2020年4月16日 (木)

まさか!北極圏のオゾンホールが過去最大級に。ヨーロッパ主要国全体ほどの大きさに

ショック!#北極圏 の #オゾンホール が最大級?五月くらいが一番破壊されやすいので、もうしばらく経過を見ないといけないが・・・。

コロナ禍の影響で南極域の #オゾン層 が回復しているというニュースが有ったばかりなのに、今度は全く逆の北極圏のホールが過去最大とか。

160万平方キロというので1000km✕1600kmの大きさ。


国の面積で言うと
デンマーク本土・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・フランス・スイス・ドイツ・オーストリア・ハンガリー・チェコ・スロバキア・ポーランド
の各国を合わせるとおよそ160万強平方kmとなるので、ヨーロッパ主要国の大きさの穴があるということ。


南極のものに比べれば圧倒的に小さいが、それでも無視できない大きさ。

今後の推移を注視していたい。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35152487.html

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2020年4月15日 (水)

敵を作らなければ自分を保てない人はこの世で輪廻する

「神仏と共にあるのか、見せかけよく生きるのか?
 正々堂々と生きる高家寺の檀信徒のあり方にホッとする」
(長文注意)
 
コロナ禍の情報を収集している中で、ネット出演している方々を見ての雑感。
特に左傾している方々に、もしくは右翼を演じている方々に見受けられること。
 
誰か敵を作らなければやっていけない人が多いのではないだろうか。
その敵を攻撃するために周りに声を掛けている。
声を掛けられた人の大半は自分で物事をあまり考えない。そういう人たちに自分に都合の悪い情報の大半を隠し、敵にとって都合の悪い情報を、時には捻じ曲げて周りに伝える。
そうやって歪な情報を共有して仲間づくりをしていく。
 
自分にとって都合の悪い情報が入ると、時には感情的になり、時には悲劇のヒーローやヒロインを演じ、時には情報を捻じ曲げる。
 
しかし、時を経ていくうちに仲間と思っていた人はは消え去っていく。
 
仲間が消え去ると、そういうひとはまた別の場所に移る。そこでも同じことを繰り返し、また場所を去って同じことを繰り返す。
 
短い期間で自分を中心とした仲間づくりをしている人、他者の噂話をやたらする人、やたらと秘密を共有しようとする人。話題をよく変えようとする人。こういう人に敵を仕立てる人が多い。
 
 
これは人ばかりでなく組織にも国にも言える。
 
 
どこかの国(組織)を敵視してマスコミを煽る。敵視している国の歪んだ情報を他の国に流し、自国に都合の悪い情報の大半は隠す。
 
自国に都合の悪い情報が入ると感情的になり、時には悲惨な過去があったことをやたらと強調し、話題を変える。
 
しかし、そうした国は他国から敬遠されていき、いつのまにかその国の政権が全く異なるものとなっていく。変わった政権はまた同じことを繰り返す。
 
 
人も国も、何故に敵を造ろうとするのか?
何故に、他を貶めようとするのか?
 
単純な心理かもしれない。
他者を貶めることで、自分の地位を相対的に高めようとするから。
ただそれだけなのではないだろうか。
薄っぺらい生き方は悲しい。
 
自分の見せかけを良くするために他者との比較をするのは筋違い。他者との比較で大切なのは、自分のを磨くときのみ。
 
正々堂々とまっすぐ道を歩むことのほうが楽(らく)であり、楽しい。
 
国も組織も個人も、
自らの幅を広げ、
自らを深く掘り下げ、
高潔にあることを
意識していたほうが、
自分のためにもなり
他者のためにもなる。
 
 
宗教心の問題がここにも現れているのかも知れない。
 
国家にしろ組織にしろ個人にしろ、隣や後ろに神仏が居る、神仏に包まれて生きている、神仏が自心にいることをなんとなく感じていられることは幸いである。
もちろん、そういう国家や組織や人は、誤解をされやすい。ただ存続するためだけに薄っぺらく存続している国や組織や個人に敵視されやすい。
それは、欲を超えた世界で生きており、不思議な出来事が日常茶飯事であるから、時には常識から外れているから、欲にまみれた生き方をしている人には理解できない。
本当は神仏とともに生きるほうが楽であり楽しい。正々堂々と生きられる。
 
うちのお寺の檀信徒には感謝したい。長いお付き合いが多い。ヒエラルキーを作ろうとせず、他者を貶めることもない。その方々のためにも、私個人もお寺そのものも、自らの幅を広げ、自らを深く掘り下げ、高潔にあるようにしたい。
 
