真言密教はインド密教そのままではない。中国さえも飲み込んで日本で独自に発展
「真言密教はインド密教そのままではない。
むしろインドではなし得なかった深みを身に着け
それを弘法大師が真言密教として練り上げた」
ある講義を聞いて感じたことのほんの一部。
あまりにも膨大な内容なので
今 ここに すべてを書けない(^^;
それゆえにほんの僅かな感想を。
***
最近、密教と言うとチベット仏教が表に出る。
チベット仏教は
ナーランダやヴィクラマシラーという
インド仏教大学の直系と意識が強い。
そのまま受け継いでいるからだ。
しかしそれは源流であり
学ぶべきものではあるが
日本の真言密教が受け継ぐものではない!
ナーランダやヴィクラマシラーという
インド仏教大学の直系の教えの流伝には
もうひとつの流れがある。
それが中国へ渡り、
当時世界最大の都市であった長安で練りに練られ
密教は中国哲学をも飲み込んだ。
そして出来上がったのが日本へ渡った真言密教。
インドの思想と中国の思想という
二つの巨大な思想を飲み込んだ。
インド仏教ではなし得なかった成長をし
その教えを弘法大師は日本へ運び
より深化させた。
その教えの深淵は Samaya(三摩耶)
あえて、私は言いたい。
「日本に伝えられた日本密教は
インド・チベット仏教をも遥かに凌駕した教えである」
と。
ごめんなさい。これ以上は書けません。
講義の中の100分の一も書けていません(^^)
***
約三十年ぶりに
ある先生の講義を受けた。
ショックであった。
文献学者でもあった先生が
自らの体験の中で
文献学を遥かに超えられていた。
先生の求法が
肌に取るように感じさせられ
そして深く深く心に染み渡った。
思わず、我が師匠までもが
身を乗り出され
最後には最大限の賛辞。
誰でも理解できるような内容ではなかった。
しかし、真言の教えを一通り学んだものならば
今回のお伝えいただいた内容は
強烈なインパクトを持つはずだ。
師匠の会に参加している者は幸いである。
心より打ち震える感動であった。
これでまた祈りの時間が変わる!
心から感謝したい。
いまはまだこのお話を
敷衍する時期ではないようなので
内容については書けないが、
いつか先生がこれを御自らのコトバで語られるはず。
その時まで待って欲しい。
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