2017年4月23日 (日)

今日は何の日? 2017年4月23日は、 旧暦三月二十七日。 松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出た日

今日は何の日?

平成29年(2017年)4月23日は、
旧暦三月二十七日。

松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出た日である。
序文「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」は受験にも出るほど有名。

芭蕉が尊崇する西行法師(1118~1190)が逝去して五百回忌に当たる旧暦元禄二年(1689年)に旅に出る。

武蔵(江戸)、下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前、近江、美濃

芭蕉は『曾良旅日記』の著者である河合曾良を伴った。芭蕉十哲の一人である。

「草の戸も 住み替はる代よぞ 雛の家」
と江戸深川の採荼庵(さいとあん)を出立。

「行く春や鳥啼魚の目は泪」
『おくのほそ道』には この句を矢立初めの句として
「これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず 人々は途中に立ち並びて 後影のみゆるまではと 見送るなるべし」
と記される。

芭蕉はこの旅を出立してから5年後の元禄七年(1694年)に逝去。「おくのほそ道」は芭蕉逝去後八年を経た元禄十五年(1702年)に京都の井筒屋から出版刊行されており、芭蕉自身はその出版を知ることはなかった。

芭蕉は数え四十六(満44or45)歳で旅に出て、二年後に江戸に戻り、数え五十一(満49or50)歳で逝去している。今の自分の年齢よりもずいぶん若い時代に、後世の人々の心に深く響き渡った物を残していた。しかも、いのちを削る旅であったことは、想像に難くない。その俳句に掛ける熱き想いには頭が下がる。
準備をして私も心の旅に出ようと思う。

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2017年4月20日 (木)

今日は何の日? 4月20日 昭和天皇が最も信頼した、平和を望む海軍軍人であり政治家であった人物。「米内光政」 彼が逝去した日。

今日は何の日?

昭和天皇が最も信頼した、平和を望む海軍軍人であり政治家であった人物。「米内光政」 彼が逝去したのが、昭和23年(1948年)4月20日のこの日である。

米内は公然と、日独伊三国軍事同盟に反対した。山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長も同様であった。それを受けて、平和を望む昭和天皇は米内に組閣を命じる。昭和天皇御自らの意志であったという。しかし、陸軍が畑陸軍大臣を辞任させ、内閣はわずか半年で瓦解。米内が首相を続けていたら、昭和天皇の御意志を反映し、もっと違う結末だった可能性は高い。昭和天皇は「米内内閣だけは続けさせたかった。あの内閣がもう少し続けば戦争になることはなかったかもしれない」と側近に語られたという。

今日は、米内光政の思いを噛み締めようと思う。今にも十分通じる発言が多く、思いも深い。「日本が本当に復興するまで二百年かかる」と述べた米内の思いを受け止たい。

彼自身の、または彼について語られた言葉の中でも彼の人柄を示したものがいくつかある。

米内は海軍兵学校時代は「グズ政」と呼ばれていた。成績も中位。中位のものが大将にまでなったのは、米内が例外的な人物。学生時代から愚鈍に見えながらも大器の片鱗はあったという。

「本は三度読むべし。1回目は始めから終わりまで大急ぎで、2度目は少しゆっくり、3度目は咀嚼して味わうように読む」

「鎮海に二年、佐世保に一年、横須賀に一年というように、官舎でやもめ暮らしをしている間に読書の癖がついた。特に鎮海の閑職時代には書物を読むのが何より楽しみであった。そして、いま海軍大臣という大事な仕事をするのに、それが非常に役に立っているように思われる。人間と言うものは、いついかなる場合でも、自分の巡り合った境遇を、もっとも意義あらしめることが大切だ」と米内は部下に話したことがあるという。

長男の剛政に部下について、「器の中で自由に泳がせておけばいい。器からはみ出しそうな者がいれば頭をポカリとやる。それ以外は手も口も出さない。しかし部下を泳がせる器は自分が作るものだよ。自分の心がけ次第で広くも狭くもなる」と伝えている。

