2018年11月 8日 (木)

奥義を得るには

誰もが奥義に達するわけではない。
またあるレベルの犠牲や努力もなしに、
奥義は得られない。
しかも奥義は言葉では伝わらない。

シンボルを体得すると、
時や場所を超えて
奥義は目の前に現れる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 7日 (水)

師が弟子を選ぶのではなく弟子が師を選ぶ

最近の密教に危機を感じています。それは、伝えられる者があるレベルの犠牲や努力を払って求めるものであり、伝える者が公募して教えるものではないからです。

「師匠が白いものを黒いと言ったら弟子はそれを受け入れなくてはならない。しかし、白いものを黒という師匠は問題。白いものを白いと言える師匠を選ぶべき。師匠が弟子を選ぶのではなく、弟子が師匠を選ぶもの。」
これは我が師が、密教の師弟関係を述べたものです。本当にこれは大切なことです。

ところが最近の傾向として、この人に学びたいということで、入門したり伝授を受けたり、受講することが少なくなってきました。資格要件があるとは言え公募された学院や伝授会・講義伝で学ぶことが殆ど。こうした公募されたものの中では、一人一人の機根(能力や縁)に合わせて、師匠は特殊な言葉を使うことができません。あくまでも汎論的な表現にとどまり、一人一人の奥深くに届く象徴を用いにくいのが現状ではないでしょうか?

多人数で学ぶのではなく、少人数で学ぶ。こうした機会が減っていることが、真言宗や天台宗の弱体化に繋がっているように感じます。
真言や天台の教えが弱まっているのではなく、それを受け継ぐ者の意志が弱いというのが根っこのように思います。

仰ぎ願わくば、各寺院のご住職方がもっと門戸を開いて少人数の教えを伝えていける体制が欲しいところです。
さらに受け継ぐ者は犠牲を払ってでも受け継ぎたいという思いを強くて持つことが肝要です。

師弟教育を考えた時、こうした根本を見忘れたくないものです。

繰り返します。密教の教えが弱くなったのではありません。それを受け継ぐ者の意志、ここに問題があります。

我が師は、今でも月に一回、ご自宅で少人数の輪読会を開いてくださっています。これに参加するには、時間をかなり割かなければなりません。時間的にも経済的にも労力的にも大きな犠牲を払い、我が師匠に学びたいと強い意志を持ってこうした会に積極的に参加しているメンバーには深く敬意を覚えますし、それぞれがしっかりと尊敬すべき活動をしているのも事実です。そして何よりも、一人一人の参加者を深い懐で見守ってくださり、受け入れてくださる師匠には、心の底より感謝しています。

こうした場が、世界のあちこちで営まれること、祈るばかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月20日 (木)

定期的な祈りは何故必要?

高家寺では毎月21日の月例弘法大師報恩日としてお祈りをしています。

毎月、何故に定期的にお祈りをするのでしょうか?

私たちは現実世界の中で生活しているからです。現実世界では、煩悩の泥の中で生きて行かねばなりません。
その泥に汚染されずいるためには、定期的な浄化が必要です。部屋を使えば必ず部屋は汚れるので、掃除が必要であるのと同じです。

お坊さんは毎日の祈りで、浄化しています。ただなかなかそれは檀信徒には難しいもの。

だからこそ、檀信徒の方々には、せめて月に一度は、祈りで浄化してもらうことが最大の狙いです。

また、皆で祈ることで自分一人ぼっちではないということを感じてもらいながら、浄化をしてもらいたい、というのが高家寺の月例弘法大師報恩日の狙いの一つです。

その浄化とともに、ご縁のある方々の菩提を祈ることができますので、これもまた狙いの一つです。

高家寺に限ることではありません。ご縁のある寺社に定期的に訪れて、普段の生活の煩悩というドロを浄化されてはいかがでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月 4日 (水)

#銀河英雄伝説 Die Neue These が始まった。前作を見た人はおそらく少なからず違和感を覚えるだろう。それでも・・・

#銀河英雄伝説 Die Neue These が始まった。前作を見た人はおそらく少なからず違和感を覚えるだろう。主要キャラクターの絵がかなり変化している。良い意味での一人ひとりの人間的臭みが表現されていた前作。それに比べ、今回は時代に合わせてか、人間的な臭いを感じにくくなっている。
しかし、原作が優れていることもあり、今回は今回で楽しめそうな気がする。声と絵に慣れるには数回掛かりそうだが、それでも純粋にこの話を楽しみたい。
特に、独裁による問題とその超克、民主主義の良さと衆愚という酷さをもう一度考えてみたい。今の時代にとても重要だから。
http://gineiden-anime.com/

今回はあっさり過ぎ去ったが、次回で、アスターテ会戦でのラップの無念さをどこまで描くんだろうか・・・ジャン・ロベール・ラップの死は恋人ジェシカの人生を狂わせる。平和運動に傾斜していくジェシカと、主人公ヤン・ウェンリーの人生にも多大な影響を与えていく。だからこそラップの死は重要な場面。さて、どうするのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月29日 (木)

貴乃花親方への罵声を浴びせたのは誰だ!悲しい相撲協会

貴乃花親方が親方衆に謝罪した。その時に、貴乃花親方に罵声を浴びせた親方たちがいたという。
https://www.nikkansports.com/m/battle/sumo/news/201803290000085_m.html
この記事で不可思議に思った。
・怒号を浴びせかけた親方が誰であり、何と言ったのかが記されていない。
・誰も貴乃花親方をかばうことはなかったのか?

