2017年3月17日 (金)

今日は何の日?3月17日「ダライ・ラマがチベットから脱出した日です」この出来事を内面化させたいと思います。

今日は何の日?3月17日。

1959年、チベットからダライ・ラマ14世が脱出したのが、この日です。どんなに正当性を訴えたところで、当時の中国共産党がしたことは侵略に他なりません。チベットという隔離された場所で、独自の仏教文化を営んできたチベットを占領し、それまで住んでいたところへ大量の別人種を送り込み、結果的には現在のチベットでは独立けできないような状況にしてしまっています。本当に悲しむべき出来事です。

この出来事から学ぶべきことはたくさんありますが、その中でも、自分の素朴な心が周りに溢れた物で侵略されていないかどうかを見つめるのも大切なことのように思います。チベットの人々の尊き犠牲を自分の内面にも生かしていたいと感じています。

今日は知多の岩屋寺さんのお手伝いに来ています。チベットのことも見つめながら、チベットの人々にとって、そして日本にとって良き道がこれから示されることを深く祈ろうと思います。
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2017年1月 3日 (火)

「今年は何をするのかを 見極めるには?」元日に遺書を書く

「今年は何をするのかを
見極めるには?」

かつて高野山では
お正月に住職たちは遺書を書いたという

私も高野山真言宗所属の密教僧として
今、遺書を書いている

今年のこれからの自分を
見つめることに
とても役立つ

生も死も
思うようにならないからこそ
見つめる機会もまた必要

何をせねばならないのかを
何を言い残すのかを
見極めることもできる

昨年と、実父が逝去したために
新年のお祝いは遠慮せねばならない故に
そうした身だからこそ
遺書のことを記させていただいた

何かを感じていただけたら
幸いである

自動代替テキストはありません。

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2016年12月23日 (金)

「ちょっとした工夫   ”みんなわらしべ長者”ゲーム  "負けるが勝ちじゃんけん"」

「ちょっとした工夫 
 ”みんなわらしべ長者”ゲーム
 "負けるが勝ちじゃんけん"」

ある会の年末忘年会で幹事をする。

いつものように若き合唱を楽しみ
今年は特別に、
少し年輪の多い有志によるハワイアン。

当初はこれだけの内容であった。

しかしこれでは寂しい。

せっかくの会合だから
異なるテーブルに着いた人達が
互いに交流する方法はないのか?

いろいろ考えてみた。

昨日の昼に母の用事でスーパーに出かけた。
そこで、ふと思いついた。

実験をしてみよう・・・

実験用に150円から300円程度のお菓子を
参加者分購入。
(実験なので自腹を切る(^^;と言っても
 大した金額にならないので
 このゲームはお金が
 あまりかからないことが判明 )
お菓子は全部バラバラの種類。

ハワイアンも終わり、会が五分の三、
終了した段階で各テーブルに人数分のお菓子を
適当においていただいた。

「これはいらないと思った
 お菓子を手に取ってください。
 これを交換していきながら
 自分が気に入っているお菓子を
 手にしてみてください。
 条件が二つあります。
 1)自分のテーブルの人とは交換しないこと。
 2)拒否は一回だけできるものとします。
 五分の時間制限ありです。」

ほぼ最初の三分ほどで全員が交換し終わり
およそ自分が欲しいものが手元に届いた。

おもったより受けの良いゲームであった。

効能は
・参加者のテーブル以外の方と交流できる
・欲しいものを手に入れる過程が見える
・自分だけという発想が消える
・全員がwin winになりやすい
・会話が増え結構楽しめる

反省は
・五分は長すぎた 三分でOK
・時間制限より
 例えば三回以上交換というほうが良い
・景品はもっと工夫する必要がある

思いつきで挿入したゲームであったが
それなりの効果があった。

そして最後は
負け続けじゃんけん。
勝つだけでなく最後まで負け続けた人に
景品である餅米五キロを渡すというもの。
効能は
・弱者救済の精神(^^)
・勝つことだけが良いことではないというもの

これも思いつきのじゃんけん大会であったが
それなりに楽しんでいただけた。

これからの宴会で十分に活用できるゲームを
今回は二つ獲得できた。
もう少し練って、深い意味も付加してみたい。

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2016年12月11日 (日)

