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2020年9月11日 (金)

歴史の扱い方に人間性が現れる 暗殺者を英雄視することなかれ

「歴史の扱い方に人間性が現れる」
歴史を解明することは大切。
しかもその伝承が
間違ったものであった場合はなおさらです。
しかし、だからといって
今の時代にふさわしくないものを
無理やり解明し曲解することは
歴史に対する罪作りであるとも言えないでしょうか?
主人を裏切り主人を暗殺し
多くの同時代の者達により
特に裏切った人の身内とも言える人たちに
指示されなかった場合、
彼や彼女を英雄視することは
暗殺者を英雄視することに
ほかならないように思います。
具体的に言うと
明智光秀を英雄視することは
伊藤博文初代首相を暗殺した安重根を
英雄視することと変わりがないように思います。
テロリストを英雄視することが
まともであるとはいい難いのは当然です。
どんな事情があろうが
明智光秀を
テレビドラマの英雄的な主人公にすることに
反対なのはそのためです。
光秀を英雄視するのは
テロリストを礼賛することに繋がりかねません。
(もちろん彼に同情する部分はありますし
 彼の能力の高さ優しさは知ってのうえ、
 主人公・英雄視を反対しているだけです。)
また古き時代の神話の伝承にとらわれてしまい
過去の人物をむやみに礼賛または非難したり
今生きている私達を卑下したりすることにも
反対です。
歴史は事実そのものも大切ですが
それ以上に今生きている人の参考書たるべきもの。
その歴史を学ぶことにより
ときには反省し、ときには勇気づけられ
ときには繰り返さないように注意し
ときには歴史の流れを味方につける
そこに醍醐味があるように思います。
その歴史の事実そのものに
とらわれるべきでは無いように思います。
むしろ歴史の真実を追求すべきと感じます。
遠くは、白村江の戦い、
近くは日露戦争や太平洋戦争、
これを侵略戦争と一刀両断するのは
とても恣意的に
先祖を貶めることになるのではないでしょうか?
その時の方々の判断は
その時の歴史上の流れで
必要であったことも考慮せねばなりません。
ひょっとすると出雲族と天孫族の関係
天津神と国津神の関係
こうした神話も私達の浅い知恵で
恣意的に一方的な虐殺と見るのは
とてもレヴェルの低い
ものの見方のようにも思います。
歴史をどのように扱うのか
ここにも人間性が現れるのかもしれませんね。

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2020年9月10日 (木)

戦わないために二本鎖しがあった 「戦う」という言葉をむやみに使う野党に違和感あり


野党はすぐに「戦う」という。
それに反して、憲法九条改変反対。
なんなんだろうこのダブルスタンダード。

日露戦争や太平洋戦争は、
戦いたくて戦ったのではない。
戦わざるを得なくなったので戦った。

軍隊というものは戦わないためにあるもの。

かつて武士が腰に下げた二本の刀は
常に刀そのものを磨き
それを使う技を磨いた。
しかし一生涯抜かぬを誇りとした。

防衛用の軍隊というのは
そういうものなのではないのか。

「戦う」「戦う」を連呼する野党こそ
「戦う」ことを推奨している元凶なのではないのか?

国民のため世界平和のため
「知恵と交流で工夫をする」
という表現を使えない野党の政治家に
国民は決してついていくことはないだろう。

九条を死守したいのならば
まずはあなた方自身が「戦う」ことをやめ
知恵と交流で平和を実現すべし。

ただし私個人の意見では
隣の三つの国を現実に見つめると
「二つの刀を帯び
 常に技も武器も磨きつつ
 抜かぬを誇りとしていた
 武士の魂を思い出すべし」
と強く強く感じている。

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2020年9月 9日 (水)

封印や結界をみだりに解こうとするなかれ


アニメで時折、封印されたものを解いてしまったことにより、大災厄が起きる場面がある。

これを単なる物語と見るのか、何らかの啓示があると見るのか、場合場合だが、私はこうしたアニメを割合と支持することが多い。

封印というものは意味が有る。

特に怨念を封じるために封印がしてある場合、生半可なことでそうした怨念が消えるわけでは無い。だからこそ神として祀り、その怨念を浄化しようと工夫を凝らしてきたのでは無いのか?

