2024年5月 1日 (水)

自然科学と大乗仏教

従兄に世界的な分子生物学者がいる。76歳だが、特別栄誉教授として国立大学の医学部の研究室で今も研究をしている。彼の母が亡くなり、私も葬儀法事に参列した。そこで、色々と話す機会があった。
先天的な才能と、後発的な技能。それを脳のシナプスレベルで調べてみると面白いことが最近わかってきたらしい。
私は自然科学者ではないので、かなり端折って述べてみる。
ニューロンとニューロンを繋ぐシナプスは生まれた時に総量が決まっている。このシナプスの信号が、能力と関わっているらしい。よく使う能力は、シナプスでの信号が太くなる。これを長期増強といい、使わないものは長期抑圧といい、能力が発揮できない。つまりよく使うものは発展して、使わないものは退化するという。しかしシナプスそのものがなくなるわけではない。
ところが、世界的なバイオリニストの脳を調べた時に、明らかに後になって生まれているシナプスがあるという。この仕組みはまだ解明できていないが、従兄は仮説を立てているらしい。
ただし、今回のこの話は仮説のことではない。
私は真言僧。その視点からすると、シナプスの長期増強は精進によって生まれるのではないかと感じる。精進とは努力と工夫を繰り返していくこと。お焼香に象徴されるように続けていくことが眼目。同じことを何度も何度も繰り返す真言念誦、またはその大掛かりな修法は何度も何度も繰り返す。これを集中的に繰り返していると能力に変化が起きることがある。これがシナプスの長期増強と繋がっているのではないか。
この精進は時に辛いこともある。その辛さを超えていくことはある意味で辛抱、つまり忍耐とも言えるのではないか。六波羅蜜では忍辱として辱めに耐えることだが、精進の辛さを乗り越えていくこともまた忍波羅蜜と密接な関係なように思う。
さらに、その続けていくことを習慣化すること。この習慣化がシナプスの長期増強へとつながっているのではないか。良き習慣とはサンスクリットですシーラ。つまり戒のことである。仏教で戒を重要視するのは、覚りの道をある意味で自動化するこではないのか。つまり覚りの道という良き習慣を身につけること。
このように現代の最先端科学を見つめることも、真言密教の道を極めることの補強になると考えさせられた。もちろんオウムのようにヘッドギアをして脳波を測ったり電気信号を送るようなことは、私は望まないし、科学的な方法論とか宗教者の正しいあり方とは私は思っていない。
しかし、宗教者として今の自分の境地にい気づだからこそ、この葬儀法事というタイミングで御仏により従兄と会わせていただき話を聞くことができたのも事実である。機根とは何なのかも考えさせられた。後発に生じるもの、ここにある意味で大きな秘密があるのかもしれない。
今後も従兄とは色々教えていただくことを約束した。その約束の瞬間に、科学にも目を向けていた師匠の姿を思い浮かべた。そして土木などの当時の最先端技術を習得していた弘法大師の姿も。
このところの奈良博や東大寺ミュージアムの真言院展、そして従兄の交流、善きながれが起きている。感謝ばかり。
ただしこの話はまだ前半。
後半については、数日内にYouTubeビデオで語ろうと思っている。

| | コメント (1)

2024年4月25日 (木)

ようやくここまで到達した

ようやくここまで到達したという思いがある。
真言密教の毎日おこなう修法は、御本尊をお迎えする準備をし、お迎えして接待し、入我我入と真言念誦などをし、自分もまた仏であることを自覚して、御本尊を送り出し、後片付けをするもの。その一つ一つの作法は大乗仏教の深い理論で意味づけられている。
この修法そのものがとても大切なのだが、実はこの修法で身につけていく大乗仏教の意味づけが、普段の私たちの日常生活の所作への訓練にもなっていることにようやく気づくことができた。
毎日の呼吸や人との出会いや対話、自然との対話、出来事、そのほかありとあらゆるものが大乗仏教の理論で意味づけすることができるようになる。日常生活もまた大いなる命からいただけた大切な学びの場であり、教えを身につける場であり、実践の場。そしてその意味づけも、日数を経るごとに深まっていく。肉体の衰えも日々進んでいるが、まるで反作用のように精神的には深い海に潜っていけるようになる。
修法を特別に行わなくても、自然に呼吸をするように、この世界もまた真理の顕れなんだと実覚することができるようになるには、修法の繰り返しが必要なのであろう。
今更ながら、ようやくここまで来れた。いや、すでにかなり以前からこの海の中#にいた。しかし、それを自覚することはなかったが、あるきっかけで目が覚めた。
世界は仏の慈悲で満ちている。一方では、無慈悲なことも満ち満ちている。修法を繰り返しているとその無慈悲もまた慈悲に連なるものと見ることができる。
この海はまだまだ奥が深い。この世にある限り、その深き海へ潜り、それを楽しみたい。そして命数尽きたとき、笑顔で阿字の世界に溶け込みたい。

| | コメント (0)

