2014年9月21日 (日)

発想の転換 地方であることのデメリットをなくすには・・・ある国家資格を持っている方のお話

ある国家資格をお持ちの方とお話をしました。
その方は、東京でその資格を活かし、
専門性の高い仕事をされていたそうです。
ところが、家庭の事情で
どうしても岐阜に戻らねばなりませんでした。
岐阜の仕事を東京ですることはあっても、
東京の仕事を岐阜が受注することはまずありません。
これを開拓するには、あまりにも大きな労力が必用。
しかも岐阜では専門を活かした仕事もできません。
そこでその方は大きな決断をされました。
海外の仕事を受注しようと。
色々なルートを用いて
海外の顧客を積極的に広げていった結果、
日本での仕事も格段に増えたそうです。
しかも海外で名前が知れたおかげで
日本でもとても高い信用が得られたとのこと。
海外の人にとって、日本のどこでもよく
東京でないといけないということはない
その発想が大いに成功をもたらしてくれたそうです。
国際民間交流も今も数多くされています。
そのうえ、仕事も一人ではなく
同じ資格を有する方を五人
雇うことができる規模となったために、
それぞれの専門性を活かした
きめ細かい仕事へと移ってきたそうです。
とても興味深い考え方でした。
もっともっとこの方から学びたい、そう感じます。
同じグループに入っているのですが、
偶然にも義叔父と深い知己であることも分かり、
可愛がって頂いています。
人のつながりに感謝。そ
してこの考え方をしれたことにも大いに感謝しています。

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2014年7月17日 (木)

遊歩和尚のつぶやき「桂文珍さんの歴史人物評は、とても学ぶところが多く、面白い ただし二十年前のもの」

二十年ほど前に桂文珍さんが『日本歴史人物講座 フムフムなるほど人間がわかる』(PHP)を書かれていました。たまたまそれを手に入れ、読んでみました。紋切り型の内容も少なくありませんが、一人ひとりの人物を、短い言葉で表現するその能力には頭が下がります。私自身も歴史物を扱うことが少なくないので、文珍さんの表現の仕方を学ばねばならないと感じます。

具体例をしめすと

織田信長は「運のええ人やった」・・・本能寺の変で急死した彼をこう述べるのも、おもしろい視点です。

武田信玄は「優しすぎると、部下と女性にはモテるが、創業者にはなれない」。豪傑のイメージが強い信玄を心優しき人であったとするのは、大河ドラマの中井貴一さんのイメージが手助けしたのか、これも面白い視点です。

そのほか、平清盛、北条政子、坂本龍馬、お市の方、豊臣秀吉、北政所、徳川家康。淀君、源義経、伊達政宗、春日局、前田利家、平賀源内、勝海舟、西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作、足利尊氏、楠木正成、聖徳太子、菅原道真、斎藤道三、北条早雲、毛利元就、明智光秀、千利休、石田三成、加藤清正、真田幸村、竹中半兵衛、大石内蔵助 を扱っています。
一読をお勧め。

Kindle版は以下から入手可能。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00799P5N2?adid=01JVH9NEHFF32NMR3A5F&camp=243&creative=1615&creativeASIN=B00799P5N2&linkCode=as1&tag=prpmenade-22

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2014年7月16日 (水)

遊歩和尚のつぶやき「組織の目的って何?300年ほど前に徳川宗春公が藩士たちに警告していたこと」

遊歩和尚のつぶやき「組織の目的って何?300年ほど前に徳川宗春公が藩士たちに警告していたこと」

今日の午前中はある組織への加入のお誘いを受けました。午後には既に属している組織からの通達事項がありました。一日を振り返り、ふと感じたことがああります。

主婦というオリジナルカテゴリーを持つ女性はそうでもないのですが、男性の多くは組織に属することを望むことが多いようです。

政治でも国や党や派閥に属し、宗教でも宗団に属し、会社や公共団体という組織、組合という組織、町内会という組織。とにかく色々と考え組織を作っています。

それは独りではできないことを組織的にすることに便利ならしめるためであり、より効率的に、互いに助けあうためのものであるはずです。ですから組織は、時には大いなる力を発揮します。

しかし、この組織も硬直化するとどうなるかというと、個人を縛り上げ、本来の目的とは全く関係のない組織の維持という別の論理が飛び出してきます。そうなると本来の組織を作った目的は後退し、逆に個人を苦しめたり、他を支配するために便利なものへと変貌していってしまいます。権力闘争が生まれ、組織としての最初の目的は失われてしまいます。

