アニメで時折、封印されたものを解いてしまったことにより、大災厄が起きる場面がある。
これを単なる物語と見るのか、何らかの啓示があると見るのか、場合場合だが、私はこうしたアニメを割合と支持することが多い。
特に怨念を封じるために封印がしてある場合、生半可なことでそうした怨念が消えるわけでは無い。だからこそ神として祀り、その怨念を浄化しようと工夫を凝らしてきたのでは無いのか?
最近、封印を解く旅ということを複数聞く。知人もまた、同じようなことをやっているという。
正直言えば、こうした愚かな傲慢なことを止めたい。中途半端な能力の人がおこなえば、その怨念は別の災厄をもたらしかねない。
ひょっとすると最近の災害というのは、人災であれ、天災であれ、こうした人々の傲慢な思いが引き起こしているのか、その災厄が傲慢な思いを引き起こしているのか、複雑な形なのかもしれない。
もし、このブログを見て、こうしたことに関わっている方がおられるならばお伝えしたい。
千年二千年と封印されたものを、こじ開けるのは避けて欲しい。そんなに簡単に浄化できるものでは無い。むしろ封印されたままに、ゆっくりと時をかけて、人をかけて、浄化していく方法が大切。小さな個人や能力が伴わないもの達の能力では限界があることを自覚して欲しい。むしろ悪化させる可能性の方が高く感じる。
今のその愚かな行為が、災厄をもたらし、人々に不幸をもたらしかねないという真実を見つめて欲しい。
結界には結界の、封印には封印の意味がある。無理に開けるのは不安定になる元。もっともっと大きな視点で、流れを見つめて欲しい。一部の人の言葉に振り回されないで欲しい。
行動的に派手好きな人や、イエスマンが多いグループは特に気をつけるように\(//∇//)\
コメント