導き
昨日、車検を受けた車を受け取り、帰路江南市の西山浄土宗曼陀羅寺の藤まつりに寄った。
実は車検のためにディーラーに車を持ちこみ、帰り際で寝落ちしてしまった。もちろん運転はかみさん。ところが道を間違え、途中で起こされた。そのルートは曼陀羅寺の前を通るルートであった。そのときは時間が遅かったので、改めて訪れようということになった。
藤はすでに枯れ、一部のみではあったが、それはそれで、面白さはある。そして今回はその藤に導かれた。
本堂の阿弥陀如来は、衣文の彫り方は快慶を意識したものであった。時代は江戸期なのかもしれないが、とても素晴らしい作品であった。等身大よりも大きいかもしれない。とても力強く、そしてどこまでも優しい、来迎印の立像。
そして特別展示。奥に行くと、天上に広目天の張り紙。四天王の名前の張り紙は面白い。これは参考になった。うちでも、少し工夫してやってみようと思う。ただし、施餓鬼旗も掛けてあったが順番が???。ま、これもご愛嬌。とその部屋には徳川歴代のご位牌があった。もちろん東照大権現が真ん中で、向かって左側がた秀忠公、右側が家光公。カミさんがご先祖に対して真剣に手を合わせた。
奥に入る。曼荼羅殿。奈良の當麻寺曼荼羅のせ細緻な模写。ここから曼陀羅寺の名がある。當麻寺は浄土宗と高野山真言宗の両方で担っている。ここにもちょっとしたご縁なのか。ここの面白い祀り方は、本堂は単独像であったが、この曼荼羅の両脇に勢至菩薩と聖観音菩薩がおられた。華奢なお姿である。その奥には尾張徳川歴代のお位牌があった。近寄れなかったのでどなたのものかを確認できなかったのは残念である。
本堂裏に行くと、先ほどの両脇侍の体内仏が祀ってあった。名前は観音と勢至とされているが、両方とも図像学的には聖観音である。特に勢至菩薩の中にあったというお像の出来が良い。なんといってもお顔が良い。私は聖観音だと思うのだが、どちらも宝冠がとれているので断定はできない。もし水瓶があれば大勢至菩薩なのだが^_^
今回は藤に導かれた。先日、父方の藤吉家の法事があったばかり。また父方も母方も、別々のお寺だがどちらも西山浄土宗の古くからの檀家。なんだかご先祖に導かれた感覚がある。
さらに尾張徳川の研究者でもある私には尾張公のお位牌はとても関心がある。
さらにこの、曼陀羅寺の本堂を再建したのは、徳島藩の初祖蜂須賀家政。彼は蜂須賀小六の子で、尾張出身である。だからこそ故郷のお寺の本堂を再現した。そして、昨年末に徳島に行ったのだが、その際に訪れたお寺がある。そこの本堂を再建したのも蜂須賀家政。自分の四女のために造ったという。そして、その方の長女が我がお寺高家寺の開基。加納藩戸田松平家の二の丸殿。
こうした連鎖はこじつけかもしれないが、そこに意味を自分なりに今の境地に従って見出していくことは、真言密教の真骨頂。空を見上げて弘法大師に感謝した。
今からちょうど四十年前のこの日に、九度山の慈尊院から高野山まで歩いて登ったことを。途中、お腹が痛くなり横道に逸れたら、そこに丹生都比賣神社、すなわち高野山の鎮守様があり導かれたことを。くたくたになりながらもあの町石道を独りで登ったことを。高野山に車ではなく、歩いて登った日であったことを。
まさに導きに出会えた日であった。
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