※写真は人の運命(さだめ)を解き明かす星曼荼羅

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2020年2月25日 (火)

対処だけでなく根本原因を見つめる視点が大切:ある北欧の医師の本を読んで感じたこと

ある北欧のお医者様の本を読んで感じたこと。
彼が夫婦でアフリカの貧村に赴き強く感じたのは、目の前の患者への対処ではなく、もっと広い範囲の #公衆衛生 こそが重要であること。
「目の前の患者を治すことこそが医者の使命だ」と強く同僚に叱られたそうだが、公衆衛生に対する考えは変わらなかった。
目の前の患者の治療だけでは、患者の数が減っていかない。その無力感から、より広範囲に目を向けた結果、そもそも病にならない環境を指導していくことこそが、患者の数を減らすことではないかと気づいた。
そこから彼は公衆衛生に尽力し、見事に結果を出し、世界的にも有数な公衆衛生の権威となっていった。
この考え方は、実は公衆衛生にとどまらない。
病も、目の前の病に薬だけで対応するのではなく、普段の食事や呼吸も大切であるのは当然のこと。しかし、人はなかなかそれを事実として受けいれ実行しきれていない。もちろん今苦しんでいることに対応することはないがしろにされてはいけないのも事実だが、より大きな視点も重要。
犯罪も同じで、目の前の犯罪の取り締まりだけではなく、犯罪が起きにくい仕組みを作ること、そこがポイント。小さな例を出すと、スピード違反を取り締まるのではなく、スピード違反をしにくい仕組みこそが重要。そもそも制限速度があるのに、それを遥かに超えるスピードの出る車があり、それを売りにしていることが問題。
政治にも、経済にも、宗教にもいえる。目の前のことは大切で、それに対処することも重要。しかし、個別にではなく、目に見えないもっと広い範囲のことも意識においておかねばならないことが多いのも事実。
こうした視点を忘れないでいたい。

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2019年9月 7日 (土)

他者と何が違うのか? ある田舎真言坊主の独白

他者と何が違うのか?


少し、自問した。


すると、高校時代に大きな転機があったことが分かった。

父が単身赴任海外出張していたバンコクを訪ね、貧民街を伯父と二人で歩いてから人生観が変わった。

それまでは全くの理系で、人を相手にすることが苦手だった。ところが、その貧民街を歩いて、自分の持つ視野の狭さに躓いた。心の奥底に眠っていた自分が目覚めてしまった。

そんな時、本を読む機会が増えた。和訳だがギリシア古典を読むようになり、ついには哲学書に手を出してしまう。ハイデガーだった。さっぱり分からなかったが、読破して喜びを感じる。

そこから、キェルケゴールや、ショーペンハウエルなどの実存系の哲学書にはまっていく。しかし、読めば読むほど、奥底の声が違うと叫んだ。

聖書を読み始めた。旧約から新約を読み始めふた回り読破した時、ヨブ記の特異性に惹かれていった。

そんなある日、本屋でカール・ヒルティを知る。嵌ってしまった。法律学者であり政治家であった彼の根幹は聖書であった。『キリストにならいて』を彼を通して知り、愛読書とした。今思うと恥ずかしながら、パン屋で種無しのパンを焼いてもらい、ワインを買ってきて、一人でイエスを想い、食をしたことも数度ある。

それから、本だけではなく、宗教関連施設を訪ね、僧侶や神父、牧師を訪ねていくようになった。

その途中で、京都国立博物館で初めて曼荼羅(伝真言院曼荼羅と高雄曼荼羅)を見て、時間を失った。一時間、経っていたが私には1分も感じていない状況だった。

弘法大師への思いが募り、高野山に登ってしまう。


私の基本は、この頃にあった。乱読とは言え、多くの西洋古典や西洋哲学書を読んだ。ヒルティの影響が強く、カントやギリシア古典を多読した。聖書を何度も読んだ(通読はニ回)。その時の読書が、その後の密教理解にとても役立った。むしろ、密教を理解するための訓練を、カントやギリシア古典・聖書を通しておこなっていた。これも今思えば、私という自我を形成するために必要な過程であったと思う。

