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2014年7月30日 (水)

アニオタ和尚のつぶやき「ばらかもん」 秀逸なメッセーッジ性のある台詞もあり、ギャグもあり。お勧めアニメ

「ばらかもん」とは、五島列島の方言で「元気者」という意味。作者のヨシノサツキが五島列島出身ということもあり、五島列島の島民への視点は温かく感じます。
主人公は書道家で、ある事件を起こして五島列島に強制引っ越しさせられ、そこで島民と接することで色々と体験し感化され、人間味を深めていくというストーリー。
うちのカミさんにも見せたら、とても気に入ってしまいました。ギャグもあり、泣かせもあり、考えさせることもあり、なかなかのアニメだと思います。

第3話で面白かったのは・・・
主人公が、書道の作品展で18歳に負けて準賞となり落ち込んでいた時に、島内の餅拾いに誘われてで掛けました。ところが一個も餅を拾うことができない。そこに島内で一番餅を拾うことがでる老婆ヤスバアが目の前に現れます。そこでの会話

主人公「結局ここでも同じか…取れる人間と取れない人間がいる…取らない方がいさぎ良いかな」

ヤスバア「うえばっかり見ちょるけん駄目たいね~。ゆっく待って地面におちたんばとっとよ。チャンスは以外にも下におっちょるけんね。」

主人公「誰か上手い奴がいてどうしても拾えなかったら・・・」

ヤスバア「そがんときはなぁ、どうぞお先に・・・譲ってやってもっと太か餅ば狙え! 譲っことと拾う事ばやめんば・・・ほれ、こげんなもんたい。」

とてもメッセージ性の深い会話でした。

その後も、持ちを奪ってももぎ取っていく島民が、実は餅拾いに来れない人のために必死で持ちを集めて、島民たちに配っていることが分かります。

この漫画は、なかなか秀逸です。

http://www.barakamon.jp/

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2014年7月23日 (水)

アニオタ和尚推薦『アオハライド』。女子学生の視点の青春モノ。 #aoha_movie #aoha_anime

アニオタ和尚のつぶやき『アオハライド』。

http://aoha-anime.com/
女子学生の視点で見た甘酸っぱい青春モノ。原作にはなかったアニメならではの、なかなか見事な心理描写もあります。賛否両論はあるようですが、累計600万部は伊達でありません。学ぶべきことは多々ありです。
アオハライドとは「青春(あおは)」と訓じて、rideは英語で、作者の造語のようです。
スト-リー:中学時代に「猫をかぶっている」とイジメられ一人ぼっちになってしまった主人公吉岡双葉が、誰も知らない高校に進学し、そこでは今までとは全く違った少しがさつな女子高生を演じていました。ところが、幼なじみと出会い、またかつての自分と同じような同級生を見つめて本音を爆発。表面的な付き合いをしてきた友達と別れ、本気で生きていこうと決意して展開する学園モノです。女子高校生の心理を巧みに描いた作品で、ゆったりとした流れはドンパチよりも心落ち着きます。
コミックの販売が累計600万部という漫画が元になったアニメです。2011年から『別冊マーガレット』に連載中。作者咲坂伊緒さんは映画にもなった『ストロボ・エッジ』の原作者。こちらは累計400万部とか。
映画化も決定し、年末に公開されるそうです。
アオハライド - Facebook もあるようです。
https://www.facebook.com/aoharide.movie

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2014年7月19日 (土)

お勧めの一冊:『史上最強 般若心経入門』

お勧めの一冊:『史上最強 般若心経入門』(ナツメ社:頼富本宏編著 下泉全暁・那須真裕美著)

イラスト入りで一見すると一般向けのように見えますが、仏教に詳しい人にも読み応え十分ありです。坊さんの法話のネタ本にもなります。一冊持っていても損はないと思います。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/481635302X?adid=0WFWGSE9ZFTQ1A40VG6Y&camp=243&creative=1615&creativeASIN=481635302X&linkCode=as1&tag=prpmenade-22

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アニオタ和尚のつぶやき「モモキュンソード 疑問な点が多々あるアニメですが、四天女の持ち物には注目です」

アニメの内容は、健康的なお色気が少なからずある、勧善懲悪の分かりやすい内容。なにせモチーフは桃太郎です。しかもパチンコ台が最初で、そこから派生してアニメになったとか。ところが、このアニメ、よく見ると、宗教的にも少し面白い。

地水火風の四人の天女が、打ち出の小槌・輪宝・三鈷杵及び独鈷杵・宝珠を用いる・・・・実は彼女たちはサブキャラなのですが、地水火風の四大種に、密教の宝具(小槌を除く)を持たせていることに驚く私は、かなりマニアックかもしれません(^^;その統括が皇天女(すめらのてんにょ)。さらに鬼に狙われるのは三千実の桃(みちみのもも)。