2024年4月20日 (土)

包み込むようなありかた


孤高に生きるか?
屯(たむろ)して生きるか?
こうした極端なものではなく
その真ん中で微妙には揺れながらも
どちらも包み込むような在り方をしたい。

だから宗教政治とかいう訳のわからないものからは、身を離している(孤高)。
ロータリークラブという俗世間の団体にも属している(屯す)。

一昨日・昨日の高野山での学びは
生涯忘れないものになるだろう。
それほどのものがあった。
打ち震えた。

お大師さまが
高野山を選ばれ修禅の道場とし
東寺を根本道場とし慈悲発露の拠点とされたことに比べれば
小さな小さなことではある。
それでも昨日の学びの中で、
お大師さまにほんの少し微笑んでいただけた実感を得た。

高野山のような聖地に山登りするのは上求菩提の象徴、
そして山を下り衆生と共に俗世で生きるのは下化衆生の象徴。
だから時間をかけてでも時折高野山に上っているのかもしれない。

仏教的には能所とは、主客とか、動静とか、見愛とか、取捨とかその他、二つの対立軸を否定する。
しかし、一旦その対立軸を文殊の剣でスパッと否定したのちに、その両者を広く大きく受け止めることが重要。
二つの対立軸は実は一つの大きな振り子であるのかもしれない。

高野山で学ぶこと、これは私にとっても命の一部と、強く強く実感した。

ごめんなさい、具体的なことは書けません=(^.^)=

| | コメント (0)

2023年5月12日 (金)

人には人の役割がある


神護寺の曼荼羅に誓ったこと
人には人の役割が有る

師匠のように表に立たねばならぬ人
表に立たずに次代を導く人
それらを下支えする人

どの役割が重要かではない

生まれも同じことが言える
世襲で受け継いで行かねばならない人
新たな道を作る人
それらを支えていく人

色々有るから世の中は面白い
全部一色では生きる意味が見出せない

曼荼羅はそれを自覚させてくれる

では自分は?

子供の頃からの自分を振り返る
僕には僕の役目があった
それを改めて自覚する

曼荼羅に誓う
この世での自分の役目を果たすことを

四十年の時を経て
高雄曼荼羅は教えてくれた

| | コメント (0)

2023年5月10日 (水)

人生を変えた神護寺高雄曼荼羅と師匠

京都市の西北、高雄山神護寺に居る。
話は40年前に遡る。
昭和58年5月のこと。
私は京都国立博物館に入った。
弘法大師と密教展がおこなわれていた。
実を言うと、
この日まで私は弘法大師(空海)が
苦手であった。
何もかも呑み込むその大きさが
鼻についた。
どちらかと言うと
純粋な傳教大師(最澄)に惹かれていた。
御遠忌1150年の前年
私は何気なく展覧会に入った。
そこで生まれて初めて曼荼羅を見た。
曼荼羅という存在を知った。
まずは伝真言院曼荼羅に圧倒された。
その隣にあった高雄曼荼羅。
私は一時間、時間を失った。
弘法大師から逃げていたが
弘法大師に捕まえられた瞬間だった。
そして本を求めた。
それが先日遷化された師匠の本だった。
真言密教に強烈に惹かれた。
気づけば高野山大学に入学し
師匠の弟子となっていた。
それから40年。
今年は弘法大師御生誕1250年。
四月十六日、師匠が遷化。
葬儀で共に柩を担いでいただいたお一人が
神護寺のご住職だった。
火葬場に向かう途中で
高雄曼荼羅が修復されたことを知った。
NHKの撮影があるので来ないか?
とお誘いいただいた。
日程を調整。
本日、令和5年4月10日。
実は旧暦の3月21日
旧正御影供の日。
神護寺では高雄曼荼羅の修復後の
開眼法要が午前中に行われていた。
延期延期の上この日になったらしい。
しかしまさにドンピシャ!
一方、私は偶然にも後輩より
京都国立博物館の親鸞展のチケットを得る。
これまた神護寺近くの
高山寺に関係する経典を
彼のお寺が出していたからだ。
あの日から40年。京博に入った。
そして午後は神護寺。
私の人生を一変させた高雄曼荼羅。
40年ぶりにその高雄曼荼羅と対面した。
本堂の内陣に歩を進める
胎蔵曼荼羅を背中に
金剛界曼荼羅をみる。
空間が歪んだ。
心地よい。歓喜に打ち震えた。
弘法大師が観た曼荼羅
弘法大師が表現された曼荼羅が
再び目の前にある。
しかも今回はまさに目の前。
今回は意識的に二時間近く拝見させて頂けた。
曼荼羅の知識が増えた今
見えてくるものが違っていた。
指のあり方、背景など
細かいところも感じ入った。
弘法大師は実に経典に忠実に描いている。
(ただし不動尊は東寺形)
残念ながら本日来れなかった後輩たちの分も
私は拝見し体感した。
そしてご住職より冊子をいただいた。
できたばかりの冊子。
そこには
我が師匠の文章があった。
これが絶筆とのこと。
思わず涙した。
「先生、本当にありがとうございます」
神護寺を後にしながら
私は叫んでいた(^^)
先生の笑顔が空に見えた思いがした。

