2023年5月10日 (水)
2022年4月13日 (水)
梨の花 雑話
今回は遊歩の言いたい放題「梨の花 雑話」
桜は八重桜が咲き、桃の花も散り、
梨の花が綺麗な時節になってきました
あまり知られていませんが
白く清浄であり どことなく梨の甘さが漂う花は
この季節の見どころの一つです
うちの境内にも一本のなしの木があり 小さな実をつけますが
さくらんぼと同じように いつも鳥たちに食べられています
花の話題に戻します
ナシの語源はいろいろあるようです。
果実の色が白いことから
「なかしろ」「な・か・し・ろ」となったとか
「色なし」「いろなし」となったとも言われています
また風が多いと実がなりにくいことから「風なし」「かぜなし」とか
中は酸っぱいので「中酸(なかす)」「な・か・す」「なし」
だとか言われています
ただしこの「なし」が「無し」に繋がるので忌み嫌われ
家の庭には植えるなとも言われたそうです。
でもちょっとひねると般若心経の「空」や「無」にも繋がるので
「無罣礙」「無有恐怖」つまり「罣礙無し」「恐怖有ること無し」
などと解釈すれば良き意味だと思います。
よくよく見つめてみると梨園とありますよね。
そうそう歌舞伎の世界を梨園といいますね。
その語源は
唐の最も勢いがあった頃の玄宗皇帝が梨を集めた園に
音楽教習所を設けたことから始まりました。
また玄宗皇帝の愛娼楊貴妃も梨に喩えられます。
死後、仙境に生まれ変わった楊貴妃。
その容姿を唐の名詩人・白居易・白楽天の
有名な「長恨歌」の中で、形容したのが
「玉容寂寞涙欄干
ぎょくようは じゃくまくとして らんかんに るいす、
梨花一枝春帶雨
りか いっし はる あめを おぶ」
およその意味は 宝玉のように美しい楊貴妃の顔は寂しげそうで、
涙がぽろぽろぼろぼろとこぼれている。
梨の花が一枝、雨に濡れたような風情である」
そのように楊貴妃による玄宗皇帝への思慕の想いを歌ったこの詩は、
美しき人がひとり思い佇む様子を描いています。
少なくとも絶世の美人である楊貴妃を
梨の花に喩えていたのは間違いなく、
そのたおやかさを表す樹木であったことも間違いありません。
日本では清少納言が『枕草子』で
梨の花、世にすさまじきものにして、近うもてなさず、
はかなき文付けなどだにせず、
愛敬(あいぎょう)おくれたる人の顔などを見ては、
たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あはひなく見ゆるを、
唐土(もろこし)には限りなき物にて、詩(ふみ)にも作る、
なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、
花びらの端に をかしき にほひこそ、心もとなう つきためれ。
楊貴妃の、帝の御使に逢ひて泣きける顔に似せて、
「梨花一枝、春、雨を帯びたり」など言ひたるは、
おぼろけならじと思ふに、なほ いみじうめでたきことは、
類あらじと覚えたり。
梨の花は、世間一般ではつまらないものだと考えられていて、
身近において愛でることはなく、
ちょっとした手紙を結びつける枝にも使われない。
優美な魅力の劣る人の顔を見ては梨の花に喩えていうほどで
まったく葉の色からしても色の配色が良くなく見えるのだが
唐土(チャイナ)ではこの上もないものとして
詩にも詠まれている。
それでたとえそうであったとしても役立つことはあるだろうと
しいて見てみると
花びらの端のほうに、風情のある美しさが
はっきりとはわからないぐらいについているようだ
楊貴妃が玄宗皇帝の使者に会った時に泣いた顔に合わせた表現で、
「梨花一枝、春、雨を帯びたり」というのは、
たやすいことではないと思うのだが、
やはりなんといっても本当に素晴らしいことは
他に類がないもののようにも思われてしまうの。
まぁ見事なくらい世間では梨を嫌っているかのように
清少納言は無しを最初はくさすのですが。
最後は少し教養を持ち出してなしの素晴らしさを伝えています
清少納言の知る梨の木は、
楊貴妃を喩えた枝や 私たちが現代で観る枝と
異なっていたのかもしれませんね・・・
さて梨の花言葉は、英語では「affectionすなわち愛情」
また樹木としての花言葉は英語ではcomfort 「癒し」「慰め」
そして梨の誕生花の日付は4月20日、4月30日
家に植物としての梨を植えないほうが良いと
言い伝えられていますが、
先程も述べましたが
仏教的には「罣礙なし」「恐怖あることなし」となりますから
お寺にはとても良い樹木だと私は感じます
何よりも香りが良い花でもありますから
今回は遊歩の言いたい放題「梨の花 雑話」でした
2022年4月 9日 (土)
否定と断定の言葉 これでいいのかなぁ?
