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2015年1月17日 (土)

私にとって未明の修法とは何なのか?

・修法とはなにか?
・カミさんの心遣い

いつもと同じように懇ろに修法をおこなう。 修法というと、俗説の加持祈祷をすぐに思い浮かべる方がいらっしゃるようなので、ここで少し解説を。

私はこれを修行のためにしているという意識はない。受用身である仏を迎え入れ、接待しながら大乗仏教の理論を確認しつつ対話し、身体と言葉と意識を極大にまで広げたものを身に収め、また仏を接待して送り出すもの。ある意味、お茶の世界に近い。だから修行をさせられているというよりも、大切なお客様を楽しく迎え入れているようなもの。ひとつひとつの作法には大乗仏教の理論がしっかりと組み込まれており、この修法をすることで大乗仏教の理論を体感できる。それも楽しい。そして仏もまた大乗仏教の理論が人の姿で表されてものであるので、これもまた楽しい。だからこそ、未明に眠いながらも起きることができるのだと思う。

楽しくなければ、義務感だけでは、私の場合は修法は続かないと感じている。極端な話、私にとって修法とは趣味のようなもの。

でもこの修法のお陰で弘法大師の著作が単純な理屈ではなく、観法に基づいたものであることがありありとわかってきた。ここに至るまでに紆余曲折三十年。まだまだ変節はあるのかもしれない。

今朝の温度は4度で、最近のウチでは温かい方だったが、体感温度はかなり寒く、最終的には縮緬帽子を頭から被って肩から背中を寒気から守った。いつもより三十分以上遅く本堂から出堂すると、カミさんがお風呂を入れてくれていた。この気の効かせ方はほんとうに有難い。すぐに湯船に浸かり。冷えきった身体を温める。するとあまりの心地よさに眠ってしまった。十分くらいは眠ったっと思う。夢の中で、リアリティの非常に高いある仏が顕れる。それで目が覚めた(^^)

朝食を摂り、できていない作業をしようと思ったがあまりの眠さに勝てず、その後は二時間ほど眠る。睡眠不足は喘息を引き起こすので、無理をしないようにしている。 おきてまた作業を始め、ようやく節分用のホームページが完成。そして午後から初七日と十七回忌の法事に出かけ、先ほど帰ってきた所。

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