しかしその組織を本来の姿に戻そうには、力も知恵も、相当なものが必要です。独りや少人数では到底できることではありません。改革をするためにと、最初のうちは良き思いで進んでいくのですが、権力を得るたびにその思いは現実に押しつぶされていき、いつのまにか自分は自分が批判してきた人々よりもより一層硬直化した考えになってしまうもの。

それを尾張七代藩主徳川宗春公は『温知政要』というマニフェストで
「世間の様子をよくよく考えてみると、どんなことでも用いられるべき人がまだ志を得ずに役職にも就かない初めの頃は”私が事を執り行なう役職に就いたのならば、上のためにも下のためにも全てのことで滞る事なくうまく仕 事をしてみせるのに”と、心に思い口にも言って、もどかしいように言うのだが、その職に就くやいなや今までの心とは大きく異なり始め、自分が笑い謗ってきた人たちと少しも変わらなくなってしまい、かえって今までの同輩の人たちを引きずり落とすようなことばかり考えるようになることが必ずと言って良いほど起こってくる。皆が皆、私欲の卑しい心から考え方が変わってしまうからである。それと同じように既に上に立っている者も、最初は物珍しいこともあって世間から”賢い方”と言われたいので随分と慎み深く行ってはいるが、後には徐々に退屈な心が持ち上がって政務も都合次第で動くようになり、理由もなくだらしなくなる。秦の始皇帝は 天下を統一できたくらい人に畏敬されるような人であったが、おごりたかぶり勝手な振る舞いをするようになり、最後にはとても愚かにも長生不死の薬を求めるようになり、ほんの僅かな年数で滅んでしまった。その他にも漢の武帝や唐の玄宗なども始めのふるまいと後のふるまいとでは大きく違うようになってしまった。だからこそ最初の考えや工夫も志が半ばにもならないうちに必ずくじけるように見える。慎み畏れ心せねばならないことだ。だからこそ古き偉人は”始めは必ずあるが、よく終わることは少ない”と戒められたのだ。」(現代語意訳)
と述べています。
尾張藩62万石、実質上は100万国を超える組織に属しているからこそ感じるものなのでしょう。また600万石の幕府の組織の硬直化を間近に見ていたからでもありましょう。

自分自身が、批判される立場にならぬよう、今後も自戒していきたいと強く感じさせられました。

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遊歩和尚のつぶやき「言葉で伝わりにくいものはイメージを用いて イメージと言葉の両者が重要」

昨夜は、近所の方々が10名ほど集まり、『密教』松長有慶著 岩波新書 の講義。月に一回、行っているもので、今回からパワーポイントを使ってみました。

6 まず本そのものを輪読し、途中でそれを私が止めてパワーポイントを使って解説していくという形式。初めての試みだったのですが、とても評判がよく、「本を読んでもわからなかったことが、今はとてもよくわかる」と。皆さんからの好評に努力が報われた思いをしました。

このイメージに訴えかける方法は、実はとても危険があります。本来、人が持つイメージ力を阻害してしまう可能性もあるからです。また、間違ったイメージを与えかねません。ですから、スライドを作る際に、かなり注意深く内容を吟味していきました。イメージで伝わりにくい部分は、言葉で解説。言葉とイメージの両輪で理解していただくように工夫をこらしました。また、映像だけでなくイメージも持っていただけるように工夫もしました。面白いことに、今まで勘違いしていたり、思い込んでいたりしたことが、イメージを用いて解説したことで、気付かされたという意見も出ました。

喩えを出すと、象を見たことがない人に、「鼻が長い」「牙がある」「耳がでかい」「目が小さい」「足が太い」「肌がグレイ」「細いしっぽ」と言葉で伝えるよりも、象の写真・映像・本物を見せたほうが的確に、しかも素早く伝わります。そのうえで、象の身体的特徴を伝えるとよりはっきり理解できるもの。

密教では仏像や仏画、宝具や声明(しょうみょう)などの五感を通して、大乗仏教の哲理を表現していくのは、言葉では伝わりにくいものを直接的に伝えるためです。

同じように、イメージと言葉を上手に組み合わせていくことで、難しい表現も伝わりやすいものであることを改めて気づかせていただきました。

なによりも、スライド作りは自分自身の勉強にもなります。

プロになろうとしているものに、この方法はあまり関心はできませんが、一般の方々の入門としてはとても重要なツール。これからしばらくこのプロジェクターを使った講義・講演・法話を、自分なりに工夫していこうと思います。