| | コメント (0)

2023年5月 5日 (金)

師匠との想い出 遷化されて20日

今日は師僧松長有慶先生がご遷化されて20日目。
少し思い出話(話が前後することがあります)。
松長先生にお手紙を書いた理由は何なのか、というところのお話です。
弘法大師御遠忌1150年である昭和59年4月に高野山大学密教学科に入学した私。
大学側の命令(?)で生まれて初めて本格的なバイトをすることになりました。
それが中の橋駐車場の授与所。出来立てのホヤホヤの建物でした。
今もありますね。あれは39年前に建てられたものです。
そこに本山職員としAさんとMさんが派遣されていました。
あのころの参拝者の中で最も多かったのも、
だからこそ最も横着かったのも
岐阜を含める名古屋地域の方々でした。
わたしは尾張一宮出身で、その出来事を愕然とみていました。
それでもお二人はわたしのことを大変可愛がってくださり、
私室にあがってお食事を呼ばれたり、
山を降りて買い物に一緒に出かけたり、
そして何よりよく一緒に奥の院にお参りに行かせていただきました。
お二人に奥の院を108日連続で参りたいと伝えると、
なんとお二人も挑戦されました。
時には一緒に。時には個人的に。
宗教的なお話しをいくつもしていただきました。
そして私が師匠探しをし始めた矢先、
Aさんが
「俺の兄貴に、会ってこいよ。大学の講師をしているし。
 とにかく頭のいい人だから。
 北海道に戻らず信仰心の深い、結構な超能力者だよ。」
と紹介いただきました。
お会いしたのは一の橋のベンチです。
そこで一時間ほどA先生とお話させていただけました。
その時、少し目を瞑られると目を開けてこう言われました。
「北川さんは阿弥陀さんと縁があるね。
 阿弥陀さんか、観音さんか、勢至さんを本尊とすると良いんじゃないかなぁ?
 それと松長有慶先生を訪ねてきてご覧。きっと道が開けるから。」
高野山とは何のゆかりも縁も無かった私に縁結びをしていただいたのが、
このA先生であり、MさんとAさんという本山職員でした。
そしてこのA先生こそ、
我が初めての弟弟子であるNさんのもう一人の師匠であり、
今ではNさんはA先生のお寺の後継副住職になっています。
人の縁の結びとはこうしたもののようです。ありがたいばかり。
葬儀の際にA先生にそのことをお伝えいたしましたら、とても喜んでくださいました。
そして弟弟子のNさんは、とても信心深い生き方をしている真言僧。
師匠とお会いした最後の日にこんなお話しをしました。
「N君が専修学院の授業を今期も担当するそうです。
 彼の尊敬すべきあの深い信心を感じ取ったり学んでくれる生徒がいるといいですね。
 今はわからなくてもいつか感じとってくれれば。」
と私が言うと松長先生は
「その通りやなぁ。彼のそういうところを学んでくれると嬉しいなぁ。
 そこがまさに彼なんだから。」

| | コメント (0)

2022年5月11日 (水)