遊歩の言いたい放題 「否定と断定の言葉 これでいいのかなぁ?
仏教界関連でよその宗派の方々と話していると
ある特定の話し方が気になって仕方がありません。
仏教は○○○ではありません
***です
一見なんでもない発言ですが 否定と断定の言葉
よくよく注意していると
絶対ではありませんが、こうした発言をされるのは
ある特定の宗派の方が多いことが見えてきました
発言がとても短絡的というかかなりの決めつけが多い
仏教も宗教なので一つの方向を示すのは当然ですが
何か押し付けられている感覚があります
考える余地を残さない発言は洗脳に繋がり易いので
へそ曲がりの私にはどうも耐えられないのです
確かに○○○という考え方もありますが
仏教では***という見方もありえますが
如何でしょうか?
私は師匠方から
相手に選択肢を残す考え方が大切であると教えられてきました
仏教は自覚を促すことを大切にするからです
自ら見つめ考えることを大切にする教えとも言えるでしょう
時と場合にもよるでしょうが
やはり断定的に押し付けるのはかなりの違和感があります
ただし逆も言えることで
受け手が断定的な言葉には疑問符をつけるという変換が頭の中にあれば
問題なしなのかもしれませんね(^^)
こんなことを考えているさなかに
夜の名古屋城に生きました
確かに美しいのですが、これではそう思わない人もいるだろうなぁと
ライトアップはやり過ぎかなぁと
感じる人もいるように思えました
まぁこうした考えに反対の方もいらっしゃるでしょう
ただこうしていろいろな側面から物事を見れるといいですね
改めて
緩やかであり
誤差をもゆったりと受け止めてくれる
慈悲に満ちた真言宗を選んで
良かったなぁと私個人は感じています
2022年4月 8日 (金)
108とは何か?
今日は 遊歩の言いたい放題 「108とはなにか?」です
一般的には仏教では、除夜の鐘に代表されるように百八煩悩はじめ108という数字
百八煩悩といえば
その根拠の数字は
六根にそれぞれ好・悪・平があり6×3=18
それぞれに浄と染があるので18×2=36
そしてそれぞれに過去・現在・未来があるので36×3=108
または
六根に好悪平の6×3=18
六根に苦楽捨の6×3=18
合わせて18×2=36
それぞれに過去現在未来で36×3=108
または十纏と九十八随眠で108
という理屈で言われてきました
それに合わせて
大般若経や大智度論には百八三昧
方等大荘厳経には百八法門
法華経化城品には百八十劫
無量寿経には百八十億菩薩
金光明最勝王経には一百八十不共之法
入楞伽経には百八見
真言関係では百八名讃・百八護摩・百八念誦・百八尊
実に多くの百八がでてきます
それにともない真言を数える場合に100ではなく108回が基本です。
数珠もまたしかりで真言で用いるお数珠は百八が基本です
108すれば100は超えるから
という言い伝えも有るほどです。
しかし、しかし
それにあまり納得はしていませんでした
納得していなかったのですが
修練には必要なので用いてきた
100より108のほうが修行的には確かにしっくりくるので
深く考えず108回を大切に念誦をしてきました。
ところが毎月第一月曜日におこなっている宿曜:密教占星術の勉強会でふと気づいてしまいました
仏教の宿曜は27宿です
古代のチャイナ起源のものは28宿なのですが
仏教はあくまでも27宿です。
たまたまチャイナの二十八宿の名前を借りたものでややこしくなってしまいましたが
基本的に仏教の宿曜の各名前の漢字には全く意味がありません。
さてこの27を四季を意味する四倍にすると
27×4=108。
おおおおお
これを少し考察してみると、
一年は12ヶ月。
一ヶ月はおよそ30日なので、
10日ずつ上旬中旬下旬の三つに分けると、
一年で12×3=36旬
この一旬を3つに割ると
36×3=108。
なるほどぉ・・・
ひょっとすると108とは仏教起源ではなくインド占星術なのではと考え調べてみましたら
やはりありました
https://shrifreedom.org/yoga/importance-of-108/
108はインド占星術に関係しているようです。
インドにおいて占星術はとても重要です
仏教経典でも時折引用していますから、
その流れで108があるのではないかと
つまりインドの元々あった習俗の中に108を神聖視するものがあると納得。
これで百八煩悩ではなく
天の分け方であると見れば気持ち良く108を真言念誦で数えられる・・・
とおもいきやびっくり仰天考察を発見
この先程のサイトにビックリ考察が出ていました
そのままの数字を書くと著作権にも触れてしまいますので
私なりに数字は検証を施しました
太陽と地球の距離は およそ149,600,000km
太陽の直径は およそ1,392,700km
これを割り算すると107.4172471..... あらぁ...
