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2020年3月24日 (火)

してはならないことを知り、それを否定し、肯定面を見つける。

「してはならないことを知り、それを否定し、肯定面を見つける。」
 
かつてハンドボールのコーチで初めて試合に臨み二部のグループの決勝まで行った。ところが決勝で相手チームに隠れた反則をされ怪我人が続出した。審判部に何度も抗議したが、「反則もひとつの攻撃方法だ」とあるチームの監督から言われてしまった。
 
そこから考えに考えた。出した結論は、反則を教えること。ただし、自分たちは何があっても絶対に反則を使わないことを条件にした。肘打ち、膝打ち、足踏み、ユニフォームの引張り、足の引掛け、ボールをわざとぶつける等。
 
反則を教えられた本人たちは、自分たちができないので、適当にしか聞いていなかったが、効果覿面であった。相手の反則から上手に逃れるようになっていった。おそらく無意識に反則を回避する思考が身に着いて行ったのだと思う。逆に正々堂々と戦うのが当たり前にな利、とても強くなっていったことはとても嬉しかった。
 
 
インドの政略論であるカウティリアの『実利論』がある。これは友人に教えられた一冊。かつて岩波文庫から出ていた。この中には謀略がびっしり書かれている。使ってはならないものが山ほど書かれている。しかし、知っていなければ謀略を受けたときに対応ができない。
 
今の日本の政治家は、残念ながらこうした訓練を受けていない。だから謀略に弱い。謀略に弱いから思い切った手を打つことも苦手。
 
謀略だけでなく、日本では禁忌とされる核武装論。私も所持には反対だが、核兵器の研究や、もし所持したらどうなるのかという研究と話し合いはとても重要だと思う。その上で、核武装はしないことが重要。検討も何もしないのは無責任。
 
 
知っていることと使うことは異なる。知った上で検討を重ねれば、どんなことでも必ず昇華できるはず。
 
 
今回のコロナウィルスも、幾つかの問題を提起してくれている。
「武漢ウィルス」という表現の善悪・人権と公共の福祉・共和主義と個人主義などの問題も含め、データや根拠に基づき自由に論議すれば、イエス・ノーという二択論ではなく、第三の道を見い出せるのではないかと思う。
 
 
いやなことでも、まずは知ることから。イエス・ノー・グレーゾーンの三者からの検討。そしてそれを乗り越えていく知恵の構築が重要。
 
 
仏教でも、煩悩を徹底的に分析する。その煩悩を用いるのではなく、その煩悩にまみれないようにするために煩悩について学ぶ。密教では、その煩悩をもう少し奥まで踏み込んで考察し、煩悩を一旦は全面否定した上で敢えて肯定面をも見出していく。
 
 
現象は真理の現れ。こうした社会的な問題があるときこそ、それを個人の内面の深化へと昇華させていくのが私たち宗教家の役目。問題に振り回されるのではなく、地に足をつけて自らの本分を果たしたいもの。

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