GHQの軍人が「米内提督が戦犯に指名されることは絶対にない。我々は米内提督をリスペクトしている」と語ったこともあるという。

「海軍を預かる人としては米内さんが抜群に一番でした」「包容力の極めて大きい人だ。米内さんに仕えた者は、誰でも自分が一番信頼されているように思いこむ。これが、まさに将たるものの人徳というべきであろう。山本さん(山本五十六)はよほど米内さんを信頼していたようで、『誰でも長所、短所はあるよ。しかし、あれだけ欠点がない人はいない』と言っていた」と述懐している。米内と親交のあった小泉信三は「国に大事が無ければ、人目に立たないで終わった人」と米内を評している。大西新蔵は「米内さんは、海軍という入れ物をはみ出していた大物だった」と米内が信頼していた井上成美大将は語った。

「連合国も永久に日本に軍備を撤廃させることはない。日露戦争の前のトン数を基準に海軍再建を模索すべし」「海軍には優秀な人材が数多く集まり、その伝統を引き継いできた。先輩たちがどうやってその伝統を築き上げてきたか、後世に伝えるべし」「海軍が持っていた技術を日本復興に役立てること」と海軍が解体されたときに保科善四郎軍令局長に伝えた。後に保科は間接的に海上自衛隊創設に関わったという。

「軍人というものは、一旦命令が下れば戦うのです」「陸軍の支配下に伸びて行った日本の、偏狭な国粋主義思想は世界に通用するものではなかったけれども、日本には古来から日本独自の伝統思想風習がある。その上にアメリカ流の民主主義を無理にのっけようとすると、結局反動が来るのではないか。それを心配している。民族のものの考え方は、戦争に負けたからといって、そう一朝一夕に代わるものではない」「国民思想は科学技術より大事だよ」と武見太郎(後の日本医師会会長)に返答した。

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米内光政

昭和天皇

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2017年4月19日 (水)

今日は何の日? 4月19日 二代目桂枝雀がこの世を去った。平成11年(1999年)のことである。

今日は何の日?

平成11年(1999年)4月19日のこの日、二代目桂枝雀がこの世を去った。

三代目桂米朝の弟子で、上方落語を代表する噺家であった。

彼のスタイルは独特で、大爆笑が伴った。徹底的に笑いを研究した人でもある。「緊張と緩和」、「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」が笑いの起きる場所、「閉じ」「開き」など理論を追求した人でもある。持ちネタも60に限定し、古典をとことん追求した。そして英語の落語。

そんな努力と天分の両方を持ち合わせていたからか、強度の鬱症でもあったという。そして鬱状態から状況が好転したときに、自ら命を断ってしまった。

今でも彼を思い出すと、あの独特な軽妙でありながら古典で裏打ちされた安心感という相反したものが一人の人格の中にあったことが思い出される。その相反したものが彼の中のエネルギーであったのかも知れない。もしそうだとすると、芸への没入こそが彼のエネルギーであり、そしてそのエネルギーが激烈であったればこそ彼は自分の身を燃やし尽くしてしまったようにも思える。

彼の逝去はあまりにも早く突然で痛すぎた。だからこそ、彼が残した言葉を大切にしたいと感じる。今日は彼の著述とCDまたはDVDを購入しようと思う。

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2017年4月17日 (月)

今日は何の日? 平成29年(2017年)4月17日=旧暦3月21日は真言高祖弘法大師(空海)の入定日。 承和2年(835年4月22日)のこと。 

今日は何の日?

旧暦3月21日
真言高祖弘法大師(空海)の入定日。
承和2年3月21日(835年4月22日)のこと。
高野山では壇場伽藍御影堂に入ることができる。

今日は未明(四時頃)に、
自坊の大師堂で金剛界立ての大師法を修す予定

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2017年4月15日 (土)

今日は何の日? 1990年4月15日のこの日、世界的な美人女優グレタ・ガルボが亡くなった。満84歳。

今日は何の日?