月と地球の距離は およそ380,000km
月の直径はおよそ 3474.8km
これを割り算すると109.358812
ちなみに地球の直径は12,742km
太陽直径÷地球直径=109.299953....
あららどれも108に近い数字
恒星惑星衛星間の距離は
伸び縮みするのでかなりの誤差は出やすいですので
自然科学的には一概に108という数字を当てはめられませんが
宗教的に見れば誤差の範囲とも言えるほどどれもが近い数字です
地球が365日で太陽の周りを回るのも360度に対する5日ほどの誤差
この誤差があるから生物が生きられるといいますので
誤差もまた慈悲。
これは24時間の自転の誤差にも当てはめられるようです。
誤差はぴったりよりも、緩やかな慈悲ととらえるとなんとも言えないしっくり感です。
やはり108は神秘な数字。
ただし誤差も許容すべし・・・・
この天の差配を偶然と観るのか 意味有るものとして内面化するのかは
個人差がありましょう。
ただトレッキーでも有る宇宙大好きな私には
この108前後の数字は
宇宙を構成するなにかヒントが有るのかもしれないと考えると
ワクワクして、よりいっそう修行に励めめます(^^
ということで今夜は大好きな大好きなスタートレック・ピカードを観て
宇宙の法則性を感じてみようと思います
2020年4月15日 (水)
敵を作らなければ自分を保てない人はこの世で輪廻する

2020年2月25日 (火)
対処だけでなく根本原因を見つめる視点が大切:ある北欧の医師の本を読んで感じたこと
2019年9月 7日 (土)
他者と何が違うのか? ある田舎真言坊主の独白
他者と何が違うのか?
少し、自問した。
すると、高校時代に大きな転機があったことが分かった。
父が単身赴任海外出張していたバンコクを訪ね、貧民街を伯父と二人で歩いてから人生観が変わった。
それまでは全くの理系で、人を相手にすることが苦手だった。ところが、その貧民街を歩いて、自分の持つ視野の狭さに躓いた。心の奥底に眠っていた自分が目覚めてしまった。
そんな時、本を読む機会が増えた。和訳だがギリシア古典を読むようになり、ついには哲学書に手を出してしまう。ハイデガーだった。さっぱり分からなかったが、読破して喜びを感じる。
そこから、キェルケゴールや、ショーペンハウエルなどの実存系の哲学書にはまっていく。しかし、読めば読むほど、奥底の声が違うと叫んだ。
聖書を読み始めた。旧約から新約を読み始めふた回り読破した時、ヨブ記の特異性に惹かれていった。
そんなある日、本屋でカール・ヒルティを知る。嵌ってしまった。法律学者であり政治家であった彼の根幹は聖書であった。『キリストにならいて』を彼を通して知り、愛読書とした。今思うと恥ずかしながら、パン屋で種無しのパンを焼いてもらい、ワインを買ってきて、一人でイエスを想い、食をしたことも数度ある。
それから、本だけではなく、宗教関連施設を訪ね、僧侶や神父、牧師を訪ねていくようになった。
その途中で、京都国立博物館で初めて曼荼羅(伝真言院曼荼羅と高雄曼荼羅)を見て、時間を失った。一時間、経っていたが私には1分も感じていない状況だった。
弘法大師への思いが募り、高野山に登ってしまう。
私の基本は、この頃にあった。乱読とは言え、多くの西洋古典や西洋哲学書を読んだ。ヒルティの影響が強く、カントやギリシア古典を多読した。聖書を何度も読んだ(通読はニ回)。その時の読書が、その後の密教理解にとても役立った。むしろ、密教を理解するための訓練を、カントやギリシア古典・聖書を通しておこなっていた。これも今思えば、私という自我を形成するために必要な過程であったと思う。
咀嚼する牙は西洋哲学やギリシア古典・聖書によって磨かれていた。
ヒルティを久しぶりに手に取った。岩波の『幸福論』は五冊は買っている。それくらいボロボロになるまで読んだ。書き込みもした。彼の全集も手に入れ、『幸福論』はドイツまで行ってドイツ語まで手に入れ、気になる単語の元の単語を調べるようにもなっていた。そして、いつのまにか、密教という牙でヒルティを読むようになっていた。
このところ、お寺の住職として、流れに流されている感が少なからずあった。
久しぶりのヒルティはそれを元に戻してくれた。
あの時の、心の奥底からの情熱を改めて見つめると、恥ずかしいが、やはり相当な熱量であったと思う。方向も間違ってはいなかった。もう一度、その流れの基本を見直す機会を得たように思う。
明日から変わるわけではない。
しかし、大きな大きな流れの中で生きている自分の個性を見つめ直せたことは大きい。
2019年6月26日 (水)
どんな宗旨宗派にも密教あり
弘法大師の深い教えは、
あらゆるところに密教が有るというもの。
どんな宗旨宗派にも密教があり、
そこに触れたものは表面的な密教徒よりも
深い密教者だと私は感じている。
密教徒として密教者と手と手を取り合いたい^_^