主人公は桃太郎ならぬ女の子である桃子という女の子に切り替え、三匹の眷属は猿神・雉神・犬神という三神。鬼は鬼門の方角。牛の角・虎のパンツでウシトラ(丑寅・艮)の北東を意味するもの。申は南西・酉は西・戌は北東を意味し、北東を抑えるものたち。

このようなアニメの中にも面白いアイテムや登場人物たちが満載。作者たちは、かなり勉強しているようですね。
http://momokyun.com/

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2014年7月17日 (木)

遊歩和尚のつぶやき「桂文珍さんの歴史人物評は、とても学ぶところが多く、面白い ただし二十年前のもの」

二十年ほど前に桂文珍さんが『日本歴史人物講座 フムフムなるほど人間がわかる』(PHP)を書かれていました。たまたまそれを手に入れ、読んでみました。紋切り型の内容も少なくありませんが、一人ひとりの人物を、短い言葉で表現するその能力には頭が下がります。私自身も歴史物を扱うことが少なくないので、文珍さんの表現の仕方を学ばねばならないと感じます。

具体例をしめすと

織田信長は「運のええ人やった」・・・本能寺の変で急死した彼をこう述べるのも、おもしろい視点です。

武田信玄は「優しすぎると、部下と女性にはモテるが、創業者にはなれない」。豪傑のイメージが強い信玄を心優しき人であったとするのは、大河ドラマの中井貴一さんのイメージが手助けしたのか、これも面白い視点です。

そのほか、平清盛、北条政子、坂本龍馬、お市の方、豊臣秀吉、北政所、徳川家康。淀君、源義経、伊達政宗、春日局、前田利家、平賀源内、勝海舟、西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作、足利尊氏、楠木正成、聖徳太子、菅原道真、斎藤道三、北条早雲、毛利元就、明智光秀、千利休、石田三成、加藤清正、真田幸村、竹中半兵衛、大石内蔵助 を扱っています。
一読をお勧め。

Kindle版は以下から入手可能。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00799P5N2?adid=01JVH9NEHFF32NMR3A5F&camp=243&creative=1615&creativeASIN=B00799P5N2&linkCode=as1&tag=prpmenade-22

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アニオタ和尚のつぶやき「RAIL WARS!」鉄道オタにも嬉しい単純明快な青春アニメです! #anime

鉄道マニアが身近なところにいるので、少し気になったアニメ。

国鉄ならぬ國鉄という実在していた国鉄と、実在しているJRを引っ掛けて、現在は実在しない鉄道に、高校生たちの就職と絡んでのお話。ある意味、国鉄が分割されなかったという前提に、パラレルな世界を表しているのかもしれません。

主人公は運転士を目指すが、適性検査などから鉄道公安隊に配属され、仲間とともに日々の事件を解決していくというもの。

最近流行りのわかりにくくドロドロの内容ではなく、単純明快な展開は、なかなかおもしろいですよ。


鉄道オタにも面白い内容かもしれません。

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2014年7月16日 (水)

遊歩和尚のつぶやき「組織の目的って何?300年ほど前に徳川宗春公が藩士たちに警告していたこと」

遊歩和尚のつぶやき「組織の目的って何?300年ほど前に徳川宗春公が藩士たちに警告していたこと」

今日の午前中はある組織への加入のお誘いを受けました。午後には既に属している組織からの通達事項がありました。一日を振り返り、ふと感じたことがああります。

主婦というオリジナルカテゴリーを持つ女性はそうでもないのですが、男性の多くは組織に属することを望むことが多いようです。

政治でも国や党や派閥に属し、宗教でも宗団に属し、会社や公共団体という組織、組合という組織、町内会という組織。とにかく色々と考え組織を作っています。

それは独りではできないことを組織的にすることに便利ならしめるためであり、より効率的に、互いに助けあうためのものであるはずです。ですから組織は、時には大いなる力を発揮します。

しかし、この組織も硬直化するとどうなるかというと、個人を縛り上げ、本来の目的とは全く関係のない組織の維持という別の論理が飛び出してきます。そうなると本来の組織を作った目的は後退し、逆に個人を苦しめたり、他を支配するために便利なものへと変貌していってしまいます。権力闘争が生まれ、組織としての最初の目的は失われてしまいます。

しかしその組織を本来の姿に戻そうには、力も知恵も、相当なものが必要です。独りや少人数では到底できることではありません。改革をするためにと、最初のうちは良き思いで進んでいくのですが、権力を得るたびにその思いは現実に押しつぶされていき、いつのまにか自分は自分が批判してきた人々よりもより一層硬直化した考えになってしまうもの。

