学生時代の時計が見つかり 初発心のきっかけを思い出す バンコク そして 高野山 を共に過ごす
「初発心のきっかけ」

なぜか父の遺品の中から出てきた。
高校生になって初めて購入した時計。
この時計を初めてつけて三ヶ月後
妹と伯母夫婦とバンコクに飛んだ。
父が四年間の赴任をしていたからだ。
そこで義伯父と共にバンコクのスラムを歩いた。
私は綿パンとボロボロのTシャツと
腕時計とサングラスを掛けて
小さな財布のみ持って行った。
酷い有様だった。
細い木の柱にトタン屋根。
簀子の上にタンスがあり
壁もない家がいくつもあった。
トイレは他所でする。
水路は汚れ塵芥が散乱している。
土埃と生物の匂い。
スコールが来ると
皆は目の前にある寺院に駆け込むという。
スラムは寺院とともにあった。
子どもたちの目は輝いていたが
大人たちの目は
生きている目とは言いがたかった。
複雑な気持ちになった。
帰宅後に仕事から戻った父に叱られた。
危ない場所だったからである。
時計も当時のバンコクでは珍しいもので
狙われる恐れがあった。
だから私にとって
この緑の腕時計はバンコクの思い出と
深くつながっている。
僧侶のいないエメラルド寺院にも行った。
最も印象に残った仏像である。
その緑色は印象深く
腕時計の緑と相応して
この腕時計と共に篤い思い出となった。
この時から私の心の中で何かが光った。
完全に理系であった私の中に
全く異質なものが輝き始めた。
今、思えばそれが「初発心」の
きっかけになったのは間違いない。
あのとき父の元に行かなかったら
あのときスラムに行かなかったら
今の私はない。
高野山へとつながる道を共に歩んだ時計。
すっかり忘れ去っていたが
高野山に登ったときも
高野山に定住したときも
この時計を着けていた。
高野山の六年の間も一緒であった。
高野山を下りた時
より薄い時計を手に入れた。
CHITIZENのJUNCTION。
今は引き出しで眠っている。
このときから緑の時計を使っていないことを思い出した。
時は平成二年四月である。
二十七年の歳月が流れた今
父が逝去し再び私の前に現れた緑の時計。
年頭に初心を思い出す必要が
あったのかもしれない。
父にも深く感謝したい。
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