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2017年7月 9日 (日)

今日(7月9日)は何の日? 森鷗外(本名:森林太郎)の忌日 「マルチな活躍をした文豪でもあった軍医」

今日(7月9日)は何の日?
森鷗外(本名:森林太郎)の忌日
「マルチな活躍をした文豪でもあった軍医」

大正11年(1922年)7月9日、文豪で軍医でもあった森鷗外は、親族・賀古鶴所(親友の軍医・歌人)らが付きそう中、腎萎縮・肺結核のために満60歳で逝去した。

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森鷗外は、夏目漱石と並ぶ、明治から大正にかけて活躍した文豪として有名。
作品として主なものは
小説としては『舞姫』『うたかたの記』『ヰタ・セクスアリス』『雁』『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』『佐橋甚五郎』『大塩平八郎』『堺事件』『山椒大夫』『最後の一句』『高瀬舟』『寒山拾得』
翻訳としては、『於母影』、アンデルセンの『即興詩人』、ゲーテの『ファウスト』、オスカー・ワイルドの『サロメ』
史書としては『渋江抽斎』『伊澤蘭軒』『帝諡考』
戯曲としては『生田川』
詩歌・作詞としては『うた日記』『横浜市歌』『浜松市歌(現在は廃止)』
その他、表現・随筆・日記がある。

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しかし、森鷗外は公式には医師であった。15歳で第一大学区医学校予科(東京大学医学部)に入学し19歳で卒業している。しかも、軍医として勤め、ドイツへの留学も軍医としてのものであった。陸軍大学の教官や東京美術学校の専修科の美術解剖学講師も勤め29歳で医学博士。日露戦争にも参戦し、戦後はロシア赤十字社員の護送に尽力。47歳で文学博士号が授与された。最終的には最高位であった陸軍省医務局長・軍医総監(陸軍中将相当)として八年あまり勤めている。勲章も何度が受けており、勲一等瑞宝章・勲一等旭日大綬章・大礼記念章も受けている。
54歳で予備役に編入後は帝室博物館総長に就任し高等官一等になり、帝国美術院の初代院長に就任。- 臨時国語調査会長にもなった。

多義に渡る文学作品だけではなく、社会的な分野でも活躍しており、まさにマルチな人であった。また女性蔑視観があまりなく、与謝野晶子や平塚たいてうなどをも高く評価したという。酒嫌いの甘党であったことも有名である。お酒を飲まなかったからこそ、あれだけの作品を生み出せたのかもしれない。

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面白いところでは、明治と大正の元号には違和感を感じており、その意向を受けた漢学者吉田増蔵に元号研究の『帝諡考』の後事をたくし、吉田が「昭和」を元老院にの元号を考案勘申した。また吉田は、今上天皇の諱「明仁親王」など皇族の多くの御名を考案したという。これも鷗外の影響が強かったのかもしれない。

鷗外のマルチぶりには舌を巻く。逆にいうと人はこれだけの仕事ができるのだと勇気づけられる。怠惰な気持ちになったときこそ鷗外を思い出したい。

今日は鷗外を読もう。

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