派手さはなくとも 丁寧に作り上げる会も大切。

「派手さはなくとも
丁寧に作り上げる会も大切。
参加された方々に何かを得て頂き
喜ばれるものを」

本日、岐阜聖徳学園大学で
ロータリークラブの
岐阜大垣地区インターアクト協議会が
開かれた。

ホストとなる長良高校と
スポンサーであるうちのクラブと
ここに至るまで
細かい打ち合わせを何度も重ねる。

準備の段階で
当日、舞台の照明を
確認していないことが判明。
照明係がいない。
照明器具も全く分からないから。
試行錯誤の上でなんとか動き
ホテルマンにお任せする。
見事な動きは流石!

そのほかは順調。
本番もスムース。
ところが、
高校生の発表で
パソコンのマウスを間違って押され
画面が動かなくなるアクシデント。
すぐさまパソコン本体で
パワポをリセットして調整。

講演者がギリギリで会場入り。
短い時間で調整するが
パワポの使い方が実に古く
用意していたパソコンが使えない。
そこで急遽本人の機械を使用。
なんとか凌ぐ。

他は誠実に丁寧に
皆が動いていただいたおかげで
とても大切良かった。
派手さには欠けたが
参加者が満足する会であった。

派手に見せるパフォーマンスがなくとも
一つ一つ丁寧にこなして
少しのミスがあっても
全体で助け合いカバーしていけば
最終的には満点が取れることを
改めて知る。

さて、次の二十五周年は
ぎゃくに思い切り派手なことを
お金をかけずにして行く予定。

派手であろうがなかろうが
どちらにしても
参加された方々が
何かを得て
喜ばれるということを
基準に置いて!

画像に含まれている可能性があるもの:4人、立ってる(複数の人)、室内
画像に含まれている可能性があるもの:1人、室内
画像に含まれている可能性があるもの:1人、立ってる
画像に含まれている可能性があるもの:1人
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、オンステージ(複数の人)、室内

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2015年10月 3日 (土)

毅然とした態度が大切!

世界記憶遺産に南京虐殺と慰安婦問題を登録する動きとか。
もし通ってしまったのならば、次の一手は、それらをしっかりと偽物であると証明すればいい。第三国に調べて検証してもらえればすぐに分かること。その上で、南京虐殺や慰安婦問題を大きくでっち上げて(数字の改変など)、日本を貶めようとしたことを記憶遺産として登録することも考えても良いのではないだろうか?ここは国家を上げて予算編成して、調査隊をアメリカや欧州にお願いすることも良いのではないだろうか?
http://www.yomiuri.co.jp/world/20151001-OYT1T50106.html

正しくないものを正しいとするありかたが罷り通れば、ごネタもん勝ちのつまらない世界になってしまう。学校現場で起きているモンスターペアレンツにも繋がるもの。毅然とした態度が大切!

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2015年9月27日 (日)

茄子料理から教えられる

昼と夜、共に外食。法事のお斎と、旧町名の会。共にお茄子が出ました。秋茄子。嫁に食わすなというほど絶品だけれども身体を冷やすとも言われます。季節感あふれる食材ですが、料理の仕方で味は異なるもの。当たり前のことですが、食の生かし方も色々あるもの。守ること一つに決めるばかりが大切なのではありませんね。

一つのものでも色々な展開があり得る

いろいろなものでも実は一つのものの展開でもある

旧町名の会で講師の木村さんが示してくださった 「一体全体 」と茄子料理が妙に一致し 、この言葉が、一即多 多即一 または一門普門 普門一門 などなど密教のキーワードと同じなんだと知れて、とても嬉しく感じました\(^o^)/

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2015年9月21日 (月)

国会な以外の騒動を経験したのならば、より国家が大人となるように進んで欲しいですね

A「若者をしっかりと見つめているか?」
B「アウフヘーベンを忘れていないか?」
上記二題を扱う雑記です。
A
むかしあるボランティアの大会に携わりました。そのとき、学生をはじめとする若者たちが中心になっての動きがありました。

