« 今日(7月15日)は何の日? 奈良時代の玄昉(げんぼう)僧正の忌日 「奈良時代の秘密を背負った傑僧」 | トップページ | 今日(7月17日)は何の日? 第二代グレイ伯爵の忌日 「有能な政治家の伯爵は紅茶好きでその名を残した」 »

2017年7月16日 (日)

今日(7月16日)は何の日? 板垣退助の忌日 「自由民権運動 板垣退助 清貧気概の政治家」

今日(7月16日)は何の日?
板垣退助の忌日
「自由民権運動 板垣退助 清貧気概の政治家」

大正8年(1919年)7月16日、自由民権運動で国民の圧倒的な人気を誇った板垣退助が逝去した。

4

板垣は土佐の中級藩士の嫡男として生まれた。「母が予を戒めて云ふに喧嘩しても弱い者を苛めてはならぬ、喧嘩に負けて帰れば母は叱って直ぐに門に入れない。成長すると、また仮りにも卑怯な挙動をして祖先の家名を汚してはならぬと教えられた」と退助は晩年、自分の少年時代を振り返り述懐している。そうした性格もあり、蟄居させられ、その間に庶民との交流を得る。このときに庶民目線の板垣の政治的な思想の基盤が生じた。明治維新を駆け抜ける。
維新の功により参与・続いて参議となるが、朝鮮国の無礼に激怒し西郷隆盛らと征韓論を主張する。しかし西洋帰りの岩倉具視らにより閣議決定を反故にされ、西郷とともに下野してしまう。
ここから、退助の政治活動が本格化していく。退助は五箇条の御誓文の「万機公論に決すべし」を根拠に、愛国公党を結成し、自由民権運動を推進していく。

岐阜で遊説中に暴漢に襲われ負傷(岐阜事件)。これが「板垣死すとも自由は死せず」というフレーズで世間に知れ渡っていく。実際は「吾死スルトモ自由ハ死セン」ということばであった。

210pxtaisuke_itagaki_bronze_statue_

その後、叙爵を三度打診された。二度は断るが、三顧の礼に反するということで三度目に叙爵して伯爵となる。しかし、子孫はその爵位を承けることはなかった。それは自由民権運動と家族制度は相容れなかったからである。彼は爵位があったために衆議院議員にはなれなかった。しかし、多くの議員たちをバックアップし、自由民権運動を支えていく。時には内務大臣として入閣することもあったが、基本的には自由民権運動の象徴として在野であることが多かった。

102733

彼は清廉潔白であった。岐阜事件で襲った犯人を特赦してほしいと願い出て特赦させ、犯人から謝罪されることもあった。中江兆民は「板垣は政治家としてよりも、むしろ個人としての美しい徳を持っていた近世の偉人である」と評したほどであった。

板垣は今の多くの政治家たちに欠ける気概を持って生きた人である。政権を望むのではなく、権力を望むのではなく、ひとりひとりの国民が自由闊達に生きていくことを目指して政治運動をしてきた。彼の生き様は様々なことを教えてくれるのは間違いない。

近日中に、彼が襲われた場所(岐阜公園内)に行き、「吾死スルトモ自由ハ死セン」の想いを受け止めたいと思う。

|

« 今日(7月15日)は何の日? 奈良時代の玄昉(げんぼう)僧正の忌日 「奈良時代の秘密を背負った傑僧」 | トップページ | 今日(7月17日)は何の日? 第二代グレイ伯爵の忌日 「有能な政治家の伯爵は紅茶好きでその名を残した」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/65354/65551961

この記事へのトラックバック一覧です: 今日(7月16日)は何の日? 板垣退助の忌日 「自由民権運動 板垣退助 清貧気概の政治家」:

« 今日(7月15日)は何の日? 奈良時代の玄昉(げんぼう)僧正の忌日 「奈良時代の秘密を背負った傑僧」 | トップページ | 今日(7月17日)は何の日? 第二代グレイ伯爵の忌日 「有能な政治家の伯爵は紅茶好きでその名を残した」 »