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2022年4月14日 (木)

弘法は筆を選ばず・・・本当? 実は思い切り選んで居られました  名古屋大須の筆屋「伽藍」

「筆屋 名古屋大須の<伽藍>」

 

弘法は筆を選ばず

という言葉があります いまは弘法大師は書道の名人だったので筆を選ばなかった つまり名人や優れたものは道具に左右されないという意味で用いられています

 

ところが 包丁やノコギリなどに代表されるように、日本の名人という方々は徹底的に道具に拘っています。もちろん弘法大師も人一倍に筆の質にこだわって居られたことが知られています。では弘法も筆を選ばずとはどういうことなのか?

どんな筆でもその筆に合った作品を作ることができたということです。大工さんもノコギリの良し悪しに限らずどんなものでも上手に作り上げるでしょう。しかしその過程でよりスムーズにとか、仕上がり具合がよりレヴェル高くとなると道具に拘るのは当たりまえ。自分の手足そのものと言ってもいいんじゃないでしょうか?一流の料理人にとっての包丁もそうで、どんな包丁でも両人は上手に調理するでしょうが、最高レヴェルのものであったり、調理する過程で余分なエネルギーを取られないためにも道具にはこだわっておられるもの。

弘法大師もどんな筆でもそれなりに字を書かれたのでしょうが、自分が思った通りに自由自在に書くためにはその質を選んだのは間違いないと思います。

弘法も筆を選ばずは・・・世間的な意味でなく、もっと深い意味が有ると知っていただけると嬉しいです。

 

さて、筆屋さんのこと

宗春卿のことで名古屋と関わりを持ち始めた頃。あっ、令和四年四月から栄中日文化センターで「吉宗と宗春」というタイトルの講座を行っています、途中からでも登録可能なのでお申し見いただければと思いますが、

話を戻して宗春卿のことで名古屋にかなりの頻度で出入りするようになり、その過程で大須の大津通に筆屋さんを見つけました。

ふらっと入り。ご主人と話をしながら、塔婆に書く筆を尋ねると、三本くらいの筆を試し書きさせていただいたのです。

そのなかでも 花柳 と名付けられた筆を推奨されました。「いわゆる書道用紙に書を書いたりするのには少し硬くてご住職には向かないかもしれないですが、板に書くならば硬さがちょうどよいのではないでしょうか?」

現在のホームページでは

「中学生までしっかり使える集合力・弾力のとれた

バランスの良い筆」

学童用に分類されていますが、確かにそのおかげで筆全体が若干固めなので、塔婆に書くにはとても書きやすいものです。

それから数度訪れ同じ花柳を手に入れていました。板書きは筆を痛めやすいのですが、この筆はかなり丈夫です。

 

コロナがあったのでしばらく通っていなかったのですが、ふと思い立ち、蔓延防止が終了してから 伽藍 を訪れました。

若い女性が店を守られていました。お話をしている内に、彼女が娘さんで跡を継がれたことを知りました。

花柳の名前を忘れてしまっており、あーだこうだと説明をしたら彼女が持ち出してきた筆があり、それを握るとピッタリの筆がありました。 花柳 。お寺に戻り名前を確認すると全く同じ筆でした。

彼女も父上の思いを受け継ぎ、その人に合ったものを推奨する人でした。目は確かです。

同時に、ある方に巻物に筆書きで手紙を書きたいのだけど良い筆はないですかと尋ねると

「氣韻」を勧められました。試し書きをすると なかなか書きやすい。今まで小筆は若干重めの小筆を用いてきました。筆の重さで書けたからです。しかしこの「気韻」は違いました。書きやすいのです。芸術品を書くには、あまりにも癖がないので向かないかもしれませんが、その癖の無さが手紙のような小文字を書くのに実に向いていました。これも店主さんの目が確かだと思った証左です。

 

入手させていただいた筆の名前を少し調べてみました

 

花柳 かりゅう はなやぎ これは花柳流という芸道もありますし、花柳界といえばかつては遊郭などを意味した言葉ですので、最初は坊さんなのいこれは・・・とも思ったのですが、いや待てよと少し思い立ち本来の意義を調べてみました。花の紅と、柳の緑、たおやかで美しいもののたとえであることを知りました。また「いき」であることもこの花柳にはあるようです。

なるほどと今は思います。花のような色艶があり、柳のようなたおやかさが有る、そして紅と緑は自然の勢いを示す色、これは私にピッタリの意味でした。言っておきますが、私は花柳界とは全く縁がありません。

 

ちなみに「いき」については九鬼周造の『いきの構造』は私の愛読書で、とても大きな影響を受けた本の一冊です。

かなり屁理屈を述べていますが、自分では納得しています。

 

次に気韻

気品の高い趣を意味する言葉。気品生動という言葉がありますが、絵や書道などで気品がいきいきと感じられることとと『広辞苑』では述べられています。気高く品がある、まさに書道とくに手紙に求められる名前。これはいい!

 

それとお店の名前の伽藍。七堂伽藍といいますが、お店は小さくコンパクトにまとまっていて、伽藍堂とは程遠いお店です。しかし、その持つと伽藍の迫力といいますか勢いが筆に載ってくるように思います。実物の店は小さくとも、中身というか充実度は七堂伽藍のように宇宙のようなありかたのお店。ちょっと大げさかもしれませんが、高野山は壇上伽藍を有し、そこに弘法大師の教えが凝縮されています。ですから高野山真言宗のお坊さんにとっては伽藍という名前は格別なんです。

 

 

今日は 筆のお話をしました 「筆屋 名古屋大須の<伽藍>」でした

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