#明智光秀 に関する雑感vol.1 ヒーローにしてはならない人物
明智光秀に関する雑感vol.1
「ヒーローにしてはならない人物」
どんなに格好をつけようと、どんな理屈をつけようと、私は明智光秀を英雄として奉ることに納得できない。
勉強家で、様々な知識を身に着けていたのは間違いない。能吏であり、主君信長の命令を着実にこなす人物であったのも事実で、信長が最もその能力を信頼していたのも間違いない。
また信長の性格から、光秀に対して暴言や暴力もあったであろう。
しかし、しかしである。どんな理由があろうと、多くの味方も附けずに主君を弑逆することは、光秀の全ての功績を打ち消すほどあってはならない行為だと思う。
周の武王は、時を待ち人信を集めた後に、暴君の殷の紂王を討滅した。
明の朱元璋は、平民出身であり、平民を味方につけて勢力を得て明王朝を成立させた。
秀吉は、信長の子孫を奉りつつ、諸将を味方につけ一大勢力となり、関白にまで上りつめた。
いずれも、主に対して弓を引くか恩知らずの行為をしているが、多数の他者を味方につけることを忘れなかった。
光秀は、味方を募ることができなかった。この一点で、信長を討ったことは、私怨であることが分かる。
弑逆してから味方を募るのは論外である。
細川親子が光秀に背を向けたのは当然といえば当然である。つい一年前までは、信長の恩を忘れまじと言っていた人物が豹変したのは、大義がない。
光秀が信長を討った理由はわかっていない。
歴史作家の加来耕三氏は「精神的な病」「うつ病」論を出されているが、私もその意見に賛成である。加来耕三氏の光秀論は、ほぼ私も同じ意見だったので驚いた。
頑張りすぎて、自分で自分を追い込んでしまい、これ以上動けなくなり、信長の期待に答えられなくなっていき、精神的におかしくなっていったのではないかと思う。その延長線上に本能寺の変があったと私も思っている。
だからこそ、大多数の意見を集合させずに、自分だけの思いで突っ走ってしまった光秀には賛同できない。彼を英雄化することは私怨による裏切りを推奨することになりかねない。
光秀は優秀な人物であったが、引き際を間違えた。頑張りすぎて、自分の能力を超えることまで信長に求められるようになってしまい、引き際を失ってしまった。優秀であるがゆえの悲劇は悲しい。しかしヒーローであってはならない!
今、岐阜では光秀を盛り上げている。しかし、岐阜の名をつけたのは信長であり、光秀を応援することに私は納得できないでいる。
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