あるSNSと、宗教関連のメディアを見ました。一方は、東大の元教授として原発問題を始め今の日本が抱える多彩な問題をずっと正面に見据えて発言を続けられている島薗進上智大学教授。一方は、某寺院のある宗団の役職の方。
お二方とも同じように集団的自衛権に疑問を呈する意見表明をされています。
ところがお二方の文章を読むとなにか全く別のことを言っているように感じてしまいました。 島薗先生は、学者らしく歴史的にも、実際に起きている現象をも見つめられての意見表明。私自身の意見を整理するためにもとても貴重な見解を示されています。そこにあるのは単純に賛成とか反対ではなく、生きる根源とは何なのかを見つめられてのもの。毎回毎回、本当に考えさせられています。
一方は、現役の僧侶。平和を守るべきであり、集団的自衛権に反対を表明されています。至極まっとうなことを言っているのですが、なにか上滑り。なぜこのような人の意見を載せる必要があるのか分かりませんでした。いろいろ調べてみると、このかたは、この方の宗内での対立の一方の急先鋒で、正義を振りかざし相手を糾弾し続けているという方であることが分かりました。僧侶とは僧伽サンガ、すなわち和合衆。仲良く平和に暮らす集団のこと。それにもかかわらずこの方は、宗派内で対立を起こして、一方では正義の名のもとに平和を訴えるという矛盾を大きく抱えていました。だからこそ文章を読んでも心に響かなかったのでしょう。この方の文章を宗教系のメディアが載せたのも、その宗派内での争いの延長なのかもしれません。この方だけでなく、同じように反対を単順に表明されている方々が多数いることも、最近知りました。
大乗仏教は二極を否定します。賛成とか反対とか、単順に割り切る考えは大乗仏教的ではありません。大乗仏教の僧侶はもっと総合的に物事を見つめ、現象ではなくその考え方の根本にメスをいれるべきのように感じます。
では、「お前はどうなのか?」と問われれば、私は現政権を擁護する気はありませんし、今回の政権の行動には疑問を持っています。しかし単純な反対論者ではありません。何かの機会に、どこかで表明できればと思っています。
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