保守政治編「ウクライナとロシアの戦い 斜め読み 情報戦の違い」

政治編「ウクライナとロシアの戦い 斜め読み 情報戦の違い」

ウクライナの戦乱、痛ましいものがあります。無辜の民が虐げられていることに哀悼の意をまずは捧げたいと思います。

さて、ウクライナとロシアの歴史・地政学・民族・言語などさまざまな側面があり一概に語ることはできません。個人的には正教オーソドックスのあり方とか、ウクライナの一部がポーランドなどの貴族領であったことと、モンゴル=タタールの軛(くびき)つまりモンゴル人により約250年の間ロシアもウクライナも占領されていたことに注目しています。タタールのくびきにより、文化よりもチカラによる威勢が大きく大きく影響しているのではないかと感じています。複雑な要素があり、白黒は無いように思えてなりません。

ただし今日はそれらについてではなく、情報戦のあり方に少し注目してみました。

ウクライナのゼレンスキー大統領、ロシアのプーチン大統領、どちらもチカラの信望者であるようです。

ただ情報戦において二人は大きく異なっています。あくまでも個人的な意見ですが、プーチンはプロパガンダ中心、ゼレンスキーはアジテーション中心、そのように感じています。

アジテーションは揺れを意味する言葉で、感情に訴え、多くの人たちを意図する行動にかりたてること、一言でいうと扇動です。ゼレンスキー大統領の発言は理屈ではなく、激しく人々の心を揺さぶることを目的にしているように思えます。

プロパガンダは、どちらかというと説明的に広く広報することと考えられていますが、プーチン大統領はそのようです。

あまりこうした事を深く追求したことがなかったので、グーグルで「プロパガンダ アジテーション」と検索をしてみました。するとビックリ。引っかかったものの中にレーニン著『アジテーションとプロパガンダ』というものがあったのです。ソ連を作り上げたあのレーニンです。

少し覗いてみましたら、レーニンはアジテーションを大衆向けに、プロパガンダをインテリ向けに分けて考えていたことがわかりました。またレーニンはプロパガンダは数百人を目安に、アジテーションは数万人を対象とすると考えたようです。

私のもっていた言葉に対する印象というか理解とは若干異なっていました。レーニンに従えば、アジテーションは戦略であり、プロパガンダは戦術です。

私は逆に捉えていましたのでビックリです。

ただ、これだけのことでも、なんだかレーニンの人為過ぎる発言というのか言葉というのか、人間というものをモノのように見る共産主義はやはり苦手です。

レーニンを離れて、アジテーションとプロパガンダを見てみると、いまウクライナとロシアの間で問題になっているのがナチズムですが、ヒトラーはレーニンとは異なっており、説明的であるよりも大衆の感情に訴えかけろとアジテーションを重視していました。プロパガンダも感情を重視する方法です。説明は二の次。第一次世界大戦後に疲弊しきっていたドイツ国民はそのアジテーションに引きずられてしまったのかもしれません。それくらいアジテーションは空気を作り上げ強力に人々を方向づけてしまいます。

いまは弱きウクライナがアジテーションにより強化され、強気ロシアが押され気味になっているように思います。プーチン大統領の演説もあくまでもプロパガンダでした。

日本はアメリカとともに生きると決意し日米同盟を結んでいます。だからこそアメリカとロシアではアメリカを選ばざるを得ません。ここは仕方がないことです。

私が恐るのは、膠着状態が続きロシアの大衆にも疲弊がおきたとき、ロシアでアジテーションが起きることです。そうなると戦術核も使われてしまうでしょうし、そこでまたアジテーションが起きて、世界が大混乱に進んでしまうかもしれません。

ただこうした混乱期にはアジテーターが出てきやすいので、注意をしていたいものです。

また、混乱期には既成宗教の弱体が裏にあることが多いので、それは私達宗教家の反省点です。そしてこういうときには新たな宗教者がアジテーターとして現れやすい。

アジテーションそのものが悪いわけではありません。人々が少しでも良き方向に向かうのならばアジテーションも時には有効な手段です。しかし、チカラによる支配や、欲と欲の絡み合いでアジテーションを使うのは本当に危険です。

なにか感情に訴えかけ皆が同じ方向に抜けられる発言があった場合、それはアジテーションでないかどうかを気をつけておきたいですね。

比較的おだやかな教えである仏教はアジテーションが少ないですが宗派によってはアジテーションを重視しています。また各寺院によって本尊が異なる真言宗は個性を重視しますので一方向へ向けるアジテーションをあまりしません。しかし真言宗でも、なかにはアジテーションが大好きな御仁も居ます。

宗旨宗派での大きな枠組みでの安心はありますが、それとともに個人個人の宗教家と檀信徒のあり方がとても大切に思えます。

アジテーション 煽っているか居ないか 注意をしていたいものです。

| | コメント (0)

2022年5月10日 (火)

七難隠す

「七難隠す」 色の白いは・・・髪が長いは・・・書は七難を隠す・・・あれ?なにか変?