周りの大人は彼らの言葉を褒めて煽るばかりで、実態を見つめていませんでした。

若者のリーダーが居ました。言葉巧みに自分さえも酔っていました。周りはそれに言い返すだけの器量がありませんでした。

彼のことばは私には、全く染みこんできませんでした。

よく見つめてみると若者たちはじつはまとまっていませんでした。

周りを見渡すと、最も若いけれどもリーダーにむいている女性が居ました、私は事務方の若者一人に相談を持ちかけクーデターを図りました。そこでリーダーが入れ替わり、最も若い女性がリーダーになり、とても良い流れとなってボランティアの大会は成功に導かれました。

私は大会の後も若者をお寺に招いていろいろと話し合いました。元のリーダーも新たなリーダーも区別なく付き合っていきました。しかし元のリーダーは詐欺に近い行為をし始め、私は他の若者を守って、元のリーダーとの付き合いはやめました。私は良い点はほめることもありましたが最後まで彼を単純に褒め称えることだけはしませんでした。

今回の国会内外の騒動を観ていてその時のことが思い出されました。

多くの人が一部の学生を褒め称えています。しかし彼らを無条件に褒め称えるよりも、委員会に招いた大人のほうが大人であったように感じます。

それでも今回の改正に賛成派の学生は呼ばれていません。これはあきらかに問題ありです。
善悪は別として、私には反対派の学生の言葉が全く心に響きませんでした。自分に酔っているとしか感じませんでした。それは相手方の意見を全く聞く姿勢がなかったからです。あのときのボランティアの大会のことが思い出されるばかりでした。

相手方の意見も受け止めることができる、リーダーとして優れた人はもっと他に居たはずです。賛成派も反対派も、どちらもがまずは学生同士で、若者同士で話し合える場を設けるのが大人の役目であったように思います。

今回の大人はその義務を怠りました。だからこそリーダーとして中途半端な人が表に出てきてしまいました。

彼のことばに感動したという人は、本当に自分自身で考え、状況を見極めたのでしょうか?彼の発言が一方的であったことになんの違和感もなかったのでしょうか?

おそらくは多くの大人が若者たちとまともに付き合っては居ないがゆえに、表面上の付き合いをしてしまうがゆえに彼らを祭りあげてしまうのではないでしょうか。

どちらの陣営も、もっともっとしっかりとお互いに相手を見つめ、あのような場ではなく、公開の場でディベートすべきではなかったのでしょうか。

私は今も若者たちと話し合っています。


B
さて、一連の出来事を見ながら感じたことは以下のとおりです。
自分の国の総理大臣や政治家たちを説得できない人たちが、外交で他国と対等な平和外交ができるのでしょうか?この質問に答えている人はどこかにいるのでしょうか?
一方では、法律家・法律学者が憲法を順守し法治を守ろうとする姿勢は理解できます。この安保法案を認めてしまうと、法律はどのようにでも解釈できることになってしまい、法律家の基準までもが狂ってしまうからです。法律家の方々が今回の安保法案に反対するのは当然でしょう。

国際情勢の中で、大きな丸も小さな丸もない難問の回答をするときに、大きなバツを選ぶか・小さなバツを選ぶかは政治家の判断によるものだとも理解しています。

結論を出さねばならない時、批判を甘んじて受けるが、国家として大きなバツだけは選ぶことができない、これは認めたくなくとも認めざるをえないと考えています。なにが大きなバツか、何が小さなバツかも、立場によって異なるので、ここは難しいところですが、政治家は決断をする役目なので批判を受けるのも仕方がないし、決断を断行せざるをえないのも仕方がないでしょう。

こうしたことを批判する人が居て、反対する人が居て、決断する人がいるのは、社会として健全だと感じます。どこかの国は反対も批判も許されていないのですから。

Yes派もNo派も、いずれにしても自分の意見を押し付けるだけで、相手の意見を聞き入れるだけの度量がないように思えます。私は今回の出来事は日本にとってとても良い経験をしていると思います。より良き国を作るために反対意見を寄せあい、それをどう処理していくのか、ここが問われているように思います。

アウフヘーベンしていってほしいものです。

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2015年9月19日 (土)

山本太郎議員の横暴 宗教者としてこれは看過できない。冗談でもゆるされない

山本太郎議員が「安部総理は死んだ」と
まるで北斗の拳のような発言をし
喪服で国会の本会議場に行ったそうです。
目を疑いました。
山本太郎議員、喪服で総理に合掌

絶対やっちゃいけない行為!

