正々堂々と生きる高家寺の檀信徒のあり方にホッとする」
コロナ禍の情報を収集している中で、ネット出演している方々を見ての雑感。
特に左傾している方々に、もしくは右翼を演じている方々に見受けられること。
誰か敵を作らなければやっていけない人が多いのではないだろうか。
声を掛けられた人の大半は自分で物事をあまり考えない。そういう人たちに自分に都合の悪い情報の大半を隠し、敵にとって都合の悪い情報を、時には捻じ曲げて周りに伝える。
そうやって歪な情報を共有して仲間づくりをしていく。
自分にとって都合の悪い情報が入ると、時には感情的になり、時には悲劇のヒーローやヒロインを演じ、時には情報を捻じ曲げる。
しかし、時を経ていくうちに仲間と思っていた人はは消え去っていく。
仲間が消え去ると、そういうひとはまた別の場所に移る。そこでも同じことを繰り返し、また場所を去って同じことを繰り返す。
短い期間で自分を中心とした仲間づくりをしている人、他者の噂話をやたらする人、やたらと秘密を共有しようとする人。話題をよく変えようとする人。こういう人に敵を仕立てる人が多い。
どこかの国(組織)を敵視してマスコミを煽る。敵視している国の歪んだ情報を他の国に流し、自国に都合の悪い情報の大半は隠す。
自国に都合の悪い情報が入ると感情的になり、時には悲惨な過去があったことをやたらと強調し、話題を変える。
しかし、そうした国は他国から敬遠されていき、いつのまにかその国の政権が全く異なるものとなっていく。変わった政権はまた同じことを繰り返す。
他者を貶めることで、自分の地位を相対的に高めようとするから。
自分の見せかけを良くするために他者との比較をするのは筋違い。他者との比較で大切なのは、自分のを磨くときのみ。
正々堂々とまっすぐ道を歩むことのほうが楽(らく)であり、楽しい。
国家にしろ組織にしろ個人にしろ、隣や後ろに神仏が居る、神仏に包まれて生きている、神仏が自心にいることをなんとなく感じていられることは幸いである。
もちろん、そういう国家や組織や人は、誤解をされやすい。ただ存続するためだけに薄っぺらく存続している国や組織や個人に敵視されやすい。
それは、欲を超えた世界で生きており、不思議な出来事が日常茶飯事であるから、時には常識から外れているから、欲にまみれた生き方をしている人には理解できない。
本当は神仏とともに生きるほうが楽であり楽しい。正々堂々と生きられる。
うちのお寺の檀信徒には感謝したい。長いお付き合いが多い。ヒエラルキーを作ろうとせず、他者を貶めることもない。その方々のためにも、私個人もお寺そのものも、自らの幅を広げ、自らを深く掘り下げ、高潔にあるようにしたい。
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