 

子供の頃 私かなり色が白かったんです しかも喧嘩早かったので白色裸電球 そのこころは、色白ですぐに切れる・・・LEDの時代なのでわかりにくいかもしれませんね

 

そこで時々言われたのが「女の子ならば、色の白いは七難隠す だけどね。」と大人から何度かからかわれた覚えがあります。

今覚えばなかなか失礼な表現ですね。

「色の白いは七難隠す」は、

①色白の女性は七難を隠すので色白は得

という意味と

②色白で見えなくなってるけど七難のいずれかがあるのかも

という全く反対の意味があります。

とはいえ、色白イコール美人とは今の時代には合わない失礼な表現です。とはいえ色の黒は味良しともいいますので・・・

これとよく似た表現に

書は七難を隠す

これご存知でしたか?書道を始め文字がきれいな人は、誤字脱字や文章のまずさなどを隠してしまうという意味です。

パソコンでの文字が多くなった現代には、この表現は逆に貴重かもしれません

また

笑窪は七難隠す  髪の長きは七難隠す

とも言うようです。色白・笑窪・髪の長きのような容姿に関するもの、書のように能力に関するもの、まぁそれぞれに得意不得意が有るので、これらをなくすというよりは、いろいろあって使い分けるのが良いかもしれませんね。

さて、この七難とはなになのかなぁと思っていたのですが、若い頃にふと七難という言葉に出会ったことを思い出しました。

鳩摩羅什訳の仁王般若経・弘法大師の師匠の師匠である不空三蔵訳の仁王護国般若経に七難という言葉が出ていたことです。

『仁王般若経』鳩摩羅什訳

  • 太陽や月が欠ける日食や月食など
  • 星座が見えなくなること
  • 大火など火の禍 
  • 大水洪水などの水の禍うを含む時節に合わない寒さ暑さ
  • 大風による国土樹木の倒壊
  • 暑さによる旱魃
  • 賊たちによる国の内外が侵されること
  • 日月失度 ②二十八宿失度 ③大火燒國萬姓燒盡 

 ④大水沒百姓時節返逆。 ⑤大風吹殺萬姓國土山河樹木一時滅沒

 ⑥天地國土亢陽炎火  ⑦四方賊侵國内外賊起

 ①日月失度 ②星辰失度 ③大火(龍火・鬼火・人火・樹火)

  ④時節節改變寒暑不恒 ⑤暴風數起昏蔽日月 

  ⑥天地亢陽陂池竭涸 ⑦方賊來侵國内外

のことです。それを思い出し少し調べてみました。

七難という言葉は出てきませんが 孫悟空の三蔵法師で有名な玄奘三蔵訳の『薬師本願功徳経』には

 ①人衆疾疫難 ②他國侵逼難 ③自界叛逆難 ④星宿變怪難

 ⑤薄蝕難   ⑥非時風雨難 ⑦過時不雨難

が説かれていますし

観音経にも七難という言葉は説かれていませんが七難が説かれています。チャイナの天台の大成者智顗の著作に七難という言葉が出ています。

 

あっ、少し話がずれますが、名古屋の栄、ぎふ、大垣の三ケ所の中日文化センターで一時間半の授業をしています。その中で大垣では今は観音様についての講義をしています。そんなかのほんの一部をつまみ食いしてみますと。

 

観音経、多くの場合は偈文・・・世尊偈と呼ばれている部分を読みますが、この本文は本当は法華経の第二十五巻、正式名称は妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五といいます

 

最初に突如として無尽意菩薩という聞き慣れない菩薩が出てきます。

無尽とは尽きることなき果てしないという意味。つまりこの無尽意菩薩は、不滅の心を持つ者と訳せるのかもしれません。つまりわたしたち自身の不滅の心・菩提心を意味しているとも考えられます。

行六度四攝等種種行。誓度衆生。衆生界盡。菩薩之意乃盡衆生未盡。菩薩之意無盡。故名無盡意。と記されたお経もあります

 

 

