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2020年9月10日 (木)

戦わないために二本鎖しがあった 「戦う」という言葉をむやみに使う野党に違和感あり


野党はすぐに「戦う」という。
それに反して、憲法九条改変反対。
なんなんだろうこのダブルスタンダード。

日露戦争や太平洋戦争は、
戦いたくて戦ったのではない。
戦わざるを得なくなったので戦った。

軍隊というものは戦わないためにあるもの。

かつて武士が腰に下げた二本の刀は
常に刀そのものを磨き
それを使う技を磨いた。
しかし一生涯抜かぬを誇りとした。

防衛用の軍隊というのは
そういうものなのではないのか。

「戦う」「戦う」を連呼する野党こそ
「戦う」ことを推奨している元凶なのではないのか?

国民のため世界平和のため
「知恵と交流で工夫をする」
という表現を使えない野党の政治家に
国民は決してついていくことはないだろう。

九条を死守したいのならば
まずはあなた方自身が「戦う」ことをやめ
知恵と交流で平和を実現すべし。

ただし私個人の意見では
隣の三つの国を現実に見つめると
「二つの刀を帯び
 常に技も武器も磨きつつ
 抜かぬを誇りとしていた
 武士の魂を思い出すべし」
と強く強く感じている。

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