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2013年2月26日 (火)

超宗派という甘い言葉に注意 時には薬に時には毒になりえます

ちょうど一年ほど前に、ある方が
「全仏教の宗派が亡くなり一つにまとまれば良いですね」
と言われ、それに何人かが賛同されることがありました。
すかさず私はそれに疑問を呈しました。
「一つにまとまるとは魅惑的な言葉ですが
 それこそ他者を否定する狭い考え方ではないでしょうか?
 宗派があるのは
 人には縁や個性があるからと思うのですが
 いかがですか?」と。

弟弟子が超宗派のNPO活動をしています。
とても尊い行動だと思っています。
古き知人の某宗派の宗務総長さんが中心となって
地方の神社やお寺を繋ぐネットワークを組まれました。
これもお互いに繋がって行く貴重なあり方です。
一定のテーマに向けて、
色々な考え方をしている方々が集まるのは
大切なことだと思います。
ところが、形式だけ真似て
なんでも超宗派が良いと勘違いしている方々も
少なく有りません。
教えには相性があり縁があります。
合う人もいれば合わない人もいる。
それを無理やり合わせるのは考えもの。
特になんでも超宗派としたり
なんでも一つという考え方の後ろには
一神教的な一つにまとめて支配しようという意図が
見え隠れしています。
このような考え方は
日本には合わないはずなのですが・・・。

一例を挙げますと、
真言宗は多種多様な如来や菩薩を大切にし
人それぞれにあった仏菩薩があり得るとする立場です。
一方、浄土真宗は阿弥陀一筋。
浄土真宗のような考え方を真言宗に持ち込むと
真言宗の教えが矮小化されてしまいます。
真言宗のような考え方を浄土真宗に持ち込むと
浄土真宗は蓮如さんを否定しなくてはならなくなります。
もしくは自分の宗派の考え方を捨て
第三の教えを建立しなくてはなりません。

寺院は各宗派や地域により異なってくるもの。
それを全国マニュアル化したり
なんでも一律に行おうという動きは
気をつけ無くてはならないように思えます。

十人いれば十の顔があるのと同じように
宗教もまたそれと同じようなもの。
このことは忘れてはいけないように思います。

なんでも一つにまとめようという動きには
気をつけていたい、
例を挙げれば、坊さんのあり方とか、
お寺の経営とか、
そうしたテーマで超宗派をすることには
大いに疑問を有しています。
僧侶も寺院も、宗派の教えがあって成り立つもの。
各別であるからこそ、成り立っているはず。
そうしたものを一つにまとめて考えていくことに
違和感があるのです。

魅惑的な言葉には気をつけていたいですね。

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2013年2月18日 (月)

餅投げ 奪い合うことに大いに疑問!&紅白とは?

厄除けの餅投げ、昨日で殆どが終わったようですが、この餅投げで疑問が二つありました。一つは餅を奪い合う行為を増長させるやり方。もう一つが何ゆえ紅白なのか。

うちのお寺(高家寺)では、餅投げの時に必ず伝えることがあります。大いに大いに拾って欲しいと。ただし拾ったら、拾えなかった方々に分け与えて欲しい。誰もが紅白ひとつずつも取れなかったということがないように伝えています。これを伝え始めたときは、なかなか理解していただけず少なからず大量に持っていく人が居ました。しかし、今年は本当に皆で分け与えていました。中には「ご家族の分もありますか?」と尋ねる人もいらっしゃいました。

奪いあう喜びは刹那のもので、残るは拾えなかった恨みの念。

一方、分け与える思いはお互いに喜びに包み込みます。ここでも布施の大切さを身をもって理解できるほどです。餅投げの中にも教えが活かされる、そんなあり方でありたいと今後も工夫を凝らしたいと思っています。

紅白の餅。いろいろ調べると、約封じで赤が肉を表し、白が骨を表すことまで分かりました。ただ先日に見つけた古代米の餅を見つめてみると、元々赤餅とは食紅などで着色したものではなく、古代米の赤米だったのではないかと感じました。ある恩師とこのことを話していると、古代の日本の田は黄金色だけでなく、緋の色でもあったのではないかと話が展開しました。日の丸が赤いのは、案外こうした赤米の色も関係あるのかもしれないなぁと妄想したほどです。

餅投げ一つからいろいろ感じさせていただけたことありがたいものです。

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2013年2月16日 (土)