それを尾張七代藩主徳川宗春公は『温知政要』というマニフェストで
「世間の様子をよくよく考えてみると、どんなことでも用いられるべき人がまだ志を得ずに役職にも就かない初めの頃は”私が事を執り行なう役職に就いたのならば、上のためにも下のためにも全てのことで滞る事なくうまく仕 事をしてみせるのに”と、心に思い口にも言って、もどかしいように言うのだが、その職に就くやいなや今までの心とは大きく異なり始め、自分が笑い謗ってきた人たちと少しも変わらなくなってしまい、かえって今までの同輩の人たちを引きずり落とすようなことばかり考えるようになることが必ずと言って良いほど起こってくる。皆が皆、私欲の卑しい心から考え方が変わってしまうからである。それと同じように既に上に立っている者も、最初は物珍しいこともあって世間から”賢い方”と言われたいので随分と慎み深く行ってはいるが、後には徐々に退屈な心が持ち上がって政務も都合次第で動くようになり、理由もなくだらしなくなる。秦の始皇帝は 天下を統一できたくらい人に畏敬されるような人であったが、おごりたかぶり勝手な振る舞いをするようになり、最後にはとても愚かにも長生不死の薬を求めるようになり、ほんの僅かな年数で滅んでしまった。その他にも漢の武帝や唐の玄宗なども始めのふるまいと後のふるまいとでは大きく違うようになってしまった。だからこそ最初の考えや工夫も志が半ばにもならないうちに必ずくじけるように見える。慎み畏れ心せねばならないことだ。だからこそ古き偉人は”始めは必ずあるが、よく終わることは少ない”と戒められたのだ。」(現代語意訳)
と述べています。
尾張藩62万石、実質上は100万国を超える組織に属しているからこそ感じるものなのでしょう。また600万石の幕府の組織の硬直化を間近に見ていたからでもありましょう。

自分自身が、批判される立場にならぬよう、今後も自戒していきたいと強く感じさせられました。

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遊歩和尚のつぶやき「言葉で伝わりにくいものはイメージを用いて イメージと言葉の両者が重要」

昨夜は、近所の方々が10名ほど集まり、『密教』松長有慶著 岩波新書 の講義。月に一回、行っているもので、今回からパワーポイントを使ってみました。

6 まず本そのものを輪読し、途中でそれを私が止めてパワーポイントを使って解説していくという形式。初めての試みだったのですが、とても評判がよく、「本を読んでもわからなかったことが、今はとてもよくわかる」と。皆さんからの好評に努力が報われた思いをしました。

このイメージに訴えかける方法は、実はとても危険があります。本来、人が持つイメージ力を阻害してしまう可能性もあるからです。また、間違ったイメージを与えかねません。ですから、スライドを作る際に、かなり注意深く内容を吟味していきました。イメージで伝わりにくい部分は、言葉で解説。言葉とイメージの両輪で理解していただくように工夫をこらしました。また、映像だけでなくイメージも持っていただけるように工夫もしました。面白いことに、今まで勘違いしていたり、思い込んでいたりしたことが、イメージを用いて解説したことで、気付かされたという意見も出ました。

喩えを出すと、象を見たことがない人に、「鼻が長い」「牙がある」「耳がでかい」「目が小さい」「足が太い」「肌がグレイ」「細いしっぽ」と言葉で伝えるよりも、象の写真・映像・本物を見せたほうが的確に、しかも素早く伝わります。そのうえで、象の身体的特徴を伝えるとよりはっきり理解できるもの。

密教では仏像や仏画、宝具や声明(しょうみょう)などの五感を通して、大乗仏教の哲理を表現していくのは、言葉では伝わりにくいものを直接的に伝えるためです。

同じように、イメージと言葉を上手に組み合わせていくことで、難しい表現も伝わりやすいものであることを改めて気づかせていただきました。

なによりも、スライド作りは自分自身の勉強にもなります。

プロになろうとしているものに、この方法はあまり関心はできませんが、一般の方々の入門としてはとても重要なツール。これからしばらくこのプロジェクターを使った講義・講演・法話を、自分なりに工夫していこうと思います。

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2014年7月15日 (火)

遊歩和尚のつぶやき「ラッキーの連続!『高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト 「COLORS」』のチケットをゲット」

遊歩和尚のつぶやき「ラッキーの連続!『高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト 「COLORS」』のチケットをゲット」

先日、車の中で義叔母と話をしていました。宝塚歌劇の話から、寿美花代さんの若さの話題に移り、その夫の故高島忠夫さんの姪である高嶋ちさ子さんの話題になり、彼女が身体が不自由である姉のために「デビル」と呼ばれるくらいになったという話になりました。

