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2014年3月11日 (火)

震災を想い、泥にまみれた自分の心に蓮の花の種を植える

震災当日、ある祝賀会に事務方として参加していた。その夜、何が起きているのかがわかったとき愕然として、事務方ではあったが二次会には参加せずにホテルの寝室で、じっとテレビに釘付けになった。他人事ではなかった。気づくと涙を流していた。何もできない自分に愕然とした。そして今も肉体的異常に傷ついた方々がたくさんいる。それに対してあまりに無力な自分がここにいる。
今日は、この震災が起こした人の負の感情について考えさせられた。
現在、一ヶ月経つ出来事に私は完全にとらわれている。情けないほどだ。ふと我を見つめ、自分が何にとらわれているのかを奥底を見つめた。奥の奥に泣いている自分が居た。それは自分のことではなかった。師匠をバカにされたことへの憤り、カミさんの言葉を否定しバカにした態度への怒り、うちの檀信徒に迷惑をかけておきながら威張り散らした行動への憤怒、そしてそれらを放っておかずに裏でカバーしてしまった自分の愚かしさ、これらがどうしても止まずに泣いている自分が居た。負の感情に雁字搦めになっている自分が居る。「許してあげなさい」と声をかける自分もいるが、理屈ではわかってもどうしてもそれができない自分がいる。今はその自分をもうひとりの自分が見守っている。
所詮、それらの私の傷は小さな小さな傷であり、生きることへの影響はほんのわずかだ。ところが震災で傷ついた人の傷は私の擦り傷のようなものとはまるで違う。何年経っても深く傷ついていて血が流れている。それを想うと何もできない自分の無力さに苛まれる。
突き進めると、地球の別の地域では紛争により、人道をはるかに無視した行為が今も行なわれている。自然災害もあれば人為的な戦争や略奪や独裁や差別などが蔓延している。そこに住む人々には、記憶としての傷ではなく、リアルタイムで肉体をも精神をも傷つけられつつある。しかし自分には何もできない。
釈尊は四苦八苦を説いた。苦とは思い通りにならないこと。世間は思い通りにならず、それゆえに苦に満ちた世界。だからこそ、自分の縁に合わせてできることをするしかないと感じる。
いわゆる悟り済まして生きることは今の私には不可能だ。あまりにも敏感すぎる。今回与えられた小さな痛みはおそらくは今の私に必要な物なのだろう。多くの方々が同じような、いやこれ以上の痛みや苦しみを持って生きている。大悲とはなにか、今はそれを教えてもらっているように思う。
この憤りや悲しみはまだ当分収まらないと思うが、かさぶたも取れるころには、この泥だらけの心の中に大悲の蓮の花を咲かせたい。蓮の種が植えられたことだけは理解できた。感謝。

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