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2013年6月30日 (日)

今日の感謝 2013-06-30

今日の感謝 2013-06-30

・境内に出て自然生えの青紫蘇を見つめる。カミさんがわざわざ残してくれたもの。蘇りの薬草。カミさんの想いと青紫蘇に感謝。
・毎週日曜恒例の早朝モーニング。色々と談笑。こうしたことを続けてくださるY医師に感謝。
・人間関係である方々に亀裂が入りかけた。それを修繕すべく声をかけ、今日の午前中に見事に改善され、より強固な関係になってくれたという。私の声に耳を傾けてくださった方々に感謝。
・大叔母の家にH医師が往診してくださったという。日曜の休日にもかかわらず、抗生剤が必要ということでわざわざ出かけて頂いた。面倒臭がらずに動いてくださったその想いはありがたい。厚く感謝。
・友人が訪ねてきてくれた。茅の輪を作りたくて手に入らないかと尋ねたら、ススキが手に入るという。ありがたいばかり。感謝。

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境内の自然生えの青紫蘇を見ての雑感

一見すると雑草のように生えていますが
実は青紫蘇(大葉)です。
うちの境内は全く除草剤を撒いていませんので
いろいろな自然生えの草木がありますが
この青紫蘇もその一つです。
カミさんが草取りの時に残している一種です。
Shiso
紫蘇の由来の逸話があります。
二世紀末から三世紀頭の中国の後漢の末期に、
(三国時代初期・後漢末は魏の曹操の傀儡政権)
ひとりの伝説的な医師がいました。
本名(諱)は分かっていません。
ただあまりにも優れた医師であったので
先生という言葉を意味する「華佗」と呼ばれていました。
後漢の旧都である洛陽で
ある若者が蟹を食べすぎて食中毒を起こし
紫色に顔色が変色し瀕死の状態となっていました。
そこで華佗に治療が求められると
華佗は薬草を煎じ、薬を作ったといいます。
その薬を用いたところ、若者はすっかり元気となり
紫から蘇る薬ということで、
薬草を「紫蘇」というようになったという伝説です。
一説には紫色の薬であったとも言われています。
華佗は伝説的な人で、三国志演義にも登場し、
曹操の愚かな面を強調する役割を担う悲劇の医師。
この話は事実かどうかは疑わしいのですが
紫蘇は華佗に譬えられるくらい
健康にはとてもよいものであるということだと思います。
青紫蘇の含有成分には
αーリノレン酸、 ロズマリン酸、 クロロフィル、
βーカロテン、 ペリルアルデヒド、
ビタミンB1、ビタミンB2
等があるそうです。
抗酸化作用が強いとのことです。
この紫蘇を見つめながら
心身ともに蘇るお寺というのも良いなぁと感じました。
いやお寺とは元来そういう場所なのだと思います。
七月二十三日に嘉祥頂戴の儀式を行います。
牛頭天王を本尊とする祭りです。
蘇民将来の蘇とも繋がります。
すぐ隣後は蘇原の地。
この祭りの名を蘇りの祭りという意味も
含めてみようと感じました。
感謝すべきことに素麺などを食す時、
かみさんがこの青紫蘇を時折入れてくれています。

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2013年6月29日 (土)