さて、この無尽意菩薩が釈尊と対話をし、観音菩薩とはどんな存在なのかを訪ねます。その最初に現れるのが七難から逃れることです。

 

本文には火難・水難・風難・刀杖難・ 鬼難・枷鎖難・怨賊難の七難から逃れることが記されています。

 

どれを見てみても、いずれの経典を観ても、七難は人の欠点をあらわした言葉ではありません。あくまでも社会的な自然的な難を表した言葉です。七難隠すの七難とお経に説かれた七難は全く意味が異なっていました。

 

観音経は般若心経についで著名なお経でしたので、しかも天台宗は江戸時代に圧倒的な力を持っていましたので、七難というお坊さんから出た言葉が庶民に至り、言葉の外形だけ残って中身が変わってしまったのかもしれません。

 

七難隠すについて個人的な意見があります。人にはそれぞれの特徴があります。優れているかいないかは人の見方によって異なるもの。肌は白いが良いが髪は黒いが良いという方も少なくないと思いますし、健康的な褐色が良いとか髪は金髪にしたほうが良いとか、アニメでは髪は銀髪が結構受けるみたいです。まぁ人それぞれの特徴なんだとおもいます。そしてその特徴が際立てば際立つほど、7つの・・・まぁいくつかのと言い換えてもよいかと思いますが、欠点のように見えるものも気にならなくなる・・・そうした感じで使われるといいなぁと思います。無尽意菩薩は金剛界マンダラに出てくる賢劫の十二尊のお一人ですが、そのマンダラはひとりひとりの仏様の特徴をもって互いに敬いたすけあう相互礼拝相互供養を絵に表したもの。七難隠すもこうしたことまで感じるといいなぁと思える言葉です。

| | コメント (0)

2022年4月25日 (月)

弘法も筆の誤り の元々の出来事の意味を探る

「弘法も筆の誤り の元々の出来事の意味を探る」

 

先日、弘法は筆を選ばずのお話をしましたので今回は「弘法にも筆の誤り」のお話をしようと思います。

 

この元になるお話は『今昔物語』巻第十一 本朝付仏法 の九に記されている弘法大師のお話の中に説かれています。

ちなみに今昔物語の第十一 七は玄昉と藤原冬嗣のお話、ちょっとマニアックですね。八は、唐招提寺の鑑真和上お話。九は弘法大師空海師。十は伝教大師最澄師、十一慈覚大師円仁師、十二には智証大師円珍師、十三には聖武天皇と奈良の東大寺大仏さま、十四には藤原鎌足・不比等と興福寺などのお話です。

さて、弘法大師のお話に戻ります。

『今昔物語』の原文は

「早く皇城の南面の諸門の額を書くべし」と。然れば、外門の額を書畢ぬ。亦、応天門の額、打付て後、是を見るに、初の字の点既に落失たり。驚て筆を抛て点を付つ。諸の人、是を見て、手を打て是を感ず。

とされています。大意は平安京の御所の中の門の扁額を早く書いてほしいという依頼を受けそれを書いた。ところがその扁額を打ち付けてよく見てみると應天門の應の字に点が足りない。まだれ广ではなく、がんだれ厂になっていた。それを観て弘法大師は足りていなかったところを下から筆を投げて打つと見事な書体であった。それを人々は手を叩いて褒めはやした

という内容です。そこから弘法の投げ筆という言葉が生まれました。意味的には名人の凄さを称えるものです。

ところが江戸時代に入り、この内容は打って変わってしまい、あの名人の弘法大師も点を忘れてしまう、弘法にも筆の誤りという言葉が生まれました。

江戸時代は本も立ったものが噺家などにより大きく意味が変わっていってしまう時代です。

たとえば地震雷火事おやじも、元々は地震雷加持大山路、大山路とは台風のことですが、このように変化させたのも噺家や狂歌・川柳好きな江戸時代の洒落人によるものでしょう。弘法大師の話もそう変化してしまいました。

 

ところがこの『今昔物語』のこの部分の少し前を見てみると、全くっっっb別の文章が出てきます。

 