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2014年7月12日 (土)

遊歩和尚のつぶやき「このスーパームーンを機会に月と太陽の役割を考えてみませんか?」 

月が地球に近づいた時と満月が重なるスーパームーン。それが本日の7月12日の夜だといいます。今も美しい月が天頂より西方向にに輝いています。今年は8月10日、9月9日も、スーパームーンだそうです。

http://www.cnn.co.jp/fringe/35050739.html?tag=top;mainStory

カレンダーを見つめると、漢字では月・日を英語ではmonth ・dayとします。太陽は一日を表す基準であり、月は一ヶ月を表す基準。これが洋の東西を問わず、人が発見した事実でした。ここから暦が作られ、時間が規定されました。これは人間が大自然に合わせて生きていこうという知恵の結晶だったように思います。

ところが、現代では月month・日dayの原義を忘れて暦の言葉を用いるようになり、月とは全く関係のない、人間だけの理屈で作られた暦が大勢を占めてしまいました。人は月や太陽の役割を忘れてしまったのかもしれません。

暦だけでなく、科学技術と呼ばれるものも、大自然にそって使われるものではなく、人間の倫理観さえも超えて発達という名のもとで歪な形を呈してきました。そのために人間の理屈に大自然を合わせようとする身勝手な考えが跋扈するようになります。人はいつの間にか大自然に合わせて生きていくという知恵を失ってしまったのかもしれません。これが現代の地球環境問題の根っこにあるように思います。いや、政治の世界も、学問の世界も、人々の普段の生活でも、同じことが言えるように思います。

だから、桃の芽も吹かない季節に桃花祭をおこない、梅雨のまっただ中に七夕をしてもおかしいとは思わないのでしょう。あきらかに、大切なモノを失ってしまっている、そう感じているのは私だけでしょうか?

ちなみに密教では、太陽の光を慈悲とし、月の光を智慧とします。太陽は差別せず万物に光を与え育むので慈悲の象徴。

一方、月は暗闇(煩悩)を裂くように照らすので煩悩を切り裂く智慧の象徴。また月は菩提心(覚りの心)の象徴でもあり、福徳と智慧の二資糧を満足した心を満月で表します。

現実世界の月を忘れることは、智慧を忘れること、太陽を忘れることは慈悲を忘れることなのかもしれません。

あるユダヤ教の学者さんがFBで仰っていただいたことがあります。
「人間の理性は月の光でものを見てると同じ、しかし、神の前でものの真実をみることは、太陽のもとで見ると同じ。眩しくて目を開けてられない。戦争も平和も同じ。人の中にある矛盾の解決を理性でつけるのは月の下での観察。でも真実は太陽のもとにある。」。
深い深い言葉です。

このスーパームーンを機会に月と太陽のの役割を考えてみませんか?

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2014年2月21日 (金)

拙著『徳川宗春 <江戸>を超えた先見力』(風媒社)出版祝賀会・・・報告(1)式次第

平成26年2月15日、ウェスティンナゴヤキャッスルで拙著『徳川宗春 <江戸>を超えた先見力』(風媒社)出版祝賀会が開かれた。

式次第は以下のとおり。
(1)著者入場
(2)著者講演
(3)総本山金剛峯寺座主松長有慶高野山真言宗管長猊下祝辞
(4)徳川黎明会会長尾張徳川第二十二代当主徳川義崇様祝辞
(5)南山大学教授安田文吉先生乾杯
(6)歓談食事
(7)元内閣府特命担当大臣古川元久代議士祝辞&『温知政要』贈呈
(8)尾張徳川家総菩提寺建中寺村上真瑞御住職祝辞
(9)尾張藩附家老家成瀬隼人正家のご分家成瀬朝香さんの巫女舞
(10)祝電披露
(11)古着物披露
(12)柴田圭一郎さんの大道芸傘回し
(13)河村たかし名古屋市長様への請願書&祝辞
(14)大村秀章愛知県知事様へ書籍贈呈式&祝辞
(15)祝賀会事務局代表し北川リツ挨拶
(16)退場
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次回は(2)著者講演

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2012年8月20日 (月)

順天堂大学

昨日、順天堂大学医学部出身の
研修医さんとお話をする機会を得ました。
順天堂大学の特徴とは何かをお尋ねしたら
・六年のうちの一年は寮生活を送ること
・医史学の学習
を挙げられました。