今日の感謝 2013-06-29

今日の感謝 2013-06-29

・大叔母が体調を崩し、早朝にお寺を出て桑名に向かう。そして掛かり付けのお医者さんへ。このお医者様は支える医療を目指されている方。明日も日曜にもかかわらず、朝に大叔母の往診に出かけてくださるとのこと。医療が良い意味で昔に戻りつつある。おそらく行き過ぎた先端技術への反動であろう。先端技術と人間味のある医療が上手に一つになった時、医療はもう一歩先に進むような気がする。ひがし先生に感謝。
・大叔母は自分が病にもかかわらず私の家族のことを気遣っていただけた。私といると元気になるようだ。ただその反動もあり、私も大いに反省。素早く帰って寝させるべきであった。大叔母の優しい心に深く感謝。
・かみさんが私のことを実によく観ていてくれる。どっしりと構えて、良い意味でのコントロールを覚えたようだ。このカミさんの誕生日のヒミツに今日気づいた。彼女はとんでもない神様のお祭りの日の生まれであった。彼女と私が結婚せねばならなかった理由が、より明確になった。感謝。
・恩師と久しぶりの電話。一歩前に出ることをためらうのは、我欲。これは他者からよく見られたいと思う我欲のなせるわざであることを改めて教えられる。深く深く感謝。
・若き友人が引っ越した。その引越し先でご祈祷をし、仏教に関わる話をする。二十代三十代のひとたちがこうした話を真剣に聞いてくれる。私たちの工夫の必要性を改めて知らされた思いだ。感謝。
・白光真宏会の出版部の方から連絡が入る。とても美しい言葉に驚かされる。深い信仰心の素晴らしさを垣間見る。どんな宗教を信仰しているかではない、その教えをどれほど深化させているのか、どれだけ人としての道を全うしているのか、ここが大切だと気付かされる。感謝。

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2013年6月28日 (金)

今日の感謝 2013-06-28

今日の感謝 2013-06-28

感謝日記、しばらく休みましたが、今日から復活。
今までのような定形なものでなく
時には簡単に、時には詳しく
フリーに思うがままに書こうと思います。
やはり書いたほうが気分がイイですね。
・護摩供養、初段も二段も、とても良い火が上がりました。感謝。
・護摩供養の際に、やり忘れていたことがあり、カミさんがフォロー。カミさんに感謝。
・護摩供養の時の法話、善因楽果・悪因苦果の話をしました。終わってから数名の方に、私のためにあったようなお話と感謝されました。こうして感想を言っていただけたことに感謝。
・少し苦しかったことがあったりましたが、思わぬところで解決。やはり信じて生きてくことは大切。大きく天に支えられました。深く感謝。
・今、本の原稿の最終段階。カミさんが相当気を遣ってくれています。大いに感謝です。

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鳩山元首相がもし深謀遠慮をしているのならば、今の言動も理解できる。あくまでも希望的観測だが

鳩山元首相の行動は、否定的な意見ばかりが目立つ。
たしかに異常な行動。
でも、何故異常な行動を元首相経験者がとるのか
少し考えてみると別の視点もありえる。
ひょっとしてリスクヘッジなのでは?
中国と事を構えなければならなくなった時
そのように対応したらよいのか、
それを見越した上での対策?
既に政権与党でも野党でもなく
議員でもない一国民。
されど元首相。
ある意味、これほど危険な行動は
鳩山元首相以外とることができないもの。
誹謗中傷されても前に進もうとするのが
今までの彼の行動。
もしそうならば、単純に彼の言動を否定出来ない。
日本国民の圧倒的多数に嫌われようと
政権与党が突き進む道の反対を歩み
リスクヘッジをする。
自分を人身御供にしているとも考えられる。
これって深読みし過ぎかなぁ?
でも、これほどの執念のような行動は
なんらかの考えがなければできない気がする。
本当に単純に馬鹿なのか
それとも将来を見据えてのことなのか?
東大を出て、スタンフォードで博士号をとり
民主党を立ち上げ育て
一国の首相にまでなった方の言動
後者なのかもという淡い希望を持っていたい。
もちろん期待はしていないが・・・。
=>中国首相、日中重視の考え…鳩山元首相らと会談 :
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130628-OYT1T01179.htm?from=tw

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2013年6月26日 (水)