今年に入って、かみさんとヴァイオリンのストラディヴァリウス(略称ストラド)の話で盛り上がっていたので、ストラドのルーシーという名の名器をを持つ「高嶋ちさ子の曲を聴きたいなぁ」と話をしたら、義叔母が「各務原に来るよ」と、思わずびっくりして調べてみると、928日に「高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト 「COLORS」 」がやってくるとか。ちょうど護摩の日でもあるので、私はかならずお寺にいる日。これは「ラッキー!」ということで、早速手配。もう申し込みから二週間以上を経過していましたが、この流れは必ずチケットを入手できると感じたところ、見事に前から10席目を、かみさんと義叔母の分もゲット。小さな話題から、こんなことになるなんて「ラッキー!」

http://www.kakamigahara-bunka.jp/event/20140427092551.html

それを翌日に若き友人に話をすると目を輝かせていきたそうにしたので、手配をしたらその友人夫婦分もゲット。頼んだ場所があまり知られていない場所だけに、逆になかなかよい席が空いていました。これも日頃からお世話になっている方々のおかげ。

その友人は、現在は重度の知的障害者のグループホームで勤めています。国会議員の秘書をしたほどの人物。活き活きと毎日を送っています。話を聞けば聞くほど、彼の純粋な思いに感動。自分だけのために生きている人が多い中、社会に見捨てられがちな場所に光を当てて、そこで支援をしたいと思う純粋な心は本当に尊いものです。いろいろな理由で家族とともに生活のできない人たち、その人達の仮の家。いや、すでに本宅なのかもしれません。彼らに時に殴られ、噛み付かれ、引っかかれをしながらも支援をしている彼にはほんとうに頭が下がります。義叔母もその話を聞いて感動して「彼ら夫妻に何かしたい」と言ったほど。そんな彼に、神仏は贈り物としてチケットを回してくれたのかもしれません。実は、彼は自宅にこのコンサートのチラシを持ち込んで「いきたいなぁ」と言っていたそうです。これまた「ラッキー!」でした。

小さな話題から始まり、ラッキーの連続でのこのコンサート。今から楽しみです。

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2014年7月14日 (月)

遊歩和尚のつぶやき「最近のドイツのありかたを見て、役割を果たすことの大切さを学ぶ。」

サッカーのワールドカップでドイツが勝利しました。アルゼンチンもよく戦いましたが、個性を活かしたポジションで組織的に動くドイツに、メッシを始めとする個人技は光り輝くことはできなかったようです。今年のドイツの動きを見ていると、お一人お一人の諸尊が活かされている曼荼羅を思い出させてくれました。


さて、このドイツに関してのニュースが最近ありました。

http://www.epochtimes.jp/jp/2014/07/html/d95613.html

「大紀元」という在米の中国人によるニュースです。この「大紀元」は、現在の共産党に対して批判的で、法輪功を養護する立場です。

ニュースのタイトルは「メルケル首相清華大学で講演、人権を提唱 中国メディアは無視、歴史問題で日本批判の狙いも」。中国政府は、戦後のドイツを褒め称えることによって、日本バッシングの言質をメルケル独首相から得るつもりだったようです。ところが、そのような中国の真意を理解していたのか、メルケル首相は学生たちに人権の大切さを訴え、日本に関しては一切批判をされなかったとのこと。安易に擦り寄るのではなく、しっかりとドイツの立場と、首相としての自分の考えを伝えられたようです。

ドイツのニュースをもう一つ。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140704/biz14070412320006-n1.htm

産経新聞のWEBニュースで「輸入車の上半期販売は8%増 ドイツ勢がリード」という記事が出ていました。しかも、つい先日発表になった、メルセデス・ベンツのCタイプは、他のCセグメントと比較してもびっくりするような低価格と性能。今年前半までは、アウディのA3やフォルクスワーゲンのゴルフ、BMW3シリーズなど、日本でもドイツ車はかなりの人気を誇っていましたが、メルセデスもABクラスばかりでなくとても元気よく飛び出してきました。それに対して、日本のトヨタも日産もホンダも、なにか一つ筋が通っていないような気がします。自動車そのものの魅力がかつてに比べると半減しているような気がしてなりません。

EU
の他の国を背負い、いろいろな課題を抱えているドイツですが、やはり世界に誇れるすばらしいものがここに来て大いに目立つようになってきました。それはドイツ人の生真面目な気質が全面に出たもの。もっというと、世界の中でドイツ人に与えられた役割をきっちりとこなしている、そのように感じます。融通が利かない面も多々ありますが、職人気質ですから、それはまた愛嬌。、