亦、日本の和尚、城の内を廻り見給ふに、一の河の辺に臨むに、一人、弊衣を着せる童子来れり。頭は蓬の如き也。和尚に問て云く、「是日本の五筆和尚か」と。答て云く、「然也」と。童子云く、「然らば、此の河の水の上に文字を書くべし」と。和尚、童の云ふに随て、水の上に、清水を讃る詩を書く。其の文点破れずして流れ下る。童、是を見て、咲を含て感歎の気色有り。亦、童の云く、「我れ、亦書くべし。和尚、是を見るべし」と。即ち、水の上に龍の字を書く。但し、右に一の小点付けず。文字、浮び漂て流れず。即ち、小点を付るに、響を発し光を放て、其の字、龍王と成て空に昇ぬ。此の童は文殊に在ましけり。弊衣は瓔珞也けり。即ち失ぬ。

大意は、弘法大師が長安の郊外で有る河の前にくると、ボロボロの衣を着た子供がやってきました。頭はよもぎのようにボサボサ。この同時が弘法大師に問いました。「あなたは日本の五筆和尚ですか?」と。「そうです」五筆和尚とは唐で皇帝より筆の名人の弘法大師に授けられた敬称です。するとそのこどもは「ならばこの川の水の上に文字を書いてみてくいれるだろうか?」と問うと弘法大師は水の上にキヨミズを称える詩を書いたら、その文字が壊れることなく流れていったそうです。それを観て子供は喜び、自らも「では私も書きましょう。」と水の上に龍の文字を書きました。ただし右上の点を付けていなかったそうです。するとその文字は流れていかずそこに漂っていました。そこにその子供が抜けていたその一点を付けると、その文字は響きだし音を出して竜王となって空に登ったそうです。この子供は文殊菩薩であり、ボロボロの服はお堂や菩薩を飾る瓔珞でありました。そして子供は消えたといいます。

 

文殊菩薩は童子形をしているといいますので、その伝承どおりです。あたまも5つの結び目があるといいますので、それがよもぎのごとく通じるのでしょう。そして筆は般若波羅蜜多剣、鋭い諸刃の剣です。今昔物語は不可思議なお話ですが、そのなかにもなにか真実が隠されているようにも思います。

 

このお話と、應天門のお話はどこか通じるものがあります。最後の一点をつけて完成させる。龍が空を飛びだったように、應天門も、最後に一点を加えることで物事を完成させて應天門としての役割を担うようになったのかもしれません。

 

本来は弘法の飛び筆といって、誰もが真似のできない天才性を褒め称えた出来事が、この地上に引き戻されたというのか、全く逆の意味の弘法にも筆の誤りとされてしまったところに人々の俗っぽさを感じざるを得ません。だからこそ、弘法は筆を選ばずという、本来とは全く別の意味も生まれたのかもしれませんね。

 

ちなみに英語では

Even Homer sometimes nods.

ほめろすさえも時には居眠りをする

イーリアス・オデッセイアを書いた歴史家の大家であるホメロスでさえ居眠りするような失敗をすることも有る

という意味です

 

現在の意味での、弘法にも筆の誤り

天才でも謝るのだから、はきをつけておくようにという意味で用いればとても良い意味です。しっかりと心においておきたいですが、本来の物語も知っておいても良いかもしれませんね。最後の一点、ここに完成の意義がある、そう捉えても良いように思います。最後の一点を大切に・・・ここに弘法にも筆の誤りの本来の物語の意味があるのではないでしょうか?

 

今日は 弘法にも筆の誤り の元々の出来事の意味を探るでした

| | コメント (0)

2022年4月14日 (木)

弘法は筆を選ばず・・・本当? 実は思い切り選んで居られました  名古屋大須の筆屋「伽藍」

「筆屋 名古屋大須の<伽藍>」

 

弘法は筆を選ばず

という言葉があります いまは弘法大師は書道の名人だったので筆を選ばなかった つまり名人や優れたものは道具に左右されないという意味で用いられています

 

ところが 包丁やノコギリなどに代表されるように、日本の名人という方々は徹底的に道具に拘っています。もちろん弘法大師も人一倍に筆の質にこだわって居られたことが知られています。では弘法も筆を選ばずとはどういうことなのか?

