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2017年6月19日 (月)

今日(6月19日)は何の日? 竹下登元首相の忌日 「気配り・調整型の政治家  ‘おしん’と呼ばれた辛抱の人」

今日(6月19日)は何の日?
竹下登元首相の忌日
「気配り・調整型の政治家  ‘おしん’と呼ばれた辛抱の人」

平成12年(2000年)6月19日、竹下登元首相が逝去した。満76歳。

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昭和時代最後の首相であり、平成時代最初の首相である。また地方議員から首相になった初めての政治家でもある。

終戦直前の昭和20年3月、竹下に深い影響を与えた実母の唯子が逝去。その直後の5月に妻の政江が自殺してしまう。竹下21歳の春、日本が最も空襲を受けていたときである。母唯子は病であったというが、妻の政江は竹下の父との軋轢を竹下に相談したところ一喝されてしまい自らの命を断ってしまう。この出来事が、竹下の性格を変えてしまう。この日から竹下は決して怒らずに、「気配り・目配り・金配りで総理になった」と言われるほど相手と良き関係を結ぶようになっていったという。

竹下の語録は彼の性格をよく表している。

「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」 「私の専門は選挙学」「組織しつつ選挙し、選挙しつつ組織する」「アイムソーリ、ボクソーリ」「歌手1年、総理2年の使い捨て」 「一内閣一仕事」 「玉拾いに徹する。」「参議院を笑う者は参議院に泣く」 「言語明瞭、意味不明」 「これから生きとし生ける私の身柄をかけて、燃焼し尽くさなければならない」「消費税を導入したことは後世の歴史家が評価してくれる」「公平で簡素な新しい税制を実現することが、現下の急務だ。いかなる困難があろうとも『若し聞く人なくば、たとひ辻立ちして成りとも吾志を述べん』との先哲(石田梅岩)の言葉を自らに言い聞かせつつ、この身命のすべてをささげ、全力を尽くす」 「円登り、竹下下る」「我が道を行く」「私は一貫して『政治は無限の理想への挑戦』という信念に基づき、ひたすらこの道一筋に歩き続けてきた。しかし、いま静かにその歩みを止める時が来たと決意した」

首相としては消費税導入と、昭和天皇崩御・現今上陛下御即位・故郷創生1億円・日米貿易摩擦の一部を解消(牛肉オレンジの輸入自由化)を成し遂げたが、リクルート問題などで短い首相生命であった。しかし、自民党最大派閥の竹下派の領袖として君臨続け、海部内閣や宮沢内閣、小渕内閣に隠然たる影響を与えている。

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竹下の政治手法はそれまでの首相たちと大きく異なっていた。それまでは自民党内でも主流派と反主流派があり、反主流派は閣外が一般的であった。ところが竹下は、福田派の安倍晋太郎を幹事長にし、宮沢を副総理・大蔵相とし、派閥均衡内閣を作って「総主流派体制」を実現した。ここにも竹下の人となりが顕れている。

竹下の政治家としての明闇はここでは述べない。むしろ「おしん」と呼ばれ辛抱を通してきたことや、周囲への気の遣い方こそ彼の真骨頂であろう。そしてその真骨頂を作ったのは、ほかでもない、最初の妻正江が竹下の不当な叱責により自らの命を断ってしまったことであった。

個人的なことだが私は選挙が苦手であるし気配りが下手であることを深く自覚している。今日は竹下登元首相を見つめ、自らの反省点をも見つめ、少しでも糧にしたい。

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