京商売と近江商売・・・
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通りの左のお菓子屋さんは、どんなに行列が並んでも一日に二百個以上を作ることはありませんでした。「これはうちの家訓ですから。一見さんではなく、毎日来てくださる方を大切にしたいので。」という理由で、どんなに並んでいても、毎日毎日二百個のお菓子を続けて行きました。
一方、通りの右側のお菓子屋さんは、それまで毎日二百個だったお菓子の数を、前日並んでくれた全員が買えるだけ見込んで数を作るように方針を変えました。「望まれるお客様皆様に買っていただきたいから」という理由でした。
五年後、左のお菓子屋さんは相も変わらず主人自身が一日二百個を作り、毎日行列が並び売り切れていました。一方、右のお菓子屋さんは、全国からの注文も受けるようになり二千個ほど作るようになり、全国規模で売るようになっていました。ただ一人で作れる数ではなくなったために職人を多く雇うようになっていました。
五十年後、左のお菓子屋さんは代が変わっても主人が二百個を作り、毎日行列ができて売り切れていました。一方、右のお菓子屋さんはなくなっていました。
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このお話だけでは善悪は判定できません。右のお菓子屋さんは儲けて別の事業に移っていったのかもしれませんし、逆に見込み違いが生じて潰れてしまったかもしれません。同じ物を続けることが大切なのか、時代に合わせて変化させていくことが大切なのかは、場合場合によって異なってきます。固定客を大切にするのか、一見さんさえも大切にするのかは、これも正しい答えはありません。この寓話を作られた方の意図は感じますが、どのように捉えるのかは、自分次第だと私は感じます。
ただし、作者がこの寓話で言いたかったことは今の日本にとって、とても大切なことのような気がします。ですからここで紹介をしました。
いかがでしょうか?
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