2017年6月 9日 (金)

今日(6月9日)は何の日? 皇太子殿下の御成婚記念日 「結婚の日付と日本国民としての思い」

今日(6月9日)は何の日?
皇太子殿下の御成婚記念日
「結婚の日付と日本国民としての思い」

1993年(平成5年)6月9日、皇太子殿下であられる浩宮德仁様と、外務省職員(外交官)であった小和田雅子様が御成婚された。

個人的に皇太子殿下の霊性の高さを感じているし、江戸時代までの天皇家としてのシステムをある程度学んだ身なので、禁裏での皇太子ご夫妻に関する記述の多くは控えようと思う。

この日付を見て不思議に思う人がいるかもしれない。それは6月に結婚式が行われたことである。

一般的にジューンブライド(6月の結婚式)は憧れられる。その起源は、古代ローマにある。ローマは6月頃になるととても天候がよく、温暖で晴れ上がり結婚式にとても良い。6月のJuneとはユーノー(Juno: Iūno)というローマ神話で結婚生活を司る神に由来しているほどだ。ユーノーはギリシア神話のヘラに比定され、女性の守護神でもある。

ところが新暦の6月Juneとは、古来からの日本の旧暦五月皐月に相当し、別名を物忌月(ものいみづき)と呼んだ。お祝い事をしてはならない月であり、そのために端午の節供で、薬などを渡し、菖蒲(しょうぶ)で厄除けをしていた。それくらい物忌月は恐れられていた。梅雨であり、湿気が強く、病になりやすかったり食物が腐りやすいこともあったからである。

私は疑問に思った。なんで皇太子殿下は、そんな時節に結婚されたのか?まさか宮内庁が西洋に毒されたのか?

ところが私の疑念は杞憂に終わった。1993年(平成5年)6月9日の旧暦は四月(卯月)二十日であったからだ。宮内庁はジューンブライドでもあり、旧暦の物忌月を避ける絶妙な日であった。流石に宮内庁であると感心した。

今日の話とは関係ないが、最近皇太子殿下を批判する声が時折聞こえてくる、退位せよなどと素っ頓狂な論文さえ出された。どうも皇太子殿下および妃殿下の足を引っ張る人たちは、日本の皇統を崩そうとしているのではないかと感じる。それこそエセ日本人の可能性も高いし、皇室を恐れる海外からの何らかの工作かもしれない。

皇太子殿下は既に皇太子殿下である。次期、天皇となられることが決まった方である。そうしたご夫妻を批判するのではなく、国民として温かく見守っていくのが、象徴天皇制を戴く日本国民として当然ではないだろうか。

間もなく、殿下は天皇陛下として御即位され、妃殿下は皇后陛下となられる。つまらない揚げ足を取るのではなく、お二方をを私たちの象徴として支えていく日本であってほしいと強く願う。

画像に含まれている可能性があるもの:2人、、スマイル、子供
画像に含まれている可能性があるもの:2人、、スマイル、立ってる(複数の人)、スーツ
画像に含まれている可能性があるもの:2人、、スマイル
画像に含まれている可能性があるもの:2人、、スマイル、クローズアップ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月20日 (土)

今日(5月20日)は何の日? 「ジーンズ発祥の日」 創意工夫の大切さを知る

今日(5月20日)は何の日?
ジーンズ発祥の日
テーマ「創意工夫」

ジーンズメーカーのリーヴァイスLevi'sの正式名はリーバイ・ストラウス(Levi Strauss & Co.)。創業者はドイツのバイエルン州 ブッテンハイムで生まれたアシュケナージ系ユダヤ人で、18歳のときにニューヨークに移ったリーバイ・ストラウス。24歳で彼はアメリカ市民となる。その年に織物類の卸売事業「リーバイ・ストラウス&カンパニー」をカリフォルニア・ストリートで開始。ゴールドラッシュの際にキャンパス帆布地を利用した。
Levis_logosvg

43歳のとき、上顧客の一人ジェイコブ・デイヴィスから手紙を受取り、共同で金属鋲でズボンを造るようになる。リーバイ・ストラウスが44歳の時、1873年5月20日のこの日、リーバイとジェイコブはデニムの作業ズボンのポケットを銅製の鋲で強化する特許を特許番号139121号として取得。 ニューハンプシャー州マンチェスターのアモスキーグ社製の帆布を用いて、新しいスタイルの最初のブルージーンズを製造し始めた。

