少しだけ専門用語を使いますが分からない方は読み飛ばしてください(^^;;
いつもは50分で終わる修法を今朝は一時間半掛けた。所作の部分ではなく、入我我入、正念誦、字輪観だけで50分は掛けたと思う。とてもゆったりとした気持ちの良いものであった。久しぶりに時間に追われずできたように思う。これが春とか秋だともっと時間を掛けたかもしれない。手が冷たくなってしまったために散念誦はいつも通りの観念を整えるものとした。
ときおり、そんなことしてどんな効果があるの?と訊かれる。応えは何も変わらない。空を飛んだり未来予知ができたり、そんな能力が獲得できるわけではない。
しかし、長い目で見ていると、深化という言葉が合うだろうし、人によって顕れかたは異なる。
私の場合は現実世界の中で確率的には頻発することがあり得ない偶然の一致が目に見えて頻発するようになる。それが楽しいし、ありがたい。
そして何よりも修法をして神仏と遊ぶ感覚が強く、楽しい(^^
毎日はこんな時間をたっぷりととることはできないだろうが、来年はこうした時間の使い方を増やしてみたい。
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