今日(6月15日)は何の日? 信用金庫法制定記念日 「信用金庫の原論である小原理論 裾野金融理論を見つめ直す これぞ日本の金融思想!」
今日(6月15日)は何の日?
信用金庫法制定記念日
「信用金庫の原論である小原理論 裾野金融理論を見つめ直す これぞ日本の金融思想!」
「貸すも親切、貸さぬも親切」「カードは麻薬」「貯蓄興国、借金亡国」「銀行に成り下がるな」「人の性は善なり」「人柄に貸せ」「産業金融に徹する」「国民経済が大切」これらはこの法律制定の功労者 小原鐵五郎の言葉
信用金庫のルーツは二つある。
一つは、天保2年(1831年)に大原幽学が、上総(千葉県)で、神道・儒教・仏教を一体とする「性学」を講じ、先祖株組合という農業協同組合を世界で初めて創設したことがルーツと言われる。
もう一つは、二宮尊徳の弟子である岡田良一郎によって明治12年(1879年)に勧業資金積立組合が設立された。これが掛川信用金庫の前身で、日本最古の信用金庫と言われる。
明治政府は、急速に導入した資本主義の弊害是正し産階級の育成と庶民の生活安定のために、ドイツの信用組合を見習う。株式会社の銀行ではなく、融資対象・営業地域を限定し一人一票の民主的な運営原理の協同組織の金融機関を創設。明治33年(1900年)に内務大臣の品川弥二郎や平田東助が中心となって産業組合法が制定される。それによって生まれた信用組合と農業協同組合は協力関係を築いた。生活協同組合も生まれる。
続いて、都市の中小商工業者のために大正6年(1917年)に産業組合法が一部改正。昭和18年(1943年)に市街地信用組合法が制定。終戦後、GHQにより、旧市街地信用組合は法律上中小企業等協同組合法に基づく都道府県管轄の信用協同組合とされてしまう。この法律により「青果や食肉など業種別の組合」「職域組合」「民族系組合」などから派生した新しい信用協同組合が林立。ところがこれは町役場の金融部門」「町の発展のための公共的金融機関」として発足した旧市街地信用組合とは経営理念・歴史・経営内容が異なっていた。
旧市街地信用組合は、一線を画すことを望む。昭和26年(1951年)6月15日に、議員立法により、新たに大蔵省直轄の協同組織金融機関制度である「信用金庫」を創設して転換した。「地域で集めた資金を地域の中小企業と個人に還元することにより、地域社会の発展に寄与する」を目的としている。そのころ、無尽会社が相互銀行に、信託会社が信託銀行にと、「銀行」という名称に変更していた。しかし旧市街地信用組合の関係者は「儲け主義の銀行に成り下がりたくない」という強いプライドから「信用銀行」という案を拒否する。そこで当時の舟山正吉銀行局長から「金は銀よりも上」として、政府機関のみが使用していた金庫という名称を許可され「信用金庫」という名称となる。そのときに常任理事として活躍したのが城南信用金庫三代目理事長となる小原鐵五郎である。昭和38年(1963年)には全国信用協同組合連合会(現信金中央金庫)の会長に、昭和41年(1966年)3月に全国信用金庫協会長となり長年活躍した人物でもある。
小原は
信用金庫の3つのビジョンを「中小企業の育成発展」「豊かな国民生活の実現」「地域社会繁栄への奉仕」とした。
「超資本主義で事を進めるなら、いつか貧富の差が激しくなり、階級闘争が火を吹くかもしれない。平和な世の中を作るには、信用金庫の存在こそ必要ではないのか」
「富士山の秀麗な姿には誰しも目を奪われるが、白雪に覆われた気高い頂は、大きく裾野を引いた稜線があってこそそびえる。日本の経済もそれと同じで、大企業を富士の頂としたら、それを支える中小企業の広大な裾野があってこそ成り立つ。その大切な中小企業を支援するのが信用金庫であり、その役割は大きく、使命は重い」
という小原理論、すなわち「裾野金融理論」を提唱した。
これは今も十分通じる理念ではないだろうか。経済ばかりでなく多くのことに通じる哲学でもある。
今日は「小原理論」をもう一度見つめてみようと思う。
| 固定リンク
« 今日(6月9日)は何の日? 皇太子殿下の御成婚記念日 「結婚の日付と日本国民としての思い」 | トップページ | 今日(6月16日)は何の日?vol.2 香淳皇太后陛下の忌日 「夫婦のあり方の理想像」 »
コメント