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2017年1月 9日 (月)

神鏡を磨く 古い時計磨きから鎮守の神鏡に移り 自分自身のマーラと対峙する 観が重要

神鏡を磨く

例の緑の時計の
表面を磨いていて
突然と閃く

鎮守の鏡が全く磨いていない

確認しに行くと
案の定、緑青などで
全く何も映らない状態

そこで
水ヤスリや
コンパウンドなどを用いて
磨くことにした

なかなか綺麗にならない

一度は映りが良くなりかけた
ところがすぐに曇ってしまう

妙に綺麗にしようという
欲望が勝ってしまい
神仏への奉仕と
自らの心の磨きが
消えると
すぐに曇ってしまうことが分かる

なん度も繰り返しながら
いつの間にか
般若心経の真言を唱え
自分の心の中のマーラと対峙すると
次第に心が浄化されたのか
神鏡も物を映せるレベルに
なっていった

明後日には仕上げ用の道具が揃うので
この数日中に磨き上げようと思う。

今夜は途中ではあるが
これくらいにして
鎮守の神前に戻そう!

少なくとも今年からは
月に一回、月例不動護摩の
前日である27日には
鎮守様の鏡を磨くことを
決意させていただいた

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2017年1月 8日 (日)

学生時代の時計が見つかり 初発心のきっかけを思い出す バンコク そして 高野山 を共に過ごす 

「初発心のきっかけ」

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なぜか父の遺品の中から出てきた。

高校生になって初めて購入した時計。

この時計を初めてつけて三ヶ月後

妹と伯母夫婦とバンコクに飛んだ。

父が四年間の赴任をしていたからだ。

 

そこで義伯父と共にバンコクのスラムを歩いた。

私は綿パンとボロボロのTシャツと

腕時計とサングラスを掛けて

小さな財布のみ持って行った。

 

酷い有様だった。

 

細い木の柱にトタン屋根。

簀子の上にタンスがあり

壁もない家がいくつもあった。

 

トイレは他所でする。

水路は汚れ塵芥が散乱している。

土埃と生物の匂い。

 

スコールが来ると

皆は目の前にある寺院に駆け込むという。

 

スラムは寺院とともにあった。

子どもたちの目は輝いていたが

大人たちの目は

生きている目とは言いがたかった。

 

複雑な気持ちになった。

 

帰宅後に仕事から戻った父に叱られた。

危ない場所だったからである。

時計も当時のバンコクでは珍しいもので

狙われる恐れがあった。

だから私にとって

この緑の腕時計はバンコクの思い出と

深くつながっている。

 

僧侶のいないエメラルド寺院にも行った。

最も印象に残った仏像である。

その緑色は印象深く

腕時計の緑と相応して

この腕時計と共に篤い思い出となった。

 

この時から私の心の中で何かが光った。

完全に理系であった私の中に

全く異質なものが輝き始めた。

 

今、思えばそれが「初発心」の

きっかけになったのは間違いない。

 

あのとき父の元に行かなかったら

あのときスラムに行かなかったら

今の私はない。

 

高野山へとつながる道を共に歩んだ時計。

すっかり忘れ去っていたが

高野山に登ったときも

高野山に定住したときも

この時計を着けていた。

 

高野山の六年の間も一緒であった。

 

高野山を下りた時

より薄い時計を手に入れた。

CHITIZENJUNCTION

今は引き出しで眠っている。

 

このときから緑の時計を使っていないことを思い出した。

時は平成二年四月である。

 

二十七年の歳月が流れた今

父が逝去し再び私の前に現れた緑の時計。

年頭に初心を思い出す必要が

あったのかもしれない。

 

父にも深く感謝したい。

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2017年1月 3日 (火)

「今年は何をするのかを 見極めるには?」元日に遺書を書く

「今年は何をするのかを
見極めるには?」

かつて高野山では
お正月に住職たちは遺書を書いたという

私も高野山真言宗所属の密教僧として
今、遺書を書いている

今年のこれからの自分を
見つめることに
とても役立つ

生も死も
思うようにならないからこそ
見つめる機会もまた必要

何をせねばならないのかを
何を言い残すのかを
見極めることもできる

昨年と、実父が逝去したために
新年のお祝いは遠慮せねばならない故に
そうした身だからこそ
遺書のことを記させていただいた

何かを感じていただけたら
幸いである

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