本気だろうが冗談だろうが、
やって良いことと悪いことがあります。

あそこでアーメンなんてもしやったら、
キリスト教の人たちは
どのように想うでしょうか?

こうしたことを子どもたちが
真似をしたら
どういうことになるのでしょうか?

大人は大人として
こどもの範となるように
特に国会議員は本会議場では、
範となる行為が
自ずと求められているのでは
ないでしょうか?
それが民意によって選ばれたものの
役目ではないでしょうか?

今回の一連の出来事は
静観するつもりでしたが
これは見逃せません。
冗談じゃない!

一仏教寺院の住職として、
正式に抗議したいと思います。
 ※誰も声を上げないようでしたら
  一週間は様子見しますが
  正式に抗議文を出したいです。

これはやっちゃいけない。

一国を宰る首相への非礼もありますが、
それ以上に仏教に携わるものとして
看過できません。

死者への冒涜

葬祭儀礼への侮蔑

宗教心の欠片も感じさせません。
そういう人がいくら平和を訴えても
それは空虚なものなのでは
ないでしょうか?

心から訴えるのならば
あくまでも真摯に対応することが
国民の胸を打つのではないでしょうか?

こうしたことを停めない会派の人たちは
何を考えているのでしょうか?
小沢代議士は
ここまでトチ狂ったのでしょうか?

いや他の会派の人達も
なぜに停めなかったのでしょうか?

彼を応援している方々には
こうした彼の行為が
彼を象徴していることを
知ってほしいものです。
これを見て喜んでいる人は
大きな暴流に飲み込まれていることを
気づいてほしいものです。

私はこの議決内容の
賛否には言及しません。
しかし、この山本議員の行為は
一宗教者として
看過できないので記します。

尊敬してやまない方が
リンクをシェアされていたものを
私もシェアしました。
紹介してくださったことに
深く感謝します。

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2015年6月 7日 (日)

ときにはゆるりと

夜中に玄関から外に出る。
とても気持ちの良い風が吹き、
気温も心地よい。
昼間の暑さとは打って変わっている。
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ふと本堂を見ると明かりが灯っている。
あれっ?電気はついていないはずなのに。
よく見ると、月の光を反射していることが分かった。

雲間に見え隠れする月。朧月?
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あまりの美しさにカミさんと二人で見入ってしまう。

しばらくして玄関に戻ると、一匹の虫がいた。
思わずカメラ(^^)
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人の社会が織りなす喧騒の世界があろうとも、
この地球は自然のありかたを保とうとしている。
時にはこうしたゆるりとした感覚を大切にせねば(^^)

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2015年5月29日 (金)

久能山東照宮にて  間もなく東照神君家康公の四百年忌正当日

久能山東照宮に出かけてきました。
東照神君徳川家康公が葬られた場所です。

東照宮は南向きなのですが墓所は西向きにありました。
一般的には西を見つめるためと言われていますが、
それならば何故久能山なのか。
そのヒントはやはり東照宮の御本地が
薬師如来であることではないかと思います。
薬師如来は日本中の国分寺の多くが本尊としていますが、
それは治病は肉体のみならず国家にも当てはまり、
鎮護国家もまた薬師如来の役回り。
だからこそ、薬師如来が神として権現されたのが
東照神君。
それならば東方瑠璃光浄土ですので、
西向きにあることが分かります。
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廟は仏教式の仏塔ですし、
阿弥陀信仰の家康であるにも関わらず
西向きになるのは、
とても面白い想像を掻き立ててくれました。
ガイドさんとお話したところ、
お互いに一致したのは
南光坊天海上人が
関わって理論付けたのではないかということです。
仏教、特に密教の視点から東照宮を見直すことも
大切だなぁと改めて感じました。
天海僧正をもう少し追ってみようと思います。
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