未来のあり方に沿って、その思想を活かしたいものだ。

画像に含まれている可能性があるもの:1人、眼鏡
画像に含まれている可能性があるもの:植物
画像に含まれている可能性があるもの:1人、眼鏡
画像に含まれている可能性があるもの:1人、座ってる、眼鏡、室内

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年7月23日 (水)

アニオタ和尚推薦『アオハライド』。女子学生の視点の青春モノ。 #aoha_movie #aoha_anime

アニオタ和尚のつぶやき『アオハライド』。

http://aoha-anime.com/
女子学生の視点で見た甘酸っぱい青春モノ。原作にはなかったアニメならではの、なかなか見事な心理描写もあります。賛否両論はあるようですが、累計600万部は伊達でありません。学ぶべきことは多々ありです。
アオハライドとは「青春(あおは)」と訓じて、rideは英語で、作者の造語のようです。
スト-リー:中学時代に「猫をかぶっている」とイジメられ一人ぼっちになってしまった主人公吉岡双葉が、誰も知らない高校に進学し、そこでは今までとは全く違った少しがさつな女子高生を演じていました。ところが、幼なじみと出会い、またかつての自分と同じような同級生を見つめて本音を爆発。表面的な付き合いをしてきた友達と別れ、本気で生きていこうと決意して展開する学園モノです。女子高校生の心理を巧みに描いた作品で、ゆったりとした流れはドンパチよりも心落ち着きます。
コミックの販売が累計600万部という漫画が元になったアニメです。2011年から『別冊マーガレット』に連載中。作者咲坂伊緒さんは映画にもなった『ストロボ・エッジ』の原作者。こちらは累計400万部とか。
映画化も決定し、年末に公開されるそうです。
アオハライド - Facebook もあるようです。
https://www.facebook.com/aoharide.movie

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年7月19日 (土)

お勧めの一冊:『史上最強 般若心経入門』

お勧めの一冊:『史上最強 般若心経入門』(ナツメ社:頼富本宏編著 下泉全暁・那須真裕美著)

イラスト入りで一見すると一般向けのように見えますが、仏教に詳しい人にも読み応え十分ありです。坊さんの法話のネタ本にもなります。一冊持っていても損はないと思います。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/481635302X?adid=0WFWGSE9ZFTQ1A40VG6Y&camp=243&creative=1615&creativeASIN=481635302X&linkCode=as1&tag=prpmenade-22

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年7月17日 (木)

遊歩和尚のつぶやき「桂文珍さんの歴史人物評は、とても学ぶところが多く、面白い ただし二十年前のもの」

二十年ほど前に桂文珍さんが『日本歴史人物講座 フムフムなるほど人間がわかる』(PHP)を書かれていました。たまたまそれを手に入れ、読んでみました。紋切り型の内容も少なくありませんが、一人ひとりの人物を、短い言葉で表現するその能力には頭が下がります。私自身も歴史物を扱うことが少なくないので、文珍さんの表現の仕方を学ばねばならないと感じます。

具体例をしめすと

織田信長は「運のええ人やった」・・・本能寺の変で急死した彼をこう述べるのも、おもしろい視点です。

武田信玄は「優しすぎると、部下と女性にはモテるが、創業者にはなれない」。豪傑のイメージが強い信玄を心優しき人であったとするのは、大河ドラマの中井貴一さんのイメージが手助けしたのか、これも面白い視点です。

そのほか、平清盛、北条政子、坂本龍馬、お市の方、豊臣秀吉、北政所、徳川家康。淀君、源義経、伊達政宗、春日局、前田利家、平賀源内、勝海舟、西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作、足利尊氏、楠木正成、聖徳太子、菅原道真、斎藤道三、北条早雲、毛利元就、明智光秀、千利休、石田三成、加藤清正、真田幸村、竹中半兵衛、大石内蔵助 を扱っています。
一読をお勧め。

Kindle版は以下から入手可能。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00799P5N2?adid=01JVH9NEHFF32NMR3A5F&camp=243&creative=1615&creativeASIN=B00799P5N2&linkCode=as1&tag=prpmenade-22

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年7月10日 (木)

遊歩和尚のつぶやき「魯迅の『狂人日記』、狂人の言葉は本当に狂人だったのか?」

世間の人々は過去から食人種であったという妄想に取りつかれた狂人の日記をモチーフにした、魯迅の『狂人日記』を読み終わりました。短い小説なので、短時間で読めます。
一人の狂人が、 周りの者達が食人種であるという妄想に取りつかれ、 その視点で描かれたものです。

単純に狂人の戯言と言ってしまえばそれまでなのですが、 人を喰うというテーマに、列強が当時の中国を喰っていたことが 透けて見えてきます。

魯迅が示そうとしたもの、 他の書物は読みかけなので まだ全体までは見えていないかもしれませんが かなり強烈でした。

そして現代も大国が他国を食べようとしている。 大国でなくても、 相手の弱いところを 野生の凶獣のごとく噛み付いて食い殺し 自分が生きようとしている国があります。

国でなくても、会社間でもそうでしょうし 組織内でもそうです。 最近のいろいろな事件は まさに食人種とかわりないようにさえ感じました。 身の回りでも他者を食い殺し 生き続けようとしている人たちは少なくありません。 自分たちが生き残るためとはいえ、 悲しい事実です。

生存本能だけで食欲と性欲に支配されるような 異生羝羊心(いしょうていようしん) その心に支配されないようにしたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