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2013年1月22日 (火)

江戸時代 知らないことがいっぱい

江戸時代の研究をし始めて知ったことが幾つもあります。

江戸時代の「てんのう」とは、「スメラミコト」つまり「天皇」で

はありません。殆どの場合が「天王」つまり牛頭天王のことで厄神

様のことでした。明治維新により、天王が破却または改名させられ

た例が少なくありません。

江戸のグランドデザインを施した人物、天台宗の天海です。目白・

目黒などの五不動を配置し結界を張りました。また日光や寛永寺も

鬼門封じです。東海道五十三次も華厳経の入法界品の善財童子が学

んだ師匠の数にしたがったものにしています。江戸城から民間にも

広がった五節句も天海が決めたものだそうです。この五節句は厄を

封印して善きものを導き出す行事。明治維新により天海が作り上げ

た結界や厄封じは全て解かれてしまっています。

江戸時代の大名は基本的に何をしていたのか。政務は家老たちとの

合議ですが基本は家老が摂っていました。では大名の役目は何か?

一つは血を繋ぐことです。親戚同士の結婚は当たり前で、むしろ親戚同士で結婚をしていたと言っても良いと思います。まるで英雄であった先祖の地を色濃く残したいという思いがあるようにさえ感じます。公家との婚姻も相当なもので、系譜を作るとその複雑さにびっくりするほどです。大名のもう一つの仕事は祭祀です。五節句や嘉祥頂戴・玄猪などの儀式を司り、先祖礼拝をする。一年ぽうちほとんどが祭祀祭礼を行なっているのはあまり知られていません。

天海の影響もあり、天皇に連なる法親王が日光東照宮輪王寺の門跡

となり、江戸時代の僧侶のトップであったことは意外と知られてい

ません。その輪王寺の門跡が上野東叡山寛永寺の貫主を兼務し、輪

王寺宮と呼ばれ、普段は寛永寺に住居し、多くが天台宗の座主でし

た。そして江戸時代の大罪人の赦免を願い出ることができる唯一の

存在だったそうです。これは江戸時代の常識なのですが、受験で日

本史を学んだ人でもこれを知っている人は多くないと思います。一

部のマニアや学者のみが知っていること。

日本史では大名を、親藩・譜代・外様と分けますが、江戸城内でそ

のように分けられた例はほとんどありません(少なくとも私は披見

していません・・・)。前田・島津・伊達・浅野・池田・黒田・島

津・毛利・鍋島・蜂須賀・山内などの大大名に関しては、江戸時代

の公式記録『徳川実紀』の中では全て松平姓として記録されていま

す。多くが、将軍家や御三家・さらには福井や会津・高松等の徳川

親藩家と婚姻を結んでいることも注目に値します。しかし、学校の

歴史の中ではこうしたことは教えられません。

江戸城内での格式は、基本的には家柄よりも官位で座る位置が決め

られていました。どの部屋の何枚目の畳に座るのかも、官位によっ

て決められていたのです。この武家官位は公卿の羽林家という家柄

に準じて昇位します。この官位を理解するのに少し時間がかかりま

す(^^;そのためか官位に手を出す学者はそれほど多くはありま

せん。

ここに載せたのはほんの一部。お餅はひと月ひと月でいろいろな種

類のものがあったとか、そのほか江戸時代の常識は今ではすっかり

失われてしまいました。もちろんあのような身分制度のはっきりし

た時代は問題がありますし、不自由な点も多々あります。明治維新

によって解放された面も少なくありませんが行き過ぎて大切なもの

まで捨て去られたことも忘れてはならないように感じます。

江戸時代を学び、明治維新で捨て去られた大切なモノを取り戻す、

どうもそれがしばらくの私のテーマのようです。あ、もちろん学者

ではありませんので、実践第一主義で行きたいと思っています。

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