日本が世界に誇れるものは山ほどあります。世界基準という食うか食われるかの競争世界ではなく、世界の中で日本に与えられている役割、日本にしかできないこと、日本でないと世界に伝えることができないことを、改めて見なおす必要があると感じさせられます。自らの特色をしっかりと見つめなおしたいものです。日本には、世界に誇れる魅力がいっぱいあるのですから。

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遊歩和尚のつぶやき「何をやっても中途半端。でも中途半端も極めれば・・・。真言末徒で良かった」

遊歩和尚のつぶやき「何をやっても中途半端。でも中途半端も極めれば・・・。真言末徒で良かった」

昔から何をやるにしても、それなりの上の下か、中の上。できないわけでもなく、さりとで優秀でもない。何をやるにしても中途半端といえば中途半端。しかし、それも五十年続けると、今では持ち味になりました。(^^

小学三年生の時、担任の先生ととても仲が良し。周りの生徒から贔屓を超えて認識され、別格扱いを受けていました。変わり者の私のことをよく見ていてくださった先生。その先生から、何度か言われたのが「北川くんは誰もが気づかないことに気づいて物事を始めるけど、誰かにそれを知らせて、誰かがそれを進めると、次のところに移ってしまうよね。これから大人は、最後までやりなさいって言うかもしれないけど、今の自分を大切にしなさい。それがあなたの最大の持ち味なんだから」と。三年生ですから、深いところでわかっていたかどうかは疑問ですが、今思えばその先生の言葉がずっと私を支えてくれました。

ところが、その先生と結婚された五年の担任(浄土真宗のお坊さん?)からは「お前はいつも最後までしないなぁ。そんなことをしてると、いつも成果を誰かに取られるぞ。最後までしあげるくせをつけなあかんぞ」と何度も。これもまた真でした。ただ誰かが成果を持って行くことが何が悪いのか、今もって私には分かりません。

中学二年生の時の担任も、またよく私を見ていてくださった数学の先生でした。「誰よりも最初に気づいて始め、誰かにそれを譲ってしまう。損することが多い人生かもしれないけど、気にするな。それがお前の良さだ。天は必ずお前を見ている」と。

母方の祖父兄弟姉妹の影響だと思うのですが、「世間で言われている通説を素直に信じるな」と子供の頃から叩きこまれてきました。そのおかげで、特別に優秀でもないにもかかわらず、変わったことに気づく癖が出来上がりました。

そしてなによりも、師匠が通説を疑う「ちょっと待て」ということを学生時代に叩き込んでくださいました。

ありがたいことに才能あふれる多くの方々のおかげで、僧侶として大切な視点を、より広く持てるようになりました。今も、優秀な学者の方々からお教えいただくことが少なくありません。

自分は決して優秀な人物ではありません。だからこそ、何かに飛び抜けた才能がなかったからこそ、こうして今があるのだと最近強く感じます。そして、気づく(
budh)ということが人一倍多いのは仏教者としてありがたいこと。Buddhaとはbudh目覚め・気付きの派生語。仏教は気づきの教えという意味もあるからです。


中途半端もまた持ち味、欠点も視点を変えれば欠点ではなくその人の個性。曼荼羅の教えを実感できるのも、こうした欠陥に満ちた人物だから。これも如来の慈悲なのだと感じます。

また、如来も一人ではなく、あらゆることにいろいろな道や役割のあることを伝える真言宗の教え。出会えたこと、そのものに本当に感謝しています。

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2014年7月13日 (日)

遊歩和尚のつぶやき「ゆるーい一日 人らしい生き方って・・・嘉祥頂戴青葉厄神祭・夏越祭:スーパームーン」

昨日のスーパームーン、ご覧になられたでしょうか?私は午前中の法要から、いわゆる「ゆる~い時間」を過ごせたおかげで、スーパームーンが実に美しく感じました。

Image201400712a昨日は、旧暦の六月十六日。牛頭天王のお祭り日であり、嘉祥頂戴の日であり、弘法大師のお誕生日の青葉祭の翌日、そして満月。高家寺では夏越祭りとして、昨年から法要を始めました。