甘茶と雨とカエル 音を想う雑感

雨模様の中、甘茶が綺麗に咲いて居ます。カエルの鳴き声

もあり、雨音と合奏です。その音を聞きながらの雑感です

雨音もカエルの鳴き声も、文字で誰かに伝えると、全く異

なった音として伝わります。そのものの音を録音したり、

直接聞いてもらわない限り、再現は難しいものがあります

。音楽も楽譜はあれども、演奏者やその時の状態により、

音は変化するもの。それがまた面白いのですが。

ふと自分に振り返り、真言はどうなのかなぁと感じていま

す。次第ではカタカナで音を伝えて居ますが、弘法大師の

当時は、漢字や梵字で音を伝えて居ました。ところが、ど

のときからかは分かりませんが、弘法大師当時の音は消え

去り、全く別の音が文字から創出され、それを金科玉条の

如く重んじられるようになって現代に伝わって居ます。声

字実相義や吽字義を読むたびに、大師にとっての音につい

て考えさせられて居ます。現在の私の中では、皆に見せて

聞かせる音は日本の伝統的な音ですが、体の中での音の響

きや独りの修法はできる限り梵字の音の再現につとめてい

ます。もちろん不動慈救咒のような例外もあります。

音、単純に文字にするのではなく、音そのものを受け取る

器量をもっと磨いてみたい、それを強く感じさせてくれた

甘茶と雨とカエルでした。^_^

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2013年6月24日 (月)

友人が社会的に失敗し、体裁を保つために隠していたことを偶然に知った時、あなたはどうしますか?

相談がありました。
同じような相談が過去にもありました。
具体例を出すと個人情報もあるので
内容を変えて喩え話をします。
Photo_2

AさんにBさんという友人が居ました。
Bさんは、技術はあるのですが
時間とお金と女性にルーズで
いつも時間もお金もなく、
女性に振り回されてばかりいました。

一方、Aさんは
取り立てて技術があったわけではないのですが
時間に厳しく、お金もしっかりと管理し
女性も奥さん一筋でした。

あるときBさんは仕事がうまく行かず
Aさんに借金を申し込んできました。
Aさんは、時間のことお金のこと女性のことを
友人として深く注意をして
Bさんにお金を貸しました。

Bさんは一時は仕事に打ち込んだのですが
相変わらず時間にルーズで、
女性に振り回され
Bさんに借りたお金の一分を使って旅行に行くなど
結果的にはAさんを裏切る行動をとっていました。
そして仕事とお金と女性問題で失敗をしてしまいます。

Bさんは別の所で借金をし
何ごともなかったかのようにAさんと接していました。

ある時、AさんとBさんの共通の友人であるCさんが
ふとしたことでBさんの状態を知ってしまいました。

さてこれに似た状況で、相談がありました。
相談者はCさんです。
CさんはAさんのように
特別に清廉潔白な人ではありませんし
お金は自分の家族が生きていくには困らない程度ですが
それなりにしっかりと生きている人です。

あなたがCさんの立場ならな
またはCさんから相談された時に
あなたはどうされますか?

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2013年6月23日 (日)

芸術の世界の大きな一線 ライブハウスでの音楽で感じる

とある病院の先生に連れられて、
とある小さな小さなライブハウスに行く。
技術は、それほどではなかったが、
いろいろと感じさせられた。
それとカホンと云う楽器も知った。
芸術の世界にはやはり大きな大きな一線がある。
これは倫理観とは無縁のもので、
人間の感情と云うよりも、
自然の摂理にかなっているかいなかと云うもの。
人間の心の最も奥深い部分で感じるもの。
その一線を越えられるものは
ほんのわずかしかいないのだと云う
現実を見せつけられる。
残念ながら今回の演奏者二人は
その域に達していなかった。
ただ、彼らの思いは何と無く伝わって来た。
これは音楽だけではない。
どの分野にもこの一線はある。
それを越えられるものは、多くはない。
また、それを超えることが
その人にとって幸せかと云うとまたこれも異なる。
しかし、その超えた世界は
人々に大きな影響を与えるのもまた事実である。
今回は音楽を楽しむと云うよりは、
その他にもいろいろと考えさせられた。
そうした意味で、行って良かったライブであった。
そして、カホンを手に入れたいと思った。

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2013年6月20日 (木)

治す医療と支える医療 ある医師の言葉

今朝、桑名のお医者様と電話でお話しました。
そこで出たのが
「今までの医療は治す医療が中心でした。
 ところが高齢者が増えてきて、
 加齢による治すことができない機能障害が多発。
 そうなると治す医療だけでなく、
 医療の別の方向性が叫ばれるようになって来ました。
 人によっても異なりますが、
 治す医療はもちろんですが、
 もう一方では一日一日を
 充実して生きていただくための
 支える医療が大切になってきたのです。
 そのために医者ばかりでなく
 様々な方面の人が多面的にサポートするが
 本当に大切なことです」
あたりまえといえばあたりまえなのですが、
ふと目を見開かされました。