咀嚼する牙は西洋哲学やギリシア古典・聖書によって磨かれていた。


ヒルティを久しぶりに手に取った。岩波の『幸福論』は五冊は買っている。それくらいボロボロになるまで読んだ。書き込みもした。彼の全集も手に入れ、『幸福論』はドイツまで行ってドイツ語まで手に入れ、気になる単語の元の単語を調べるようにもなっていた。そして、いつのまにか、密教という牙でヒルティを読むようになっていた。


このところ、お寺の住職として、流れに流されている感が少なからずあった。

久しぶりのヒルティはそれを元に戻してくれた。


あの時の、心の奥底からの情熱を改めて見つめると、恥ずかしいが、やはり相当な熱量であったと思う。方向も間違ってはいなかった。もう一度、その流れの基本を見直す機会を得たように思う。


明日から変わるわけではない。


しかし、大きな大きな流れの中で生きている自分の個性を見つめ直せたことは大きい。

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2019年6月25日 (火)

形式的な宗旨よりも信仰心

広く深い信仰心を持つ人は匂いでわかる。
宗旨宗派を超え手と手を取り合える。

それは人知を超えた感覚。
互いに補完しあえる、
いわゆるオーラや使命があるのかもしれない。

宗派が同じであることよりも、
信仰心の広さと深さを
分かり合える人の方が
心地良い。

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2019年5月31日 (金)

若き日の思い:世俗的な欲望に背を向け、天上の深奥の流れに乗って出家し、いまもまた歩み続けています

若き日の写真を見つけました。若き日のメモを見つけました。若き日の写念仏を見つけました。

高野山に登ると決意したとき、出家を決意したとき、高野山を降りて塾に就職したとき、その塾をやめるとき、止むに止まれぬ思いが身体を駆け巡りました(その思いは一種の狂気なのかもしれません)。

そこには世間的な出世心や金銭的な欲望や単純な知的欲求はなく、遙かなる天上から、深奥なる内なる世界から、その両者から溢れ出てくるエネルギーが私を突き動かしました。そして今もそのエネルギーに乗って生きています。

そのために、ときには世間的な常識から外れることもあります。また世俗的な楽しみが、あまり好きではありません。飲む打つ買い、他者を支配するという世俗的な欲望を理解できません(理解したくもありませんが)。

真言密教の法で祈り、その教えを受け納得し、気付き、目覚め、感じ、体得することほど面白いことは私にはありません。そしてその一端を周りに伝え、共に歩む人と手を携えて歩み、一人でもほんの少しでも共鳴していただくことが至高の喜び。今はただそのために動いています。

寺子屋も、
環境省登録環境カウンセラーも、
中日文化センターの講師も、
ロータリー活動も、
徳川宗春卿のことも、
異宗教間対話も、
すべてが私にとって真言密教という大きな道の中のこと。

こうした道は誰にでも開かれたものではありません。ですから理解してもらえないことが多くあります(残念ながら表面的なお坊さんほどわかってもらえません)。

それでも私は今の道を歩んでいきます。
共に歩もうとする人がいる限り。
私から何かを感じ取っていく人がいる限り。

来月の半ばには、得度して丸34年を迎え、35年目を歩むことになります。あのときの深き強き思いを見つめ直し、その大きな流れに改めて感謝したくなり、こうした投稿をしました。

 

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2019年5月18日 (土)

78:22, 22:78 この比の秘密 雑感

東京オリンピックでミニチュアガンダムが打ち上げられるとのこと。なかなか面白ニュース。一見無駄なようだが、こうしたことで技術が磨かれていくので、悪い話でありません。このガンダムのナンバーはRX-78。この78を見て、ふと思い出したことがあります。

22対78 (前後±1)をご存知でしょうか?

日本に周知させたのは、日本マクドナルドの創業者藤田田。そしてらこの藤田の理論を気に入り、藤田の下まで走ったのが孫正義。

ここで22と78に纏わる話をすると。

正方形を描き、その正方形に内接する円を描きます。すると、その円と正方形の間の余白と、円の面積比はおよそ21.5対78.5になります。およそ22対78です。

空気の成分は、窒素以外の気体 対 窒素 は22対78 です。

新生児の身体の水分75〜80%。ここでも 水以外 対 水分で22対78はおよそのところで成立しています。

78は12番目の三角数です。1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12=78

78も22も楔数(相異なる素数の積〈掛け算〉)でできています。
2×6×13=78 2×11=22

原子番号22はチタン 78は白金

タロットカードの総数は78

タロットカードの大アルカナは22

ヘブライ語のアルファベット数は22

ウルトラ兄弟の故郷はM78星雲

懐かしのレコードのSP盤は78回転

まぁ、偶然にしてはなんとなく傾向のある数字の様です。もちろんこの数字にとらわれると色々問題も生じます。ここが、この78とら22の面白いところ。

この適用も、まぁまぁというか、78%、敢えて八割弱くらいの気持ちで利用すると、とても良いのではないでしょうか?

