歴史の扱い方に人間性が現れる 暗殺者を英雄視することなかれ
歴史を解明することは大切。
しかもその伝承が
間違ったものであった場合はなおさらです。
しかし、だからといって
今の時代にふさわしくないものを
無理やり解明し曲解することは
歴史に対する罪作りであるとも言えないでしょうか?
主人を裏切り主人を暗殺し
多くの同時代の者達により
特に裏切った人の身内とも言える人たちに
指示されなかった場合、
彼や彼女を英雄視することは
暗殺者を英雄視することに
ほかならないように思います。
具体的に言うと
明智光秀を英雄視することは
伊藤博文初代首相を暗殺した安重根を
英雄視することと変わりがないように思います。
テロリストを英雄視することが
まともであるとはいい難いのは当然です。
どんな事情があろうが
明智光秀を
テレビドラマの英雄的な主人公にすることに
反対なのはそのためです。
光秀を英雄視するのは
テロリストを礼賛することに繋がりかねません。
(もちろん彼に同情する部分はありますし
彼の能力の高さ優しさは知ってのうえ、
主人公・英雄視を反対しているだけです。)
また古き時代の神話の伝承にとらわれてしまい
過去の人物をむやみに礼賛または非難したり
今生きている私達を卑下したりすることにも
反対です。
歴史は事実そのものも大切ですが
それ以上に今生きている人の参考書たるべきもの。
その歴史を学ぶことにより
ときには反省し、ときには勇気づけられ
ときには繰り返さないように注意し
ときには歴史の流れを味方につける
そこに醍醐味があるように思います。
その歴史の事実そのものに
とらわれるべきでは無いように思います。
むしろ歴史の真実を追求すべきと感じます。
遠くは、白村江の戦い、
近くは日露戦争や太平洋戦争、
これを侵略戦争と一刀両断するのは
とても恣意的に
先祖を貶めることになるのではないでしょうか?
その時の方々の判断は
その時の歴史上の流れで
必要であったことも考慮せねばなりません。
ひょっとすると出雲族と天孫族の関係
天津神と国津神の関係
こうした神話も私達の浅い知恵で
恣意的に一方的な虐殺と見るのは
とてもレヴェルの低い
ものの見方のようにも思います。
歴史をどのように扱うのか
ここにも人間性が現れるのかもしれませんね。
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