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2020年3月31日 (火)

私にとって歴史の勉強も又、真言密教を深めるため

最近、江戸時代中期の歴史関係(尾張徳川家七代目 #徳川宗春 )の物書きをしている。新型コロナウイルスのために会合がなくなり、その時間を利用している。
 
書くために調べごとをし、論文や書籍を読んでいるうちに感じたこと。
 
やはり私にとって歴史学は補助的な作業に過ぎない。今まで発見されていなかったことを見つけることは楽しいし、椅子に何時間でも坐って調べているとタイムトリップしたように感じる。また色々と関連した出来事も身の回りに起きてくる。
しかし、何かが足りない。
 
調べごとをしていると、必ず #真言密教 との関連のものが出てくる。不思議なほどに。それを見つけるたびに、自分の本道は歴史学ではなく、真言密教だなぁと改めて感じる。そして真言密教関連の調べごとになっていくと、どんどんと深まっていく。祈りにも繋がる。いつも行き着く先は、信心、慈悲と智慧、そして大菩提心。そしてまた歴史に戻るの繰り返し。
 
私にとっては、歴史学も環境倫理もロータリー活動も、文化センターの講師も、そして住職としての活動も、生きていること全てが真言密教。ここに足りないものはなにもない。
 
これを確認しつつ、歴史学の書き物をすると楽しくて仕方がない。私にとって歴史学もまた真言密教を広め深めるためなんだなぁと、自分を笑いつつ楽しんでいる今日このごろ。

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2020年3月24日 (火)

してはならないことを知り、それを否定し、肯定面を見つける。

「してはならないことを知り、それを否定し、肯定面を見つける。」
 
かつてハンドボールのコーチで初めて試合に臨み二部のグループの決勝まで行った。ところが決勝で相手チームに隠れた反則をされ怪我人が続出した。審判部に何度も抗議したが、「反則もひとつの攻撃方法だ」とあるチームの監督から言われてしまった。
 
そこから考えに考えた。出した結論は、反則を教えること。ただし、自分たちは何があっても絶対に反則を使わないことを条件にした。肘打ち、膝打ち、足踏み、ユニフォームの引張り、足の引掛け、ボールをわざとぶつける等。
 
反則を教えられた本人たちは、自分たちができないので、適当にしか聞いていなかったが、効果覿面であった。相手の反則から上手に逃れるようになっていった。おそらく無意識に反則を回避する思考が身に着いて行ったのだと思う。逆に正々堂々と戦うのが当たり前にな利、とても強くなっていったことはとても嬉しかった。
 
 
インドの政略論であるカウティリアの『実利論』がある。これは友人に教えられた一冊。かつて岩波文庫から出ていた。この中には謀略がびっしり書かれている。使ってはならないものが山ほど書かれている。しかし、知っていなければ謀略を受けたときに対応ができない。
 
今の日本の政治家は、残念ながらこうした訓練を受けていない。だから謀略に弱い。謀略に弱いから思い切った手を打つことも苦手。
 
謀略だけでなく、日本では禁忌とされる核武装論。私も所持には反対だが、核兵器の研究や、もし所持したらどうなるのかという研究と話し合いはとても重要だと思う。その上で、核武装はしないことが重要。検討も何もしないのは無責任。
 
 
知っていることと使うことは異なる。知った上で検討を重ねれば、どんなことでも必ず昇華できるはず。
 
 
今回のコロナウィルスも、幾つかの問題を提起してくれている。
「武漢ウィルス」という表現の善悪・人権と公共の福祉・共和主義と個人主義などの問題も含め、データや根拠に基づき自由に論議すれば、イエス・ノーという二択論ではなく、第三の道を見い出せるのではないかと思う。
 
 
いやなことでも、まずは知ることから。イエス・ノー・グレーゾーンの三者からの検討。そしてそれを乗り越えていく知恵の構築が重要。
 
 
仏教でも、煩悩を徹底的に分析する。その煩悩を用いるのではなく、その煩悩にまみれないようにするために煩悩について学ぶ。密教では、その煩悩をもう少し奥まで踏み込んで考察し、煩悩を一旦は全面否定した上で敢えて肯定面をも見出していく。
 
 
現象は真理の現れ。こうした社会的な問題があるときこそ、それを個人の内面の深化へと昇華させていくのが私たち宗教家の役目。問題に振り回されるのではなく、地に足をつけて自らの本分を果たしたいもの。

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2020年3月18日 (水)

#明智光秀 に関する雑感vol.1 ヒーローにしてはならない人物

明智光秀に関する雑感vol.1
「ヒーローにしてはならない人物」

どんなに格好をつけようと、どんな理屈をつけようと、私は明智光秀を英雄として奉ることに納得できない。


勉強家で、様々な知識を身に着けていたのは間違いない。能吏であり、主君信長の命令を着実にこなす人物であったのも事実で、信長が最もその能力を信頼していたのも間違いない。

また信長の性格から、光秀に対して暴言や暴力もあったであろう。

しかし、しかしである。どんな理由があろうと、多くの味方も附けずに主君を弑逆することは、光秀の全ての功績を打ち消すほどあってはならない行為だと思う。

周の武王は、時を待ち人信を集めた後に、暴君の殷の紂王を討滅した。

明の朱元璋は、平民出身であり、平民を味方につけて勢力を得て明王朝を成立させた。

秀吉は、信長の子孫を奉りつつ、諸将を味方につけ一大勢力となり、関白にまで上りつめた。

いずれも、主に対して弓を引くか恩知らずの行為をしているが、多数の他者を味方につけることを忘れなかった。

光秀は、味方を募ることができなかった。この一点で、信長を討ったことは、私怨であることが分かる。
弑逆してから味方を募るのは論外である。
細川親子が光秀に背を向けたのは当然といえば当然である。つい一年前までは、信長の恩を忘れまじと言っていた人物が豹変したのは、大義がない。

光秀が信長を討った理由はわかっていない。

歴史作家の加来耕三氏は「精神的な病」「うつ病」論を出されているが、私もその意見に賛成である。加来耕三氏の光秀論は、ほぼ私も同じ意見だったので驚いた。

頑張りすぎて、自分で自分を追い込んでしまい、これ以上動けなくなり、信長の期待に答えられなくなっていき、精神的におかしくなっていったのではないかと思う。その延長線上に本能寺の変があったと私も思っている。

だからこそ、大多数の意見を集合させずに、自分だけの思いで突っ走ってしまった光秀には賛同できない。彼を英雄化することは私怨による裏切りを推奨することになりかねない。

光秀は優秀な人物であったが、引き際を間違えた。頑張りすぎて、自分の能力を超えることまで信長に求められるようになってしまい、引き際を失ってしまった。優秀であるがゆえの悲劇は悲しい。しかしヒーローであってはならない!

今、岐阜では光秀を盛り上げている。しかし、岐阜の名をつけたのは信長であり、光秀を応援することに私は納得できないでいる。

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