最近、封印を解く旅ということを複数聞く。知人もまた、同じようなことをやっているという。

正直言えば、こうした愚かな傲慢なことを止めたい。中途半端な能力の人がおこなえば、その怨念は別の災厄をもたらしかねない。

ひょっとすると最近の災害というのは、人災であれ、天災であれ、こうした人々の傲慢な思いが引き起こしているのか、その災厄が傲慢な思いを引き起こしているのか、複雑な形なのかもしれない。

もし、このブログを見て、こうしたことに関わっている方がおられるならばお伝えしたい。

千年二千年と封印されたものを、こじ開けるのは避けて欲しい。そんなに簡単に浄化できるものでは無い。むしろ封印されたままに、ゆっくりと時をかけて、人をかけて、浄化していく方法が大切。小さな個人や能力が伴わないもの達の能力では限界があることを自覚して欲しい。むしろ悪化させる可能性の方が高く感じる。
今のその愚かな行為が、災厄をもたらし、人々に不幸をもたらしかねないという真実を見つめて欲しい。

結界には結界の、封印には封印の意味がある。無理に開けるのは不安定になる元。もっともっと大きな視点で、流れを見つめて欲しい。一部の人の言葉に振り回されないで欲しい。

行動的に派手好きな人や、イエスマンが多いグループは特に気をつけるように\(//∇//)\

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2020年9月 8日 (火)

器量を大きくするチャンスは失敗した時に訪れることが多い。










器量を大きくするチャンスは失敗した時に訪れることが多い。

深く懺悔するのか?はたまた恨み節を告げ続けるのか?

宗教は最初に懺悔から始まることが多い。大乗仏教もまた然り。

その懺悔から、他者の失敗に寛容になっていく。

ただし単純な許容ではない。失敗を恐れず前に進むことの大切さを他者に語れるようになる。

器量の大きな人の若い頃の話しを聞くと、失敗の連続だったことがままある。その失敗を糧にできるか否かは、その人の思い次第。

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2020年9月 7日 (月)

名画『二百三高地』をアマゾンプライムで観る 偶然にも日露戦争の終結の日九月五日であった

かみさんがお茶の先生と相談をして、
九月十三日にお茶の練習をすることになった。
その日のテーマを求められたらしく、
調べると乃木希典将軍の忌日であった。
かみさんが私に尋ねた。
「乃木将軍ってどんな人、
 そういえば乃木坂の乃木神社の祭神だよね。」
私は答えた。
「『二百三高地』という映画があるから
 それを観ると分かるよ」
九月五日、Amazonプライムで
『二百三高地』を観ることができることを知り
二人で映画を観た。
私は久しぶりのこの映画である。 
今日六日にかけて映画を観させてもらった。
そして、この九月五日が
二百三高地に描かれた
日露戦争の終結の日であることを知った。
この偶然の一致に夫婦共に涙顔で
目を合わせた。
涙無くして観ることができない映画。
心の奥底に染み渡る映画。
凄惨さと次への生きる喜び
それらが入り混じった映画。
映画が終わったのち
この日露戦争がどういうことをもたらしたのかを
かみさんに講義した。
すると
今のようにつまらないことに
 振り回されている暇はないんじゃないの。
 それだけのことを知り、
 それだけのことに気付いているのならば、
 大切な人材を育て、
 その大切な思いを
 より多くの人に
 知ってもらうようにしなくちゃ。
と叱咤激励されてしまった。
かみさんは何かが降り立ったように
導きの菩薩さまになっていた。
今から本堂に行き
明治天皇、乃木希典、はじめ
日露戦争に関わった
有名無名の方々の菩提を弔おうと思う。
そして、自分自身の「あるべきようわ」を
見つめ直したいと思う。

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