2019年6月25日 (火)
形式的な宗旨よりも信仰心
広く深い信仰心を持つ人は匂いでわかる。
宗旨宗派を超え手と手を取り合える。
それは人知を超えた感覚。
互いに補完しあえる、
いわゆるオーラや使命があるのかもしれない。
宗派が同じであることよりも、
信仰心の広さと深さを
分かり合える人の方が
心地良い。
2019年5月31日 (金)
若き日の思い:世俗的な欲望に背を向け、天上の深奥の流れに乗って出家し、いまもまた歩み続けています
若き日の写真を見つけました。若き日のメモを見つけました。若き日の写念仏を見つけました。
高野山に登ると決意したとき、出家を決意したとき、高野山を降りて塾に就職したとき、その塾をやめるとき、止むに止まれぬ思いが身体を駆け巡りました(その思いは一種の狂気なのかもしれません)。
そこには世間的な出世心や金銭的な欲望や単純な知的欲求はなく、遙かなる天上から、深奥なる内なる世界から、その両者から溢れ出てくるエネルギーが私を突き動かしました。そして今もそのエネルギーに乗って生きています。
そのために、ときには世間的な常識から外れることもあります。また世俗的な楽しみが、あまり好きではありません。飲む打つ買い、他者を支配するという世俗的な欲望を理解できません(理解したくもありませんが)。
真言密教の法で祈り、その教えを受け納得し、気付き、目覚め、感じ、体得することほど面白いことは私にはありません。そしてその一端を周りに伝え、共に歩む人と手を携えて歩み、一人でもほんの少しでも共鳴していただくことが至高の喜び。今はただそのために動いています。
寺子屋も、
環境省登録環境カウンセラーも、
中日文化センターの講師も、
ロータリー活動も、
徳川宗春卿のことも、
異宗教間対話も、
すべてが私にとって真言密教という大きな道の中のこと。
こうした道は誰にでも開かれたものではありません。ですから理解してもらえないことが多くあります(残念ながら表面的なお坊さんほどわかってもらえません)。
それでも私は今の道を歩んでいきます。
共に歩もうとする人がいる限り。
私から何かを感じ取っていく人がいる限り。
来月の半ばには、得度して丸34年を迎え、35年目を歩むことになります。あのときの深き強き思いを見つめ直し、その大きな流れに改めて感謝したくなり、こうした投稿をしました。
より以前の記事一覧
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- 質素倹約ばかりでは民は生きられぬ。この世は祭り!(by紀文) 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.03.11
- 「絆」にちょっと待った!原意を知って使ってる? 絆から結びへ転換の時では? 2012.03.10
- あえて将軍の逆を行う。民のためならばこそ 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.03.10
- 上に立つものは常に孤独 自らの道を進め 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.03.09
- 若き日に苦悩する宗春(通春) 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.03.08
- 理屈だけでは人は動かない 人情が人を動かす 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.03.08
- 自らまいた種は自ら刈り取らねばならぬ 正義も悪も相対的なもの「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.03.07
- 大楽と大欲 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.03.06
- 自らが人柱となるくらいの覚悟が必要。常に学問と世情の両方で心の鏡を磨き、暗闇に光を当て歩む 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.03.05
- 海のように広く、敵であっても優しく受け止めよ 「千年先を見つめて(尾張七代藩種徳川宗春物語)」より 2012.03.04
- 水清ければ魚棲まず 身の丈にあった遊びは大切 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.03.01
- 情に流される愛論と理屈に走る見論を離れる 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.29