イジメに対して思うこと。政治会にも宗教界にも経済界にも教育界にも蔓延しているイジメに関する雑感です。

政治を目指している若者が居ます。彼は、市民の声を代弁するには

、政党の論理で自分の言いたいことを抑えなければならないような

道を避けました。彼は元々、当時の政権政党で秘書をしていたので

すが、事務所内で大変ひどい虐めにあいました。県会議員や他の秘

書、事務員たちは自分がいじめをしているということに気づかず、

彼はそれをじっと耐えに耐えていました。そして彼は独立し、党員

を辞め、一人の人間として政治界で生きていくことを決めました。

すると別の政党から彼に声がかかりました。彼はそれを断ると、今

度は彼を潰すために様々な方法を使って邪魔が入って来ました。遂

には別の某宗教政党関係者からも近所に圧力がかかりました。それ

でも彼はそれに勇気を振り絞って立ち向かっています。おそらく身

もすくむくらいの思いなのでしょうが、本当に勇気を持って向かっ

ています。私は宗教家であるがゆえに彼を表立って応援出来ません

が、心から彼を応援したいと思っています。

人は何故こんないじめをするのでしょうか?そういう人に限って、世間的にはいじめ問題を論じるのに、実際は自分もいじめを行なっていることに何故気づかないのでしょうか?
実は私も住職になってからひどい虐めに逢いました。教育をかじった自分から見ると、とんでもない論理でした。そしてそういう方々に限って自分の子供達には甘すぎるのが現状です。私の場合は運良く助けてくださる方や友人が沢山いました。

同窓会で恩師と話をした時も、学校の教室内でイジメがはびこっていることを聞きました。本当にこんなことで教育ができるのか、そんな状況のようです。

おそらくいじめている本人たちは、教育といじめを履き違えていたのだと思います。ある面紙一重の部分もあるかもしれませんが、その一重があまりにも大きな壁であることに気付いてほしいものです。人の能力を開花させるための苦労は、そんなことではないと思います。愛情を深く持って伝える厳しさと、愛情もなしに伝えるものとはあまりにも違います。叱る相手に愛情がない場合は決して叱ってはなりません。それは単なるイジメに化すからです。

いじめについての政府主宰の会合があったようですが、小手先のテクニックに陥ることなく、もっと根本を見据えてほしいものです。

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2013年2月12日 (火)

NHK BS ドキュメンタリー「このままじゃあ終われない 出井伸之と“やめソニー”たちの逆襲」をオンデマンドで観る

このままじゃあ終われない 出井伸之と“やめソニー”たちの逆襲
NHK BS のドキュメンタリー番組で放映されたもの。
先ほどオンデマンドで観た。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2013046493SA000/
NHKが一つのメーカーを辞めていった人たちを
取材するスタイルにはびっくりした。
NHKも本気で日本を憂いている、それを感じる番組であった。

世界と伍する大規模経営は、
そもそも日本という国にはそう言いうものが似合わない。
作物からして、この国土が生み出すものは
小さくとも質の良い物。
庭でも大規模なものではなく
箱庭のような閉ざされた空間を永遠に結びつけるような創意工夫。
茶室のように狭い空間を無限に広げる工夫。
番組ではそこまでは取り上げていなかったが
日本という国にあったものは何なのか
それを今一度見出すことが
日本を良き国にしていくのではないかと

感じさせてくれる番組であった。

最近のNHKの番組作りは素晴らしいものが少なくない。

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2013年2月 6日 (水)

私の遊歩道 太い幹を作る表の道

かつてある師より教えられたこと。
***
謀略は知っていなければならないが
決して使ってはならない。
謀略を使うと、長い道のりの過程で
いつかは自分の掘った穴に落ちる。

どんなことでも裏の道があることをを知っていなければないが
その道は決して歩んではならないし踏み入れてもならない。
手っ取り早く裏の道を使うと、
長期では決して得することはない。


目先の利に追われることなく
遠くを見つめて辛抱できるときは辛抱する。
それが自分の中心である幹を太くし
自然と枝葉も伸びていく。

馬鹿と言われようが堂々と表の道を歩む。
それが人としての道。
***
年令を重ねれば重ねるほど
この言葉の真実性を実感しています。

私の遊歩道とは、そんな表の道です。

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