800pxlevi_strauss_1

今日はジーンズ発祥の日。相違と工夫により、ゴールドラッシュの炭鉱夫にも絶えられる製品として生まれたジーンズ。
Photo_tiquette_levis_501

個人的なことだがこの一ヶ月で8kg痩せることができたので、やっと手持ちのジーンズを履くことができるようになった。今日は昼間はジーンズを履いて、リーバイ・ストラウスやジェイコブ・デイヴィスなどの創意工夫を感じてみようと思う。

Levis_506_front

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月18日 (木)

今日(5月18日)は何の日? 「奥様は魔女が逝く」  原題を知る・・・『魅惑された』『魔法にかかった』

今日(5月18日)は何の日?
奥様は魔女が逝く
テーマ「原題を知る・・・『魅惑された』『魔法にかかった』」

1995年5月18日は、女優エリザベス・モンゴメリーが亡くなった。彼女はアメリカの映画やテレビ番組で活躍した女優。最も有名なのは『奥さまは魔女』の主人公サマンサ役。

日本タイトルは『奥様は魔女』だが、原題を見てみると'Bewitched'。bewichの過去形または過去分詞。bewichは「魔法をかける」という意味とともに「魅惑する」という意味もある。つまり、『奥様は魔女』の原題’Bewitched'は「魔法にかけた」「魅惑した」という過去形であるとともに、「魔法をかけられた」「魅惑された」という過去分詞の意味をも持つ。日本タイトルは覚えやすいが、原題の深みがちょっと足りないような気もする。

エリザベス・モンゴメリーは、世界中の人を鼻先の動きだけで魅了した。彼女は実際に魔法をかけたのかもしれない。

私も個人的にこのテレビドラマが大好きである。私も彼女の魔法にかけられた一人である(^^)

画像に含まれている可能性があるもの:1人、クローズアップ
自動代替テキストはありません。
画像に含まれている可能性があるもの:3人、子供、クローズアップ
画像に含まれている可能性があるもの:3人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月23日 (日)

今日は何の日? 2017年4月23日は、 旧暦三月二十七日。 松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出た日

今日は何の日?

平成29年(2017年)4月23日は、
旧暦三月二十七日。

松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出た日である。
序文「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」は受験にも出るほど有名。

芭蕉が尊崇する西行法師(1118~1190)が逝去して五百回忌に当たる旧暦元禄二年(1689年)に旅に出る。

武蔵(江戸)、下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前、近江、美濃

芭蕉は『曾良旅日記』の著者である河合曾良を伴った。芭蕉十哲の一人である。

「草の戸も 住み替はる代よぞ 雛の家」
と江戸深川の採荼庵(さいとあん)を出立。

「行く春や鳥啼魚の目は泪」
『おくのほそ道』には この句を矢立初めの句として
「これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず 人々は途中に立ち並びて 後影のみゆるまではと 見送るなるべし」
と記される。

芭蕉はこの旅を出立してから5年後の元禄七年(1694年)に逝去。「おくのほそ道」は芭蕉逝去後八年を経た元禄十五年(1702年)に京都の井筒屋から出版刊行されており、芭蕉自身はその出版を知ることはなかった。

芭蕉は数え四十六(満44or45)歳で旅に出て、二年後に江戸に戻り、数え五十一(満49or50)歳で逝去している。今の自分の年齢よりもずいぶん若い時代に、後世の人々の心に深く響き渡った物を残していた。しかも、いのちを削る旅であったことは、想像に難くない。その俳句に掛ける熱き想いには頭が下がる。
準備をして私も心の旅に出ようと思う。

自動代替テキストはありません。
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月20日 (木)

今日は何の日? 4月20日 昭和天皇が最も信頼した、平和を望む海軍軍人であり政治家であった人物。「米内光政」 彼が逝去した日。

今日は何の日?