私個人は、朝に和菓子屋三件を周り16種類の和菓子を受け取りに行き、戻ってからすぐに一つ一つに金剛界十六大菩薩の名前をつけ、配置をしました。和菓子屋さんに持ってきてもらえば手間が省けるのですが、複数の和菓子屋さんですし、時間に間に合わないと、気の短い私はイライラしてしまいますし、またお店に伺えば対話ができるので、今年も自分で出向きました。
20140712f 十六大菩薩とは金剛薩埵・金剛王・金剛愛・金剛喜・金剛宝・金剛光・金剛幢・金剛笑・金剛法・金剛利・金剛因・金剛語・金剛業・金剛護・金剛牙・金剛拳。この菩薩が生じてくる、それが十六生と弘法大師は述べています。
法要の後にお一人お一人に説明書をお渡しし、その和菓子を食べることで自分自身がその受け取った菩薩自身であってほしいという願いを込めました。毎月、21日の弘法大師報恩日にも諸尊の籤引きをしているのですが、不思議なくらいこの籤引きは必要な人に渡っていきます。まさに引き寄せ、アトラクション(魅了)のように。今日は思わず、「大師堂に祀られる仏様や大師のエネルギー全体が託宣してくれるのかもしれないなぁ」と呟いてしまいました(^^;

20140712e 菓子の準備をし、参加者の方々が集まると、本堂の外陣真ん中に机を置いて、皆で茅を編んで輪を作りました。その際中の会話が実に緩いもので、時の流れがゆったりとゆったりと流れて行きました。必死になって作るものよりも、良いエネルギーは込められたように思います。お一人数本作られたかたもいらっしゃいます。一時間後、その茅の輪を牛頭天王が祀られている向かって右側の護摩堂にお祀り。

そして本堂真ん中で、観音様に厄除けの祈り。読経次第は簡単なものでしたが、金剛界五仏や十六大菩薩の真言も唱え、いつもよりも真言の多い、咒立ての儀式でした。私は聖観音法を。

法要の後は、茅の輪を持っていただき、籤引きをし、それに合わせて和菓子を授与し、法話。内容は、季節に合わせた生き方を実感していただくことをお伝えしました。和菓子ひとつにしても、季節感があります。月の姿、山野や空の色、風の香りや肌触り、身の回りにあるものから季節感を実覚していただくことも、今回の法要の大きな目的です。ありがたいことに法話の後の和菓子をいただく段階で、参加者の方々がゆったりとゆる~く流れる時を楽しんでいただけたようです。

「人らしい生き方とは、こうしたものですよね。」
ある信者さんのお言葉です。このお言葉をいただけ、新たに生まれた法要をしてよかったなぁと実感です。
ゆる~い生き方、時には季節感を取り戻すのに大切なこととも実感です。
それにしても、スーパームーンの美しさには魅了されました。
20140712g

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2014年7月12日 (土)

遊歩和尚のつぶやき「このスーパームーンを機会に月と太陽の役割を考えてみませんか?」 

月が地球に近づいた時と満月が重なるスーパームーン。それが本日の7月12日の夜だといいます。今も美しい月が天頂より西方向にに輝いています。今年は8月10日、9月9日も、スーパームーンだそうです。

http://www.cnn.co.jp/fringe/35050739.html?tag=top;mainStory

カレンダーを見つめると、漢字では月・日を英語ではmonth ・dayとします。太陽は一日を表す基準であり、月は一ヶ月を表す基準。これが洋の東西を問わず、人が発見した事実でした。ここから暦が作られ、時間が規定されました。これは人間が大自然に合わせて生きていこうという知恵の結晶だったように思います。

ところが、現代では月month・日dayの原義を忘れて暦の言葉を用いるようになり、月とは全く関係のない、人間だけの理屈で作られた暦が大勢を占めてしまいました。人は月や太陽の役割を忘れてしまったのかもしれません。

暦だけでなく、科学技術と呼ばれるものも、大自然にそって使われるものではなく、人間の倫理観さえも超えて発達という名のもとで歪な形を呈してきました。そのために人間の理屈に大自然を合わせようとする身勝手な考えが跋扈するようになります。人はいつの間にか大自然に合わせて生きていくという知恵を失ってしまったのかもしれません。これが現代の地球環境問題の根っこにあるように思います。いや、政治の世界も、学問の世界も、人々の普段の生活でも、同じことが言えるように思います。

だから、桃の芽も吹かない季節に桃花祭をおこない、梅雨のまっただ中に七夕をしてもおかしいとは思わないのでしょう。あきらかに、大切なモノを失ってしまっている、そう感じているのは私だけでしょうか?

ちなみに密教では、太陽の光を慈悲とし、月の光を智慧とします。太陽は差別せず万物に光を与え育むので慈悲の象徴。

一方、月は暗闇(煩悩)を裂くように照らすので煩悩を切り裂く智慧の象徴。また月は菩提心(覚りの心)の象徴でもあり、福徳と智慧の二資糧を満足した心を満月で表します。

現実世界の月を忘れることは、智慧を忘れること、太陽を忘れることは慈悲を忘れることなのかもしれません。

あるユダヤ教の学者さんがFBで仰っていただいたことがあります。
「人間の理性は月の光でものを見てると同じ、しかし、神の前でものの真実をみることは、太陽のもとで見ると同じ。眩しくて目を開けてられない。戦争も平和も同じ。人の中にある矛盾の解決を理性でつけるのは月の下での観察。でも真実は太陽のもとにある。」。
深い深い言葉です。

このスーパームーンを機会に月と太陽のの役割を考えてみませんか?