病院関係は縦社会が厳しいところ。
だからこそ医師だけではなく他の分野の方との
ヨコ社会の集団生活を体験させるのは
とても面白い発想だと思いました。
比較的自由度は高いそうですが
月毎にリーダーを決めていくやり方は面白いと思います。
これ、宗門系の大学でも検討すべきものかもしれません。

それと何より伝統のある大学だからこそでしょうが
医史学をとても大切にしている点は
医療哲学の習得の基礎となりえますし
人文教育をも習得できますので
とても重要なものだと感じます。

そして何よりなのは、
自分の大学の特徴をサッとおっしゃっていただけたこと。
母校愛というか、自分自身を冷静に見つめているというのか。
特徴とは何かを掴んで居られ、
とても嬉しい気持ちに満たされました。

http://www.juntendo.ac.jp/

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2012年7月22日 (日)

文面より口伝

仏教の経典の最初は五成就と呼ばれる文句から始まります。
五成就とは、信・時・主・処・衆の五つ。

最初の信とは、「如是我聞」のこと。
誰かの書いた文章を読んだのではなく
教主である仏から直接聞いたということ。
だから信がここにあります。

文章よりも、直接聞いたことを大切にする態度は
現代社会では少し違和感があります。
口約束よりも文章で残した書面のほうが優先される社会だからです。

しかしよく見つめてみると日本を始めアジアは
文面よりも口伝を大切にする文化がありました。

近世以降の日本でも同じです。
剣道も柔道も茶道も華道も香道も
書面に書いてあることをどんなに忠実に守っても
それをマスターすることは非常に困難です。
やはり肝腎な所は師について学ばなくてはなりません。

仏教も仏道と元もは呼ばれていました。
他の道と同じように文面よりも口伝を大切にします。
これは特に真言密教や禅宗では当たり前のこと。

経典や祖典も独学ではなく
師について学ぶからこそ
それは「如是我聞」につながります。
これはこのようにどんなに文に書いても伝わらない。

経典は文として読むのではなく
師に教えられ
自らが三昧(定)に入って
その文を通してその経典の内容が
ありありと感じる、つまり
情景や衆(対告者を代表とする聴衆)を観じ
仏の言葉や対告者の言葉を聴き、
その場面の香りを感じ、
その場面の空気の肌触りを実感する
そのときに本当に経典は「如是我聞」になる
そのように最近強く感じるようになりました。

月に一度ですが、
五十を前にする年齢になりながら
師匠のもとで学ぶ事ができるありがたさを実感しています。
こうした貴重な時間を得ているからこそ
私もまた私なりに噛み砕いたものを周りに伝えなければならない
そのように感じています。
月に三つの勉強会を開くようになったのはそのためです。
全部でおよそ三十名の方々が聴講してくださっていますが
そのおかげで私自身がより一層学ばさせていただいています。
こうしたチャンスを与えて下さった師にも、
また聞いてくださる方にも
深く感謝しています。

直接、この全身を使って表現をして皆に伝え
もっともっと工夫をし
縁のある方々に「如是我聞」を実感していただきたいと願っています。

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2012年3月 9日 (金)

上に立つものは常に孤独 自らの道を進め 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

上に立つものは常に孤独 自らの道を進め 
「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

若き宗春こと通春に主計頭という官位を授けた吉宗。
その後も、雁を特別に下賜したり
江戸城内の紅葉山東照宮の参拝に特別に予参をさせたり
母の見舞いに尾張に一時帰国させたり
一度廃絶した梁川藩を復興させたり
藩を継承して一年で日光東照宮参拝を許可したり
兄の義孝を飛ばして尾張藩主を継承させたり
吉宗はどう見ても宗春に目をかけていました。
そこで私は、宗春と吉宗は昵懇であったという設定にしました。

今回は、通春と吉宗が野掛けをしたという設定です。


吉宗と通春は先へ進む。
武蔵野の大きな野原に出るとお二人は馬を止め、野原で仰向けになって寝転んだ。

松平通春:  「上様、いつまでもこうしていたいものですね」

徳川吉宗:  「ほんにそうじゃなぁ。だがそうも行かぬらしい。政も徐々に道筋ができてきた。こうして外駆けすることも許されなくなりそうじゃ。じゃがな、わしはお主とこうして野山を駆け巡るのが何よりも大好きじゃ。この先、どうなっていくかは分からぬ。本来ならば、お主の兄の吉通殿が将軍職に継ぐべきじゃったのだが、何の縁かわしが継がねばならなくなった。吉通殿は、お主のことが大層お気に入りでな。連枝として、亡き摂津守(四谷松平義行)殿のように、常に側に置いておきたいと言っておられた。もし吉通殿がご存命ならば、ワシは将軍職を引き受けなんだ。尾張(継友)殿ではのう。致し方がなかったのじゃ。もし、わしが紀州、いやそなたと同じように紀州の連枝であれば、そなたと毎日のように野駆をし、相撲を取り、狩りをできたものを。」