昭和天皇が最も信頼した、平和を望む海軍軍人であり政治家であった人物。「米内光政」 彼が逝去したのが、昭和23年(1948年)4月20日のこの日である。

米内は公然と、日独伊三国軍事同盟に反対した。山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長も同様であった。それを受けて、平和を望む昭和天皇は米内に組閣を命じる。昭和天皇御自らの意志であったという。しかし、陸軍が畑陸軍大臣を辞任させ、内閣はわずか半年で瓦解。米内が首相を続けていたら、昭和天皇の御意志を反映し、もっと違う結末だった可能性は高い。昭和天皇は「米内内閣だけは続けさせたかった。あの内閣がもう少し続けば戦争になることはなかったかもしれない」と側近に語られたという。

今日は、米内光政の思いを噛み締めようと思う。今にも十分通じる発言が多く、思いも深い。「日本が本当に復興するまで二百年かかる」と述べた米内の思いを受け止たい。

彼自身の、または彼について語られた言葉の中でも彼の人柄を示したものがいくつかある。

米内は海軍兵学校時代は「グズ政」と呼ばれていた。成績も中位。中位のものが大将にまでなったのは、米内が例外的な人物。学生時代から愚鈍に見えながらも大器の片鱗はあったという。

「本は三度読むべし。1回目は始めから終わりまで大急ぎで、2度目は少しゆっくり、3度目は咀嚼して味わうように読む」

「鎮海に二年、佐世保に一年、横須賀に一年というように、官舎でやもめ暮らしをしている間に読書の癖がついた。特に鎮海の閑職時代には書物を読むのが何より楽しみであった。そして、いま海軍大臣という大事な仕事をするのに、それが非常に役に立っているように思われる。人間と言うものは、いついかなる場合でも、自分の巡り合った境遇を、もっとも意義あらしめることが大切だ」と米内は部下に話したことがあるという。

長男の剛政に部下について、「器の中で自由に泳がせておけばいい。器からはみ出しそうな者がいれば頭をポカリとやる。それ以外は手も口も出さない。しかし部下を泳がせる器は自分が作るものだよ。自分の心がけ次第で広くも狭くもなる」と伝えている。

GHQの軍人が「米内提督が戦犯に指名されることは絶対にない。我々は米内提督をリスペクトしている」と語ったこともあるという。

「海軍を預かる人としては米内さんが抜群に一番でした」「包容力の極めて大きい人だ。米内さんに仕えた者は、誰でも自分が一番信頼されているように思いこむ。これが、まさに将たるものの人徳というべきであろう。山本さん(山本五十六)はよほど米内さんを信頼していたようで、『誰でも長所、短所はあるよ。しかし、あれだけ欠点がない人はいない』と言っていた」と述懐している。米内と親交のあった小泉信三は「国に大事が無ければ、人目に立たないで終わった人」と米内を評している。大西新蔵は「米内さんは、海軍という入れ物をはみ出していた大物だった」と米内が信頼していた井上成美大将は語った。

「連合国も永久に日本に軍備を撤廃させることはない。日露戦争の前のトン数を基準に海軍再建を模索すべし」「海軍には優秀な人材が数多く集まり、その伝統を引き継いできた。先輩たちがどうやってその伝統を築き上げてきたか、後世に伝えるべし」「海軍が持っていた技術を日本復興に役立てること」と海軍が解体されたときに保科善四郎軍令局長に伝えた。後に保科は間接的に海上自衛隊創設に関わったという。

「軍人というものは、一旦命令が下れば戦うのです」「陸軍の支配下に伸びて行った日本の、偏狭な国粋主義思想は世界に通用するものではなかったけれども、日本には古来から日本独自の伝統思想風習がある。その上にアメリカ流の民主主義を無理にのっけようとすると、結局反動が来るのではないか。それを心配している。民族のものの考え方は、戦争に負けたからといって、そう一朝一夕に代わるものではない」「国民思想は科学技術より大事だよ」と武見太郎(後の日本医師会会長)に返答した。

596pxmitsumasa_yonai

米内光政

昭和天皇

Hirohito_in_dress_uniform

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月19日 (水)

今日は何の日? 4月19日 二代目桂枝雀がこの世を去った。平成11年(1999年)のことである。

今日は何の日?

平成11年(1999年)4月19日のこの日、二代目桂枝雀がこの世を去った。

三代目桂米朝の弟子で、上方落語を代表する噺家であった。

彼のスタイルは独特で、大爆笑が伴った。徹底的に笑いを研究した人でもある。「緊張と緩和」、「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」が笑いの起きる場所、「閉じ」「開き」など理論を追求した人でもある。持ちネタも60に限定し、古典をとことん追求した。そして英語の落語。

