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2017年6月29日 (木)

今日(6月29日)は何の日 新井白石の忌日 「鬼と呼ばれた儒学者 排斥し排斥された人生」

今日(6月29日)は何の日
新井白石の忌日
「鬼と呼ばれた儒学者 排斥し排斥された人生」

Arai_hakuseki

1725年6月29日(旧暦享保十年五月十九日)、まだ麦畑で覆われ辺鄙な場所であった千駄ヶ谷で、六代将軍徳川家宣および七代将軍家継の侍講(朱子学の先生)であった旗本新井白石が不遇のうちに逝去した。

白石については個人的な複雑な思いがあるが、今回はその一部を。

新井白石の父は上総久留里(千葉県君津市)二万石藩主の土屋利直に仕えていた。白石は気性が激しく怒ると「火」という文字が眉間にできたという。利直は、それを観て「火の子」と呼んで聡明な白石を可愛がった。しかし、利直が没した後、白石の父は出仕せず藩を追われることになる。その後、白石は大老であった堀田正俊に仕えるが、正俊が殿中で殺害され堀田家は没落し、白石は自らの意志で浪人し、木下順庵に入門して学問に専念した。

順庵の推挙で甲府宰相徳川綱豊に侍講として仕えるようになる。その綱豊が五代将軍徳川綱吉の後嗣となるとそのまま仕え続け白石も旗本となる。綱豊は六代将軍徳川家宣となると、側用人間部詮房と共に辣腕を振るうようになった。白石が関わったことがあまり知られていない出来事を二つ紹介する。

一つは、七代将軍を誰かにする問題である。六代将軍家宣は学問をなした人であり、能力があるものが将軍にならねばならないと信じ、尾張徳川四代目当主徳川吉通を後継にしようとした。吉通の妻は五摂家九條家から嫁いでおり、後西天皇の孫でもあった。つまりその嫡子五郎太は天皇の曾孫であり、吉通・五郎太と続けば徳川は天皇家や五摂家の血も入れることになった。しかも吉通は学問もでき、武芸も新陰流の道統を次ぐほどの器量であった。家宣は吉通に将軍位を譲る決意をする。ところが新井白石は大反対した。鍋松こと後の七代将軍家継がいたからである。幼き主を幕臣が支えると、鋭く家宣を説得した。家宣は鍋松を後継としたというが、このやりとりは白石の随筆に記されているのみで、実際は家宣自身は吉通を望んでいたようである。白石が、あのときに動かなければ、家宣の意志に従っておれば、八代将軍吉宗も誕生せず、江戸幕府は全く違った形になっていたはずだ。侍講という幕府としては無役の旗本が将軍継嗣を決めた功罪は計り知れない。

もう一つが、有名な「江島生島事件」である。どうもこの事件は大奥の力を削ぐために、白石たちが仕組んだのではないかと思われる。結果的には大奥は縮小し、白石たちは喜んでいる。またこれをきっかけに江戸四座と呼ばれた芝居小屋のうち山村座は連座で取り潰され、他の中村座・市村座・森田座の三座も二階を撤去されるなど強制的に縮小させられ、江戸の芝居の火が小さくなる。これも朱子学で遊興を否定する白石には好都合であった。

白石は、五代将軍綱吉の側用人で大老格であった柳沢吉保を追い出し、その側近であった勘定奉行の荻原重秀を徹底的に嫌い追い出しに成功する。しかし結果的にこれが世界最先端の貨幣経済を潰してしまうことになる。白石は貨幣経済の本質を理解できなかった。

白石は歴史では「正徳の治」として良き政治を行ったかのように見られているが。その手法は「絵島生島」事件のように激烈すぎて、周りから「鬼」と呼ばれた。その結果、八代将軍となった吉宗から排斥されてしまう。吉宗は綱吉や柳沢吉保を大切にしていたこともある。

主君徳川家宣のために生きることが正義であった男、新井白石。彼は日本全体像と他の武将たちの気持ちを汲むことができなかったのであろう。彼の人生は、目的のためならば手段を選ばぬマキャベリズムに近いものを感じる。既に時代は大きく変化していたことに彼は気づいていても動けなかったのかもしれない。

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