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2013年6月15日 (土)

自分でないと出来ないこと それをしている時、人は輝く

小中学校時代の同級生二人に会いました。
小学校時代はスポーツも学業もなんでもこなす優良児。
中学時代はバレー部とバスケ部のキャプテンをしていた
男女のリーダー格の二人。
なぜ彼や彼女がリーダーであったのか
それを垣間見ました。
 カミサンを連れて行ったのですが
 カミサンも何か深く感じるところがあったようです。
今は、一人は一般財団法人のその地域のリーダー格であり
もう一人はケーキ職人。
この人でないということをしている二人。
少中学時代も多くを得させていただいていましたが
この歳になっても、またまた多くを学ばせて頂きました。
自分でないと出来ないこと
それをしている時、人は自分の存在感を
より強く得るのだと改めて感じました。
ただしそれは大きなことであっても
身近なことであってもよいと思います。
 親であることは親にしか出来ませんし
 子であることも子にしか出来ません。
一緒に今日一日付き合ってくれたカミサンと
旧姓FさんであるKさんと
ケーキ屋のMさんに深く深く感謝です。

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2013年6月10日 (月)

深く感謝 異なるものが異なる方法で異なる時間に、同じ場所で同じ目的の祈りをし始めています

土曜日にせんげつSOPPで

でお世話になったFさんたちが来られました。
色々とお話するなかで
驚くほど一致している動き。
特に世界平和国家安泰で動かれているFさんたちと
私たちは鎮護国家で動いており
それが軌を一にしていて
とても意義深く感じました。
昨日は福島に行かれ
霊山神社などで
意義深い場所で平和の祈りを
されてこられたそうです。
違う組織であっても
同じ目的をもって
それぞれがそれぞれのあり方で祈っていく
そうした本来ならば目に見えないネットワークが
顕在化してきたようにも感じます。
FさんはじめSさんの周りの方々
日本の神々に
深く深く感謝します。

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2013年6月 9日 (日)

義叔母の股関節手術 無事に成功 七十年目にして初めて動く大腿部。大いに感謝です

一昨日の金曜日、
カミサンの母親代わりの叔母が手術をしました。
生まれたときから股関節に異常があり、
骨盤と大腿部の関節が完全に癒着してしまっていたのです。
その足の骨を切り、
癒着部分に穴を開けて人工関節を入れる手術でした。
無事に終了。2.5cmほど足も長くなりました。
またしびれも痛みもなく大成功の手術だったようです。
まだ手術が終わったばかりで
これからリハビリ。
それでも義叔母の笑顔から
こちらにもその喜びが伝わって来ました。
七十年目にして初めて動く関節。
この感動は言葉にならないほどだと思います。
岐阜大学病院のリハビリ科の先生からご紹介をいただき
整形外科の先生方による手術。
本当に岐阜大学医学部附属病院のお医者様方には
心から感謝したいです。(手術担当医のHPのURL)
そして義叔母に付き添い、見守っているカミサンにも
深く感謝です。

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南極大陸の影像から、私たちのものの見え方を学ぶ

NASAアメリカ航空宇宙局が、もしも南極の氷が溶けた場合に、南極大陸はどのような姿であるのかというコンピューター影像を公開しました。なかなか面白い映像です。
この影像を見ながら、感じたこと。南極大陸の土は見えないことが多いです。それは太陽や月・星が雲に覆われて見えないことが有るのと同様です。南極大陸の土がないのではなく、雪や氷でその姿が見えないだけ。むしろ、その雪や氷を支えているのがその大陸。むしろ南極大陸の実態としての大きさは表面上の氷や雪よりも多いのです。
つまり、私達の目で見えるものは南極大陸全体のほんの一部ということ。これは、人に対しても、人以外のものごとや出来事に対しても言えるのではないでしょうか。私たちが見えているものはその表面部分、ほんの僅かにすぎないということ。そしてその表面もまた全体の一部であるということ。この両面があるということをこのニュースで改めて知らされました。
この地球や宇宙全体もそうですが、ニュースや出来事もまた私たちに様々なことを教えてくれる典籍なのでしょう。

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