彼の問題は問題としてあるが、これでは貴乃花親方の公開処刑と同じこと。

またマスコミも、こうした記事を公正に記すには、罵声を浴びせたのは誰なのか。何を言ったのかを明確にせねばならないように思う。

親方衆は、こうしたマスコミの姿勢をいいことに、個人では何も言わず団体になったときのみ罵声を浴びせるものは、人格を疑う。そちらのほうがよっぽど問題。

貴乃花は弟子をかばい自らが矢面に立った。全ての恥を飲み込んでいるのは間違いない。一大親方だからこそできる、全てを受け切る対応。それが見えない親方衆は、所詮独りでは何もできない小者ばかりなのだろう。

国技のこの状態は、国会がつまらないことで足を引っ張る衆愚政治に陥っていることと、関係がないのではなく大いに関係しているように思う。今の日本の暗部であり病巣が露出してきているのではないだろうか?

自分の周辺でも気をつけていたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 9日 (金)

民主制と独裁制 それぞれの優劣どこにあるのか?

独裁政権が増えつつある昨今。

欲望でできた歴史の長い独裁制。
歴史が浅く人間の理性でできた民主制。
単純に後者が良いとするのではなく、
何において優劣があるのか、
しっかりと見極めなければならない時代なのかも?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 8日 (木)

知ると知らざると・・・「富貴について」

28783677_10213417394581012_22128992 あるお茶人との対話で思うことあり。「富貴」という言葉

、単発で見ると、お金が多いとか貴族であるとか、そんな

下世話な意味に取れる。しかし、『論語』を知る者には、

「死生有命・富貴在天」という言葉が浮かび、下世話な話

とは全く異なる次元の意味が汲み取れる。

知ると知らざると、どちらが大きな間違いがあるのか?

私たちは知らないことが多すぎる。一生かけて学び続けて

いくからこそ、それまで見えない世界が見えて来るように

思う。

ちなみに写真の大日如来。気づく者、知る者には足元にあ

る仏像にも注意がいく。金胎両部。これも知る者のみ解る

こと(^。^)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 2日 (金)

空を見て独白  煩悩もまた慈悲

空を見て独白(^。^)
Aozora_2
雲一つない天気。昨日の嵐から一転、穏やかな日。真っ青というよりは、やや春霞がかかっている。霞は優しさを生む。
密教では雲や霧は煩悩の象徴だが、慈悲と観ることもある。なぜ煩悩が慈悲なのか若いうちは理解しがたいと思っていた。歳を重ねると、自然現象の霞にその意味を見出せるようになった。煩悩は優しさに繋がる。煩悩もまた昇華すれば菩薩の位でありうる。
最近はなんでも公開とか一方では個人情報とか両極端にすすんでいるが、密教の目から見ると両極端は戯論に過ぎない。世の中は、理想と現実の両方が絡み合って動いている。どちらか一方に寄るのではなく、どちらも包み込むような生き方をしていたいものだ。
若い頃、喧嘩っ早かった自分が微笑ましい(。-_-。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月28日 (水)

不動護摩 諸尊諸神の威徳を思う

Homa20180228 平成30年2月28日の不動護摩。
平成7年9月から毎月焚き続けている。
自分一人で祈る護摩もあるが、信者さんと共に焚く護摩も、約270回ほどになった。
その間、色々と工夫を凝らしてきた。その間に、浪切不動尊の御分身を祀るようにもなった。
お厨子も不思議なご縁でやって来た。
向かって右側に祀る日本の神々の大麻も美濃の旧家に祀ってあった御社を頂いて祀った。サイズも偶然にぴったりであった。
護摩が終わり、信者さんも帰られ、独り護摩堂で佇みながら、しみじみと、変化してきた日々を振り返った。
護摩堂に居てくださる御本尊はじめ諸尊諸神の誓願や威徳を思いつ、本堂をあとにした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

道具

28379102_10213351035762083_36069802 今日の不動護摩の護摩木を切り終えた。
切る時はカン マンの種子二つをお唱えすると、とても気持ちが入る。
一本一本に墨を塗るときは、ウン タラター カン マンを唱えると一本一本に気合が篭る。
連絡も何も入らない夜中に一人で、この準備をする時間が好き。
護摩もほかに劣らず、準備で大きく異なる。一本一本の木への思いはとても大切。
さて、写真であげたのはSTAEDTLERのドイツ製の三角定規。
直角二等辺三角形の斜辺と、30度60度の角を持つ直角三角形の第二長辺は共に30cmある。大きさも素晴らしいが、マス目のうち方が絶妙。
護摩木のサイズを測るときも大いに役立っている。これは少し高いがお勧めの逸品。
良き道具を使って、物事を作り上げていくときの心地よさはなんとも言えない。
良きものを作り上げていくと、道具を選びたくなるもの。
弘法(大師)は筆を大いに選ばれた。
ものを作ることと道具を選ぶこと、今まではなんとなくおこなってきたが、そうしたことにもこれからもっと気をつけていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