漢文学の大家で保守派の論客加地伸行先生の講義略述
12月13日、大阪で漢文学の大家で保守派の論客加地伸行先生の講義を受けた。全部を記すことはできませんので、ほんの僅かですが記します。ほ
んとうに面白い講義でした。もっと聞きたかったです・・・。
「一般的日本人が求めているのは宗教としての仏教であり、学問と
しての仏教学ではない。またインド仏教や中国仏教を求めているわ
けではないので日本仏教に絞るべき。」と仏教と民衆とのすきま風
を埋める必要があると。
江戸時代まで、日本人の返答は、武士が「ははぁ」、商人が「へい
」、女性が「あい」であった。高杉晋作の騎兵隊では身分差を越え
る返答が必要で、中国語広東語の「係(はえ)」を「ハイ」と直し
て用いた。それが陸軍で使われ日本中に広まった。
明治維新で欧米力の工業力の力強さは、思想も高いと勘違いし、指
導者たちが欧米思想に偏重。ここに欧米思想が上であり、個人主義
が上という誤った見解を採用してしまった。
明治の学制で、寺子屋や塾では
明治維新で東京大学は近代学のセンターとなり、欧米留学者が担当
。一方、漢学と皇学(国学)が大げんかをしており、欧米哲学が跋
扈。キリスト教という枠内での宗教学が支配的となる。
明治維新により、宗教にランキングをつけるようになった。四は自
然崇拝、三はシャーマニズム、二は多神教、一は一神教。一神教を
宗教の最高とする誤解に基づく宗教界が蔓延し、仏教では特に浄土
真宗がその波にさらわれた。
現代の宗教の定義は、教祖・教義書・集まる場所。しかしいずれも
普遍的なものがない。医学や倫理学など他が担うものを削ると、宗
教とは死についてとことん見つめるものであることが残される。宗
教は死の説明者たるべし。
狩猟民族は能力主義であり個人主義。一方農耕民族は平等主義であ
り集団主義、家族主義。明治維新で個人主義が近代的だと勘違いさ
れ、日本古来の考え方が隅に追いやられてしまった。
欧米の個人主義には、勝手なことをさせないという神があり、それ
が利己主義への抑止力となっている。ところが日本にはその神の抑
止力がなく、現代のような利己主義が蔓延した。
日本には、本来はご先祖さまという抑止力があった。祖霊が私たち
の我儘を許さなかった。
日本で火葬の後に骨を大切にするのは、純粋な火葬ではないから。
日本の火葬は土葬の変化形。純粋な火葬は燃やした後に川に流して
しまうなどする。散骨する場合でも場所にこだわるのは、土葬と変
わりない。
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