1967年7月8日、女優ヴィヴィアン・リーが肺結核のために自宅で逝去した。享年満53歳。死の直前まで舞台に立ち続けた女優である。私生活は浮き沈みの激しいものではあったが、彼女は最後まで女優であった。
彼女はアカデミー主演女優賞を二度受賞している。1939年『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラと、1951年『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ。どちらもその美しさに息を呑むほど。ただ彼女の美しさは形式美ではなく、その表情にあったように思う。50歳の時には舞台でトニー賞をも受賞しているほどの演技派でもあった。いやむしろ演技こそ彼女だったように思う。
彼女の美貌は多くの人を惹きつけた。多くの人はそれに惑わされた。しかし、彼女をよく知るひとたちは口をそろえていった。「彼女(リー)を女優として正当に評価すべきだ。彼女が持つあまりの美しさのせいで批評家たちの判断はすっかり歪められてしまっている」彼女の最大の相手であったローレンス・オリビエの言葉である。
特にスカーレット・オハラは彼女なしでは語れない。
『風と共に去りぬ』は原作のマーガレット・ミッチェル自身が、レッドバトラーをクラーク・ゲーブルをイメージして書いたと言われているが、スカーレット・オハラに関してはまったく違う構想であった。原作の原文を記すと「“Scarlet O'Hara was not beautiful, (中略)In her face were too sharply blended the delicate features of her mother,(中略).But it was an arresting face, pointed of chin, square of jaw. Her eyes were pale green without a touch of hazel, starred with bristly black lashes and slightly tilted at the ends.」しかし、ヴィヴィアン・リーは美しすぎた。そのためにマーガレットはヴィヴィアンが主演することに反対したという。しかし、監督たちの目は正しかった。美しさが引き立ってはいるが、それ以上に演技が素晴らしかった。
ヴィヴィアンもクラークもそれだけ凄みがあり存在感が際立っていた。
「After all, tomorrow is another day」「明日は明日の風が吹くわ」
ヴィヴィアンから出たあのセリフは世界中の人を惹きつけた。
個人的には小学校5年生のときに、又従姉と共に大阪の映画館でこの映画を初めて観た。リバイバル上映だったが、かなりの人数が入っていたことを覚えている。そして私は彼女にすっかり魅了されてしまった。それから本も手に入れた。高校生の時は英語版の本も入手した。原作のスカーレットよりも映画のヴィヴィアンのスカーレットのほうが輝いている珍しい例だった。もちろんビデオもDVDも持っている。繰り返し繰り返し観ている映画の一つだ。
彼女の誕生日は1913年11月5日である。私はこの日を諳んじている。なぜか?ヴィヴィアン・リーが生まれてから50年後、8日遅きが私の誕生日だからである。勝手な思い込みで彼女に入れ込んだ。彼女を通じてローレンス・オリビエを知り、彼の作品も数多く観た。
私にとって今も、もっとも好きな女優はまちがいなくこのヴィヴィアアン・リーである。
2017年7月8日の今日は、ヴィヴィアンが逝去して50周年。彼女の逝去した年齢は53歳。今の自分と同じ。残り八日で彼女が逝去した瞬間と同じポイントに立つことになる。
これから一週間の間に『風と共に去りぬ』『欲望という名の電車』の二本のDVD映画を観て、本堂で祈ろうと思う。
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