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2018年3月29日 (木)

貴乃花親方への罵声を浴びせたのは誰だ!悲しい相撲協会

貴乃花親方が親方衆に謝罪した。その時に、貴乃花親方に罵声を浴びせた親方たちがいたという。
https://www.nikkansports.com/m/battle/sumo/news/201803290000085_m.html
この記事で不可思議に思った。
・怒号を浴びせかけた親方が誰であり、何と言ったのかが記されていない。
・誰も貴乃花親方をかばうことはなかったのか?

彼の問題は問題としてあるが、これでは貴乃花親方の公開処刑と同じこと。

またマスコミも、こうした記事を公正に記すには、罵声を浴びせたのは誰なのか。何を言ったのかを明確にせねばならないように思う。

親方衆は、こうしたマスコミの姿勢をいいことに、個人では何も言わず団体になったときのみ罵声を浴びせるものは、人格を疑う。そちらのほうがよっぽど問題。

貴乃花は弟子をかばい自らが矢面に立った。全ての恥を飲み込んでいるのは間違いない。一大親方だからこそできる、全てを受け切る対応。それが見えない親方衆は、所詮独りでは何もできない小者ばかりなのだろう。

国技のこの状態は、国会がつまらないことで足を引っ張る衆愚政治に陥っていることと、関係がないのではなく大いに関係しているように思う。今の日本の暗部であり病巣が露出してきているのではないだろうか?

自分の周辺でも気をつけていたいものだ。

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2018年3月 9日 (金)

民主制と独裁制 それぞれの優劣どこにあるのか?

独裁政権が増えつつある昨今。

欲望でできた歴史の長い独裁制。
歴史が浅く人間の理性でできた民主制。
単純に後者が良いとするのではなく、
何において優劣があるのか、
しっかりと見極めなければならない時代なのかも?

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2018年3月 8日 (木)

知ると知らざると・・・「富貴について」

28783677_10213417394581012_22128992 あるお茶人との対話で思うことあり。「富貴」という言葉

、単発で見ると、お金が多いとか貴族であるとか、そんな

下世話な意味に取れる。しかし、『論語』を知る者には、

「死生有命・富貴在天」という言葉が浮かび、下世話な話

とは全く異なる次元の意味が汲み取れる。

知ると知らざると、どちらが大きな間違いがあるのか?

私たちは知らないことが多すぎる。一生かけて学び続けて

いくからこそ、それまで見えない世界が見えて来るように

思う。

ちなみに写真の大日如来。気づく者、知る者には足元にあ

る仏像にも注意がいく。金胎両部。これも知る者のみ解る

こと(^。^)

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2018年3月 2日 (金)

空を見て独白  煩悩もまた慈悲

空を見て独白(^。^)
Aozora_2
雲一つない天気。昨日の嵐から一転、穏やかな日。真っ青というよりは、やや春霞がかかっている。霞は優しさを生む。
密教では雲や霧は煩悩の象徴だが、慈悲と観ることもある。なぜ煩悩が慈悲なのか若いうちは理解しがたいと思っていた。歳を重ねると、自然現象の霞にその意味を見出せるようになった。煩悩は優しさに繋がる。煩悩もまた昇華すれば菩薩の位でありうる。
最近はなんでも公開とか一方では個人情報とか両極端にすすんでいるが、密教の目から見ると両極端は戯論に過ぎない。世の中は、理想と現実の両方が絡み合って動いている。どちらか一方に寄るのではなく、どちらも包み込むような生き方をしていたいものだ。
若い頃、喧嘩っ早かった自分が微笑ましい(。-_-。)

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