1990年4月15日のこの日、満84歳で、グレタ・ガルボが亡くなった。

サイレント時代から活躍した美人女優。世界中の人を魅了した。スウェーデン生まれの彼女はまさに美人の代名詞。今見てもゾクッとするほど美しい。

(といっても個人的には『グランドホテル』『ニノチカ』しか見ていないが・・・)

ところが35歳の1941年に突然と引退してしまった。彼女は後に「私はハリウッドに疲れ果てていたのです。仕事が好きになれませんでした。撮影現場に行くことを苦痛に感じる日々が多すぎました。……本当の私は全く別の人生を送りたかったのです」と語っという。

引退してからの彼女は、30本の映画で得た資産で生きていき、48歳でニューヨークに移り住み障害を底で暮らしたという。独身であった。

彼女はまた散歩好きであったという。

ガルボにちなんで、今日は美に意識を向け、散歩をしてみようと思う。

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2017年4月14日 (金)

今日は何の日? 4月14日 1986年に作家シモーヌ・ド・ボーヴォワールが逝去。

今日は何の日?

1912年にタイタニック号が沈んだ日であり
1986年に作家シモーヌ・ド・ボーヴォワールが逝去したのが、4月14日のこの日。

ボーヴォワールというと、哲学者のサルトルとの契約結婚が有名。お互いに自由恋愛とし、二年契約だったが、生涯続けられた。

高校生の時に、『第二の性』を読んだ。衝撃的であった。「On ne naît pas femme:on le devient. 人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と。これほど叙情的でありつつ、冷静な目があるのか。

女性解放の先駆者ではあるが、男性と対等になろうとした人ではない。人として、相手を尊重しつつ、自らをも解放しようとしていたのではないか?人としての解放だったようにも思う。

あのサルトルと50年の間、自由とは言いつつ、互いを尊重して添い遂げ続けた姿は、伝統的な結婚観を大きく揺るがしているように思う。

個人的には近づきたい女性ではないし、その思想には
同意できないものが多いが、偉大な女性であったことはわかる。 だからこそかもしれない。彼女の文章や生涯は、反対軸として、大きな影響を与えてくれた。今は感謝したい。

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2017年3月21日 (火)

今日は何の日「Twitter最初の投稿」SNSは使い手次第

今日は何の日?
2006年3月21日のこの日に
Twitterで最初のツイートが投稿された。
正式には6月から運用されている。
日本では2008年4月に日本語対応開始。

十年の間にTwitterはじめ
SNSが社会に与えた影響は大きい。
社会ばかりでなく
人間の精神にまで影響を及ぼしてきた。

社会改革の一助になったこともあれば
偽情報で混乱を引き起こすこともあった。
依存症になった者もいれば
SNSを利用して自己表現するものも居る。
商売に利用するものもいれば
他者の悩みを聞くものも居る。
他者批判を繰り返すものもいれば
他者を励まし褒め続けるものも居る。

いずれにしても使う者によって
毒にもなれば薬にもなりうるもの。

どうせ利用するならば楽しくありたいもの。
他者の言葉に惑わされずに(^^)

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2017年3月18日 (土)

今日は何の日? 3月18日「電卓が日本で発表された日」電卓に、道具とは何かを考えさせられた

今日は何の日?