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2014年7月11日 (金)

今日は旧暦6月15日、本来の弘法大師の誕生日・青葉祭。明日は本来の厄神夏越祭

今日は旧暦の六月十五日、つまり本来の青葉祭(弘法大師のお誕生日)です。旧暦の六月十六日は、厄神、すなわち牛頭天王須佐之男の祭り日でもあります。この時期は梅雨が間もなく終わり夏のピークを迎える夏越の祭りにも相当します。

現代の太陽暦という人間の都合で作ったものに合わせるのではなく、大自然の運行に合わせた祭りの復古はとても大切に感じています。

ちなみに高家寺では、明日の嘉祥頂戴厄神祭とともに青葉祭を執り行います。

写真は、昨年のもので、腰にぶら下げる茅の輪と十六種類の和菓子です。

Chinowa

16manju

十六種類の和菓子とは、お饅頭は人の頭の代用でもあるので、高家寺では密教としての意義つけをしていますので、十六大菩薩と捉えています。本義は家康公の故事によるのですが・・・。ひょっとすると天海僧正はそれを狙ってていたのかもしれませんが・・・。

茅の輪はご存知のように牛頭天王の伝説にちなんで小さな茅の輪にしています。

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2014年7月10日 (木)

遊歩和尚のつぶやき「魯迅の『狂人日記』、狂人の言葉は本当に狂人だったのか?」

世間の人々は過去から食人種であったという妄想に取りつかれた狂人の日記をモチーフにした、魯迅の『狂人日記』を読み終わりました。短い小説なので、短時間で読めます。
一人の狂人が、 周りの者達が食人種であるという妄想に取りつかれ、 その視点で描かれたものです。

単純に狂人の戯言と言ってしまえばそれまでなのですが、 人を喰うというテーマに、列強が当時の中国を喰っていたことが 透けて見えてきます。

魯迅が示そうとしたもの、 他の書物は読みかけなので まだ全体までは見えていないかもしれませんが かなり強烈でした。

そして現代も大国が他国を食べようとしている。 大国でなくても、 相手の弱いところを 野生の凶獣のごとく噛み付いて食い殺し 自分が生きようとしている国があります。

国でなくても、会社間でもそうでしょうし 組織内でもそうです。 最近のいろいろな事件は まさに食人種とかわりないようにさえ感じました。 身の回りでも他者を食い殺し 生き続けようとしている人たちは少なくありません。 自分たちが生き残るためとはいえ、 悲しい事実です。

生存本能だけで食欲と性欲に支配されるような 異生羝羊心(いしょうていようしん) その心に支配されないようにしたいものです。

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遊歩和尚のつぶやき 「持たぬがゆえにあらゆるものを持っている BABY METALのニュースを見て」

昨年から、注目していたアイドルグループがあります。BABY METAL。なんと、あのレディ・ガガの前座としてワールドツアーに同行しているそうです。単独公演でもイギリスでは、思わぬ集客とか。

1516歳の三人の少女たちのプチヘビメタバンド。昨年リリースした『メギツネ』を見た瞬間に「これは世界に売れる」って周りに伝えたほど。ただ意外なほど、周りの人たちには理解してもらえなくて、拍子抜けだったのですが、(^^;

実は、この内の二人が、アニメ『絶対可憐チルドレン』の主題歌を歌っていた可憐Girl'sというグループのメンバーで、この時から注目していました。つまりアニメのチョイオタだからこそ気づいたってわけです。

では、なぜ彼女たちが世界的にイケてるのか?そしてなぜそこに私が気づけたのか?

まずひとつは、日本の少女であるということ。その日本の少女らしさという特徴を、曲に練り込んであるので、音楽やダンス、さらには総合的なパフォーマンスを心身で感じることの出来る人には、とても伝わりやすいと思います。

それと彼女たちのバックバンドが凄い。そのレヴェルは、彼女たちの歌や踊りの稚拙さを見事にカバーしているのです。この主人公の引き立て方が見事としか言いようがありません。

真ん中が多少空でも、周りのエネルギーを惹きこむような存在ならば、周りのエネルギーが強ければ強いだけ、そのユニットはパワーを増します。まさに今来ている大型台風のようなもの。自分の手には持てぬがゆえに、最高のものが周りに集まるという図式。とても面白いです。