そんな努力と天分の両方を持ち合わせていたからか、強度の鬱症でもあったという。そして鬱状態から状況が好転したときに、自ら命を断ってしまった。

今でも彼を思い出すと、あの独特な軽妙でありながら古典で裏打ちされた安心感という相反したものが一人の人格の中にあったことが思い出される。その相反したものが彼の中のエネルギーであったのかも知れない。もしそうだとすると、芸への没入こそが彼のエネルギーであり、そしてそのエネルギーが激烈であったればこそ彼は自分の身を燃やし尽くしてしまったようにも思える。

彼の逝去はあまりにも早く突然で痛すぎた。だからこそ、彼が残した言葉を大切にしたいと感じる。今日は彼の著述とCDまたはDVDを購入しようと思う。

20160628a01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月17日 (月)

今日は何の日? 平成29年(2017年)4月17日=旧暦3月21日は真言高祖弘法大師(空海)の入定日。 承和2年(835年4月22日)のこと。 

今日は何の日?

旧暦3月21日
真言高祖弘法大師(空海)の入定日。
承和2年3月21日(835年4月22日)のこと。
高野山では壇場伽藍御影堂に入ることができる。

今日は未明(四時頃)に、
自坊の大師堂で金剛界立ての大師法を修す予定

17951932_10210820514980645_55792075

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月15日 (土)

今日は何の日? 1990年4月15日のこの日、世界的な美人女優グレタ・ガルボが亡くなった。満84歳。

今日は何の日?

1990年4月15日のこの日、満84歳で、グレタ・ガルボが亡くなった。

サイレント時代から活躍した美人女優。世界中の人を魅了した。スウェーデン生まれの彼女はまさに美人の代名詞。今見てもゾクッとするほど美しい。

(といっても個人的には『グランドホテル』『ニノチカ』しか見ていないが・・・)

ところが35歳の1941年に突然と引退してしまった。彼女は後に「私はハリウッドに疲れ果てていたのです。仕事が好きになれませんでした。撮影現場に行くことを苦痛に感じる日々が多すぎました。……本当の私は全く別の人生を送りたかったのです」と語っという。

引退してからの彼女は、30本の映画で得た資産で生きていき、48歳でニューヨークに移り住み障害を底で暮らしたという。独身であった。

彼女はまた散歩好きであったという。

ガルボにちなんで、今日は美に意識を向け、散歩をしてみようと思う。

Mig_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月14日 (金)

今日は何の日? 4月14日 1986年に作家シモーヌ・ド・ボーヴォワールが逝去。

今日は何の日?

1912年にタイタニック号が沈んだ日であり
1986年に作家シモーヌ・ド・ボーヴォワールが逝去したのが、4月14日のこの日。

ボーヴォワールというと、哲学者のサルトルとの契約結婚が有名。お互いに自由恋愛とし、二年契約だったが、生涯続けられた。

高校生の時に、『第二の性』を読んだ。衝撃的であった。「On ne naît pas femme:on le devient. 人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と。これほど叙情的でありつつ、冷静な目があるのか。

女性解放の先駆者ではあるが、男性と対等になろうとした人ではない。人として、相手を尊重しつつ、自らをも解放しようとしていたのではないか?人としての解放だったようにも思う。

あのサルトルと50年の間、自由とは言いつつ、互いを尊重して添い遂げ続けた姿は、伝統的な結婚観を大きく揺るがしているように思う。

個人的には近づきたい女性ではないし、その思想には
同意できないものが多いが、偉大な女性であったことはわかる。 だからこそかもしれない。彼女の文章や生涯は、反対軸として、大きな影響を与えてくれた。今は感謝したい。

17800292_10210796997312718_83883105

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月21日 (火)

今日は何の日「Twitter最初の投稿」SNSは使い手次第

今日は何の日?
2006年3月21日のこの日に
Twitterで最初のツイートが投稿された。
正式には6月から運用されている。
日本では2008年4月に日本語対応開始。

十年の間にTwitterはじめ
SNSが社会に与えた影響は大きい。
社会ばかりでなく
人間の精神にまで影響を及ぼしてきた。

社会改革の一助になったこともあれば
偽情報で混乱を引き起こすこともあった。
依存症になった者もいれば
SNSを利用して自己表現するものも居る。
商売に利用するものもいれば
他者の悩みを聞くものも居る。
他者批判を繰り返すものもいれば
他者を励まし褒め続けるものも居る。

いずれにしても使う者によって
毒にもなれば薬にもなりうるもの。

どうせ利用するならば楽しくありたいもの。
他者の言葉に惑わされずに(^^)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