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2013年2月18日 (月)

餅投げ 奪い合うことに大いに疑問!&紅白とは?

厄除けの餅投げ、昨日で殆どが終わったようですが、この餅投げで疑問が二つありました。一つは餅を奪い合う行為を増長させるやり方。もう一つが何ゆえ紅白なのか。

うちのお寺(高家寺)では、餅投げの時に必ず伝えることがあります。大いに大いに拾って欲しいと。ただし拾ったら、拾えなかった方々に分け与えて欲しい。誰もが紅白ひとつずつも取れなかったということがないように伝えています。これを伝え始めたときは、なかなか理解していただけず少なからず大量に持っていく人が居ました。しかし、今年は本当に皆で分け与えていました。中には「ご家族の分もありますか?」と尋ねる人もいらっしゃいました。

奪いあう喜びは刹那のもので、残るは拾えなかった恨みの念。

一方、分け与える思いはお互いに喜びに包み込みます。ここでも布施の大切さを身をもって理解できるほどです。餅投げの中にも教えが活かされる、そんなあり方でありたいと今後も工夫を凝らしたいと思っています。

紅白の餅。いろいろ調べると、約封じで赤が肉を表し、白が骨を表すことまで分かりました。ただ先日に見つけた古代米の餅を見つめてみると、元々赤餅とは食紅などで着色したものではなく、古代米の赤米だったのではないかと感じました。ある恩師とこのことを話していると、古代の日本の田は黄金色だけでなく、緋の色でもあったのではないかと話が展開しました。日の丸が赤いのは、案外こうした赤米の色も関係あるのかもしれないなぁと妄想したほどです。

餅投げ一つからいろいろ感じさせていただけたことありがたいものです。

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