よくよく見つめると、曼荼羅の中尊大日如来は無色透明で特徴がありません。至高の存在なのですが、ある意味において空白地帯。しかしそこにはなにもないのではなく、プラスもマイナスもみんな詰まっているのでゼロ地帯。エネルギーに満ち満ちています。だからこそ、自分独りで成り立つのではなく、周りを含めた全体が自分自身となっていきます。なんとなくそれを思い出させてもらえました。

BABY METAL 世界で活躍してもらいたいものです。

http://youtu.be/cK3NMZAUKGw

 

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2014年7月 9日 (水)

遊歩和尚のつぶやき「ジャパニメーションのチョイオタとしての民間国際交流」

遊歩和尚のつぶやき「ジャパニメーションのチョイオタとしての民間国際交流」
先々月、中国人が数人訪ねて来られました。彼らは剣道を学ぶために日本にやって来られたのです。帰る二日前に共通の友人を介し、うちのお寺にやってこられました。日本の文化が大好きな彼らと江戸時代の日本の文化論を次々と話し合いました。政府同士が仲が悪くても、こうして民間外交はできる、なかよく文化交流ができる、それを確認させていただけた覚えがあります。
ところが昨日、その共通の友人よりびっくり情報。彼らが相当なジャパニメーションオタクであるとのこと。実はわたしはアニメのチョイオタ。今もアニメを見ながらキーボードを叩いています。彼らと次に会うときはアニメ談義ができそうです。アニメ談義が民間の国際交流になる、これは本当に面白いものです。
ちなみに最近終わったばかりのジャパニメーションで、実に面白いものがありました。きわどい表現もありますが、かなりびっくりするくらい人の心を掘り下げた『ノーゲーム・ノーライフ』。引きこもりゲーマーの主人公は実に面白い発言を繰り返していました。作者の榎宮祐は、日系ブラジル人。(イタリア人・ポルトガル人とのハーフの移民系ブラジル人と、日本人とのクォーター)。29歳の若者ですが、偏見によるいじめを受け、不登校のゲーマだったといいます。三年前に癌に罹り、若くして人生をかなり見つめた人物のようです。だからこそあそこまで生きる死ぬということに関して掘り下げられているのかもしれません。主人公の言葉には、下手な宗教の説法より、私は感じ入りました。
そういえば、実写物の牙狼の新シリーズもなかなか面白くて、牙狼に変身しない作品が最近二話放映されていました。ゲストが松坂慶子さん、ミッキー・カーチス。両作品とも、心あたたまる実に素晴らしい内容でした。
時間的な拘束もあるので、オンデマンドで見ています。もちろん、なかなかすべてを見ることはできませんが、作品をある程度選んで、これからも観てみようと思います。
http://ngnl.jp/

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2014年7月 8日 (火)

遊歩和尚のつぶやき「無知は人を殺す ありのままに見つめる」

遊歩和尚のつぶやき「無知は人を殺す ありのままに見つめる」
夜にお寺で談笑。お医者様と、日本に帰化された中国生まれの方と、我がかみさんと私。魯迅の話になり、魯迅が東北大学医学部の前身になる学校を中退していたことを教えられました。魯迅については受験程度の知識しかなかったので、少し恥ずかしかったのですが、知らないことは新たなことを学べることと思い、いろいろと教えてもらいました。
医者は病に悩む目前の一人を救うことはできるが、政治的に苦しんでいる多くの人々を救うことができない、魯迅はそんな思いで小説家になったと言われているそうです。なぜ小説家なのか、それは人民が無知であるために暴政に立ち向かうことができないというものだったとか。
その中国出身の友人が一言、「― 無知は人を殺す ― 魯迅はそんな思いで小説を書いていたのではなかったのか?」と。思わず頷き、手をうちました。そのお医者様も常に無知の害について私達に伝えておられ、だからこそお寺での勉強会を提案されたほど。今夜は無知に対する問題をいろいろと話し合っていきました。
日本は比較的、無知の方は少ないのですが、それでもまだまだ無知が招いている弊害は少なくありません。他人の言を単純に信じて自分で調べ、自分で考えることは、一般にあまり行われていないのも事実です。ちょっと待てよと、事実をありのままに見ると、私達がいかに思い込みが激しいのかが見えてきます。
般若波羅蜜多も極端に言葉を単純化すると「ありのままに観つめること」。まさに言葉による思い込みの枠を外すことがその大切な役目。無知に対する反対語は、知識の獲得ではなく、思い込みを離れてありのままに観つめること。これこそが現代の諸問題を解決するヒントになるようにも思えます。
魯迅の『阿Q正伝』など五冊程度を先ほどKindleにダウンロードしました。読んでみて、魯迅の想いに触れてみようと思います。

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