松平通春:  「亡き兄(吉通)が申しておりましたのは、尾張は、決して将軍位を争ってはならぬと。尾張には権現様から預かった大切な大きな役目がある故と。」

吉宗は少し真剣な眼差しをする。

徳川吉宗:  「そうであったか。尾張の執政(附家老成瀬隼正・竹腰壱岐守)達が積極的に動かなんだと聞いてはおるが、そういうことであったか?」

松平通春:  「私は尾張藩主の亡き兄上のそばで働きとうございました。」

徳川吉宗:  「柳澤殿も同じ考えでなぁ。そうそう、そなたのことを自分の跡継ぎができたと。たいそうお喜びじゃった。されど両人共もう居らぬ。残された者はさびしいのう。」

松平通春:  「上に立つ者は常に孤独ですね。」

徳川吉宗:  「今後、立場上、そなたと、こうして外に出ることも許されなくなるであろう。城中で会っても、話さえ出来ぬやも知れぬ。またときにはわしはお主に厳しく接しなければならぬこともある。商人と仲のよいのお主がいつも言うように、本来は規制を緩めねばならぬのやもしれぬ。米ではなく金子を元にした勘定方にせねばならぬのやも知れぬ。しかし、今のわしはわしの道を行く。お主はお主の信じる道を歩め。」

二人はしばらく天を見つめる。

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2012年3月 5日 (月)

自らが人柱となるくらいの覚悟が必要。常に学問と世情の両方で心の鏡を磨き、暗闇に光を当て歩む 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

自らが人柱となるくらいの覚悟が必要。
常に学問と世情の両方で心の鏡を磨き、暗闇に光を当て歩む 
「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

柳澤吉保が逝去前に、通春(宗春)を呼んで対話する設定です。

柳澤吉保:  「今の幕府は何でも理詰めで、理屈で考える。されど人の世は情もありまする。
         大奥は情で動きまする。江島殿をあのようにされては、大奥も黙っていますまい。
         決して理屈だけで動いてはなりませぬ。また情だけで動いてもなりませぬ。」

通春様は吉保の言葉にうなずく。

柳澤吉保:  「赤穂の浪士のこと。切腹を命じられたのは上様(綱吉)でございますが、
         切腹を強く薦めたのは私でございます。世間は情で動きます。
         もしあの者達の罪を許せば、当初は持ち上げられたとしても、
         あの浪士たちは忘れ去られていくか、お荷物となってしまったでしょう。
         だからこそ、あの者達の目に見える命は奪いましたが、
         目に見えぬ形で多くの人々の心に生かせる方法を取りました。
         後悔をしていないといえば嘘でございます。
         四十七人もの命を奪ったのですから、その罪は私が負おうと決意しました。
         政は、迷ったときにどちらに転んでも正しい決断であったことは稀でございまする。
         時には間違い、時には正しく、そうやって動かしていくものでございます。
         しかも理屈だけでものごとを決めると、世間が許しませぬ。
         上に立つ者は、常に自分が人柱になるくらいの心構えが必要でございます。
         あの浪士達、特に大石殿や片岡殿は、自らが人柱になろうと思われたのでしょう。
         (浪士No.2の片岡源五右衛門は尾張藩出身)
         私は片岡殿に流れる、尾張武士の心意気を見ました。
         それが源立公(尾張四代藩主吉通)には深く強く流れておられました。
         そして、そなた様にも。
         人の言葉に左右されるのではなく、自分の心の鏡に移して、
         恥ずかしくない生き方をなされませ。
         学問と世情の両方で心の鏡を磨き、暗闇に光を当て歩みなされませ。
         この後、おそらく紀州(吉宗)様が将軍になられます。
         あの方と共に、歩みなされませ。
         そして紀州様が歩むことができぬ道をお歩みくださいませ。
         それが天下万民のためでございまする。
         この国を宜しくお頼み申し上げまする。」

吉保は通春に深く頭を下げる。通春は、両手で吉保の手を握りしめ、大きくうなずく。

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