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2023年5月 5日 (金)

師匠との想い出 遷化されて20日

今日は師僧松長有慶先生がご遷化されて20日目。
少し思い出話(話が前後することがあります)。
松長先生にお手紙を書いた理由は何なのか、というところのお話です。
弘法大師御遠忌1150年である昭和59年4月に高野山大学密教学科に入学した私。
大学側の命令(?)で生まれて初めて本格的なバイトをすることになりました。
それが中の橋駐車場の授与所。出来立てのホヤホヤの建物でした。
今もありますね。あれは39年前に建てられたものです。
そこに本山職員としAさんとMさんが派遣されていました。
あのころの参拝者の中で最も多かったのも、
だからこそ最も横着かったのも
岐阜を含める名古屋地域の方々でした。
わたしは尾張一宮出身で、その出来事を愕然とみていました。
それでもお二人はわたしのことを大変可愛がってくださり、
私室にあがってお食事を呼ばれたり、
山を降りて買い物に一緒に出かけたり、
そして何よりよく一緒に奥の院にお参りに行かせていただきました。
お二人に奥の院を108日連続で参りたいと伝えると、
なんとお二人も挑戦されました。
時には一緒に。時には個人的に。
宗教的なお話しをいくつもしていただきました。
そして私が師匠探しをし始めた矢先、
Aさんが
「俺の兄貴に、会ってこいよ。大学の講師をしているし。
 とにかく頭のいい人だから。
 北海道に戻らず信仰心の深い、結構な超能力者だよ。」
と紹介いただきました。
お会いしたのは一の橋のベンチです。
そこで一時間ほどA先生とお話させていただけました。
その時、少し目を瞑られると目を開けてこう言われました。
「北川さんは阿弥陀さんと縁があるね。
 阿弥陀さんか、観音さんか、勢至さんを本尊とすると良いんじゃないかなぁ?
 それと松長有慶先生を訪ねてきてご覧。きっと道が開けるから。」
高野山とは何のゆかりも縁も無かった私に縁結びをしていただいたのが、
このA先生であり、MさんとAさんという本山職員でした。
そしてこのA先生こそ、
我が初めての弟弟子であるNさんのもう一人の師匠であり、
今ではNさんはA先生のお寺の後継副住職になっています。
人の縁の結びとはこうしたもののようです。ありがたいばかり。
葬儀の際にA先生にそのことをお伝えいたしましたら、とても喜んでくださいました。
そして弟弟子のNさんは、とても信心深い生き方をしている真言僧。
師匠とお会いした最後の日にこんなお話しをしました。
「N君が専修学院の授業を今期も担当するそうです。
 彼の尊敬すべきあの深い信心を感じ取ったり学んでくれる生徒がいるといいですね。
 今はわからなくてもいつか感じとってくれれば。」
と私が言うと松長先生は
「その通りやなぁ。彼のそういうところを学んでくれると嬉しいなぁ。
 そこがまさに彼なんだから。」

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