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2022年4月13日 (水)

梨の花 雑話

今回は遊歩の言いたい放題「梨の花 雑話」

 

桜は八重桜が咲き、桃の花も散り、

梨の花が綺麗な時節になってきました

あまり知られていませんが

白く清浄であり どことなく梨の甘さが漂う花は

この季節の見どころの一つです

うちの境内にも一本のなしの木があり 小さな実をつけますが

さくらんぼと同じように いつも鳥たちに食べられています

花の話題に戻します

 

ナシの語源はいろいろあるようです。

果実の色が白いことから

「なかしろ」「な・か・し・ろ」となったとか

「色なし」「いろなし」となったとも言われています

また風が多いと実がなりにくいことから「風なし」「かぜなし」とか

中は酸っぱいので「中酸(なかす)」「な・か・す」「なし」

だとか言われています

ただしこの「なし」が「無し」に繋がるので忌み嫌われ

家の庭には植えるなとも言われたそうです。

でもちょっとひねると般若心経の「空」や「無」にも繋がるので

「無罣礙」「無有恐怖」つまり「罣礙無し」「恐怖有ること無し」

などと解釈すれば良き意味だと思います。

よくよく見つめてみると梨園とありますよね。

そうそう歌舞伎の世界を梨園といいますね。

その語源は

唐の最も勢いがあった頃の玄宗皇帝が梨を集めた園に

音楽教習所を設けたことから始まりました。

また玄宗皇帝の愛娼楊貴妃も梨に喩えられます。

死後、仙境に生まれ変わった楊貴妃。

その容姿を唐の名詩人・白居易・白楽天の

有名な「長恨歌」の中で、形容したのが

「玉容寂寞涙欄干 

ぎょくようは じゃくまくとして らんかんに るいす、

梨花一枝春帶雨

りか いっし はる あめを おぶ」 

およその意味は 宝玉のように美しい楊貴妃の顔は寂しげそうで、

涙がぽろぽろぼろぼろとこぼれている。

梨の花が一枝、雨に濡れたような風情である」

そのように楊貴妃による玄宗皇帝への思慕の想いを歌ったこの詩は、

美しき人がひとり思い佇む様子を描いています。

少なくとも絶世の美人である楊貴妃を

梨の花に喩えていたのは間違いなく、

そのたおやかさを表す樹木であったことも間違いありません。

日本では清少納言が『枕草子』で

梨の花、世にすさまじきものにして、近うもてなさず、

はかなき文付けなどだにせず、

愛敬(あいぎょう)おくれたる人の顔などを見ては、

たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あはひなく見ゆるを、

唐土(もろこし)には限りなき物にて、詩(ふみ)にも作る、

なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、

花びらの端に をかしき にほひこそ、心もとなう つきためれ。

楊貴妃の、帝の御使に逢ひて泣きける顔に似せて、

「梨花一枝、春、雨を帯びたり」など言ひたるは、

おぼろけならじと思ふに、なほ いみじうめでたきことは、

類あらじと覚えたり。

 

梨の花は、世間一般ではつまらないものだと考えられていて、

身近において愛でることはなく、

ちょっとした手紙を結びつける枝にも使われない。

優美な魅力の劣る人の顔を見ては梨の花に喩えていうほどで

まったく葉の色からしても色の配色が良くなく見えるのだが

唐土(チャイナ)ではこの上もないものとして

詩にも詠まれている。

それでたとえそうであったとしても役立つことはあるだろうと

しいて見てみると

花びらの端のほうに、風情のある美しさが

はっきりとはわからないぐらいについているようだ

 

楊貴妃が玄宗皇帝の使者に会った時に泣いた顔に合わせた表現で、

「梨花一枝、春、雨を帯びたり」というのは、

たやすいことではないと思うのだが、

やはりなんといっても本当に素晴らしいことは

他に類がないもののようにも思われてしまうの。

 

まぁ見事なくらい世間では梨を嫌っているかのように

清少納言は無しを最初はくさすのですが。

最後は少し教養を持ち出してなしの素晴らしさを伝えています

清少納言の知る梨の木は、

楊貴妃を喩えた枝や 私たちが現代で観る枝と

異なっていたのかもしれませんね・・・

 

さて梨の花言葉は、英語では「affectionすなわち愛情」

また樹木としての花言葉は英語ではcomfort 「癒し」「慰め」

そして梨の誕生花の日付は420日、430

 

家に植物としての梨を植えないほうが良いと

言い伝えられていますが、

先程も述べましたが

仏教的には「罣礙なし」「恐怖あることなし」となりますから

お寺にはとても良い樹木だと私は感じます

 

何よりも香りが良い花でもありますから

 

 

今回は遊歩の言いたい放題「梨の花 雑話」でした

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