一例を挙げると、「隣の三尺」。お隣同士もお互い気を遣おうという意味ですが、この22 78を利用できるのではないでしょうか。つまり、親しき仲にも礼儀あり。2割強の意識。手と手を繋ぐ程度。一方、親子や夫婦でも78程度が限度。その枠を超えず相手を尊重することができれば良い距離感になると思います。

商売でも、500円で110円のお釣りがあったり、1000円で220円のお釣りがあったり、また7800円というのは、売れ筋になりやすいそうです。

ただし、なんでもこれが適用できるかというとそれは否です。 こうしたものがあると万能だと思いやすいのですが、残念ながらそういう発想がこの22 78 が分かっていない証拠だと思います。

私個人のことで言えば、伝えたいことの核になる二割より少し多く表現して、その八割弱%を理解していただければ、時には逆に八割弱表現して二割強理解していただければ嬉しいと思いながら、講演や講義をするようにしています。

人との付き合いも、檀信徒や所属している会員とは二割強を超えないようにしています。寺子屋の生徒に対しても二割以上教えこまない、八割弱は自分で解けるように意識しています。これは自立しているからこそお互いに助け合える、二割強程度は手と手を取り合うためには、八割弱は自立していることが大切だと思っているからです。
このように自分なりに応用をしています。

繰り返しますが、なんでもこれを適用することは危険です。自分の気持ちの中で、この78 22を上手に使い、それぞれの工夫の中で利用することも可能かとおもいます。

他の数字も同じで、その数字の持つチカラに目覚めると、自分を深め広げることができるように思います。他に 21 28 3 5 7 は私がよく利用する数字です。

さて、どんな数字を利用されていますか?

 

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2019年3月 7日 (木)

気比神宮 再訪

福井県敦賀市の氣比神宮を訪れた後にある会合に参加しました。同じテーブルに偶然にも氣比神宮の総代さんお二人。
昨日まで生活と密着した神様と単純に理解していましたが、七柱おられることを教えていただきました。八幡神も含まれています。
真言宗の根本道場東寺の一つは鎮守は八幡さまです。一方で高野山は四社明神を祀り第三柱を氣比明神としますが、この中に八幡神抱えているのはなかなか面白いなぁと感じさせられました。
今日は氣比明神に導かれた、そんな感じを受けました。

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2019年3月 5日 (火)

踏切で老婆が立ち往生 その時

各務原市のとある踏切。
ある老女が歩行補助車に野菜を載せて渡っていた。

私は踏切手前二番目の車。

老女の歩行補助車の車輪が踏切線路の間に挟まり、立ち往生された。

私は渋滞の非難を覚悟に、車を降りて助けようとした。

すると、前から来た小学生たちがその様子を見てその老女を助け出した。四年生くらい。

困った人を見逃さずに助けた子供達の行為が嬉しかった。

その様子を見て、私は子供達に「ありがとう」と伝えて、車のドアを閉めた。

ただ寂しかったのは、バックミラーを見ると、その老婆は小学生に挨拶するもなく、立ち去ってしまった。

一方、小学生は私の車に手を振ってくれた。私は何もできなかったのに。

子供達に多くのことを教えられた数十秒であった。

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2019年2月14日 (木)

心からの叫びが時に病を癒す

最近、末期癌から復帰した方々の声を数回聞いたことがあります。

ふたつのパターンがある流ように感じます。それを紹介。

一つは、今の現状を嘆かずに、数々の日常の出来事に心の底より喜びを表現した場合。偶然の一致が起きた時に、神の奇跡、神仏のお導きと、目に見えないものに深く感謝した場合。

もう一つは、絶望のあまり、心の奥底から、絶叫し、目に見えない神仏に助けを求めた場合。

いずれにしても目に見えない神仏に繋がりを得たり求めた時に、奇跡的なことが起きるようである。

こうした時に絶対的に大丈夫とは言えませんし、他にも要因があるのでしょうが、それなりに考慮すべきものかと思います。

不思議を呼び起こし体験することができる人と、できない人との差は、日常や緊急時の心のあり方に秘密があるように思えてなりません。

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