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2017年7月15日 (土)

今日(7月15日)は何の日? 奈良時代の玄昉(げんぼう)僧正の忌日 「奈良時代の秘密を背負った傑僧」

今日(7月15日)は何の日?
奈良時代の玄昉(げんぼう)僧正の忌日
「奈良時代の秘密を背負った傑僧」

746年7月15日(旧暦天平18年6月18日)、筑紫(福岡県太宰府市観世音寺五丁目)の観世音寺別当である玄昉が遷化した。

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彼の俗姓は阿刀氏である。阿刀氏からは、玄昉の師匠の義淵、玄昉の弟子の善珠という法相宗の高僧が出ています。また、弘法大師(空海)の母方は阿刀氏で、この阿刀氏が真言宗の総本山東寺(教王護国寺)の勝手方(執事)を担ってきました。この阿刀氏の神社が東寺の東北にある石上(いそのかみ)神社。石上の本社は天理にある石上神宮。物部氏の神社です。ここから見ても分かるように阿刀氏は物部一族。怪僧として名高い道鏡は弓削氏出身ですがこの弓削氏も物部一族です。

物部といえば仏教排斥で蘇我氏と争ったことになっていますが、その物部と同族である阿刀氏は奈良から平安にかけての傑僧を出し、奈良の仏教界をリードしていました。物部が仏教を排斥したかどうかは別問題ですので詳しくは述べませんが、蘇我氏も含めて飛鳥時代から奈良時代の謎はいろいろあるようです。

そのなかでも際立って不思議な人物が、今日を忌日としている玄昉僧正です。

吉備真備と共に唐に二十年間留学し、玄宗皇帝により高く評価され、経論5000巻の一切経と数多くの仏像と共に帰朝した。聖武天皇の母君である藤原宮子の病を癒し、聖武天皇から絶大な信頼を得ることになった。
聖武天皇の皇后藤原光明子(光明皇后)の皇后宮(元藤原不比等邸宅)の隅に隅寺(すみでら)が創建されており、その初代となったのが玄昉である。隅寺は海龍王寺といい、留学生たちの安全を祈願するお寺にもなった。

(歴史的に見るとこの海龍王寺は留学や海外渡航する人たちが祈願する日本の代表的なお寺だと思っている)

余談だが海龍王の娘が善女龍王であり、弘法大師ととても縁が深いのは何らかの理由があろう。善女竜王の夫は牛頭天王であり、祇園祭の祭神。玄昉の忌日・弘法大師の忌日・祇園祭の祭日が、三日以内にあるのもまた面白い。

ところが、藤原広嗣が玄昉を排除しようと九州で藤原広嗣の乱を起こし、藤原仲麻呂が権力を握ると玄昉は筑紫観世音寺別当に左遷され、翌年に遷化した。

権力者によって排斥され、そのときにさまざまな噂を塗りつけられ、俗説が定説化してしまった人物の代表が玄昉僧正。記録が少ないので研究は大変であるが、時代背景を見直して、彼の事績を見つめ直すことは重要である。そこに大仏をはじめとする奈良時代の秘密が隠されているように思える。

玄昉僧正、今日はゆっくりと祈ってみようと思う。

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