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2014年2月24日 (月)

放置して人間関係を崩してしまった 一方では、新たな世界が広がる。妻に深く感謝。

最近、学ばされたことがある。
自分が駄目だと感じたことは
しっかりと伝えること。
それを放置すると人間関係まで崩れてしまう。
放置が人のオーラというか
カラーまで変えていってしまう。
ついにはもう手の施しようがない色になってしまう。
それをオブラートに包んで伝えた。
まったく伝わらなかった。
軽く紐解いて伝えた。
全然振り向いてもくれない。
かなり開いて伝えた。
逆に相手をかばう発言。
謝って欲しかったわけではない。
言い訳が欲しかったわけではない。
事実をありのままに見て欲しかっただけ。
はっきりと色のことを伝えた。
そして完全に無視。
友を失ってしまった瞬間だった。
今、反省する。
ダメなものはダメと
最初に強く主張しなければならなかった。
最初から気づいていたにも関わらず放置した。
軌道がずれてしまっていることや
目的と手段が入れ替わってしまっていることに
気づいた瞬間にはっきり言わねばならなかった。
そうすればこんな事にはならなかった。
目先の人間関係を優先したために放置したことが
とんでもない結果として返ってきた。
ただこれと平行に進んでいったこともある。
この出来事と関係をしない分野では
全く違う視野が広がった。
全く知らなかった世界の方々と
新たな繋がりが生まれた。
そしてワクワクする
やらねばならないことが現出してきた。
過去を振り返って
後悔ばかりしている暇はなくなってしまった。
今は前を向いて走るしかない。
傷ついた部分の修復は時を掛けていくしかない。
まっすぐ歩めばまた交差する日が来るだろう。
私達自身も傷つき悲しみの淵に沈んだが
今回のマイナスは大きな大きな学びとなった。
なにごとも責任をもって、
多少わがままなくらいに進めていかねばならない。
今回は、当日にわがままを通したがゆえに
事なきを得た。
そして素晴らしい物が出来上がった。
その喜びは悲しみの数倍いや数十倍に相当するほど。
影でそっと支えてくださった方々に深く感謝する。
その方々がいかに大切であるのかを再認識させられた。
そしてなによりも
陰日向で支えてくれた家内には本当に感謝している。
彼女には相当の負担を与えた。
私以上に傷つき悲しんだ場面もあったと思うが
そこから立ち直り、実に見事に動いてくれた。
そして涙の世界を払拭するくらい
素晴らしい世界を私の眼の前に開いてみてくれた。
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拙著『徳川宗春 <江戸>を超えた先見力』(風媒社)出版祝賀会・・・報告(2)江戸時代の色を座席の名前とする

平成26年2月15日、ウェスティンナゴヤキャッスルで
拙著『徳川宗春 <江戸>を超えた先見力』(風媒社)出版祝賀会。
各テーブルは江戸時代の色を使いました。
緋色(ひいろ)
江戸(えど)紫(むらさき)
猩々(しょうじょう)緋(ひ)
浅葱(あさぎ)色(いろ)
鬱(うっ)金色(こんじき)
憲法(げんぼう)色(じき)
路考(ろこう)茶(ちゃ)
藤色(ふじいろ)
常磐(ときわ)色(いろ)
銀(ぎん)鼠(ねず)
鴇(とき)色(いろ)
納戸(なんど)色(いろ)
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江戸時代の色を要望したところ
これらの提案してくださったのは宮本真由美さん
カラーコーディネイター。
実に我が意を得たり。
どれも宗春公と何らかの関わりのある色でした。
この場を借りて、深く深く感謝します。
この色使いのような細かい作業は
気づく人の心をとても動かすもの。
この色が出てきた時の私の嬉しさ、表現ができないほどです。
作者の宮本さんが提出していただいたものの中から
12種類を使用させていただきました。
その理由を以下に記します。
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緋色(ひいろ)・・・いわゆる僧侶の最高位が用いる色。管長猊下の着かれたテーブルでしたから。
江戸(えど)紫(むらさき)・・・紫は冠位十二階でも最上位にあるもの。今回は官職である政治家の方々をこの色にしました。
猩々(しょうじょう)緋(ひ)・・・宗春公が御下屋敷(おしたやしき)に遊びに出かけた時に、頭にこの猩々緋色の頭巾をかぶったという記録があります。緋色よりも鮮やかな朱色です。
浅葱(あさぎ)色(いろ)・・・宗春公時代にもっとも流行った色でおしゃれな色と言われていました。宗春公もこの浅葱色の頭巾を何度もつけています。
鬱(うっ)金色(こんじき)・・・いわゆる金色です。名古屋城は城で持つ・・・金鯱・・・それと僧侶の袈裟の色。勉強会の僧侶仲間の席でした。
憲法(げんぼう)色(じき)・・・京都の剣豪吉岡憲法が染めた色と言われています。宗春公が参勤交代で名古屋から江戸に下向する時、一行の衣装や道具にいたるまで、この憲法小紋にしたという記録があります。
路考(ろこう)茶(ちゃ)・・・二代目瀬川菊之丞の愛した色と聞いています。彼の養父である初代が、宗春公が梁川藩主から尾張藩主時代に一世を風靡した女形でした。
藤色(ふじいろ)・・・朝廷で高貴な色として好まれた色。尾張藩と朝廷は深い縁で結ばれていました。宗春公の隠居は幕府と朝廷の対立が引き金となったというのが私の見解です。
常磐(ときわ)色(いろ)・・・永遠に変わらないものの象徴。江戸時代の街道には松がたくさん植えられており。参勤交代の途中の景色は松並木が多数目に入ったと考えられます。
銀(ぎん)鼠(ねず)・・・ねずみ色にはいろいろな種類がありますが、銀鼠は比較的明るい色です。江戸時代、鼠色はおしゃれな色として流行しました。
鴇(とき)色(いろ)・・・特に若い女性の小袖の地色として用いられた色のようです。朱鷺の羽の色。江戸時代は日本全国に飛んでいた朱鷺(=鴇)。
納戸(なんど)色(いろ)・・・納戸役とはいわゆる藩主の裏方に当たりました。そこで今回はこの席をスタッフ席とさせていただきました。
この色使いはとても気に入っています。
今後も色々と使ってみたいと思います。

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2014年2月21日 (金)

拙著『徳川宗春 <江戸>を超えた先見力』(風媒社)出版祝賀会・・・報告(1)式次第

平成26年2月15日、ウェスティンナゴヤキャッスルで拙著『徳川宗春 <江戸>を超えた先見力』(風媒社)出版祝賀会が開かれた。

式次第は以下のとおり。
(1)著者入場
(2)著者講演
(3)総本山金剛峯寺座主松長有慶高野山真言宗管長猊下祝辞
(4)徳川黎明会会長尾張徳川第二十二代当主徳川義崇様祝辞
(5)南山大学教授安田文吉先生乾杯
(6)歓談食事
(7)元内閣府特命担当大臣古川元久代議士祝辞&『温知政要』贈呈
(8)尾張徳川家総菩提寺建中寺村上真瑞御住職祝辞
(9)尾張藩附家老家成瀬隼人正家のご分家成瀬朝香さんの巫女舞
(10)祝電披露
(11)古着物披露
(12)柴田圭一郎さんの大道芸傘回し
(13)河村たかし名古屋市長様への請願書&祝辞
(14)大村秀章愛知県知事様へ書籍贈呈式&祝辞
(15)祝賀会事務局代表し北川リツ挨拶
(16)退場
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次回は(2)著者講演

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