昭和39(1964)年の3月18日
早川電機(現在のシャープ)が
トランジスタ530個を用いて
コンペットCS-10Aという名称の電卓を発表した。
重量は25kg、
サイズは42cm×44cm×25cm
今のパソコンよりも大きなものであった。
価格も53万5千円、
当時は大卒の初任給平均が2万1千500円
半端なく高額なものであった。

あれから五十年以上経ち
使いやすい大型の電卓 カシオMW-12GT
14cm5mm×10cm3mm×3cm
重さ 110g 価格1200円と比較すると

サイズでは体積が1/100以下
重さは1/200以下
値段は1/400以下
現在の大学卒初任給は203,400円なので
当時より今は9倍以上
つまり物価を平行移動させると
価格は1/4000以下となっています。

50数年の間に
消えることなく存在し続けている電卓は
そろばんや計算尺などの地位を完全に奪いました。

計算尺は今の子どもたちは全く知りませんし
そろばんも殆どできない子達が多い現代。

とても便利な機械のの発展は
物質文明を大きく発展させる
原動力になったと思います。
しかし、一方で人間の感性が
そのために鈍ってしまったのも事実です。
そろばんや計算尺に戻せとはいいませんが
そろばん式の暗算はとても大切に思います。

電卓という大革命が発表された今日だからこそ
電卓のようなものによって
過去の遺物となってしまった道具や
鈍ってしまった私たちの感性に
思いを馳せてみたいと感じます。

電卓はとても大切な道具。
しかしその道具は使用すべきものであって
その道具に支配されてはならないように思います。

道具とは何なのか?
その根本まで見つめてみるのも
この世のあり方を
ありのままに観みつめることにも
役立つのではないでしょうか?

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2017年3月14日 (火)

今日は何の日? 3月14日「大阪万博こと日本万国博覧会開会の日」

今日は何の日?
昭和四十五(1975)年のこの日
3月14日
日本万国博覧会
通称 大阪万博が開かれた。

岡本太郎の太陽の塔等
この時の万博は
国の成長の勢いもあったからか
日本中がわきかえっていた。

月から持ち帰った石を見るだけなのに
相当の人がエネルギーを
使ったのではないだろうか?

まさに過ぎ去りし
良き時代なのかもしれない。

当時成人していた
現在の六十五歳以上の方々で
「この頃は良かった」と
ノスタルジックな想いで
語る方は少なくない。
しかし、トイレ一つ見ても
現在の方が明らかに住みやすく
物は豊富にある。

なぜ今のほうが住みにくいのか?

物が豊富にあると
そのものに振り回されやすいのが
人の心。
人の身体は物でできているために
当たり前のことなのだが
それを理解していない人が
絶対的な多数。

よくよく
物に振り回されないよう
気をつけていたいものだ。

貧困は問題ありきだが
物がありすぎると
心が失われがちであるのもまた事実。

社会が物の時代へと、
勢いよく突き進んだ大阪万博当時。
大きな分岐点であったようにも思う。

だからこそ今日は
物でできた身体だからこそ
物によって振り回されないように
心のあり方を振り返ってみたい。

個人的には普賢行願讃を
本堂で読んでみようと思う。

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2017年1月 9日 (月)

神鏡を磨く 古い時計磨きから鎮守の神鏡に移り 自分自身のマーラと対峙する 観が重要

神鏡を磨く

例の緑の時計の
表面を磨いていて
突然と閃く

鎮守の鏡が全く磨いていない

確認しに行くと
案の定、緑青などで
全く何も映らない状態

そこで
水ヤスリや
コンパウンドなどを用いて
磨くことにした

なかなか綺麗にならない

一度は映りが良くなりかけた
ところがすぐに曇ってしまう

妙に綺麗にしようという
欲望が勝ってしまい
神仏への奉仕と
自らの心の磨きが
消えると
すぐに曇ってしまうことが分かる

なん度も繰り返しながら
いつの間にか
般若心経の真言を唱え
自分の心の中のマーラと対峙すると
次第に心が浄化されたのか
神鏡も物を映せるレベルに
なっていった

明後日には仕上げ用の道具が揃うので
この数日中に磨き上げようと思う。

今夜は途中ではあるが
これくらいにして
鎮守の神前に戻そう!

少なくとも今年からは
月に一回、月例不動護摩の
前日である27日には
鎮守様の鏡を磨くことを
決意させていただいた

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