どんな筆でもその筆に合った作品を作ることができたということです。大工さんもノコギリの良し悪しに限らずどんなものでも上手に作り上げるでしょう。しかしその過程でよりスムーズにとか、仕上がり具合がよりレヴェル高くとなると道具に拘るのは当たりまえ。自分の手足そのものと言ってもいいんじゃないでしょうか?一流の料理人にとっての包丁もそうで、どんな包丁でも両人は上手に調理するでしょうが、最高レヴェルのものであったり、調理する過程で余分なエネルギーを取られないためにも道具にはこだわっておられるもの。

弘法大師もどんな筆でもそれなりに字を書かれたのでしょうが、自分が思った通りに自由自在に書くためにはその質を選んだのは間違いないと思います。

弘法も筆を選ばずは・・・世間的な意味でなく、もっと深い意味が有ると知っていただけると嬉しいです。

 

さて、筆屋さんのこと

宗春卿のことで名古屋と関わりを持ち始めた頃。あっ、令和四年四月から栄中日文化センターで「吉宗と宗春」というタイトルの講座を行っています、途中からでも登録可能なのでお申し見いただければと思いますが、

話を戻して宗春卿のことで名古屋にかなりの頻度で出入りするようになり、その過程で大須の大津通に筆屋さんを見つけました。

ふらっと入り。ご主人と話をしながら、塔婆に書く筆を尋ねると、三本くらいの筆を試し書きさせていただいたのです。

そのなかでも 花柳 と名付けられた筆を推奨されました。「いわゆる書道用紙に書を書いたりするのには少し硬くてご住職には向かないかもしれないですが、板に書くならば硬さがちょうどよいのではないでしょうか?」

現在のホームページでは

「中学生までしっかり使える集合力・弾力のとれた

バランスの良い筆」

学童用に分類されていますが、確かにそのおかげで筆全体が若干固めなので、塔婆に書くにはとても書きやすいものです。

それから数度訪れ同じ花柳を手に入れていました。板書きは筆を痛めやすいのですが、この筆はかなり丈夫です。

 

コロナがあったのでしばらく通っていなかったのですが、ふと思い立ち、蔓延防止が終了してから 伽藍 を訪れました。

若い女性が店を守られていました。お話をしている内に、彼女が娘さんで跡を継がれたことを知りました。

花柳の名前を忘れてしまっており、あーだこうだと説明をしたら彼女が持ち出してきた筆があり、それを握るとピッタリの筆がありました。 花柳 。お寺に戻り名前を確認すると全く同じ筆でした。

彼女も父上の思いを受け継ぎ、その人に合ったものを推奨する人でした。目は確かです。

同時に、ある方に巻物に筆書きで手紙を書きたいのだけど良い筆はないですかと尋ねると

「氣韻」を勧められました。試し書きをすると なかなか書きやすい。今まで小筆は若干重めの小筆を用いてきました。筆の重さで書けたからです。しかしこの「気韻」は違いました。書きやすいのです。芸術品を書くには、あまりにも癖がないので向かないかもしれませんが、その癖の無さが手紙のような小文字を書くのに実に向いていました。これも店主さんの目が確かだと思った証左です。

 

入手させていただいた筆の名前を少し調べてみました

 

花柳 かりゅう はなやぎ これは花柳流という芸道もありますし、花柳界といえばかつては遊郭などを意味した言葉ですので、最初は坊さんなのいこれは・・・とも思ったのですが、いや待てよと少し思い立ち本来の意義を調べてみました。花の紅と、柳の緑、たおやかで美しいもののたとえであることを知りました。また「いき」であることもこの花柳にはあるようです。

なるほどと今は思います。花のような色艶があり、柳のようなたおやかさが有る、そして紅と緑は自然の勢いを示す色、これは私にピッタリの意味でした。言っておきますが、私は花柳界とは全く縁がありません。

 

ちなみに「いき」については九鬼周造の『いきの構造』は私の愛読書で、とても大きな影響を受けた本の一冊です。

かなり屁理屈を述べていますが、自分では納得しています。

 

次に気韻

気品の高い趣を意味する言葉。気品生動という言葉がありますが、絵や書道などで気品がいきいきと感じられることとと『広辞苑』では述べられています。気高く品がある、まさに書道とくに手紙に求められる名前。これはいい!

 

それとお店の名前の伽藍。七堂伽藍といいますが、お店は小さくコンパクトにまとまっていて、伽藍堂とは程遠いお店です。しかし、その持つと伽藍の迫力といいますか勢いが筆に載ってくるように思います。実物の店は小さくとも、中身というか充実度は七堂伽藍のように宇宙のようなありかたのお店。ちょっと大げさかもしれませんが、高野山は壇上伽藍を有し、そこに弘法大師の教えが凝縮されています。ですから高野山真言宗のお坊さんにとっては伽藍という名前は格別なんです。

 

 

今日は 筆のお話をしました 「筆屋 名古屋大須の<伽藍>」でした

| | コメント (0)

より以前の記事一覧