- 四苦八苦を抱え、根を張る時期。人の三不幸とは?「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.28
- 田舎から僧侶を迎える葬儀が徐々に増え始めているとのこと。 2012.02.28
- お目こぼしも必要 ただし、慈悲に基づくさじ加減が重要 「千年先を見て(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.27
- 殿の中で咲く蓮の華のように 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.27
- 生きていて死する者と、死して生きる者 赤穂事件と公辯法親王 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.25
- 欲と暴れ馬 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.25
- 「海」の意味 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.23
- 権謀術策に対する態度 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.23
- 他と異なる道を歩む 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.23
- 性欲や物欲をどうするのか? 「千年先を見つめて(尾張藩七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.23
- 相撲 武道 の心得 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より 2012.02.23
- 「千年先を見つめて」の言葉 慈と忍 そして美 2012.02.22
- 祭りを通じて、人としての生を謳歌することが大切! 2012.01.22
- オゾン層破壊問題と原子力問題が私達に伝えている物 2011.04.07
- プライベートシェフ付きの一週間 2009.05.24
- 地元の代議士と共に地域密着型総合施設 COM. DO2(コムドゥードゥー)を訪ねた 2007.12.22
- 地域密着型総合福祉施設 COM. DO2 (コムドゥードゥー) 2007.12.17
- また別の箇所に「ものもらい」 2007.12.10
- 副作用と中道 2007.12.10
- 初めてのCTと割烹『かさ井』 2007.09.10
- マドンナのDVD コンフェッションズ・ツアー・ライヴを観て 2007.03.08
- 講伝の戒と広観斂観の話で感激する 2006.11.13
- カバラと真言密教 雑感 2006.11.06
- 結果から原因を見る 2006.10.24
- 懺悔・・・護摩供養にて 2006.09.30
- 十六大菩薩を学ぶ 2006.09.23
- 月輪観の工夫 2006.09.15
- 坊さんの坊主嫌い 2006.08.24
- 四季の祭りを考える(2) 2006.08.16
- いのち感謝祭 2006.08.15
- 個人の深化・泥田に咲く蓮の花 2006.08.11
- 色と音(色聴) 2006.08.10
- 四季の祭りを考える 2006.08.06
- 自分自身の才能のマネージャー 2006.08.05
- 一つの細胞 多くの細胞 2006.07.23
- 七月二十一日月例弘法大師法話 2006.07.21
- 鷹匠より教えられる 2006.06.13
- 故Sさんが再会させてくれた。動きが早まってきている 2006.05.24
- 若者たちの相談に乗る 2006.04.23
- 「養生訓」 貝原益軒著 2006.04.09
- ロバート・フロスト 2006.04.04
- アンソニー・ロビンズ 2006.04.04
- 薬師如来と呼吸 2006.04.03
- 呼吸法 2006.04.02
- 喘息の発作による気づき 2006.04.01
- 車椅子で横浜綱島から代々木へ 2006.04.01
- 車椅子 2006.04.01
- 原子力発電から明治維新までの話 2006.03.19
- アレクサンダーテクニック 2006.03.18
- アレクサンダーテクニック横浜から、お茶の水の聖地へ 2006.03.17
- アメリカ人の友人と 2006.03.16
- お灸をすえられる 2006.03.13
- 長良橋近辺の乱立する建物を見て 2006.03.08
- 三つのお話 2006.03.04
- 内弟子の得度式 2006.02.18
- 争い・・・喧嘩も戦争も根っこは一つ 2006.02.08
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